命の価値は
帝暦404年1月11日
朝から片手間に仕事の書類を眺めていると、数日前化捜索に出ていた部下の一人であるイクシオンが戻ってきた。
以前見掛けた際は小綺麗な黒スーツ姿だったはずだが、あちこちに泥の汚れが垣間見える。
彼の事だ、恐らく軽い喧嘩の類いでもしたのだろう。
「随分と報告が遅かったな。
それで、ヘリオスは見つかったかイクシオン?」
「いや、まだ見つからない。
俺は諦めて、王都に詳しいシルフィードに一任した。
全く、昨日の騒ぎで奴かなと期待してたら全然違うガキだったしさ……。
流石に知ってるだろ?
シラフ・ラーニル、例の新入りの十剣だよ」
「ああ、彼の息子か………。
他の者達と違って、何の力に選ばれたかは分からなかったが………。
やはり、あの件が関係していたみたいだな」
「彼を保護したあの一件、十年くらい前のでしょう?
正直、生きてたのが不思議なくらいだ。
焼死体の妻を背負って、自分の命も危うい事も承知で治癒魔術を扱った。
腹の中にいた、赤ん坊は奇跡的に救われた。
あの現場に立ち会ったのが、もう少し遅れてば親子共々亡くなっていたでしょうね」
「彼はよくやっているよ。
しかし、厄介者である事に変わりはないさ。
彼というよりかは、その息子の周りだが………。
特にシファ・ラーニル、彼女が一番厄介な存在だ。
組織から抜けたとはいえ、十剣や教会に未だ顔が効くときた。
こちらの確認した全ての世界線において、彼女は我々に立ちはだかり、計画は阻止されてきた。
172万6549通りに及ぶ世界線を演算、その全てが彼女によって阻まれた」
「たかが、混血種の女でしょう?
幾らクロノスを扱えるとはいえ、あなたならクロノス程度なんとでもなるはずだ」
「クロノスをどうにかしたところで、彼女自身の持つ力に対応出来ない。
抑え込むにも、正直ヘリオスが5人分は欲しい」
「5人って……。
アレと5人も顔合わせるなんて、考えたくもない。
素直に核でも使いましょうよ?
一応、チャールズの残党が残した核は幾つか備えてるんでしょう?」
ポケットに片手を入れ、チップ用の金貨を一枚取り出し軽く上に放りながら私は言葉を返す。
「アレがわざわざこちらの使えるように置いとくて思うかい?
確かに核は便利だが、使うと色々と問題がある。
人権云々な倫理観は抜きに、経済的な面で言えば都市部に落としてその後の経済活動に支障が出る。
いつの時代もやはり金は重要だよ」
そして上に放り投げた金貨を、イクシオンの方に投げ渡す。
ソレを難なく彼は受け取ると、金貨を自分のポケットにしまい込んだ。
「まぁ、それはそうですね」
「サリアに滞在している間に、何としてでもヘリオスだけは回収しなければならない。
彼女を野放しにすれば、我々の動きに支障が出かねないのは事実だからな。
最悪、彼女を殺しても構わないよ。
なに、バックアップは幾らでもあるさ」
「はいはい………わかっていますよタンタロス殿。
いや、ビーグリフさん。
あの人を殺すのは、少々心が痛みますがね」
●
帝暦404年1月10日
一通りの予定を終えて、私達は夕食を一緒に取ることになった。
「はぁ、仕事放り出して本当何やってるんでしょうねあの馬鹿シラフ先輩は……」
「確かにそうよ、でも………。
行く先々でここまで逆鱗に触れる話題にしかぶつからないのは流石に引き始めましたけど……。
彼、もしかして悪魔でも取り憑いてるんじゃないのかな……。
ハイドもそう思うよね?」
「あはは………」
愛想笑いを浮かべて会話を流そうとする、ハイドという人物。
なんか、シラフ先輩もよくする仕草なので少し鼻に付くが、気にしてもしょうがない。
いない人の事を考えててても、目の前の豪華で美味しい食事の味が無駄になるだけだろうし……。
「…………」
「アクリさん?」
「どうかしました、ミルシア様?」
「シラフを護衛から外してもいいかしら?」
「シラフ先輩の勤務態度が問題だからですか?」
「明日の予定が王家への挨拶というものなので」
「王家って………」
「ほんと、あの人やっぱり呪われてますよ。
アクリさん、彼の事頼んでも良いですか?
今の彼が王家に接触するのは、危険極まりないです。
私がサリアから離れる前に、大きな騒ぎになるのは嫌ですし……。
それに……」
「それに?」
「実の家族と、恋人の家族を天秤に掛けられるのは酷な話ですから。
どちらかに振り切る前に、どちらも振り切らないまま問題をやり過ごさせてあげたいんです。
私と違って、家族や王家との仲は良好みたいでしたから………」
「いきなりな話ですね、つい最近まで胸ぐら掴んで殺しに掛かっていた人と同じ人間とは思えませんけど」
「………わかっていますよ。
でも、今の私に彼をわざわざ恨む理由はありません。 家族を失って間もないからこそ、今の彼には少しでも平穏な時間を与えてあげたい。
それが今の私に出来る事です」
「そんなの無理ですよ。
あの様子だと、いずれは問題は衝突しますから。 ミルシア様が彼に平穏な時間を与えたいとお考えになっても、あのシラフ先輩は勝手に問題に巻き込まれてしまいます。
私達が何かをしたところで、変わりませんよ」
「それは………」
「それにです。
ミルシア様に出来るのは歌う事でしょう?
だからせいぜい、彼に恥じない歌を披露して下さい。 あなたは歌姫なんでしょう?
その歌で、一時の平穏を彼に与えられるのはミルシア様にしか出来ない事ですから。
それに比べたら、私はただあの人にちょっかいかけたり、距離を置くくらいしかできませんので」
「………」
「先輩の事です、どうせすぐに立ち直ります。
この国や世界がどうなろうと、あの人は自分のやるべき事からは逃げませんから。
最も、明日の予定に関してはちょっと避けた方が良いかもしれませんけど……」
ミルシア様の食事の手が止まり、何かを考え始める。
まぁ、大した教養も無さそうでしたし……。
何か考えたところで、無駄な思考に他ありませんけど
「アクリさん………」
「なんですか?」
「ルーシャ王女との時間を取れるように出来ますか?
彼女と彼は一度話す機会を取るべきだと思いますので……。
シラフいや、ハイド・カルフがこれから何をするにしても、ルーシャ王女とはお互い話し合うべきでしょうから…………」
「それはそうですけど……、でも話す時間なんて……。 あ、でもなんとかなるかも………。
教皇様が言ってましたよね、私がルーシャ王女に変装してたって……。
確かに、変装すれば1日くらいはなんとかなるかも」
「頼めますか?」
「構いませんけど、ルーシャ王女の護衛が甘くなると思うんですよね………。
ほら、シラフ先輩と一緒だとまた問題舞い込んで来そうじゃないですか?」
「あー」
「王女の護衛は今は確かテナさんが担当してるので、彼女にも同行してもらいましょうか………。
居ないよりはマシだと思いますし……、まぁ問題は私なんかがどうやって王女と引き会えるのかってところなんですけど……。
シラフ先輩に頼んでも多分、余計な事はするなとか言いそうですし、特に今の先輩なら尚更そう言うと思います。
他の人達に掛け合うとしても、私自身に何かのコネがある訳じゃ………」
そこでふと一つの代案が浮かんだ。
しかしこれは、私のプライドが許さない。
この手は絶対にナシ。
でも、コレしか多分今の王室に入り込む余地はない。
「…………アクリさん?」
「まぁ、しょうがないか……。
やってやりますよ、下手な騒ぎを起こすよりかは穏便な手段なので、いちいち一個人のプライドを優先してもしょうがない話ですよね……」
「えっと……とりあえず出来そうなんですか?」
「まぁ、出来ない訳じゃないです。
私個人としては、すごい嫌ですけど………」
「………無理はしないでね」
「大丈夫ですよ、私が少しプライド捨てるだけで一国が救えるなら安いものなので………。
まぁ全部終わったら、一ヶ月くらいシラフ先輩を扱き使うくらいはしますけど……」
「あはは………。
あの、具体的には何をするおつもりで?」
「今王都で体調不良で病欠してる子が居るので、その子に変装して王宮に出向こうかと。
元々ラークからの来賓として招いた人の代理なので、ある程度は顔が効くはずです。
元々ルーシャ王女とも親交はあったので、その子の真似をすれば容易に近づけるかと」
「確か、船で会った例の古い幼馴染だったクレシアって人ですよね。
アレ、でも同じノワールで顔も瓜二つだからてっきり双子かなのかと………」
「姉妹じゃありませんよ、あんなの……。
偶然、似たような顔の同じ姓を持って生まれたってだけなので。
年齢だって、実際の方がずっと下ですし双子とか絶対ありませんから………。
とにかく、この件は私に任せて下さい。
ハイドさん、先輩の護衛の件は明日明後日くらい急に予定が入ったので護衛から外れたって事でお願いします。
当日は正直どうなるかわかりませんけど……」
●
帝暦404年1月11日
「という訳で、クレシアさん。
今日明日程、あなたの顔と立場を借りても良いですよね?」
翌日の早朝、私は彼女の泊まる宿に出向いて軽い見舞いの品と、この数日あったシラフ先輩についての事を洗いざらい説明した。
そして、ルーシャ王女を彼に巡り合わせる為の王宮に潜入する手段に顔を借りたいという事を……。
宿の一室に入って率直に感じたのは、なんというか最初にあった頃に感じた違和感の原因がようやく分かった気がした。
この人、私の似た顔を持った上に先輩と同じなのだ。
だからこそ、私はコイツを嫌悪した。
私にとって、絶対にあってはならないこと。
ソレを恐らくだが本人も自覚している。
今は体調不良で誤魔化しているが、単純に身体が割と限界に近いのだろう。
何故ここに付いて来たのか、そもそもよく両親が外出を許可したのか……。
元々の地位を考えれば、おかしいことこの上ない。
「わかりました、そういうことならお願いします。
あの、当日も顔出せるか分からないので可能ならその日もお願いしたいです」
「…………」
「アクリさん?」
「その身体のこと、他の方はご存知で?」
「身体は元々あまり強くないので、だからえっとその………。
それに、この時期はどうしても体調不良は多いんです、今までがむしろ身体の調子が良過ぎたくらいで」
「父親はお医者さんですよね?
何も言われなかったんですか?
それとも、家出とかしたんですか?」
「えっと……それは……あはは……」
「とぼけないで下さい。
よくその身体でこの国に来ようとしたんです?
そっちのあなたはそれがわからない程のお馬鹿だったんですか?」
「………元々、サリアにはシラフの両親へのお墓参りで一度行きたいと思ってたから………。
あの時ちゃんと行けば、ここまで寒い時期に行かなくて済んでたっていうのは勿論わかってた……。
私がわがままを言えば、両親も多少は許してくれるって………。
でも、その度に少し辛そうな顔をするから直接言えなくて……引きずってたら、いつの間にかこんな時期になって………。
やっと行けたにしても、こんな身体だから……」
「この際はっきり言います。
クレシアさん、あなた本当に死にますよ。
せいぜいあと一年そこらとかじゃないですか?」
「一年、そっか………もうそれくらいなんだ私……」
そう言って、目の前の女は何処か諦めたように幸の薄い笑いを浮かべた。
私と同じ顔で、私と同じ声でこの女は………。
「面会、どうして私は通したんです?
シラフ先輩とか、お忍びでルーシャ王女も訪れてもあなたは断ってたんでしょう?」
そう、この女は私以外との面会を断っていたのだ。
面会を通さないのはこの部屋を見れば分かる。
薄暗く、病院特有の薬品の匂いが漂う部屋。
そして、とてもじゃないが健康的とは言えない肌の色味をしていた。
化粧で誤魔化すとしても病室出来る事など程度が知れている。
故に、部屋自体を暗くする事で誤魔化していたのだ。
「…………。」
「まぁいいです、要件は済みましたから。
許可は取れた借りとして、今回の事は内密にしておきますので。
ただ、いつまでも続くとは思わないで下さい。
遅かれ早かれ、あなたは死ぬんです。
とうに手遅れかと思いますが、自身のご友人の事を思うなら早めの行動を推奨します。
せいぜい身体にはお気をつけて、それではまた……」
私はそのまま立ち去ろうとする。
「待って……」
しかし、彼女は呼び止められる。
「何か言い残した事でも?」
振り返らずに、私はそう訊ねた。
しばらくの沈黙を経て、かすかな声で返答が聞こえてくる。
「あなたはどうして私を嫌うの………」
「私は誰よりも強くなきゃいけなかった。
弱ければ価値はない、より強く、より賢く、より優秀でなければ私に存在価値は皆無。
だから嫌いなんですよ、私より弱くて、私より馬鹿で、私より劣っている。
なのに、なのに………生まれながら恵まれた場所にいるあなたの事ががずっと嫌いだった」
「…………」
「私、知ってたんですよ?
あなたのこと、ノーディアから聞かされてました。
私とよく似た女の子がいる、身体の弱くて、マスターの知人の娘に、そんな子が居るって……。
その顔で、その姿で、今にも死にそうな身体を晒して、何がしたいんですか………?
可哀想な私アピールでもして、それが今の私への当てつけのつもりですかね?
まぁ、どうせあなたは一年そこらで死ぬでしょう?
ソレを今も隠したところで結果は変わらない。
そんな姿を晒す事になったのは当然の結果、わかりきったものでしょうね……。
でも、ご友人達が大切に思いこのサリア王国にまで来たんなら………。
もう少しくらい生きる努力をして下さいよ、クレシア・ノワール……。
何の為に、何がしたくて、あなたはここに来たんです?
無駄死にする為に、自分が死ぬのがわかってるから、全部投げ出してこの国へ?
なら、あなたの身投げに私達を巻き込まないで下さい。
勝手に、目の付かないところで死んで下さい。
クレシア・ノワール、私は………。
私はオリジナルのあなたが何をしょうが、私があなたの代用品として作られた事実は変わらない。
でも、ふざけた理由で自らの命を無駄にするなら?
私があなたの代用品としてあなたの母親にホムンクルスとして生み出され、この数年間で私が奪ってきた数百近い同じように生まれたホムンクルスの命全てと、ソレを正当化してきた私に対しての侮辱そのものです」
「っ………」
「………、少し熱くなり過ぎましたね。
では、せいぜいお身体にはお気をつけて………。
でも、さっきの言葉は全部本音ですから」
これ以上、何も話すことはない。
やっぱり私は、この女が嫌い。
荒ぶった気持ちを落ち着かせ、そのまま私はこの部屋を去る。
これ以上何を言っても、無駄なのだから………。