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5-6:雨の国 ラズリズ

「<影縛り(シャドウ・バイト)>!」


影縛りは相手の影を操り拘束する技だ。

そのため対象が大きいほどかかりにくく、高い精神力を必要とする。

べったりと大地に貼り付いた糊を強引に引き延ばすように影を掴み、蜘蛛の前脚を拘束する。

その脚にハルが風の刃を飛ばすと、蜘蛛は耳障りな声で叫んだ。まるで黒板を爪で引っ掻く音みたいだ。ぞわぞわと肌が粟立った拍子に集中が途切れ、蜘蛛が拘束から抜け出してしまった。


蜘蛛の足元には子蜘蛛もわらわらと集まっている。

生命の力(マナ)を集めている暇はない。


しかしキーラとてなんの勝算もなしに、ゲームでプレイ済みのサブイベントの調査にやってきたわけではないのだ。

なんといってもキーラには事前情報という素晴らしい知識がある。


「ハル、こっち!」


ハルを呼びながらキーラは細い路地へと駆け込んだ。

ラズリズはもともと内陸に位置する国だった。それが港を開拓するために海峡側へと国境を伸ばし、それに従ってひとも移動したことによって、第一区の裏側の地域は置き去りになっている。

取り壊しなどもせずに放置されているのは、複雑な地形のために魔物が生活圏まで入り込みづらく、また敢えて魔物の棲家とすることで、他国からの侵略を難くするなどの狙いもある。

あの大蜘蛛がどこから入り込んだのかは謎だけど、まさに第一区の裏側であるこの入り組んだ場所ではまともに動けないはずだ。


屋根に飛び乗った蜘蛛が上から追いかけてくる。

古びた木材や木くずが落ちてくるのが地味に怖い。


キーラたちは追いついてきた子蜘蛛を一匹ずつ確実に倒しながら、細い路地を選んで駆け抜けていく。

この辺りは地図埋めや宝箱探しに走り回った記憶があるものの、もちろんすべてを覚えているわけではない。

時々行き止まりにぶつかっては慌ててUターンしたりなどしつつ、子蜘蛛の数を減らしていく。


しかし走り通しで疲れてきたとき、いままでは避けられていた蜘蛛の糸にキーラは捕まってしまった。

ふとももを掴まれ、宙吊りにされる。ハルが風の刃を飛ばすが、疲れによってコントロールが鈍っているようで、攻撃は掠るに留まった。


「キキキキキッ!」

「ひいいいっ」


顔の前まで持ち上げられたキーラは引きつった悲鳴を上げた。

さすがに近くで見るとグロいのである。ずらりと並んだ牙から、緑色の粘液が滴る。あの子蜘蛛で軽い麻痺なら、これはちょっとまずいのではないか。

キーラは震え上がった。


「<影斬り(シャドウ・ブレード)>!!」


逆さまのまま大蜘蛛の目に攻撃を飛ばす。

若干怯んだ。だがそれだけだ。

キーラは今度は足に巻きついた蜘蛛の糸に攻撃を飛ばした。


ぶつりと糸が音を立てて切れ、キーラは屋根の上から落下した。


「ハル!」


わかっているというようにハルが鳴いた。

地面にぶつかる手前でふわりと風が巻き起こり、着地を軽くしてくれる。

キーラは転げるようにして走り出した。


「広いところに出るよ!」


子蜘蛛はもう追ってこない。

走りながらありったけの生命の力(マナ)を手に集める。

噴き出す汗は風が流してくれた。

路地を抜けて広い道に抜けると、大蜘蛛が道を塞ぐように地面に着地し、ザアッと砂埃を舞い上げた。


キーラは震えそうな足を踏ん張り、大きく息を吸い込んだ。


「追いかけっこは終わりだよ、でっかいの!

<悲嘆(ファントム・)の亡霊(オブ・グリーフ)>!!!」


集めた生命の力によってキーラの周囲を飛んでいた大きな鳥の幻影が、この世の嘆きを集めたような啼き声を上げながら黒い尾を引いて大蜘蛛に突っ込んでいく。

急速に精神力が失われていく感覚に、キーラはガクンとしりもちをついてしまった。


「ギイイイィッ!!」


幻影が大蜘蛛の身体を貫いた瞬間、ぶわりと霧のように広がった影が蜘蛛に絡み付いた。

影が触れたところから、大蜘蛛の身体が黒い砂となって崩れていく。

影から逃れようとのたうっていた蜘蛛はやがて脚を失い立てなくなると、がむしゃらに毒液や糸を撒き散らし始めた。

距離を取っていたキーラたちの方にも飛んできたので、慌てて立ち上がろうとするが、足に力が入らなかった。爪を地面に引っ掛けながらなんとか蜘蛛から距離を取る。

ハルを探すと、どうにか離れたところまで避難できたようだった。

ホッと息を吐いた瞬間、足元をぐんっと引っ張られる感覚があった。


「うぎ……っ!?」


なにが起きたのか一瞬わからなかった。

身体が宙に浮いた、と思ったときには、したたかに背中を打ち付けていた。

暴れている蜘蛛がめちゃくちゃに振り回していた糸が足に絡まったらしい。運が悪いにもほどがある。


「うわあああっ!?」


キーラを引きずろうとする糸の動きに対抗するように、風が周囲を取り囲んだ。

さすがは相棒。キーラは心の中でサムズアップした。


しかしもう精霊術を使う精神力は残っていないので、シャムシールを糸に振り下ろす。

だが不規則な動きのせいでなかなか当たらない。

しかもなにやら弾力のある糸のようで、掠ってもしなってしまい上手く切断できなかった。


「うぐっ……」


ハルがサポートしてくれているとはいえ、最後の力を振り絞っている蜘蛛を抑えるのは容易ではない。

キーラは何度も壁や地面に身体を打ち付けられて、だんだんと意識が朦朧としてきていた。


もう少し。もう少しで幻影が蜘蛛の心臓に届くはずなのに。

キーラは歯を食いしばって腕を振り上げる。


「う……っ」


しかし壁にぶつかった拍子に、手からシャムシールが離れてしまった。

砂の上をくるくると滑っていく刃に手を伸ばすが、すぐに引きずられて、平衡感覚すらも曖昧になっていく。

振り回されているうちに毒液も食らってしまったのかもしれない。

痺れなのか痛みなのかもはやわからないが、身体がほとんど動かないことだけは確かだった。


「は、るっ……!」


キーラを支えてくれていたハルの風がふっと消えた。

精神力が切れてしまったのか。確かめようにも目がかすんでなにも見えない。

絶対的な信頼を寄せる相棒(ハル)という自信の拠り所を失い、焦燥がじわじわと胸のうちを侵食していく。


──どうしよう。どうしようどうしようどうしよう。


あと少しなのに。あと少し頑張れば絶対勝てるのに……っ!


そのとき、背後から風のように白いなにかが飛んできて、キーラを横切った。

それが火の玉を放ったかと思うと、蜘蛛の糸を燃やしてなかばからちぎってくれる。

どさりと落ちたキーラを、誰かの手が抱き上げた。


「<木精達の円舞曲(フェアリーズ・ワルツ)>!」

「<火炎の舞い(フレイム・ダンス)>!

キース、無事!?」


ユーインが放った妖精の木が蜘蛛に絡み付き、それをナタリアの踊る火が燃やした。

蜘蛛が断末魔の叫びを上げながら、炎に包まれる。


キーラは目を凝らして辺りを見回した。


「ハルなら無事だよ。

気を失っているだけさ」

「ユーイン……」

「キース!! やだ、ひどい怪我じゃない……!」

ほんっと蜘蛛って嫌いだわ! <(フレイム)>!!」


ナタリアが更に炎を追加するが、蜘蛛はもう力尽きているようだった。

ぱちぱちと木が爆ぜる音とともに、黒煙が立ち上っている。肉が焦げる煙たい匂いがした。


「すぐに治療するよ」


建物の影にキーラを寄りかからせ、ユーインが生命の力を集め出す。

ふわふわとユーインの周囲を舞う緑色の妖精が、生命の力が集まるほどに女性らしい姿に成長していく。

やがて美しく透き通った羽を広げた妖精は、木の葉を紡いだ髪をたなびかせてたおやかに微笑んだ。


「<森女神の(ギフト・オブ・)慈悲(アルセイド)>」


ぽかぽかとあたたかな感覚が内側から広がり、キーラの痣や傷を治していく。

キーラはホッと息をついた。


「それからこれ、麻痺毒にも効く水薬(ポーション)


ユーインがバッグから取り出した透明のビンをキーラの口元に持ってくる。

水薬は様々な素材を煮詰めて溶かしたものだ。キーラも村で作ったことがあった。エグくてまずいんだよなぁ……と顔をしかめながらも、流し込まれるまま嚥下する。

しかし覚悟していたような不快感はなく、むしろさらさらとすっきりした美味しさにキーラは驚いた。

よく見てみれば、色も村で作ったような濁った茶色ではなく、虹のような不思議な光沢を放つ透明な色をしていた。それを見たナタリアが悲鳴を声をあげた。

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