2125/07/19 Xデーは、すぐそこに
「ねえ、今年は花火どうする?」
「花火? ……ああ」
一学期末の試験も返却され、いよいよ夏休みを控えた終業式の日。実玲が突然話しかけてきた。すでに席替えがあって席は遠かったが、実玲には関係のないことらしい。そして花火の話をされて、ぼくは少し遅れてその意味を理解した。ぼくに馴染みのないことは弓依の記憶を探る必要があるから、返事が一拍遅れるのだ。
「ぼくは別に構わないよ」
「それ、適当に返事してるでしょ。ちゃんと弓依と相談した?」
「してない」
「たぶん弓依ならいいよって言ってくれると思うけど。花火、今年は八月十一日ね。予定が入ってないか、弓依とか鴨山さんと相談しといてね」
それだけ言って、実玲は自分の席に戻っていった。ほどなくしてクラス担任が教室に入ってきて、一学期最後のホームルームが始まる。そのタイミングで、実玲からメッセージが来た。よろしく、という意味を込めた可愛い熊のスタンプだ。
「花火大会、ね……」
きっとぼくがいなくて、この身体の所有者が弓依のままだったら、去年までのように花火大会の日を心待ちにしていたことだろう。あるいはぼくが弓依を乗っ取った状態だとしても、あのことがなければ楽しみにしていたはずだ。
「……どうやら、ぼくたちには想像以上に時間が残されていないようだよ」
* * *
地球歴2125年7月1日、世界標準時午前9時発報
人間に対し一斉侵略を開始し、完全制圧を行う『Xデー』は、本年12月25日とする。作戦開始時間は確定していないが、午前9時を予定している。変更があった場合は、追報により周知する。
* * *
その知らせを受け取ったのは、期末試験の勉強中だった。ちょうど数学の問題の解き直しをしている時だった。
「……そんな」
”どうしたの”
ぼくたちが特別な周波数の電磁波でやり取りする内容は、当然人間には分からない。電磁波の存在さえ知られていない。ぼくは受け取った情報を日本語に変換して紙に書き出し、弓依に見せた。
”これは……本当なの”
「ここでぼくが嘘をついてどうするんだ」
侵略スピードから言って、人間の寿命がそれほど長くならないことは分かっていた。だが、そこまで早いことはさすがに予想できなかった。もう半年もないではないか。
「……これは、ぼくに対する嫌がらせだ。きっと通っている高校にも、すでに犠牲者がいる。同じ学校にぼくがいるのを分かった上で、監視しているんだ」
”どれくらい犠牲になっているかは、分かるの”
「分からないよ。仮にぼくの側からあなたは人間ではないですか、と探りを入れても、絶対に答えないだろうね。外見も中身も、擬態すればまず人間と差がなくなる。一緒に生活して、表皮を新しくするところを押さえられるのなら、別だけどね」
もしかすると、戊辰会のメンバーの中にもすでに犠牲者がいるのかもしれない。ぼくにはそれさえも分からない。ぼくに積極的に協力してくれる一方で、ぼくの努力をあざ笑っている奴がいるかもしれない。いつぼくが裏切っていると告げ口をされるか、それも時間の問題だろう。
”……思ったより、早いのね”
「少なくとも、呑気なことは言っていられなくなったね。しかも人間たちに周知しようとすれば、確実に裏切り者だと認定される。ぼくの元仲間たちの運命は、人間たちにいかに気づかれずに侵略を進めるかにかかっているからね」
ぼくは試験勉強どころではなくなってしまった。それでも弓依の成績を維持してやるために、何とか少し点数が下がる程度にとどめられたが。ぼくは確実に、焦っていた。だから花火大会の話を実玲から聞いても、それほど興味を示すことができなかった。興味を示せるほどの余裕がなかった。
「……さて。こんな状況で、呑気に花火大会なんて行けるのかな」
終業式を終えて帰ってきたぼくは昼食後、ベッドに身を預けてそうつぶやく。ぼくの心境は複雑だというのに、お腹は全く単純に空腹を知らせる。鴨山の作る料理もいつも通り、とてもおいしく感じられる。そのいつも通りな弓依の身体が、忌まわしく感じられた。
”花火には、行くわよ。あなたには単に毎年の習慣のように思えるかもしれないけれど、私にとってはもっと特別な意味を持つの”
「分かっているよ。その深いところの記憶まではぼくもアクセスできないけれど、実玲が当たり前のように言ってきたことを考えれば、事情があることは分かる。だから行くのは行くさ。ただ、実玲と同じように楽しむことはできないと思ってね」
”……悩んでも、仕方ないでしょう”
弓依が少しの間をおいて言った。弓依の言うことは確かに正しいように思える。今年のクリスマスがその日だと決まってしまった以上、ぼくにはどうすることもできない。元の仲間たちが無理をしてその日時を設定したとは到底思えない。余裕をもって、最後の仕上げをするのがその日なのだ。下手をすれば12月の初めには、ほとんど侵略が完了していることすら考えられる。
「……そうだね、仕方ないことではある」
”あなたは早くから、人間の文明を保存するための行動を起こしてくれていた。イユのその決意が遅かったとは、一度も思ったことはないわ。それに仮に遅かったのだとしても、今日までにできることは限られていた”
もしも今すぐに地球の侵略が完了してしまって、新しい何もない星で文明を一から形成することになったとしたら。ぼくは人間の文明を、半分も再現する自信がなかった。情報があまりにも足りない。この何か月もの間ぼくは何をしていたんだ、という気持ちにさいなまれる。
だがそんな後ろ向きな考え方になったぼくを、他ならぬ弓依が励ましてくれる。慰めてくれているのかもしれないが、とにかくぼくを元気づけようとしてくれる。ぼくは当の人間たちより、人間のことを心配している。その事実に気づいて、少し自分がおかしいなと感じる。
”結局その日が五か月後だろうと一年後だろうと、きっとやれることにそれほど差はない。それなら、今できることを確実にやっていけばいい。私は、そう思うわ”
「君は随分頼もしいね。殺したのをますます後悔する」
”でもイユが私を殺さなければ、こうして誤解があったと気づいて、人間の文明を保存する方向に向かうなんてことはなかった。そうでしょう?”
「うん。今考えれば、難しいトレードオフだったというわけだ」
ぼくは実玲に、花火大会に一緒に行く旨をメッセージで送る。便利なもので、実玲が携帯を見ていれば数秒の差もなく、ぼくの送ったメッセージを見ることができるらしい。本当にちょうど実玲は携帯を見ていたようで、すぐに既読がついて返事が返ってきた。
『おっけー。じゃあ五時に駅前に集合ね。今年はイユちゃんだけど、遅れたら許さないよ?』
「分かってるよ」
どうやらここ何年かの弓依は、集合時間に遅れることが続いているらしい。実玲にとっても最後の花火大会になるわけで、ぼくはせめて遅れないよう努めよう、と思った。
「なんだか、複雑な気持ちだね。今までは意識さえしていなかったけど、これからは全ての出来事が『最後の』になっていく」
”最後の、花火大会……”
改めて信じられない、と言いたげな口ぶりで弓依がつぶやいた。弓依が幼稚園の頃から、実玲と一緒に行っていた花火大会。最初は両親と一緒に行っていたのが、だんだん実玲と二人だけで行くようになって。毎年のようにずっとやっていたことが、これからもずっと続いていくと思っていたことが、急に今年で最後になる。
”……楽しむしか、ないわね”
「……そうだね」
弓依が心を開ける、数少ない同世代の友人。それがどれほど大切な存在なのかは、ぼくにも分かる。だからこそ弓依のために、実玲との時間を少しでも有意義なものにしたい。どれだけ実玲が大切な存在でも、人間が生きられるかどうかも分からない星に一緒に連れて行くわけにはいかない。実玲と過ごせる時間は、もう五か月ほどしかない。
ぼくは通学カバンの中身を全て出して、宿題とそうでないものに分ける作業を始めた。この宿題たちもやり遂げて提出し、先生がチェックして返却する頃には、人間は滅んでしまっているだろう。人間が滅んだ後も宿題という文化が存続するかどうかは、滅んでみないと分からない。宿題を今ここでやるというのも、もしかすると全く意味のない行為になるのかもしれない。
だが、その日が来るまで、ぼくは弓依らしく生きたい。弓依の生き方を巧妙に真似て、弓依そのものであるように。それが、弓依を殺してしまったぼくの責務だから。弓依の代わりになって生きたい。
――ぼくらの文明が、終わるまで。




