7-9:火の国 ルピア
キーラは昔から、どんなに大きな魔物も怖くなかった。
でも、前世から数えたって、ひとから悪意や殺意を向けられたことなんてまったくと言っていいほどない。
だからこそサイフォンでは死ぬほど怖い思いをした。
もう二度とあんな目に遭いたくないと思った。
だから強くなりたいと思った。
……きっと、見当違いだったのだろう。
「……ちょ、ちょっとあんた、なんなの!?
初対面の女の子に気持ち悪いとか、あんたのほうがよっぽど気持ち悪いわよ!!
この子のことなにも知らないくせに、ふざけたことばかり言わないで!」
仲間に向けられた唐突な暴言に呆然としていたナタリアは、顔を蒼白にしたキーラを見て守るように彼女を抱き締めた。
その炎みたいに暖かい手が、余計にキーラを苛む。
「いやぁ、ごめんねぇ。
おじさんってば、正直者だからさぁ」
「……船長、そのへんで」
「聞いてるこっちもしんどいっス……!」
「悪いクセですよー?
ああいう子、ほっとけないのはわかりますけど」
ふいに息ができるようになって、視線が切られたのだと気付く。
嫌な汗が噴き出して、吐きそうなほど気分が悪かった。
「むっかつく……!!
キーラ、あんなバカの言うこと気にしちゃだめよ!?
あんたががんばってるのは、あたしもウォーレスたちも、ちゃんと知ってるわ!」
「……」
キーラは、横たわる一角獣に視線を移した。
もし、こうなることを知っていた自分が、もっと必死に戦っていたなら、この仔を助けられたのだろうか。
──まぁ、しょうがないよねぇ。
所詮は魔物だと、そう思う気持ちがなかったと言えば嘘になる。
だったらハルは?
魔物だから虐げられても仕方ないなどと、たとえ自分に言い聞かせるためでも、絶対に思ってはいけなかったはずだ。
「……ごめんなさい」
一度きりのはずの生涯を終えた記憶を持つキーラにとって、この世界はボーナスステージだった。
ここが『わるふろ』の世界だと知った瞬間に、キーラは自分に与えられた配役は群衆だと思った。
物語を変えて赤目の民たちを救うのだと言いながら、ずっと主人公たちの邪魔をしてしまうのが怖かった。
大好きな『わるふろ』の世界を、群衆のひとりでしかない自分が台無しにしてしまうなんて、あってはならないことだと思った。
「ごめんね。……まだ、間に合うかな?」
恐る恐る、一角獣の毛並みに触れる。
最善のために何度も知識を利用してきた。
知識があるからこそ、物語を壊してしまうのが怖かった。
そんな臆病風を、気持ち悪いと罵られて。
それなら変えてしまおう。いまここで。
自分を。予定調和の物語を。
「あなたの帰る場所はどこ?」
うっすらと、一角獣の藍の瞳が開く。
顔を寄せて、その目をまっすぐに覗き込んだ。
「願って。帰りたいって。
……大丈夫だよ。絶対に連れて行くから」
「……キーラ? あんた、なにを……」
上手くいくかは、正直わからない。
でも、この賢い目をした仔ならきっと。
ふ、と一角獣の瞳が柔らかく瞬く。
その瞳に、星屑のような光が差し込んだ。
誰もが息を呑むような音がして、キーラは背後を振り返る。
そこには、虹の光沢を持つ光が溢れ出す泉があった。
上手くいったと安堵しつつ、ハルに目配せする。
ハルはただいつものように、仕方ないなという顔をして、鼻を鳴らした。
「ねぇ、おじさん」
「……う、うん?」
「おじさんの言う通りだよ。わたし、みんなの邪魔したくなかった。
でも、それじゃあだめだよね。
誰かを守りたいなら、別の誰かを傷付ける覚悟を、誰かに嫌われる覚悟を。
ちゃんと持たなきゃいけないよね」
「えーっと、つまり……?」
キーラは笑う。それはもう、いたずらっ子のような満面の笑みで。
ハルにとっては少しだけ懐かしい、故郷でよく目にしていた表情だった。
そして男に背中を向けると、泉に向かってまっすぐに走り出した。
「行くよ、ハルっ!」
少女の明るい掛け声とともに、風が一角獣の身体を包み込む。
「待て待て待て、どういうことよぉっ!?」
「ちょっ、キーラ!?」
泉のほとりで、キーラは振り向き、大きく手を振った。
「わはははは!
一角獣のツノはわたしたちがいただいていくぜっ!」
「それおじさんの台詞ぅぅぅっ!!?」
「キーラーーーッ!?」
ナタリアの絶叫を最後に、少女と二頭の魔物は泉の光の中へと身を躍らせた。
▽
キーラたちが泉に飛び込んだ直後、眩しいほどに溢れていた光はふっと収まった。
慌てて泉を覗き込んだナタリアの目には、何事もなかったかのように凪いだ水面が映るのみ。
「キーラ! どこに行ったの!?」
いくら目を凝らしても、澄んだ水の中に人影などない。
動揺を隠せないナタリアの肩を、リックが軽く叩いた。
「ナタリア樣、落ち着いてくだされ。
ワタクシにひとつ心当たりがあるのですワ」
「リック……キーラは無事なのよね?」
縋るように自身を見上げてくるナタリアに、リックはゆっくりと頷いた。
「もちろんですとも。
もっとも、ワタクシの推測が正しければ、ですが」
リックがこれから語るのは、未だ謎の多い世界樹にまつわるひとつの逸話だ。
「皆様ご存知の通り、復興後のルピアのように大きく発展を遂げた国々の多くは、世界樹の根からエネルギーを汲み上げ、それをあらゆる機構に利用しております。
生命の水と呼ばれるそれの最大の利点は、石油等と違って精製が不要というところにある」
「その話、いまする必要ある?」
「まぁまぁ、ナタリアちゃん」
「うっさいわね。あんたは黙ってて」
男を敵意むき出しで睨むナタリアに苦笑いして、リックは口を開く。
「いやはや、考えずとも不思議な話ですワ。
用途に関わらずなんにでも流用可能などと、常識では考えられない。
ですが、その常識をやすやすと超えてしまうのが、世界樹というものなのですワ」
「まぁ、世界樹っていう存在がもはや超常的ですけど」
「世界樹がなければ、俺らは精霊術すら使えないんだもんねー」
うんうんと頷き合う男たちに、リックもひとつ頷き返す。
「なぜ、世界樹にそのような力があるのか。そして、我々はその力を使うことができるのか。
時代が変わり、人が変わっても、その理由は未だわかっていないのですワ。
理由などない、そういう機構なのだと言ってしまえば、それでおしまい。
ですが、ワタクシはとてもそうは思えんのですワ」
ナタリアはいまここにいない幼馴染の姿を思い浮かべる。
彼が持つ聖剣、そこには明確な意思があった。元は一本の枝だというそれですらそうなのだ。根の隅々に至るまで、世界樹の心が宿っていてもなんらおかしくはない。
「そういや、なんでオレたちって精霊術なんて使えるんでしたっけ?」
「なんでってお前……なんでだっけ?」
「自然と使い方が分かる感じだったよねー。詠唱とか、誰にも教わってないのに」
ナタリアにも、物心ついた時から手に生命の力である花びらを集めて遊んでいた記憶がある。
力の扱いが上達すると、なぜか元から知っていたかのように必要な詠唱が頭の中に入っていた。
「あー、恩寵ってやつだよねぇ?」
「おや、よくご存知ですな。かつては知らぬうちに身に宿るその力を、人々は戦争に使っておりました。
敵を滅ぼす、あるいは身を守るその力を、世界樹の恩寵などと呼称して」
リックはそこで一度、考えをまとめるように言葉を切った。
「……あたし、世界樹が何を望んでるのかよくわからないわ。
人を助けたいの? 争い合わせたいの? 力だって平等じゃない。ないほうが幸せだったかもしれないわ」
「うむ。そうですな、ナタリア様。
きっと、完璧な生き物などどこにもいないように。世界樹もそうなのでしょうな」
当たり前のように発せられたその言葉は、ナタリアの価値観を根底から揺さぶった。
ずっと、世界樹は神様のようなものだと思っていた。すべての生物に平等で、慈悲深くて、優しくて。
でも、人の数だけ求める幸せの形は違う。すべてのものを幸せにすることなどできない。でも本当に、世界樹がそう願っていたのだとしたら?
「ワタクシはね、世界樹はただ生きとし生けるものすべてが、等しく幸せになってほしいだけだと思うのですワ。
だから自分の力を与える。それによって傷つくものがあるなら、守る力を。人もそうでないものも関係なく、ただただ、"願い"を拾い上げ続けている」
「そりゃまた、途方もない話だねぇ……」
「これを妄言と切り捨ててくださっても構わんのですワ。
しかし、こんな話もございます。泉には"願い"を叶える力があると」
「やっときたわね。前置きが長すぎるのよ」
ただリックの長話のおかげで多少冷静さを取り戻せたのもあるので、強くは言えないナタリアである。
リックは軽く笑って続けた。
「泉は地中より湧き出すものにございますな。はてさて、地中にあるものといえば……」
「世界樹の根っスね!」
「その通り。大地に根が張り巡らされている性質上、地下水は根を伝って地表に流出する。
だから泉には生命の水が豊富に含まれているのですワ」
「生命の水……常識を超えた力を持つエネルギー、ですよね」
「その力の源が、世界樹の"願い"を叶えたいという想いなのだとしたら……確かに、あの謎現象の説明もつかなくは……ない?」
首をひねる部下の言葉に、男が思い付いたように言った。
「あー、なるほど。スペースバッグ!」
「……船長、関係ない話すんのやめてください」
「いやいやいや、違うって、ねぇ? ほら、スペースバッグと一緒じゃん?
あれってさぁ、入れたものを思い浮かべると出てくるやつじゃん?
その巨大かつ反対バージョンってことでしょ?」
「説明下手くそですねー、船長」
ようやく話が見え始めて、ナタリアはわずかに顔を明るくした。
「待って、それって……どこかに行きたいって"願い"を、この泉が叶えてくれるってこと!?」
「ええ、恐らくは。
ワタクシの知る詩曲のひとつに、こんなものがあるのですワ。
かつて泉のほとりで恋人と逢瀬を重ねた男が、別の泉でその遠い日々を懐かしんだ。
そしてもう一度あの幸せをと願ったところ、湖面が七色に光輝き、その中に思い出の泉と想い人の姿が映って見えたと」
「その人、飛び込んだんっスか!?」
「ええ、そのようですワ。
閉じていた目を開いたところ、いつの間にかその泉のほとりに立っていたといいます。
これまで、吟遊詩人が大衆向けに綴ったただの創作話だろうと、気にも留めておりませなんだが」
それにしては、あまりにも情景が一致しすぎていた。
いままで記憶の片隅にあって忘れていたその詩曲が唐突に思い浮かんだのも無理はないほどに。
「ああ、そうなの……そうなのね。あの子、リルの森に行ったのね!
そういえばあの子前に、母親が流浪の民だったって言ってたのよ。
それでその歌を知っていたんだわ……やだもう、すごいじゃない、キーラ!」
嬉しそうにはしゃぐナタリアに対し、男は遠い目をして苦笑をこぼした。
「あはは、こりゃやられたねぇ……んっ、待てよ?
誰の願いでも叶えてくれるなら、おじさんたちもリルの森に行けちゃったりして?」
期待の目を泉に向ける男だったが、どんなに願っても水面が光る様子はなかった。
「推測ですが……直前の様子から察するに、泉が叶えたのは一角獣の願いだったのでしょう。
つまり、対象者が一度行ったことのある場所か、縁のある場所か……少なくとも、我々には無理なようですな」
「……キーラちゃん、落ちてるツノでもいいからおじさんに持って帰ってきてくれないかなぁぁぁ!」
「ま、あんだけ酷いこと言っといて、期待するほうがバカよね」
地面に両手をついて悔しがる男を見て、ナタリアはざまぁみろとでも言うように声を上げて笑った。




