ただ一人、生かされたモノ
帝歴388年9月16日
気付けば帝都に訪れてから2ヶ月近くが経っていた。
帝都の調査は粗方終わり、マルルタイトに侵食された研究資料及び使えそうな実験器具の回収も終わる目処が立ちつつある。
しかし、グリモワール本体に関しては回収は愚か現物の位置を把握出来ずにいた。
「………、やはり秘匿区域に向かう必要があるか」
いつもの不味い食事を貪りながら、私はそう呟いた。
目の前の小さな明かりに視線を向け、今後の方針を考える。
現在、帝都の75%程を私が生み出した簡易ゴーレム等によって調査を終えていた。
地上に存在する表層都市に関しては、宮殿を覗いたほぼ全ての区域のマルルタイトによる汚染被害状況を把握出来ている。
問題は地下区域、秘匿区域と隣接している帝国の地下深くに存在している場所である。
地上の表層都市程には無いにしろ繁華街は非常に発展していたのだが、表層都市以上に貧富の差を生み6割以上がスラム街と化していた場所である。
先代皇帝が、かの場所の再開発事業に手を伸ばすもスラム街の住民との抵抗が強く進まずにいた。
結果、当時私を含めた八英傑は地下区域の制圧に向けて動いた程である。
「表層都市の被害はまだどうにかなる。
問題はやはり地下か……」
簡易ゴーレムから送られる地下区域の被害状況はかなりのモノ。
少なくとも人間が住む事は不可能に近い事は確実、こちらの持ってきた防護服程度であの場所の汚染に耐えられるとは思えなかった。
「やはり、宮殿から地下に向かうのが最短……」
あの場所にグリモワールは残っている。
あの場所以外のほとんどは調べ尽くした。
いや、あの場所に向かった彼等を最期に私は見ていたのだから………。
「マスター、おかわりは必要ですか?」
「………いや、いい」
「了解しました」
私はそう答えて、残ったカップの中身を飲み干した。
「シン。
明日の朝、いよいよ宮殿に向かおうと思う」
「マスター、本気ですか?
しかしあそこは既に………」
「グリモワールの回収が終わっていない。
場所も粗方見当は付いている。
しかし、身体が保つかどうか………」
「…………」
「いや、後先考えてもしょうがない。
残された時間も大して変わらない、なら覚悟を決めて行く他ない」
「マスター、しかしそれでは……」
「決定事項だ、遅かれ早かれ行く場所なんだ。
それに早く用事を済ませなければ、回収したサンプルの状態が悪くなる。
私もあまり長くはない、既にアレに身体を蝕まれているんだからな」
「では私も参ります」
「いや、君は残れシン。
そして、その日の日没までに私が戻らなければ入口を破壊しろ」
「っ!?」
「アレは私以外の手に渡ってはいけない。
グリモワールは帝国の、いや私の一族が代々語り継いできた人類の知識と罪そのものだ。
私以外の手に渡る可能性の全てを排除しなければならない代物。
だから、私が戻らなければ私ごとグリモワールを葬るんだ」
「了解致しました。
私はあなたの意思を尊重します」
●
帝歴488年9月17日
その日の朝、防護服を身に纏い宮殿の入口に私は立っていた。
あの日の面影を僅かに感じる。
かつて世界を支配した象徴でもある場所。
マルルタイトに酷く汚染された、皇宮オラシオン。
400年近い歴史上、世界を支配し続けたなりの果てである。
「………、ああ本当に懐かしいな……」
僅かに震える手を抑え、私はすぐ後ろに立つ彼女に最期になるかもしれない言葉を告げる。
「戻れたら、いつものコーヒーを頼む」
「はい、お待ちしておりますマスター」
軽く会釈をすると、彼女は私の元から離れていった。
残された私は軽く息を吸い、吐く……。
「さてと、昔の仲間に会いに行こうか」
軽く腕を天に掲げると、魔法陣が出現し翡翠の杖がその手元に現れる。
手に取り、杖の先を地面で軽く小突き新たな魔法陣を出現させる。
防護結界、気休め程度の御守りだ。
帝都全体を覆うマルルタイトを解析し、私なりにそれに対する性質を兼ね備えた防護結界である。
防護服の上から付与することでマルルタイトからの侵食を80%程抑える事が出来る。
代わりに、覚えたてなので魔力の消費及び遠隔操作している簡易ゴーレム等の制御を止めなければならない。
「もう少し器用に出来れば良いんだが………」
これでも50万程の術式を使ったモノで、本来なら200人余りの魔術師団が協力してやっと一人に付与出来れば良い方のモノ。
我ながら一人でよく使えるところまで落としたんだが、実用性は現状ほぼ無し。
まぁ、向こうに戻れたら改良すればいいか。
「さぁ行こうか、ノエル。
私のかつての仲間達を迎えにな………」
●
宮殿の中はかつての姿をそのまま残していた。
マルルタイトの濃度は外の二百倍近く。
防護服とこの術式が無ければ即死だ。
「………」
かつての記憶を頼りに、私は秘匿区域への入口を探していく。
場所は数度だけ足を運んだ程度。
そもそも、秘匿区域と呼ばれる程に一部者を除いて立ち入りが禁止されている場所なのだ。
それは管理下に置いていた私の一家は愚か皇帝すらも立ち入る事を禁じられている。
入る為には、八英傑全員の承認。
皇帝及び帝国上層部からの許可を得なければならないが、許可が下りる事はまず無い。
そんな場所で彼等は今尚も残されているのだ。
記憶を頼りに宮殿内部を進むと、拘束具である数多の鎖が切り裂かれ、向こう側への道が開かれた下へと続く螺旋階段が目に入った。
「ここに来るのも3度目か………」
一度目は両親の存命時に存在を知り入口を見た程度。
二度目は、地下街との抗争時に初めてその内部に立ち入った。
そして、今回が3回目である。
最深部へ向かう入口は地上と地下の2つに分かれて存在している。
誰が何の為に設計したのか、今はその意図を知る良しはないが少なくとも何からの人為的な目的で設計されたのは確実だろう。
世界樹と呼ばれる存在が旧時代に人類が生み出した代物であるのはこの世の最高機密情報として扱われているからだ。
そして、世界樹としての本来の外見を失いつつも機能を保っているのがこの帝都の中央に位置する皇宮オラシオンである。
この地下に存在する核と言える場所は長らく不可侵の領域として扱われている。
「………」
そんな世界の理に近い場所に私は向かっている。
非常に高いマルルタイトの濃度に結界が保てるか不安を覚えながら私は更に地下へと足を踏み入れていく。
時間の流れを忘れる程に地下深く進んで行くと、マルルタイトの濃度を図る計器に異常が起こり始めた。
スーツの保てる危険域に達したかに思えたが、ある深さを超えると内部の濃度が下がり始めたのである。
「世界樹の近くは濃度が低いのか?」
地下深くへと更に進むと、計器の値は更に下がっていく。
そして最深部の部屋の入口前に立つ頃にはマルルタイトの濃度は0を示していたのである。
巨大な鋼鉄の扉を前に私は入口に指を掛ける。
扉の開け方は生前の両親から一応教わっている。
とある魔術を施すことで開くモノだと。
「腐った死体は正直見たくはないんだがな」
かつて教わった魔術を扉に施すと、ゆっくりとその扉はその内部を私に見せつける。
円柱状の巨大な機械が存在しており、円柱を囲うように巨大な魔術の結界が施されていた。
常に内部は光輝き、夜が存在しないような空間。
ふと、私は何らかの視線を感じた。
入口のすぐ横の空間で壁により掛かる何者かの存在。
私は慌ててかの存在に大して杖を向け存在を目視で確認する。
床まで伸びた長い藍色の髪、黒く原型を無くした何かを抱える女の姿がそこにはあった。
「…………あ………あなたは………」
「っ!お前、生きて………」
「遅すぎますよ、いつもあなたは………。
私、もう来ないかと思ってましたよ………」
黒い何かを抱える女は私に視線を向けた。
酷く痩せこけ、かつての面影を無くしたかに思えたがアレは確かに彼女本人だった………。
「ルキアナなのか……」
「お待ちしていましたよ、ノエルさん」
●
ルキアナ・クローリア。
八英傑であり、元々は故郷を失ったラウの秘書として身の回りの世話をしていた人物である。
しかし、紆余曲折の果てに彼女は彼と同じ道を志すようになりとある事故を境に生死を彷徨うも、私の気まぐれで息を吹き返した。
体内に埋め込まれたグリモワールの力により、神器の劣らぬ世界の行方を左右しかねない強大な力を手にした人物であった。
「あれからどれくらい経ちましたか?」
「今は帝歴388年、もう5年近くは経っている」
「5年ですか、あはは……。
そうですか、なのに私死んでないんですね……」
「…………」
「覚悟はしていましたよ、力を得る代償くらいわかってました。
でも、やっぱり辛いですね。
そっか、私死ねなかったんだ………。
彼はもう動かないとわかってたのに……」
「…………」
「帝国はどうなっていますか?
他の皆さんは?」
「八英傑で生き残っているは私と今目の前に居る君だけだろう。
運良く、ラークに逃れたアイツを除けばだが……」
「そうですか………」
「地上には戻ろうとしなかったのか?」
「登る途中で体調が悪くなるので、でもそっかあなたの今の姿を見ていると地上の状態は酷いみたいですね」
「ああ、もうかつての面影はない」
「皇帝を含め、あなた弟さんも彼も死にました」
「………そうか」
「皇帝は玉座の間にて自決を………。
ラウとノイルは、ここで戦って………」
「………」
「私が抱えてるのは、二人の遺品です。
遺体は私が処分しました、あんな姿のままここに残すのもあれでしたので……。
これが彼等の遺体代わりになるかと」
彼女はそう言うと抱えていた黒い包みを広げた。
その中には、折れた剣と銀製のロケットペンダントに加えてそのチェーンに掛けられた指輪がそこにはあった。
「………」
「剣はノイルさんのです。
この首飾りと指輪は彼のモノです」
「そうみたいだな」
「………。
ノエルさん、私頑張りましたよ……。
ずっと此処を守ってきました。
帝国を、ラウが守りたかったこの国を………」
「ああ……君はよくやったよ。
本当によく頑張った……。
だからこそ、本当に済まなかった………。
君達に全てを背負わせてしまった………」
「帝国は滅んだんだ………。
もう、この国は終わったんだよ」
「はい………。
でも、あなたはここに来てくれました。
それだけで私は充分です」
「…………」
「だからノエルさん。
私を殺して下さい。
あなたの手で、私を終わらせてください……」
「生きて地上に戻る選択肢もあるはずだ。
少し時間は掛かるかもしれないが………」
私がその先の言葉を告げようとするも、目の前の彼女は防護服に覆われた私の手を優しく握ってきた。
その瞬間、私は彼女の現在の状態を理解した。
「っ…………」
両足が無くなっていた。
そして、右手も指が欠けている。
私の手を握ってきたその左手も小指が欠けていたのだ
「私、あなたには感謝してるんですよ。
どんな形であれ彼の為に、彼の隣に立てる時間をくれたノエルさんには………」
「やめろ…………」
「沢山沢山大変な事があって、でも彼や他の皆さんと一緒に過ごせた時間がとても楽しくて……。
だから、私は………」
「やめろと言っているだろ!!」
「ノエル……さん」
「やめてくれ。
私は君の思う程、善人じゃない。
私利私欲の為に動く俗物だ。
毎日浴びるように酒と惰眠を貪ってきた馬鹿な女だ」
「それでも、あなたに救われました」
「だったら、生きようとしろよルキアナ!!
アイツが、ラウがそんな事を君に望む訳がないだろ!!」
「身勝手なのはわかってます。
でも、もう疲れちゃいました私………。
生きるのが辛くて、たった一人でコレを抱えて長い時間を過ごして……。
沢山泣いて、沢山吐いて、沢山苦しんで、生かされ続けて……なんか、もう分からないです」
「だから私は………、やめておけとあれほどに………」
「あなたは優しい人です。
だから、私を助けてくれた、力をくれた。
この国の人達を助ける為に動き続けた。
普段はちょっとお酒飲み過ぎたりして、危なかっしい人ですけど、でもそんな貴方の不器用な優しいところに私達は何度も助けられました」
「っ………なんでそんな………私は………」
「ノエルさん」
「何だよ………ルキアナ……」
「ありが……とう………」
その言葉を最期に、ルキアナ・クローリアは静かに息を引き取った。
彼女の温もりが無くなるまでその手を握り続けた。
そして、思うがままに私は泣き続けていた。
何故生きていたのか、何故私は生かされたのか。
誰かその答えを私に教えてくれ………