2-3:光の国 トパース
かつて世界は滅びの危機に瀕した。
魔王と呼ばれる魔物の王が君臨したのだ。
魔王はすべての魔物をまとめ上げると、国や街を襲いはじめた。
世界は魔王軍により蹂躙されるかと思えたが、その時、ひとりの勇敢な青年が剣を取った。
『力無きものたちよ、我に集え!
踏みにじられ、虐げられる時代はもう終わりだ!
地を這い泥水を啜っても人であり続けた我らの底力を、今こそ奴らに見せ付けてやるのだ!』
その青年は、王族でありながら奴隷に落とされ、不遇の少年時代を過ごした。
それでもなお歯を食い縛り、眈々と爪を研ぎ続けた。
そして魔物が席巻し始め、街が壊された時、これを好機として立ち上がったのだ。
青年は奴隷部隊を率いて各地を巡り、その数を増やしながら魔物と戦った。
多くの味方を失いながらも前を向き、取り憑かれたように戦い続けた。
そして魔物と人の血で大地は穢され、空は青さを失くした。
やがて世界樹が己の身を守るために眠りに就くとき、世界樹はその想いを枝に託し、青年に与えた。
世界樹の枝は青年の望むものに──敵を殺し、世界を改変する剣に──姿を変え、青年はたったひとりで魔王を斃した。
青年は鞘を台座に変え、剣を封印した。
そしてどこかへ姿を消し、その後姿を見たものはいなかったという。
最後に残した言葉は、今も英雄史に残っている。
『仲間を得て、力を得ても、私の胸はいつも空っぽだった。ここまで来てやっと、本当に欲しかったものがなんだったのか、少しだけ理解ったような気がする』
▽
「それで、世界樹は……」
「世界樹はそのおよそ100年後に目を覚ましました。
その頃から、赤目の民、守人の存在も確認されています」
「あいつらの目的は世界樹の根を奪い返すこと、でいいんだよな?」
ウォーレスの言葉にシャーリーが頷く。
そして卓上の地図に置いた緑の駒に視線を落とした。
「現在、世界樹の生命の水をエネルギーとして使用している国や街は13箇所。
うち我が国を含めた2国が2本、1国が3本の根を所持しています。そこから奪還されたエメラウドの根を引くと、16本の根が狙われていることになりますね。では次はどこが狙われるかということになりますが……」
「南東だ」
呟いたウォーレスに視線が集まった。
「南東、ですか」
「はい、じゃなくて、うん。
どこの国かは分からないけど、そっちだって聖剣が言ってる」
集まった視線が今度は聖剣に移った。ウォーレスはそれまでの見習い兵の格好から、鎖帷子の上に金で刺繍された濃紺のサーコート、下は黒のズボンに、前面が金属で覆われたブーツを履いている。腰のベルトには鞘に収まった聖剣を帯びていた。
おいおい、主人公の基本コスチュームだぜ……とキーラが感極まったことは言うまでもない。
ちなみにナタリアもちゃっかり町娘の格好から基本コスチュームに着替えている。袖が膨らんだ白ブラウスにコルセットタイプのこげ茶のレザーベスト。ウエストからは素材が切り替わっており、腰を包むようにひだのついた布が膝まで垂れていて、その隙間からからし色の短パンを穿いているのが見える。
脚は茶色のニーハイソックスに、編み上げロングブーツと、しっかり絶対領域を守っていた。
そういうキーラも、お城に入る前に聖堂で身綺麗にするように言われ、浴室に入ると、用意されていたのはもちろん少年の服だった。
そのため白シャツに腰をベルトで締めるタイプのレザーベスト、裾の広がった薄茶の短パン、膝下ブーツと、がっつり脚を晒したスタイルである。あまりの違和感の無さに、ひょっとして自分、生まれた時から男だったんじゃ? とズボンの中を二度見した。もちろん、ちゃんと女だった。
「ねぇシャーリー、聖剣ってしゃべるの?」
ナタリアがちょっと胡散臭そうに聖剣を見ながら言った。
ちなみに、起きてきたナタリアが通常運転だったことに、キーラは色んな意味でホッとしている。
シャーリーは珍しく曖昧に笑った。
「そのような話は伝わっていないので、なんとも……
もしかしたら神君、英雄エルモライにも聞こえていたのかもしれませんが、やはり500年前のことですから、伝わっていないのか、ただ単に黙っていたのか……」
「ふーん。まぁ、気味は悪いけど、便利なことには変わりないわよね」
「あはは……」
ウォーレスが微妙な顔になっていたが、とりあえず話を続けることにした。
シャーリーの細い指がトパースから南東へ、地図の上をなぞる。
「南東ですと、2箇所ぶつかりますね」
「サイフォンに……コラルだな」
「コラル!
小さいけど、観光地で有名な街よね。青い海に白い砂浜! ねぇウォーレス、ここにしましょ!」
「お前なぁ、遊びに行くんじゃないんだ」
「いいじゃない!
サイフォンに行ってる間にここが襲われちゃったらどうするの?
あたし嫌よ、魔物が踏み荒らした砂浜を走るなんて!」
「ナタリア〜」
ジッと地図を見つめていたシャーリーが、思い出したように言った。
「きっと、サイフォンだと思います」
ナタリアが「ええ!?」と悲鳴を上げたが、ウォーレスは無視してシャーリーに理由を尋ねた。
シャーリーはしばらく黙ってから、逆にふたりに質問した。
「赤目の民がまず初めにエメラウドを狙ったのはなぜだと思いますか?」
「それは……」
「我が国では丁度聖剣の公開をしており、ほとんどの兵が警備に回されておりました。
人も多く混乱を招きやすい状況での襲撃。狙ったものということは疑いようがありません。
今回は偶然みなさんが近くにいてくださったおかげで、足止めが成功しましたが、我が国の兵達だけでは阻止できなかったでしょう」
ウォーレスが、あっと声を上げた。
「そういえば、あの日より前から森の魔物が頻繁に暴れ出して、みんなバタバタしてたんだよな……
怪我人も多かったし、街に入らないように警戒する必要もあったし」
「確かに! じゃあ、それも仕組まれてたっていうこと?」
「その可能性が高いかと……」
「もしかして、サイフォンにも何かあるのか?」
「はい、おそらくですが……
サイフォンには、守り神と呼ばれる聖獣がいることをご存知ですか?」
ナタリアが頷いた。
「あたし知ってる。
額に大地の目って言われる宝石を持つ魔物でしょ?」
「そうです。高い知性を持ち、強力な精霊術を扱うことから、わたくし達は聖獣と呼んでおります。
その聖獣が、最近、姿を消してしまったらしいのです」
聖獣は気に入った地に棲み着く、気まぐれな魔物だ。
不思議なことに聖獣が棲む土地には魔物が近寄らず、縁起も良いため、聖獣がいる国は繁栄すると言われている。
「ふーん。別の国に移っちゃっただけじゃないの?」
「そうかもしれません。しかし今この状況においては、それが問題なのではないのです」
シャーリーが言うには、サイフォンの聖獣は10年近くサイフォンを支えてきたらしい。
弱小国だったサイフォンは、聖獣のおかげで世界樹の根を掘り当て、成長することができた。いわば聖獣ありきの国なのだ。
それが突然いなくなってしまうと、どうなるか。
「サイフォンはずっと聖獣に守られてきたため、ほとんどの兵が魔物との戦闘経験がないのだといいます。
更に太陽のような存在だった聖獣がいなくなってしまったために、国内は混乱のさなか。そんなタイミングで魔物の群れに襲われれば、ひとたまりもありません」
「なにそれ。自業自得じゃない」
ナタリアが呆れたように言った。ウォーレスも複雑そうな顔をしている。
「我が国での襲撃が失敗している分、彼らは確実に根を奪還したいと考えていることは自明です。
各国の警戒が強まれば、それだけ根を奪いづらくなります。ですから、すぐに行動に移すはずです」
「ここからサイフォンまではどのくらいかかる?」
「半日で行きます」
ウォーレスがキョトンと目を瞬いた。
そしてもう一度地図に目を移し、首を傾げる。
「半日?」
「ええ、半日です」
そのタイミングで、会議室の扉が開いた。
「お話中失礼いたします!
そりのご用意ができましたのでご報告にあがりました!」
「そり?」
ウォーレスの間抜けな声がぽつりと落ちた。