3-4:地の国 サイフォン
膨大な生命の力をその身に宿した蛇がキーラ達の横をゴウ、とすり抜けていく。
サミュエルが強引に赤目の民を振り解くが、間に合うはずもなかった。
誰もが見送るしかない中、大きな影が横切るのをキーラは驚愕とともに目にした。
飛び出した影と蛇が、音もなく衝突し、耳鳴りがするほどの無音が周囲を支配した。
すべてを無に帰す闇を、大地の色をした光が内側から貫き、溶かしていく。
光も闇も消えた後、そこに残ったのは、たったひとつの宝石だった。
それが静かに落下していき、キン、と地面にぶつかった瞬間、キーラは止まっていた音が戻ってきたような気がした。
「シムヴァ様……?」
誰かがぽつりと呟いた。
──シムヴァが。召喚獣が、死んだ。
恐ろしい現実がザワザワと胸の奥に這い寄る。
運命を変えたキーラを呪うかのようだと、キーラは思った。
「そんな……なんで……」
愕然とイサイがつぶやく。
はじめに動いたのはクジマだった。
舌打ちして戻ってくると、地面に倒れたままの赤目の民の頭を平手で叩いた。
「任務は失敗だ。おら、さっさと動けッ!」
まだ信じられない様子で逃げていく赤目の民を、サミュエルは追おうとしたが、死にそうな顔色のキーラを見て踏み止まった。
剣を収めると、細い肩と膝裏に手を差し込んで抱き上げる。
キーラはただ呆然と、まだ輝いている宝石を見つめていた。
走ってきたウォーレスがシムヴァの宝石をそっと拾い上げた。
すると、ウォーレスの聖剣の鞘に付いている宝石のひとつが、ふいに光を放った。
あの宝石は、召喚獣と聖剣を繋ぐもの。
キーラはハッとした。
「ウォーレス! シムヴァを召喚して!」
驚いた様子で振り向いたウォーレスが、聖剣とシムヴァの宝石を見比べた。
そして頷くと、宝石を真上に投げ、聖剣を水平に掲げた。
「遥かなる大地を駆ける獣よ、我が意、我が剣に応え、其の姿を顕せ──シムヴァ!」
宝石が刀身にぶつかる。波紋のように、大地の色に輝いた。
宝石から砂嵐が吹き出し、剣先に竜巻を作っていく。
ふわりと風が晴れた跡に、滑らかな土色の毛並みをした獣がいた。
豊かな4本の尻尾と、知性に溢れたこげ茶の瞳。
額にはウォーレスの手にあったはずの宝石が、光り輝いていた。
「シムヴァ……」
ウォーレスが呼びかけると、シムヴァはそっと頭を下げ、自らウォーレスのつま先に鼻を触れた。服従の証だ。
「ああ、そうか……そうなんだな。よかった……」
ウォーレスが手を伸ばし、額をシムヴァのマズルに押し当てる。
気付くと、キーラは泣いていた。両手が塞がったサミュエルが焦ったようにキーラを見ていることにも気付かずに、にじんだ視界を凝らして、ウォーレスとシムヴァを見つめていた。
▽
「──というわけなんだ」
ウォーレスの説明にナタリアもサミュエルも微妙な顔をしていた。ウォーレスの話を要約するとこうだ。
聖獣の心臓とも言える宝石を壊さない限り、聖獣が死ぬことはない。したがってシムヴァは死んでいない。
ウォーレスの聖剣に付いた宝石は召喚石といい、濃密な土の生命の力が宿っており、それを消費することでシムヴァを実体化した。
土の生命の力が尽きるとシムヴァは再び宝石に戻り、召喚石に土の生命の力が再チャージされるまではシムヴァは喚び出せない。
「だから、シムヴァの心臓である宝石にも力が戻って来れば、聖剣を介さなくても身体を取り戻せるんだよ」
今、シムヴァの宝石は、王城のシムヴァ専用の一室に大事に祀られている。
復活するという話をウォーレスから聞いた王は泣き崩れていた。絶対に守り抜いて蘇らせるつもりらしく、かなり厳重な警備を命じていた。
「それも聖剣が言ってたってわけ?」
ジト目のナタリアに、ウォーレスは苦笑いで頷く。
ナタリアはソファにふんぞり返って足を組んだ。
「怪しい。ものすごーく怪しい!
ねぇよく考えて、大前提としてよ。世界樹の守人は世界樹の根を取り返すために各国を襲撃してるのよね?
なのに、世界樹の枝から生まれた剣が、どうしてそれを邪魔するようなことばかりしているのよ?」
「それはわかんないけど……」
「ねぇどうして? どーうーしーてー?」
「ナタリア、そんなに聖剣を責めるなよ……」
聖剣にガンを飛ばすナタリアをウォーレスがなだめる。
考え込んでいたサミュエルが口を開いた。
「聖剣に宿るものの声の主は、我々の知らぬことをよく知っているようですね。やはり世界樹の意志と考えるのが妥当でしょう」
「俺もそう思う。だとすると、赤目の民は世界樹の意思に反して動いているのかな?」
沈黙が落ちる。ふと、ウォーレスの目がキーラに向いた。
「そうだ、キースにも聞きたいことがあったんだ」
「……っ」
キーラは思わず身を縮めた。
ウォーレスの澄んだ青緑の目が、ジッとキーラを見つめた。
「どうしてキースは、シムヴァを召喚できるって知っていたんだ?」
キーラは内心でうめいた。
あの時は動揺しすぎて、うっかり叫んでしまったが、どう説明したらいいものか。
ゲームでは、レフも召喚獣を使っていた。
だから多少無理があっても、赤目の民に聞いたと言うしかないだろう。
キーラは動揺を見せないように、しおらしく口を開いた。
「サミュエルさん、ぼく、赤目の民に人質にされましたよね?」
「ん、ああ、そうだな」
「その時、シムヴァの啼き声を聞いた人達が話しているのを聞いたんです。
シムヴァもリーダーの召喚獣にできれば……って」
「リーダーって、あの茶髪の男か……?
そうか、あいつも召喚を……あれ? そういえば今日は、あいつの姿がなかったな」
ウォーレスがいい子すぎる。いつか騙されて変な壺を買ってきたらどうしよう。
心配なのはナタリアとサミュエルだったが、ナタリアの興味は別のところに行ったようだった。
「キースったら人質にされたの? 意外と間抜けなのねぇ」
「うう……」
「彼らも聖剣に近しいものを持っているとしたら、かなりやっかいですね。召喚石は属性ごとにひとつずつあるようですから、残りの枠も埋められるか検証する必要がありそうです」
サミュエルも信じてくれたようだ。キーラはこっそり息を吐いた。
▽
休むために客室に行くと、サミュエルが言いにくそうに言った。
「今更だが、君はひとり部屋がいいのではないか?」
本当に今更だった。キーラは首を横に振る。
「どうせ明日発つんですし、大丈夫です」
「しかし……」
サミュエルは何やら深刻そうな顔をしている。
キーラは、あっと声を上げた。
「あの、今日はサミュエルさんの足を引っ張ってしまって、すみませんでした!
ぼくのせいで怪我までさせて……」
「ああ、気にするな。こんな精霊術で治すまでもない傷など、ないに等しい。それよりも君に怪我がなくて本当によかった」
サミュエルが優しく笑う。
キーラはいたたまれずに視線を落とした。
騙したこともそうだが、キーラはサミュエルが任務のために自分を殺すかもしれないと怯えた。この人は敵に対しては容赦ないが、仲間は大切にする。そんなことも忘れて怖がってしまった自分がキーラは情けなかった。
サミュエルの大きな手がポンと乗せられた。
屈んでキーラと目線を合わせてくる。
「私の方こそ、怖い思いをさせてしまってすまなかった。
守ると約束した矢先に……男としてこれほど情けなく恥ずかしいことはない。……この旅が恐ろしくなってしまったか?」
たしかに、あれほど怖い思いをするとは思わなかった。
死を、痛みを間近に感じて、足が竦んだし、何度も気が遠のいた。
それでもすべてが終わってみて感じるのは、力も覚悟も足りない自分に対する失望と、苛立ちだった。
誰かの命を救うために、他が犠牲になるのなら、キーラのしていることに意味はあるのだろうか。
自分はもっと上手くやれると思っていたし、その自信もあった。
結果的には誰も死ななかったけれど、なんのことはない。
キーラのしたことはただ、場を引っ掻き回してサミュエルの任務を妨害しただけだ。
下手をすれば気を取られたサミュエルがやられる可能性だってあった。
今後は敵ももっと強くなってくる。
その中で命を救おうと思うなら、キーラはそれ以上に強くならなければならないのだ。
下手な人間が命を救おうとしたところで、その人も自分も死ぬだけ。今日、身体に刻まれた恐怖を、痛みを、死を、キーラは絶対に忘れてはいけない。
「思い上がっていた自分が、恥ずかしいです。
ぼく、もっともっと強くなって、サミュエルさんもみんなも守れるようになりたい」
切実な想いをつぶやくと、サミュエルが微かに息を飲むような気配がした。
あの時、青ざめて震えていた非力な子どもの言葉とは思えなかった。
サミュエルはきっと、キーラの心は折れてしまっただろうと思っていたのだ。
サミュエルは頭に置いていた手をどけて、両手でキーラの手を取った。
「まだまだ小さな子どもだと思っていたが、君には驚かされてばかりだな。
まるで蛹が蝶に姿を変えていくところを見せられているかのようだ。繭に隠れた美しい君に、今まで気付くことができず、すまなかった……レディ」
キーラはぎょっとした。




