4-1:東の海 ルーガンド
礼拝室は静謐で澄んだ空気が満ちていた。
天井のみならず、壁面をもびっしりと埋め尽くす絵画が、迫り来るような力強さをもって訪れる人を出迎えている。
「これはすごいな……」
ウォーレスとキーラは絵画を見回して息を飲んだ。
案内役はサミュエルだ。ナタリアは……今頃麗光の間と呼ばれる休憩室でダウンしていることだろう。
絵画には、英雄エルモライが、王族時代から奴隷へと転落し、やがて剣を取り、魔物に立ち向かう様子が、入り口側の壁から奥へ向かって順に描かれていた。
そして天井、室内を見守るように葉を広げた世界樹と青年の邂逅。
剣を掲げたエルモライは、圧倒的な強さで魔王を打ち倒す。
魔王の姿を見たウォーレスが首を傾げた。
「魔王って、鳥だったのか?」
「鳥だとも、羽毛を持つドラゴンだとも言われておりますね。
知能が非常に高く、人の言葉を話したそうです。禍々しい黒い翼は大陸を包み込むほどに大きく、すべてを闇に飲まんとするかのようだったと、伝わっております」
「額に黒い石みたいなものが付いてるけど、これって……」
「はい、ご推考のとおり、魔王は現在聖獣と呼ばれる存在に等しいものでした。聖獣に対して悪感情を持ちかねないためか、あまり民衆の間には伝わっていないようですが。
聖獣と呼ばれる彼らにも個性があり、感情があります。必ずしも人間に益をもたらしてくれる存在ではないと言うことを、我々は忘れてはいけません」
「シムヴァのように身を呈して人間を守ろうとする聖獣もいれば、悪意をもって滅ぼそうとする聖獣もいる……簡単に魔物という枠で捉えてちゃだめだよなぁ」
正面にある英雄の像は、金でできた豪奢なものだった。
小窓から差し込む陽光が、天に掲げた聖剣を明るく照らしている。
ウォーレスはしばらく像を見上げていた。
「……どうしてエルモライは、この地を去ったんだろうな。
自分を長い間虐げてきた者たちを、見返すために戦ったのに」
「はじめはそうだったかもしれません。
しかし、戦いの中で、考えが変わったのでしょう。
その胸中は私のような凡庸な人間には、とても窺い知ることはできませんが」
きっと、失ったひとにしかわからないことがあるのだろう。
そう思って、キーラはウォーレスを見上げた。
黄金を反射する青緑の瞳は、像の向こう側を、ジッと見つめていた。
▽
礼拝室を出た後は街で食事でもと話していたが、全然そんな場合じゃなかった。
むしろ聖剣を下げたウォーレスが街中を堂々と歩いて、なにもないほうがおかしいのである。
あっという間にもみくちゃになった三人は、どうにかこうにか人垣をかき分け、神殿に舞い戻るはめになった。
キーラはサミュエルが素早く抱き上げてくれたので事なきを得たが、あのまま巻き込まれていたらと思うと震える。
驚いて手綱を離してしまったハルは、さっさと避難していた。ずるい。
「申し訳ございません、ウォーレス様。
これほどの騒ぎになるとは……」
「い、いや、俺もびっくりしたから……キースは大丈夫だった?」
「はい! サミュエルさんが助けてくれたので」
神子姫であるシャーリーが歩いてもこうはならないらしく、シャーリーにもサミュエルにも警戒が足りなかったようだ。
たしかにシャーリーをもみくちゃにはできない。ウォーレスは、いい意味で親しみやすい雰囲気があるのだ。
先程のように急ぎ足で移動しているときなどは、さすがに絡まれることはないみたいなのだけれど。
キーラとしてもゲームではこんなことは有り得なかったために、まったく思い至らなかった。
仕方ないので食事は神殿でとらせてもらうことにした。
▽
キーラの性別を打ち明ける件について、キーラなりに作戦を考えた。
そもそも作戦が必要なのか? ということに関しては、サミュエルの時のように気まずい感じになったら嫌じゃん……? という理由が挙げられる。
つまり、気を遣われるのとかぶっちゃけ面倒くさい、とキーラは思っているわけで、ナチュラルかつスムーズに打ち明け、相手に気を遣わせる間もなくさらりと周知したいのだ。
理想としては、「えっ、女……の子? 今女の子って言ったよな? あれっ気付いてなかったの俺だけ?」「どうしたのウォーレス?」「え!? いや、そうだよな、キースは女の子だよな! あははっ!」「何言ってるの? わたしの名前はキーラだよ?」「!? そ、そうだったな……! キーラは女の子! そうだよな!?」「そうだよ? もー、なんか変だよウォーレス!」「あははは……」こうだ!
……ウォーレスの性格的に有り得ないよね。キーラは遠い目になった。
「キー……スは、船に乗ったことはあるか?」
サミュエルはとりあえず様子を見ているらしい。
しかし昨日の夜以降、妙に過保護になっている辺り、そろそろナタリアとかに突っ込まれるんじゃないかとキーラはドキドキしている。
「外海はすごく深いし、怖い魔物もいて危ないところだって言われてました。
なので、海自体近付いたこともないです」
「うむ、そうだろうな。
海峡は比較的浅く、おとなしい生き物が多い。世界樹の森の恵みが豊富に含まれた海水や泥には、熱帯の色鮮やかな魚がたくさん集まってくるのだ。今回乗る船は、比較的軽くて早い小型船を手配してくださるはずだから、船首から覗いてみるといい」
「わあ、楽しみです」
前世でも船に乗った経験はない。
海に遊びに行ったのも小学校以来とんとなかったので、なんだかとてもわくわくする。
「なあに? 今度は海に行くの?」
ふたりがなごやかに会話していると、だいぶ顔色の戻ってきたナタリアが話に入ってきた。
「ゴルドに渡るんだよ、ナタリア」
「ゴルド? そう、砂漠の海のほうね……」
「大丈夫、本物の海も渡るから」
「だって港に行くまでにまたあのそりに乗るんでしょ!?
ねぇサミュエル、もうちょっとゆっくり走るのってできない?」
「ああ、できるぞ」
「できるんじゃない!」
憤慨するナタリアをサミュエルは面白そうに見ている。
意外といじめっ子らしい。
「きっとこれからだと船は出ないだろうから、日暮れまでに着くようにのんびり行けばいいんじゃないかな。どうかな、サミュエル」
「残念です。あのスピードで飛ばすのが一番気持ちいいのに」
「もう、サミュエル!!」
「はいはい、仰せのとおりに、お嬢さん」
「なんっかむかつく!
キースに見せる優しさをちょっとはあたしにもわけなさいよね!」
サミュエルは口元で笑って、ぽんぽんとキーラの頭に手を置いた。
「ナタリア嬢にはウォーレス様がおられるだろう?
この子は私がエスコートしてやらないとな」
「キースは男の子なんだから、あたしみたいな可憐なお姉さんのほうがいいんじゃないかしら? ねぇキース?」
これは……これはチャンス!?
「大丈夫です、わたし女の子なんで!」
「えっ!? 何言ってるの、そんなわけないじゃない! もう、冗談が下手ね、キース!」
「 ……あれぇ?」
「なぁ、可憐なお姉さんって誰のことだ、ナタリア?」
「……なにか言ったかしら、ウォーレス?」
「うわっ、ちょっ、ごめん、精霊術はやめて! 燃える!!」
ハルに鼻で笑われ、サミュエルにいたわるように撫でられながら、キーラは残酷な現実にひとり打ちひしがれた。
▽
夕暮れの港町は、仕事を終えた船乗りたちで賑わっていた。
誰もがところ構わず酒を飲み交わしながら、わいわいと語ったり歌ったりしている。
暮れゆく太陽の光に染まったようなオレンジ色の街灯が石畳の道を柔らかく照らし出し、あたたかい潮風が髪をさらう。
優しい夜の訪れを予感させた。
「いい街だな」
「貿易の要所だもの、当たり前よ。
たくさんものが集まれば、それだけひとも集まるわ。
そして滞ることなく流れていく。風通しがいいから、街も綺麗なのよ」
「おじさんとおばさんは、今どこにいるんだろうなぁ」
「旅してれば、いつか会うこともあるかもしれないわね」
徐行運転のおかげで調子のいいナタリアは、ひやかしに声を掛けてくるおじさんたちをニコニコとあしらいながらウォーレスと話している。
鮮やかな赤い髪と緑の瞳がよく映える明るい顔立ちのナタリアは、かなり目を引くようだ。飲食店なんかで働いたら、憧れの看板娘になりそうである。
キーラはというと、左手にハル、右手にサミュエルという布陣なので、絡んでくる不届き者などいるはずもない。いっそ遠巻きにされてさえいる。
──なんかわたし、両手に猛獣を従えてる感じになってる?
遠目に伺っていた屈強そうな船乗りをチラッと見てみると、慌てて目を逸らされた。おかしい。無害そうな子どもなのに。
そのちぐはぐさがむしろ異様さを引き立てていることには気付かないキーラだった。
出発は明朝ということで、波止場に近い宿で早めに休むことになった。
サミュエルがシャーリーに掛け合ってくれたのか、部屋はちゃんと4つだった。
「今日はひとりで大丈夫か?」
「だ、大丈夫です!」
サミュエルにからかわれて少し驚いたが、なんだか距離が近付いた気がして、キーラは照れくささを隠すように声を張った。
笑いながら頭を撫でられ、おやすみ、と一言。なんでもないやりとりが嬉しくて、少しくすぐったい。
しかしそれを見たナタリアが「照れちゃってかわいい〜」と髪をぐちゃぐちゃにしてきて、ウォーレスまで参戦してきたので、キーラは目を回しながら部屋に逃げ込むこととなった。




