5-5:雨の国 ラズリズ
必要なものを執事に頼んだところ、ほとんど問題なく手配してもらえることになった。
ただ、聖獣リェークに関してはリェークの判断に委ねるとのこと。
早速プールに向かうと、悠々と水中を泳いでいたリェークはキラキラと水飛沫を散らしながら顔を覗かせた。
真っ赤に染まっていた瞳は淡い水色に戻り、額には海の色の宝石が陽光を反射して輝いていた。
ウォーレスが歩み寄り、リェークを見つめた。
「リェーク……剣を振るうたび、君の虹の鱗が欠けてしまうのが、俺はすごく嫌だった。
あんなやり方でしか君を正気に戻してあげられなくてごめん。
君が愛した景色をこんなふうにしてしまって、ごめん。
俺にはまだ、圧倒的に力が足りない。
すべてを守るには君の力が必要なんだ。どうか俺を助けてほしい」
ウォーレスが手を伸ばす。
リェークはジッとウォーレスを見つめたままだ。
そうしていると、やがて雨が降り出した。
空は晴れているのに、太陽を反射して白く輝く雫が、ぽつぽつと落ちてくる。
それはあたたかな恵みの雨だった。
リェークはそっと額の宝石をウォーレスの手に押し当てた。
同時に、鞘の召喚石が光を放つ。
ウォーレスとリェークの魂が、繋がった証。
「……ありがとう」
ウォーレスの言葉に応えるように、リェークは鼻先をウォーレスの靴に寄せ……そのままグッとすくい上げるように突き出した。
「うわっ!?」
突然の行動に反応できず、ウォーレスがリェークの頭の上に倒れ込んだ。
そのまま鼻先を後ろに向かって振ったために、遠心力で吹っ飛んだウォーレスがどぼんとプールに落ちた。
「なんと。ウォーレス様!」
サミュエルが驚いた様子で駆け寄っていく。
キーラには、リェークの目がキラリと光ったように見えた。
「あっ」
という間に掬い上げられたサミュエルの巨体が、水面から顔を出していたウォーレスの真上へと……
「うわーっ! 待っ」
見事に押しつぶされたウォーレスがサミュエルとともに沈んだ。
その瞬間、ぽかんとしていたナタリアが笑い出した。
「あはははっ! やるじゃない、リェーク!」
「ナターシャ、君もあぶないのではないか?」
「えっ?」
リェークが長い首をもたげた。
目が合ってしまったナタリアがびくりと固まる。とっさにプールから離れようとするが、忘れていないだろうか? リェークは雨の中を泳げることを。
「いやああああっ!!」
「ちょっ、嘘だろ〜!」
「ぐはっ!?」
鮮やかに水柱が上がる。
これで気が済んだのか、リェークはフンとそっぽを向くと、すいすいとプールを泳ぎ始めた。
まだ水中にいる三人はびくびくしながら抱き合っている。
いくら仕方なかったとはいえ、自慢の鱗を散々傷付けられたのだから、ウォーレスたちはこのくらいで済んでよかったと思うべきだろう。
キーラとユーインは、顔を見合わせて笑った。
▽
ゴルドは乾燥地帯のわりに平均気温は高くない。むしろ直射日光が当たるエメラウドなどのほうが高いくらいだ。
そのため肌の露出が多いことが一般的となっている。
ちょうどよかったというのも変な話だが、ずぶ濡れになった三人が予備の服に着替えるために戻ると、衣装が用意できたとのことだった。
アーガンティアでの服装のままだと暑かったため、頼んでいたのだ。
かっちりしたトパースの騎士の格好だったウォーレスは、V字のえりにエスニックな刺繍が入った黒のタンクトップ、薄い金属板を仕込んだ手甲に、すそがだぼっと広がった白の七分丈のズボンを長く垂らした腰帯と剣帯で留め、足首を覆う革のブーツという、見た目にもだいぶ身軽な服装へと変貌した。
ナタリアは大胆にお腹を出したみぞおちまでの赤いタンクトップに、白の裾を絞ったズボンの上に赤やオレンジの薄い布を重ね、革のベルトで締めた踊り子のような格好だ。
サミュエルは、これはトパースの騎士の制服なので着替えは不要と断固として拒否したため、スペースバッグに入れていた予備の服に着替えていた。やっぱり暑そうだが、大人の事情というやつなら仕方ないだろう。
ちなみにユーインは、丈の長い深い灰緑色のコートをベルトで締め、中に白いシャツを着て、ベージュのストールをゆったりと首に巻いている。
昨日は白手袋をはめていたが、あれは戦闘時だけのようだ。
そういえばゲームでの戦闘開始時のユーインのモーション、キュッと手袋はめてたな、と細かすぎる設定を思い出したキーラはというと、白のへそ出しタンクトップに丈長の緑のベスト、ゆったりと裾が広がった黒のズボンと、なんとも性別が迷子な仕上がりになった。女物か男物かなどという無駄なことは考えないのである。
ついでに自衛のため、刀身が月の形にカーブした小さめの片刃刀を譲ってもらった。
すべての準備が整うのは夕方になるとのことで、出発するには時間的に微妙なことと、ウォーレスが三区で片付けを手伝いたいと言うので、この日は自由時間となった。
「誰か俺と一緒に行こうよ」
「観光なんて不謹慎なことは言わないけど、あたしは少しでも街を見て回りたいわ。サミー、ウォーレスと行ってあげたら?」
「ナタリア嬢までその呼び方なのか……
ではウォーレス様、お供いたします」
「あ、キースは危ないから、ナタリアと一緒にいなよ」
キーラはなにか言うまでもなく同行拒否された。
辺境育ちのキーラに瓦礫が危険というのも変な話だが、ここは甘えておくことにする。
「ぼく、ちょっと行きたいところがあるので、ナタリアさんとは別行動します」
「あら、残念ね。
ねぇユーイン、この国のこと詳しいなら案内してちょうだいよ」
「ああ、構わないよ!」
話がまとまったところで宮殿を出て、キーラはハルとともにみんなと別れた。
宮殿の前の広場は、三区から避難してきたひとたちで溢れかえっている。今は炊き出しが行われているようだ。
キーラは記憶をたどりながら、道の脇へ脇へと進む。
浮浪者なんかもいるものの、特に話しかけられることもなく、てくてくと歩いていく。
やがて小さな酒場の、傷んだ看板を見つけると、キーラはそちらに駆け寄っていった。
「黒い爪跡の看板! ここだ……!」
キーラは建物を見上げた。
どこからどう見ても、廃れた酒場でしかない。
しばらくうろうろと入り口あたりで迷っていたが、意を決して扉を開いた。
ぎいいい、と嫌な音を立てて木製の開き戸が開く。
キーラの後ろから差し込んだ陽光が、舞い上がった木くずや砂をふわりと照らした。
くしゅん、とハルがくしゃみをする。
「えーと……まんなかの樽……これ?」
埃っぽい樽を、そーっと持ち上げて下を覗き込む。
「あっ!」
底に四角い白いものが貼り付いていた。
それをべりっと剥がし、ひっくり返す。差出人も宛名もない封筒だ。長い時間放置されていたのか、端から変色している。
「ほんとにあった……」
これがあった、ということは。
ゲーム通り、魔王は生きているということだ。
「グルル……」
ハルの唸り声にキーラはハッと顔を上げた。
そう。これがあるということは……
「キキキキキキッ!」
「戦闘もあるってことなんだよね〜!」
天井にびっしりと張られていた蜘蛛の巣の塊から、ぼたぼたと子蜘蛛の魔物が降ってくる。
ハルが風で周囲を吹き飛ばしてくれた隙に、キーラは手に黒い羽根を出した。
「<影>!」
自身の影を操り蜘蛛を弾き飛ばす。
溜めなしで撃てる精霊術はこれしかないのだが、ちょっと怯ませる程度の威力しかないため、攻撃は主にハル任せだ。
宮殿でもらった片刃刀は刀身が短い上、標的が小さいのでここではあまり役に立たないだろう。
ただ、足元によってくる蜘蛛には効果的だ。
足に登られないようにかわしながら、キーラはハルを呼んだ。
「とにかく外に出よう、ハル!」
ハルに絡まった蜘蛛の糸を引きちぎってじりじりと出口へと向かう。
四方を壁に囲まれた空間はキーラたちにとっては不利だ。
上から下から飛びかかってくる蜘蛛をいなしきれず、取り付かれて何度か噛まれてしまった。
微量だが麻痺の効果があるらしく、噛まれたところから感覚が鈍くなっていく。
「もー! 無理矢理でもユーインに来てもらえばよかった!!」
だって、ナタリアがユーインを誘うとは思わなかったのだ。
協力してもらう気満々だったのに、結局ひとりでくることになってしまったが、なんとかなるだろうとたかを括っていた。
子蜘蛛の群れがこんなにうっとうしいとは。
「あっちいけ!
<影斬り>!!」
キーラが振った片刃刀から黒い羽根が飛び、蜘蛛たちに突き刺さった。
片手剣と組み合わせる闇魔法だ。村で練習しておいてよかった。
それでもわらわらと向かってくる蜘蛛をハルが風で押し飛ばした隙に、キーラとハルは猛ダッシュで酒場から出た。
背後でベキバキと嫌な音がする。
距離を取って振り向くと、酒場を破壊して大きな八つ目の蜘蛛が現れた。いったいどこに潜んでいたのだろう。
赤黒い毛の生えた立派な脚で酒場をバラバラにした大蜘蛛は、キチキチと怒ったように牙を打ち鳴らした。




