2125/09/07-2 外身が、両親なだけで
「あの二人は、もう人間じゃない。すでに殺されて、擬態されている」
それは認めたくない事実だった。もうそろそろ身の回りの人間にも犠牲者が出て、擬態した彼らに容易に遭遇してしまうとは思っていた。だが同時に、どこかそんなことにはならないだろう、と考えてしまう自分もいた。弓依に擬態して、弓依として生きるうちに、いつしかそんな弓依の考え方まで受け継いでしまったのかもしれない。
「それは、本当ですか」
「うん。彼らから、同族の臭いを感じた。これはぼくたちにしか分からない臭いだ」
「つまり、人類を滅ぼそうとしている側ということですか」
「守ろうとしている側が、ぼくしかいないんだけどね。まあそういうことになる」
突然帰ってきた両親が、すでに殺され擬態されていたとなれば、話は変わってくる。周りの人間が危ない。
「ぼくはわがままだね。どのみち人間はみんな殺され擬態されるというのに、弓依の両親がそれをやるのは見たくないと思っている」
「いいえ。それは、至って正常な思考だと思います。……すでにここに来るまでに何人か殺した可能性は、あるでしょうが」
「それでも、だよ。これ以上の被害を出すわけにはいかない」
あの二人を殺す。
弓依の返事がほしかった。すでに本当の親は死んでいるとはいえ、その親の姿をした者を殺すことを、弓依はどう思うのか。弓依が殺さないでくれ、と言うのも考えてのことだ。その場合は他の方法を考える。それだけの話だった。
“……私のお父さんとお母さんは、もう死んでいるのよね”
「そのはずだよ。いつかは分からないけれど。どこかで殺されて、適当な場所に骨を埋められている。あるいは人間のことなんか随分下等な種族とみなしている彼らなら、埋めもせずに放置されているかもしれない。いずれにしろ、まともな供養はされていないだろうね」
“あの二人を殺しても、お父さんとお母さんの記憶は残るの?”
「おそらく残らない可能性が高いね。同族を殺したことはないから分からないけど、擬態した奴らを殺して人間としての記憶を奪ってから、ぼくが分身を作ってそいつたちに記憶を引き継がせる、というのは理論上できる。ただ、あくまで理論上の話だ。きっと奴らが死んだ時点で、人間としての記憶も抹消される」
あまり本当のことは言いたくなかった。ぼくは今、弓依に両親がすでに死んでいるという事実を突きつけた上で、弓依と両親の記憶も永遠に失われてしまうと告げているのだ。弓依にとって、酷な話でしかない。
“……殺さずに済む方法はないの”
「ぼくだって、殺すのが好きなわけじゃない。殺さなくていいなら、それに越したことはないよ。けどぼくが人間に味方する裏切り者だということは、あの二人と話してしまえばすぐにバレてしまう。その時何もしなければ、ぼくの方が殺されてしまう」
“……あくまで自己防衛の手段として、殺すことを選ぶということ?”
「そう。あるいは今ここで逃げ出して、放浪の旅を始めることもできる。ただその場合も、ずっとぼくの元仲間に追われ続ける。誰が人間で誰が擬態かも分からないし、ぼくがずっと追っ手に勝ち続けられる保証もない」
今ここで、弓依の両親に擬態しているあの二人を殺せば。ぼくが裏切り者だという情報が共有されてしまう前に、また少し平穏な日々を取り戻すことができる。どのみちクリスマスに地獄を見るのなら、それまで少しでも安心できる環境の方がいい。ぼくは、そう思う。
“……私は、あなたを一生恨むかもしれないわ”
「その覚悟はあるよ。元々ぼくのせいで、人間が滅ぶことになってしまったんだから。全人類の恨みを買っても、仕方ないと思う」
“私、きっとまだ幼いの。あなたにこれだけ言われても、まだ実感がわかない……お父さんとお母さんがすでに死んでいることも、目の前の二人が擬態されているということも。あまりにもことが大きすぎて、受け止めきれていないのが自分でも分かる。でも、どうすれば受け止められるのか。どうすれば納得できる落とし所が見つかるのか、まるで分からない”
「もしもぼくを恨むことで気が済むのなら、好きなだけ恨んでほしいよ。ぼくには親を失う悲しみは分からないけれど、弓依の心が痛んでいるのは分かるから」
そんなに単純な話ではない。両親の記憶を持った奴を殺してもいいかなんて、そんな判断がすぐにできるはずがない。
聞かなかった方がよかったのかもしれない。弓依が反対するかもしれないと少しでも思っていたのなら、殺してから弓依に謝るべきだったのかもしれない。
「弓依? まだ時間かかりそうなの?」
「うん、ちょっとね。どうしてもキリをつけたいことがあって」
何とか時間稼ぎはできた。しかしそれでも、両親の記憶を持った二人を殺すか殺さないか、という選択をさせるには、あまりにも短すぎる。
「……申し訳ない。そんな選択を弓依に迫ること自体、間違っていたんだ。幸い、途方のない旅に出る覚悟はできている。名家のお嬢様ともあろう人がそうそうしないだろう体験をすれば、ぼくが思い描く理想の文明の形も、きっと見つかる……」
“……一つ、聞いていいかしら”
「……うん」
ぼくの中から反響するようにして聞こえる弓依の声は、涙ぐんでいた。恐怖や悲しみ、そんな負の感情に弓依が囚われてしまっているということが、これでもかというほどに伝わる。
“きっと、私はこれから先も、かつて人間だった頃の記憶を持った彼らを殺すのを、ずっと見ていかなければならない。そうよね?”
「……うん」
“イユ……あなたは、どう思うの。あの二人は、私のお父さんとお母さんなの?”
「……違う」
弓依は進むべき道を見失っているのだ。目の前に現れた両親らしき人に、どう接すればいいのか。記憶だけ両親と同じで、あとは外身から異なる彼らを、親と認識していいのかどうか。ぼくはただ、その事実を弓依に伝えることしかできない。
「ぼくはただ、あの二人を殺さなければならないと思う。ぼくが死ねばきっと、今の人間の文明は跡形も残らない。ぼくが人間の味方をした以上、文明を継ごうとするのはぼくの使命だ。彼らの中にその使命を邪魔する奴がいれば、殺す必要がある。……たとえ彼らが弓依の親や、実玲の姿をしていても」
「弓依? どうしたの?」
弓依の母だった奴が、こちらに呼びかけてくる。まだ彼らは、ぼくが裏切り者だということは知らない。もう時間稼ぎはできない。
「今行くよ」
弓依は何も言わない。ぼくの決意に賛同したのか、それともいろいろ言いたいことがあって、何から言おうか迷っているのか。
ぼくは階下に降り、二人の姿を確認する。ダイニングのテーブルで、彼らは待っていた。
「すまない」
ぼくは一瞬のうちに、両手を触手に変え、それぞれの中心部を貫く。人間態ではみぞおちのあたりにある、心臓のような器官だ。どれだけ身体機能が欠損しようと、コアに傷がつかない限り問題なく動ける。逆に言えば、どれだけ身体がピンピンしていても、コアを破壊されれば即死する。ぼくは二人のコアを寸分の狂いなく捉え、確実に破壊した。はずだった。
「……弓、依」
「……その呼び方をやめろ。ぼくはもう、弓依じゃないんだ」
父親は即死だった。コアを破壊された瞬間に、灰となって形をなくした。しかし母親はわずかに狙いが逸れたのか、ひゅうひゅうと喉を鳴らしながらぼくに話しかける。この母親には、ぼくが裏切り者だということが知られてしまっただろう。
「これで……よかった、のよ」
「……は?」
「擬態されてまで生きたいとは、思っていなかった……他の人間を襲う前に、……完全に弓依のお母さんで、なくなってしまう前に。あなたに殺されて、よかった」
「……」
「……さようなら、弓依」
だから、ぼくは弓依じゃない。
ぼくがそう言う前に、母親も崩れ去った。ぼくの手には、母が一瞬前まで生きていた証拠さえ残されない。コアが完全に破壊されるまでのあの一瞬、確かにここには弓依の母親がいた。
「……お母さん」
ぼくの目から、水がこぼれ落ちる。それが手のひらを濡らした時、人間はそれを涙と呼ぶことを、思い出した。




