1-1:緑の国 エメラウド
「ハル、あれ! あれ絶対緑の国だよ!」
白と薄緑色の毛並みの豹に似た魔物にまたがったまま、キーラは喝采を上げた。
生まれ育った村を出て約一ヶ月、ようやく目的の国が見えてきたのだ。
キーラはハルの背中に付けた鞍から降りて、並んで平原を駆け出した。
「緑の国エメラウド!
あそこに主人公がいるんだよ〜!
どうしよう、まだ生まれてなかったりしたら!」
「クルルッ」
「うん、とにかく行ってみるしかない!
なにがなんでもみんなに会うんだ! わたしの推したちにっ!」
キーラは城門が見えてくると、ハルの首に使役の首輪とタグを付けた。
これがないと野生の魔物扱いされてしまうのだ。
手綱を引いて近付いていき、徒歩の入国希望者の列に並ぶ。
キーラは通行手形を持っていなかったため、関所に通されて簡単な事情聴取と身体検査等を受けることになってしまったものの、概ね問題なく入国を果たした。
エメラウドは、今キーラがいるアーガンティア大陸の中でも中規模の国だ。
世界樹に近い国ほど豊かな土地に恵まれるが、エメラウドは太陽に近く、鬱蒼とした森に埋もれるように建っている。
そのため城門を抜けると国よりも先に森を抜けなければならない。
通路は舗装されて魔物避けもバッチリなので、ビクビク掻き分けて進むなどというようなことはないが、何やら怪奇な声が飛び交う薄暗い緑のトンネルは、キーラの冒険心を刺激した。
「ハル、すごいねぇ……村の森とは迫力が全然違うね」
うずうずするキーラに対して、ハルはツンと前を向いたまま、細長い二本の尻尾をマイペースにくゆらせた。
やがてトンネルを抜けると、煉瓦の屋根に囲われた大きな玄関口に出た。
受付のようなところがあり、ここで馬車の荷物の確認などをしているようだ。
身一つのキーラは、走って玄関口を抜けた。
鋭い陽光が差し込む。薄手の栗色の外套を羽織っていなければ、ジリジリと肌を焼かれていただろう。
キーラはひさし代わりにフードを被ると、ひとまず今日の宿を探すために歩き出した。
肉の焼けるいい匂いのする露店などを横目に早足で歩きながら、ふと既視感を感じたキーラは、パッと目を輝かせた。
「ハル、わたしこの道知ってる!」
弾かれたように走り出したキーラに、やれやれといった顔をしながら、手綱を引かれてハルも走り出す。
大きな噴水のある広場に出ると、キーラは子どものようにぴょんぴょんと跳びはねた。
「すごい……!
ゲームと一緒だよ! こうやって走ったもん!」
キーラは噴水の周りを一周すると、落ち着きなく辺りを見渡した。
そして噴水で水分補給しているハルの傍に戻って来て、堪え切れないように身体を縦に揺らした。
「ハル、すごいね、すごいね!
わたし本当にゲームの世界にいるんだね……!」
キーラが嬉しそうに言ったその瞬間、カンカンカン、と金属を打ち合せる大きな音が響いた。
身を固くするキーラを守るようにハルが毛並みを逆立てて辺りを警戒する。
「魔物だ! 魔物が出た!」
その言葉を皮切りに、どこからともなく茶色い硬質な毛並みをした狼の魔物が現れた。
民家の屋根から、通路から、街の人々に牙を剥いて襲いかかる。
「……ゲームが、始まった」
この胸の高鳴りが恐怖なのか、興奮なのか。
自分でも判断が付かないまま、キーラは震える声で呟いた。
▽
キーラは急いでハルの手綱を外すと、魔物に向かって駆け出した。
手の中に生命の力を集め、黒い羽根を作り出す。
「<影縛り>!」
羽根を掴み魔物に向かって飛ばすと、今にも人に襲い掛かろうとしていた魔物が、ゴムのように伸びた己の影に拘束された。
その人を助け起こす暇もなく、すぐに近くの魔物に駆け寄る。
キーラの背後に迫る魔物はハルの鋭い爪と牙で引き裂かれた。
魔物を牽制しながら、足を止めることなく国の中心の方向へ走る。
街の人を襲うのは兵士を撹乱するためだと、キーラは知っていた。本命はこっちではないのだ。
「<炎>!」
「……!」
聞き覚えのある声に思わず目線で探すと、鮮やかな赤い髪を肩で切り揃えた、強気な緑色の瞳の少女が、たったひとりで魔物と戦っていた。
「ナタリア……!」
服装こそ違うものの、見間違えるはずがない。
周囲を警戒していたナタリアがこちらを振り向き、立ち止まっていたキーラに駆け寄ってきた。
「こんなところでなにしてるの!
早く逃げなさいっ!」
キーラはハッとして頭を振った。
「わた、ぼくも戦います!!」
そうしてナタリアの背後に迫っていた魔物に精霊術をぶつける。
ナタリアはびっくりしたようにキーラを見ると、頷いた。
「見かけによらずやり手なのね。
いいわ! 手伝って!」
「はいっ!」
キーラはまだドキドキしている胸を押さえながら、ナタリアとともに魔物を倒していく。
やがて中心部にたどり着くと、家ほども体長のあるムキムキの狼と対峙している青年を見つけた。
「ウォーレス!」
ナタリアが悲鳴のような声を上げて、剣を構えた青年に走り寄った。
キーラは一瞬固まったものの、それどころではないと切り替えてナタリアを追った。
「ナタリア! 来ちゃだめだ!」
「なに言ってるの! ウォーレスこそ逃げて!」
ウォーレスは腕に怪我を負っていた。
周囲に何人も鎧を身に付けた兵士が倒れていた。
「俺だって兵士なんだ! 逃げたりしない! この国を守る義務がある!
<水刃>!!」
ウォーレスが剣を振るい敵に水の刃を飛ばすが、明らかに効いていなかった。
それはそうだ。この戦いはプロローグの余興に過ぎないのだから。
それを知っているキーラはどうしても危機感を持てなかったが、このくらいの大きさの魔物とならば何度か戦った経験もある。なにかあっても助けられるはずだ。
キーラはふたりから少し離れたところでハルと立ち止まった。
「<炎>!」
ナタリアがウォーレスの隣に立ち、精霊術を放つ。
液晶画面のハイポジションの映像が、視界に重なって、キーラは目の奥が熱くなる思いがした。
戦いの始まりだ。
キーラは遠目に見ながら時折敵の攻撃を弾いて援護した。
死なないからって無駄に傷を負う必要はないし、痛いことはキーラだって嫌いだ。
この敵の動きは見慣れたものだったので、どんなモーションでどんな攻撃が来るか、キーラは予測して対応が出来ていた。ゲーム画面と重ねてしまえば、冷静に判断が出来るのだ。
やがて敵が大地が震えるほどの咆哮を上げた。
咄嗟に耳を塞いだキーラでさえ、思わず腰を抜かしてしまうほどの圧力だった。
なんで敵が吠えたら戦闘が終わるのかな? とキーラは常々思っていたが、これは終わるしかない。足が竦んで、立っていられないのだ。
「……もういい。帰ろう」
わんわん反響する頭に、届いた低い声。
いつの間にか魔物の肩に青年が乗っていた。
「……レフ」
微かに呟いた声が聞こえたはずもないのに、レフの赤い目は確かにキーラを捉えた。
赤味のある襟足が長めのこげ茶の髪に、長い前髪から覗く血を流し込んだような赤。そして──髪と同色の狼の耳と、ふさふさの尻尾。
ジッと見つめられ、遠のいた耳に、己の心臓の音しか聞こえなくなった。
ハルが頭を振りながらキーラに寄り添うと、レフの目が僅かに細められた。
「お前が、魔物に街を襲わせたのか!?」
立ち上がろうとしながらウォーレスが叫ぶと、レフは無表情でウォーレスを見下ろした。
「答えろ! なんのために街の人を襲った!」
「ウォーレス……!」
ナタリアの心配そうな声にも耳を貸さず、ウォーレスはレフを睨み付ける。
レフは静かな、しかしよく通る平坦な声でウォーレスに答えた。
「お前達が奪ったものを、返してもらいに来た。……それだけだ」
「待て!!」
狼の魔物が跳躍し、あっという間に街から去っていった。
あれ、落ちないのかな……などと呆然と見送りながら、キーラはだらりと膝に寝そべってくるハルの背中を無意識に撫でていた。




