1-2:緑の国 エメラウド
『World flow Rain』
この世界を舞台にしたゲームのタイトルだ。
据え置き型ゲーム機の、剣と魔法の王道RPGで、ファンの間では『わるふろ』という愛称で親しまれていた。
物語は主人公のウォーレスを中心に展開されていく。
キーラは1歳のとき、世界樹を見て、自分がゲームの世界に転生したことを悟った。
それはゲームのパッケージに描かれているメインビジュアルそのものだったからだ。
『わるふろ』は世界樹を巡って錯綜する物語なのである。
キーラは中小企業に勤める平凡な一般市民だった。
可もなく不可もない環境で向上心もなく、恋も人生も横に置いたまま、情熱のすべてをゲームに注いだ。
自分の知らない世界、知らない人間。
つまらない現実を忘れて没入できるゲームがキーラは大好きだった。
『わるふろ』にハマったきっかけは世界観に重点を置いたグラフィックの美麗さだ。ストーリーの容赦のない感じも好きだったが、とにかく映像のリアルさの追及度に執念すら感じた。
キャラクターのモーションにも拘っていて、表情や仕草からものすごい臨場感が伝わってきてゾクゾクしたのをよく覚えている。
その中でもキーラは敵の陣営がたまらなく好きだった。
赤目の民。
狼の耳と尻尾を持つ、世界樹の守人と言われる存在だ。
レフをリーダーとした名持ちのキャラクター達がキーラはとても気に入っていたのだが、これがもう、とにかく死ぬ。次々と死ぬ。
だからこそキーラは、育ててくれた母を村に残してまで、ここへ来たのだ。
推したちの死亡フラグをへし折り、みんなでハッピーエンドを迎えるために。
まぁその大半は、レフをはじめとした赤目の民に会いたいという不純な動機に加えて、自分が手塩に掛けて育てた主人公やその仲間を見守ったり、せっかくならゲームの世界を旅したいという好奇心で占められていたのだが。
キーラが鉢合わせたエメラウドの襲撃、これはウォーレスが旅に出るきっかけとなる、プロローグだ。
▽
瓦礫の街をウォーレスが歩いていく。
ナタリアとキーラはその後ろを行く。
レフは魔物に人間を襲うように命じていたなら、もっと悲惨なことになっていただろう。
追い立てられて怪我をした負った人は居ても、食い散らかされた死骸などはどこにも転がっていない。
もちろん倒された魔物はいるが、それはキーラの村でも見慣れたものだった。
しかし、その場所はあまりにも異質だった。
「これは……」
眼前に広がる更地を目にしたウォーレスは絶句した。
そこには少し前までドーム型の建物があったはずだった。
しかし今はぽっかりと綺麗に更地になっており、土も平らに均されていた。
「ウォーレス、ここって……」
ナタリアが恐々と呟いた。
ウォーレスが頷く。
「あいつ、動力施設が狙いだったんだな……」
更地を歩いていく。中央付近の土だけが円状に色が濃くなっており、柔らかく湿っていた。
「埋めた後? ……たしか世界樹の根から生命の水を引き揚げるために、地中に穴を開けていたはずだよな。
つまりここは、根があった場所なのか?」
「根を埋めたの? 徹底してるわね」
「赤い目に獣の特徴をもつ人間は、世界樹の守人だと聞いたことがある。
俺たちは世界樹の根から生命の水を吸い上げてエネルギーに変換し使用しているんだ。
あいつらは、世界樹の根を俺たちから取り返しにきたんだな」
ウォーレスが複雑そうに唸った。
動力施設を破壊された。
近年、国内すべてのエネルギーが、エネルギー効率の良い世界樹の生命の水に置換されたばかりだった。
こうなってしまっては、国はすべての機能を停止してしまう。
復興には長い年月が掛かるだろう。
国民を殺さずに生かしたのは、彼らなりの意趣返しの意味も含まれていたのかもしれないとキーラは思った。
ナタリアがウォーレスの背中にそっと触れた。
「ウォーレス、傷の手当てをした方がいいわ」
「ああ……」
ウォーレスが思い出したようにキーラに振り向いた。
短く整えられた紺碧の髪に深い輝きを秘めた青緑の瞳。ウォーレスは見習い兵だったはずだが、その精悍な顔付きは、まだ垢抜けなさはあるものの、不思議と人を惹き付けるカリスマ的な風格があった。
「さっきは援護ありがとう。
的確な判断力とコントロールだったよ。
まだ小さいのに、立派な精霊術師なんだなぁ」
そう言って屈むとよしよしとキーラの頭を撫でた。
キーラはあまりのことに思考停止した。
動揺しすぎて、画面越しにナデナデしてくる美青年とかこれなんの乙女ゲーですか? と思う始末である。
信じられないことが起こると、画面の外に心が避難してしまうようだ。
「君、名前は?」
キーラはハッとして口を開いた。
「わ、あっ、ぼく……キースです!」
「キース、よければ後で礼をさせてくれ。
ここまで軽傷で済んだのは君のおかげだ」
「それならあたしがキースと一緒にいるわ。
あたしもちゃんとお礼がしたかったし」
「それがいいな。
ナタリアも、助けに来てくれてありがとうな」
「いいのよ。家族なんだから、助けるのは当たり前でしょ?」
ウォーレスは照れたように笑うと、傷の手当てと後始末のために去っていった。
キーラはナタリアの家に招かれた。
「どうせ宿も営業どころじゃないでしょ。
今日は泊まっていくといいわ。とは言え、うちも電気系統が途絶えてるから、居心地は保証できないけどね」
「ありがとうございます! 屋内というだけでも、とっても嬉しいです」
暗くなってきた室内に蝋燭の暖かい光が灯る。
ナタリアは簡単な食事を用意してくれた。
「ウォーレスは帰ってこられないかもしれないからね。
先に食べちゃいましょう」
「……あの、ナタリアさんとウォーレスさんは二人暮らしなんですか?」
「え? ああ、違うのよ。
うちの親と一緒に住んでいるんだけど、今国外の森に薬草を取りに行っちゃってて、今日は戻らないの」
ナタリアには両親がいるのは知っていたので、キーラは頷いた。
「その子は何か食べる?」
ハルに視線を移すと、ふいっと窓の外に鼻先を向けた。
「……魔物の死骸って残ってますかね?」
「そんなのでいいの?
それならまだ間に合うんじゃないかしら」
行ってきていいよと背中を軽く叩くと、黒い瞳でジッとナタリアを見つめた後、二本足で立って扉を開けて出て行った。
ハルが尻尾で閉めていくのを見て、ナタリアが感心したように声を上げた。
「賢いのね!
あんな大きな魔物を連れてる人は少ないからよく知らないけど、ちゃんとあたしを牽制して行ったわよ」
「すみません……」
「ふふ。それでもあたしにキースを任せたってことは、キースがあたしのことを信用してくれたってことでしょ?
謝る必要なんてないわ」
ナタリアは我が子みたいなものだからなぁ、などとキーラが思っているとは、ナタリアは想像もしないだろう。
食事を終えると、水で身体を拭いて、ナタリアが借してくれた寝衣に着替えた。どうやらウォーレスのものらしい。
本当に家族みたいなんだな、とキーラはなんだかほっこりした。
着ていた服も汗まみれだったので、簡単に洗わせてもらったあと、いつの間にかお腹が膨れたハルが戻ってきていたので、簡単に身体を拭いてあげた。
キーラはウォーレスの部屋を使うように言われた。
「もし戻ってきても床に転がしておけばいいわ」
「そんな! それならぼくが床に転がります!」
「いいのよ、気にしなくて」
というわけで、キーラは主人公の部屋で寝る羽目になってしまった。
──なんだろう、この……間違って男子トイレに入ってしまったような、気まずい感じ。
さすがにベッドを使うのは無理だったので、床に寝袋を敷いた。
この世界、スペースバックという亜空間に物を収納できるとても便利なバックが存在している。
もちろん限界はあるが、寝袋のようなかさばる物もすっぽりと入ってしまうので、とても助かっている。
キーラにくっついて丸くなったハルの頭を撫でながら、キーラはようやく深く息を吐いた。
まさかこの国についたタイミングでゲームが始まるなんて、思いもしなかった。
そして立て続けに三人の主要キャラクターとも出会ってしまったし、それどころか家に招かれてしまった。
実感がわいてくるに連れて、ドキドキと胸が騒がしくなる。
「あ〜、ハル〜、どうしよう!
わたしレフと目が合っちゃった!
ウォーレスとナタリアも見た目も声もそのままだったし、操作してないのに動いてたし……!
みんなキャラクターじゃなくて、この世界に生まれたわたしと同じ人間なんだって、当たり前なんだけど、すごく不思議でわくわくしたの!
やっぱりわたし、みんなに会いたい。そしてこの世界の物語を、自分の目で見届けたい!」
なんにしてもハッピーエンドを目指すにはウォーレス達と行動を共にするべきだ。
出来ることならここまま同行させてもらいたいなとキーラは思った。
興奮して眠れないんじゃないかと思っていたキーラだが、長旅と魔物との戦闘と、怒涛の展開に疲れていたようで、すぐに眠りに落ちていった。