2125/06/23 人間の文明を引き継ぐために
「地球に環境が似た惑星で、コピーした記憶を元に無性生殖を繰り返して、まずは数十人、数百人規模のコロニー形成を目指す。安定的に食糧が生産できるようになって、人間として暮らしていけるような環境になったら、その時点で有性生殖に切り替える」
そうすれば、地球が侵略され尽くしても、地球に似た文明がひっそりと続いていくとぼくは考えた。もちろん問題はたくさんある。
地球ほど環境の整った星が、他に見つかるのか。しかも侵略されきってしまうまでに見つけることなどできるのか。食糧が安定的に生産できるようになるまでに、人間の暦でいったい何年かかるのか。それまで数々の人間の記憶、文明の記録を頭の中に残し続けられるのか。有性生殖に切り替えても、種の多様性は維持できるのか。そして、
「以前、レイミ様をお産みになった際、相当体力を消耗していたように見えたのですが」
「……そうだよ、鴨山。ぼくたちにとって、有性生殖は奥の手も奥の手。だけど無性生殖でさえ、かなり命がけなんだ。自分の分身を作る、たったそれだけなのに、命を落とした奴も見てきた」
それでも人類が滅ぶと考えているのは、元の数がたくさんいるから。たとえ十体のうち一体の割合で分身を作るのに失敗しても、元が一万体いればほとんど生き残る。分身体もほどなくさらに分身を作ることを考えると、その数は結局、ほぼ指数関数的に増えてゆく。
「ぼくは他の個体ほど、身体が強くないんだ。周りと比べて明らかに、分身を作った時の体力の消耗具合がひどかった。今回もたまたま死ななかっただけで、次に同じことをやればダメかもしれない。そんな奴が、無性生殖を繰り返すことなんてできるのかな?」
だからこそ、みんな人間への擬態を選んでいるのだ。擬態する、すなわち存在していた人間の姿をそのまま借りる、という形を取れば、多少は体力を温存できる。しかしそれでも、一度に何度も何度も分身作りを繰り返すのであれば話は別だ。結局死ぬか死なないかは確率の話で、当たれば死んでしまう。それが何十回のうちに来ないという保証はない。
「人間に生産される立場のわたしには、実感できないことですが……確かに、不安ではあります」
「結局そんな心配は今しても、仕方ないんだけどね。ぼくたちが今できるのは、人間の記憶と文明の保存、それから地球と環境が似た星の探索だけだ」
そんな大仕事を二つもぼくだけで抱えるのは、無理があった。だから体力の消耗も承知した上で、ぼくの仲間をもう一人生み出した。それがレイミだ。
レイミは弓依と実玲を足して二で割ったような外見をしている。名前も実玲のをもらった。この世に存在しない人間に擬態させたせいで、想像以上に体力を消耗した。
「指定の範囲で一通り探したよー。けど見つからないね。太陽ほど生命にとって優秀な恒星は、そうはないってことだねー」
「さらに範囲を広げてくれ。タイムリミットまでに、何とか探し出さないと」
「何百光年先とかになるかもよ?」
「構わないよ。見つかりさえすれば、行き方なんてどうとでもなる。見つからなければ、ぼくたちは人間と一緒に死ぬしかなくなる」
「うげー。それは大変だね」
全く大変そうに聞こえないトーンで、レイミが返してくる。が、軽口を叩きつつも、基本はぼくの記憶と同じものを持っている。その深刻さは理解しているはずだ。
「そういやそっちはどうなのさ、イユ。ボクの記憶には、全然人間のが流れてこないけど」
「まだバックアップを取ってないだけだよ。ある程度たまったら、そっちにもまとめて送るから」
「うげ、まとめて送るの? 情報量過多でバグったらやだなー」
一方ぼくの方は、ある程度うまくいっていた。近隣に住んでいる人は平日でも来てくれたし、そこそこ遠方に住んでいる人は土日を使って来てくれる人もいるし、あるいはこちらから会いに行くこともした。誰もが血を少しもらうと言うとぎょっとしたが、一瞬不気味な姿を見せるだけで、後は痛みも特にない。どうしても嫌だ、と言う人はいなかった。
「それにしても、血液に人間の記憶が乗っかっていて、よかったよ」
「……と、言いますと?」
「例えば骨髄液を吸わないと記憶をコピーできないとしたら、鴨山は嫌じゃない?」
「それは、確かに」
「人間の血液が全身を巡るものでよかったよ。血液を吸うと言えば、人間にとっても馴染み深いみたいだしね」
「そうですね。人間の血を実際に吸う生物もおりますし、吸血鬼などは物語の中の存在として、知っている方も多いでしょう」
ほんの数mL血をもらうだけ。触手を抜いた後も、傷口はすぐにふさがる。思ったより記憶をコピーする作業は順調に進みそうだった。が、問題もある。
「けれど戊辰会のメンバーばかりそんなことをやっていては、ダメなんだよね」
「……ですね」
種の多様性こそ、人間の最たる特徴だ。戊辰会にも様々な人間がいるのはいる。海外へ渡り仕事をした経験のあるビジネスマンがいたのは、非常に助かった。しかしそれでは足りない。
「けれど一般の人に同じことをやろうとすれば、ぼくが裏切ったとバレてしまう。人類が滅ぶ最後の瞬間まで、ぼくが裏切ったことを勘づかれてはいけないんだ」
「気づかれずに、すれ違った人の血を吸い取ることはできないのですか」
「鴨山、今君が言ったことは相当奥の手だという自覚はある?」
「奥の手だろうと倫理に反していようと、今は非常時です。可能なことならばためらわず実行すべきだというのも、また真理のはず」
“……変わったわね、鴨山”
弓依がぼやいた。ぼくの心の中に響くその声は、鴨山にも届いている。
「そうでしょうか?」
“少なくとも、私が生きていた頃よりかは。つまり、そばにいるのがイユになったから、ということかしら”
「お嬢様がお嬢様でなくなったというよりかは、人類に危機が迫るようになったからという方が大きいです」
外見はやはりお嬢様そのものですから、と鴨山が付け加える。
「確かにわたしは、お嬢様にあまり意見を申し上げないように努めておりました。お嬢様が危険な目に遭われる可能性のあることは、注意し引き止めるようにしておりましたが。そうではない時は、お嬢様がご自身で考え行動する、精神的な自立を支援するため、わたしの意見によってお嬢様が流されないようにしておりました」
「……なるほど。それはよくできた使用人だ」
ぼくは記憶としては弓依と共有しているものの、具体的には聞いたことのない話を鴨山から聞いて、素直に感嘆の声を上げる。
「けれど、今回に関してはやはり鴨山の言う通りだろうね。人間の倫理観にあまりこだわりすぎては、肝心の人間を滅ぼしたままになってしまう。……ただし、ぼくも少々、思い詰めすぎていたようだ」
焦るあまり、空回りしているような感覚。それを自らで感じられるということは、相当だったのだろう。幸い、まだ時間はある。いずれ焦らなければならない時が来るのは分かっているが、タイムリミットも分からない今の状態で焦りすぎるのはよくない。
「……少し、休憩してみるよ」
あるいは、焦る必要のないような方法が。人間の文明をもっと効率よく、より多く保存できるような画期的な方法があるだろうか。
ぼくは鴨山を退出させて一人になってから、書斎の椅子にもたれて物思いにふける。落ち着いて、頭を働かせる。
まだ明るい夕方の空が、夏の始まりを告げていた。いったいこの空を、ぼくはあと何度見られるのだろう。