8-5:リルの森
立ち上がろうとしたキーラを、三人は慌てて制した。
「待って待って、話まだ途中だから! もう少しだけ聞いて!」
「え? でも……」
寄ってたかって手を掴まれ、気圧されつつもう一度座る。
男は疲れたように顔を手で覆って、ため息をついた。
「ねぇ……いまのおじさんの気持ちわかる?
やり合うつもりで殴った相手が天使だった時のおじさんの気持ちわかる?」
「ある意味殴られるより強烈っスね……」
「死後は地獄行きかもしれませんね」
何を言っているのだろう。キーラはただの人間なのだが。
「……キーラちゃん、ごめんね?
おじさん、本当は謝るつもりなかったんだけど。
君は殴り返してこなかった。一方的に傷付けるのはただの暴力だから、ちゃんと謝ります」
そう言って、男は深々と土下座した。
「酷いこと言ってすみませんでしたぁ!!」
「天使さん、許さなくていいよ」
「むしろ許しちゃだめっスよ、天使さん!」
「それよりその天使って何?」
許すもなにも、キーラは彼の言葉にある意味救われている。
お礼を言いたいくらいだが、それを言うと余計に話がこじれそうなので、黙っていることにした。
男はひとつ咳払いすると、どこまで話したっけ、とちょっと考えるそぶりをした。
「えっと、わたしに悪口を言ったらハルに睨まれたって言ってたよ」
「あー……そうそう、それそれ。
一度従魔になった魔物ってさぁ、主人に絶対服従するじゃない?
でも、心は縛れないよね。あの仔は自分の意思で君を守ろうとしたでしょ。
それってさぁ、本当に君を愛してなきゃできないことだよね」
愛。そう言われると少し照れくさい。
「で、ちょっと確認したいことがあるんだけど、いいかなぁ?」
「うん……え?」
一瞬のことだった。
突然、地面から槍のように尖った岩が突き出してきたと思ったら、目の前で砕け散ってしまったのである。
唖然とするキーラが、その岩を砕いたのはフユの尻尾だったと気付いたのは、キーラを庇ったそれから血が滲んでいたからだった。
「……な、んで」
「あっづ!?」
頭に血がのぼる前に、フユが男に毒液を飛ばしていた。
慌てて威嚇音を出しているフユの頭を押さえ、大丈夫だと落ち着かせる。
「船長ったら、まーた嫌われるようなことして」
「でも今度はちゃんとやり返されたっスね! おめでとうございます!」
「その前に解毒薬くれないかなぁ!?」
そんなやりとりを横目に見つつ、鞄から超水薬を取り出してフユに振りかけた。
尻尾に触って状態を確認する。綺麗に治っているのを見て、ホッと息を吐いた。
「あー……死ぬかと思った。
びっくりさせてごめんねぇ、キーラちゃん」
「……わたしはいいから、この仔にちゃんと謝って」
「うん。すみませんでした」
フユは頭を下げる男を一瞥してから、元どおりに首に巻き付いた。
キーラは自分を落ち着かせるように彼の冷たい胴体を撫でる。
「……おじさん、フユの反応が見たかったんだよね。でも怪我させるなんて酷いよ」
「うん本当それについてはごめんしか言えない……
寸止めするつもりだったんだけどねぇ、まさか尻尾使ってくるとは思わないからさぁ……」
「蛇って尻尾固いんスね!」
「やー、血が出てたしそうでもないんじゃない?」
どうも本当に予想外だったらしい。
想定では、自分だけが攻撃を受けるはずだったのだろう。
そう気付いて、キーラは怒りを収めた。
「はぁ……でも、うん。
思ってたよりも君たちの絆が強いことはわかったし、よかったかなぁ」
「……絆」
「その仔、キーラちゃんが置いて行こうとしても離れないと思うよ。試してみる?」
それは、試さなくても想像できてしまった。
黙って首を横に振る。
「長い時間を一緒に生きることで深まる絆もあれば、運命的なもので結ばれる絆もある。
たまーにあるらしいんだよねぇ、従魔にしてないのに魔物が懐くことって。その仔もそうだったんじゃない?」
「……わたし」
「うん」
キーラは顔を上げて、男の顔を見た。
「わたし、この仔と離れたくない。
だって……だって、こんなに好きって気持ちが伝わってくるのに。
わたしもこの仔もお別れしたいなんて思ってないのに、なんで取り上げようとするの?」
どうしてこんなに悔しくて悲しいのか、キーラはようやくわかった。
自分で考えてフユを手放すと決めたなら、きっとキーラは無理矢理にでもフユをリルの森の置いていけた。
店員の話を聞いていた時、キーラは脅迫めいたものを感じたことを思い出す。
まるで人間の安全のために協力するのは当然の義務だとでもいうような内容で、そこには最初から拒否権なんて存在していなかった。
そんな傲慢のために、自分の気持ちもフユの気持ちも捨てなければならないのが、キーラは悔しくてたまらないのだ。
「よーし、まずはタグの偽造からだ」
キーラの顔を見て、男は力強く頷いた。意味がわからなかった。
「ぎぞう」
「ちょうどそこにハルちゃんのタグがあるし。あれで型を取れるねぇ」
「個体名はどうします!? なんか格好いい感じがいいっスよね! 雪とか毒とか!」
「いやいや、名前は実在する似た個体にしといたほうが良いでしょ。
最悪疑われてもなんか突然変異らしいですよーあははーって言えるし」
「えーっ! つまんないっス!」
「あとは? なにが必要だっけ?」
「んー、たしかタグの発行証明書とかあったような」
「おっ、じゃあそれもハルちゃんのを写せばいいねぇ。
うふふ、おじさんたちちょっと頭よくない? 完璧じゃない?」
「調子に乗ってると足元すくわれますよー」
「船長この短期間でやらかしまくってるっスからね」
「ねぇ君たちってほんと可愛くないね……」
わいわい盛り上がる男たちを唖然と見ていたキーラは、慌てて話に割り込んだ。
「ぎ、偽造は犯罪だよ!?」
「えっ知ってるけど?」
なにを当たり前のことを、みたいな顔をされて、キーラは思わず黙り込んだ。
「だいじょうぶだって、ねぇ?
あのタグって、結局のところただの看板じゃない?
この仔は従魔だよー怖くないよーってアピールするだけの看板」
「何か問題でも起こさない限り、タグを見られることもないしねー」
「その蛇頭良さそうだし、たぶん大丈夫っスよ!」
たしかに、ハルはタグを付けてから一度も誰かにその内容を見られたことはない。
タグを発行した際に証明書を渡され、従魔が街で暴れたり人に危害を加えた場合には、この書類が必要になると言われたことは覚えている。
「も、もし嘘がバレたらどうなるの……?」
「えっ……? どうなるんだろ……?」
「わかんないからとりあえず逃げればいいと思う」
「そうそう、捕まらない限り犯罪者じゃないっス!」
無茶を言う。
あまりにも荒唐無稽な彼らの言い分は、それでもキーラの心をふわりと軽くしてくれた。
「あはは……ありがとう。
でも、ごめんね。それはちょっと難しいかも」
「えー、だめ? 結構いい案だと思うんだけどなぁ」
キーラは、ウォーレスたちの顔を思い浮かべる。
「最悪わたしひとりなら犯罪者になってもいいけど、一緒にいる仲間にも迷惑がかかっちゃうもん」
それから少し考えて、己の気持ちを確かめるように頷いた。
「ねぇ、おじさん」
「うん?」
「わたし、資料があることに賭けてみようと思う」
「……キーラちゃん」
分かってしまった。
もう、なかったことにはできない。
きっと出会った時点でそれは決まっていた。
「どうせツラいなら、いまお別れする意味はないよね。
少しでも可能性があるなら信じてみる。でも、それでもだめで、フユが誰かに取られそうになった時は」
「うん」
キーラは思いっきり笑った。
「おじさんたちの言う通り、逃げるね!」
追い詰められて、狭くなっていた視野をみんなが広げてくれた。
絶対に従わなければならない理由などないはずだ。
きっとなにか逃げ道が、フユを渡さなくてもいい方法がある。
フユと一緒に旅をしながら、それを探したいと思う。
「……あははっ!
いいねぇ、若い子はやっぱり、そのくらい思い切りがよくないとねぇ」
「うんうん、いいと思うよー。逃げるが勝ちってね」
「なんか羨ましいっス……! オレも熱い絆で結ばれた従魔がほしいっスー!」
「船長、俺も従魔欲しいです」
「嘘でしょ……君、ここで話に入ってくるの? 遅いどころじゃないよ?」
振り向くと、ハルの毛並みに顔を埋めている男がいた。
その体勢にもびっくりだが、ハルがそこまで接触を許したことにも驚きだ。
迷惑そうな顔はしているものの、その顔はキーラもよくされるやつなので、実質キーラと同じ扱いだ。
「こ、この浮気者……!」
思わず叫んだら、どっちが、という顔をされた。
なるほど、キーラがフユにばかりかまけていたせいで、拗ねているらしい。
一方のフユは、自分が捨てられないらしいと分かってすっかりご機嫌だ。
元気なのは結構だが、くすぐったいからあまり動き回らないでほしい。
「そんじゃ、話もまとまったし、ルピアに戻ろっかねぇ。
キーラちゃんも、魔物屋に行くんでしょ?」
「うんっ!」
立ち上がった四人を追い掛けて、一度だけ泉を振り返る。
ここでこの人たちに出会えなかったら、キーラはきっとあそこに飛び込んでいたのだろう。
「……おじさんたち、ありがとね!」
「いやいや、それはこっちの台詞だよねぇ?
キーラちゃんのおかげで、おじさんたち首の皮が繋がりました! ありがとう! ほんっとありがとう!」
「わぁっ!?」
突然ひょいと身体を持ち上げられ、嬉しそうに高い高いをされる。
初めての経験だ。面白いけど、ちょっと恥ずかしい。
「船長、なんでそんなに喜んでるんですか?」
「君が天使さんの従魔にメロメロな間に色々あったんだよー」
「天使さん……?」
「あははっ、船長と天使さん、親子みたいっスね!」
その言葉に驚いて、キーラは男の顔を見下ろした。
「ふふ、キーラちゃん、パパって呼んでもいいからねぇ?」
「えっ、えっと……そ、それよりわたし、みんなのお名前を知りたいなぁ」
「ありゃ? おじさん、名乗ってなかったっけ?」
きょとんとしている男の顔を、少し複雑な気持ちで眺める。
キーラは父親というものに縁がない。だから、どういうものかも分からないけれど。
こんな父親がいてくれたら、よかったな、なんて。
ほんのちょっとだけ、思ってしまった。




