2-2:光の国 トパース
少女はウォーレスに歩み寄ると、蜂蜜色の瞳を柔らかく細めて頭を下げた。
「エメラウドの勇敢な兵士様。
彼らを止めていただき、誠にありがとうございました」
ウォーレスは驚いたように目を丸くした後、ぶんぶんと首を横に振った。
「いえ、こちらこそ……先程の光の精霊術はあなたですよね?」
キーラより年下に見える少女相手にウォーレスが敬語になっている。
少女のどこか神秘的な雰囲気は幼さを感じさせないものがあり、気持ちはわかるけれども、とちょっと微妙な顔になってしまうキーラであった。
「はい。わたくし、このトパースで神子姫と呼ばれております、名をシャーリーと申します。
失礼ですがお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「ウォーレスです」
「ウォーレス様。不躾ですが、是非お願いしたきことがあるのです。どうかお耳をお貸しくださいませ」
「お願い? なんでしょうか……?」
シャーリーは微笑みをたたえたまま、さらりと告げた。
「聖剣を、抜いていただきたいのです」
▽
陽光が幾何学模様を映し出す、静謐な神殿の中。
一歩一歩踏み締めて台座の前に登ったウォーレスは、しかし、聖剣を見つめたまま立ち尽くしていた。
そしてそのまま聖剣に触れることなく、台座を降りた。
「すみません。少しだけ時間をくれませんか?」
思い悩む様子のウォーレスを見て、シャーリーは嫌な顔ひとつせず頷いた。
ウォーレスが神殿を出て行く。
ゲームではここでウォーレスの決意が訥々と語られるので、キーラは後を追わずに神殿に残った。
ナタリアもシャーリーが手配してくれた部屋に運ばれてしまったし、ウォーレスとふたりきりはまだちょっと気まずいということもある。
ハルを撫でながらシャーリーをチラチラ見ていると、目が合ってにっこりと笑いかけられた。
光を体現したような腰までの白金の髪、まっすぐに切り揃えられた前髪の下には、おっとりと垂れた黄金の大きな瞳。
これぞまさに美少女。100人中120人がくらいが美少女と言うに違いない。きっとシャーリーが男装しても、キーラのように少年には見えないだろう。
幼さを感じるふっくらした頰も、線の丸い輪郭も、不可侵的な神聖さを感じる。
そんな絶世の美少女は、キーラに歩み寄ると、座っている長椅子の隣に腰を下ろした。
「ご挨拶が遅れてごめんなさい。
神子姫のシャーリーです。あなたのお名前は?」
「き、キースです……!」
「キース様は、とても綺麗な色彩をお持ちですね。
髪色と瞳の色が同じだなんて、同じ精霊術師として羨ましいです」
精霊術の素質は髪色に出るが、瞳の色は完全に遺伝だ。
キーラの場合は父が黒目だったと母が言っていた。
不思議なことに瞳の色が髪と近い方が、精霊術の質が良くなる。具体的には使用する精神力が減少し、速度が上昇し、精度が上がる。
キーラはほぼ完璧に同色という恵まれた色彩だった。
「シャーリーさんも、ほとんど同じじゃないですか!
さっきの精霊術、発動も速度も早くて全然反応できませんでした。きっとたくさん練習されたんですね」
「ありがとうございます。
そうですね、国民には内緒ですが、お食事の最中や湯浴みのときなんかも、ひたすらキラキラ、キラキラと……」
「おお……」
「他国出身のキース様だから打ち明けましたけれど、国民には言ってはだめですよ?
はしたないって嫌われちゃいますから」
内緒話のように口元に手を当てたシャーリーがくすくす笑う。
歳が近そうな相手だからか、先程とは違い子どもらしい表情になっている。周りの司祭っぽいおじさん達も微笑ましげに見ているので、シャーリーはいい環境で育ったようだとキーラも微笑んだ。
公式のプロフィールではシャーリーは12歳だ。
キーラは、たぶん見られていないだろうが、16歳なのである。
とはいえ敢えて伝えて恐縮されるくらいなら、黙っていた方がいいかなとキーラは生温かく思った。
「キース様はウォーレス様とはどういったご関係なのでしょう?」
「エメラウドで一緒に戦ったんです。
なので、ここまで来たのも成り行きというか……」
「そうだったのですね。
ではもしウォーレス様が聖剣に選ばれたら、お別れになるのでしょうか?」
もちろん、キーラの答えは決まっている。
「ぼく、世界を旅してみたいとずっと思ってたんです!
もしウォーレスさんが世界を救う旅に出るなら、連れてってもらいたいなって思います。お邪魔じゃなければですけど……」
「わたくしの見立てですが……ウォーレス様もナタリア様も攻撃系の精霊術を使われるようですし、キース様の状態異常系の精霊術は歓迎されると思いますよ」
キーラはホッとして笑った。
シャーリーがそういうのならもう決まったようなものだろう。
正直、キーラは完全に部外者なので、連れて行ってもらえなかったらどうしようとドキドキしていた。
シャーリーと大分打ち解けてきた頃、ウォーレスが戻ってきた。
仕事モードの顔に切り替えたシャーリーがスッと立ち上がった。
「すみません、遅くなってしまって」
シャーリーが全てを赦す聖母の笑みを浮かべた。
「いいえ。決意は固まったようですね」
先程と違い、すっきりした顔のウォーレスは、照れくさそうに笑った。
「情けないですよね。まだ聖剣が抜けるとも決まってないのに、怖気付いたりして……
でも、俺、決めたんです。聖剣を手にして、世界を救う英雄になる命運を託されても。
聖剣に選ばれず、ただの見習い兵士のままの俺だとしても。
俺はみんなを、みんなが生きているこの世界を守りたい。いや、──絶対に守ってみせる!」
聖剣が突然強い光を放った。
ウォーレスが驚いた顔で聖剣を見て、ぽつりと呟いた。
「……俺を選んでくれるのか?」
ウォーレスがゆっくりと台座に上がっていく。
目がくらむほどの光が、虹色に輝き出す。
「そうだな。一緒に行こう」
ウォーレスが剣の柄を片手で掴み、迷うことなく引き抜いた。
すらりと、台座から剣先が抜けた。埋まっていた部分には、迷路のような複雑な彫刻が施されていた。光が剣に戻っていくのと同時に、石の台座が鞘に変化した。5色の宝玉が嵌め込まれ、それを囲うようにツタ模様が這った美しい鞘だ。完全に光が収まると、後には時が止まったかのような静けさだけが残った。
落ち着いて鞘を拾い上げたウォーレスが、剣を納めて階段を降りてくると、シャーリーをはじめ周囲にいた神殿の関係者が膝を付いて恭しく頭を垂れた。
それまで英雄らしく振る舞っていたウォーレスがぎょっとしたように目線を彷徨わせ、唯一長椅子に座ったままのキーラに助けてビームを放ってきたので、キーラは満面の笑みでサムズアップしておいた。
今日、この日──世界を救う聖剣の英雄が、およそ500年の時を経て誕生した。