惹かれ合う、力
帝歴403年12月28日
視界も意識も混濁としている中で、自分を呼び続ける声が聞こえてくる。
「……ま!!……様!!
シラフ様!!」
「っ!」
意識が戻り声の主を確認すると、先程まで会話していた天人族の少女、リノエラの姿がそこにあった。
「リノエラ……なのか?
じゃあさっきの男は……それにリンの声は……」
俺の言葉に対して、彼女は首をかしげつつも口を開いた。
「一体何を言って……。
宝石から放たれた光に包まれた瞬間、シラフ様はいきなり倒れたんですよ!!
一時間以上も気を失って……、どれだけ私に心配を掛けるつもりなのですかシラフ様は!!」
「あはは……。
だが、神器との契約を勧めたのはそっちだろう……」
「それは、確かにそうですが……」
俺は彼女にそんな事を言い返し、ゆっくりと立ち上がった。
そして、既に冷めきっているであろうカップに残された茶を一気に飲み干し僅かに渇いた喉を潤す。
しかし、ソレからは苦みも僅かな甘みすらも感じない。
やはり謎の空間で出会ったプロメテウスの言った通り、自分の身体から味覚が代償として消え去っているようである。
「まぁ……、流石にこれは仕方ないか……」
俺はそう呟き、改めて自身の右手に握られているひし形の赤い宝石を見つめる。
以前までの禍々しい光は無くなり、真紅の煌めきを宝石は放ち続ける。
宝石本来の輝きを取り戻したソレに、リノエラは思わずソレに見とれている様子であった。
「まさか……、本当に神器の穢れを……」
リノエラの言葉に俺は、しっかりとした確証は無いがその宝石の色から大丈夫そうだと判断し返答する。
「そうみたいだな。
で、俺が死ぬまでは俺が契約者として所持していても構わなんだろ?」
「ええ、その為に私が監視役も兼ねている訳です。
と言うよりは、介護役という方が正しいでしょうね」
「介護役だと?」
「契約の代償についてはご存知でしょう?
代償が大きいならば多少なりとはいえ日常生活には支障が出ます。
状況が状況ですので、シラフ様の日常生活の不便が原因でいざという時に力を発揮出来ない状況ともなれば神器を与えた意味がありませんのでね」
「それは、随分なご厚意な事だな……。
だが、代償についてはさっき把握した。
リノエラが何かしたところで意味はない」
「どういう意味ですか、シラフ様?」
「今回の契約の代償は味覚だ。
つまり食べ物とかの味を感じないんだよ。
さっき、俺が冷めた茶を飲んでただろう?
一応それで察しはついたんだ」
「っ……、そんなの不便どころの問題ではないじゃないですか!!」
「まぁ契約の代償がソレなんだからしょうがないだろう?
悔いたところで、何も意味はないだからな」
「……じゃあ今すぐにでも契約を取り消すべきです」
「いや、契約の取り消しは不可能だ。
神器の契約は契約者本人が死ぬまで継続される。
だから、この代償は俺が死ぬまで背負うモノなんだよ」
「っ……?!そんな……」
リノエラの反応から、やはり神器についての正確な知識については欠けていると俺は気づいた。
天人族の中で、いや彼女の属する四大天使という組織の中で彼女に対しての秘匿あるいは、これまで契約者が居なかった故の弊害が起こっているかもしれない。
「まさかリノエラは、この神器について何も知らなかったのか?」
一応、彼女に直接聞いてみると……。
苦し紛れに、彼女はこの神器についての経緯の説明をし始めた。
「いえ、その……。
このプロメテウスという神器は我々の儀式において重要な宝物の一つです。
本来、誰かとの契約をさせる為ではなく天人族のみが長年に渡り管理していたモノです。
そして、天人族は外界との関わりを断っていました。
故に、神器とは祭典において使われる宝物であり、特別な代物という事しか長らく言い伝えられていました。
ソレを契約によって完全な支配下におけるのは貴方達人間、あるいはシファ様のような混血の異種族である事実は異種族間戦争時代より語り継がれていましたが……。
契約により代償が生じる事は私も一応は存じて理解していました、ですがそれが生涯に渡るなんて私はその事を何も知らされていなかった。
本当なんです、だから………!!」
彼女の表情から、かなり今の状況に対しての焦りに満ちているのが分かる。
だが、このまま話が進まないのも問題がありそうだ。
故に、無理矢理にでも話を進める事にする。
「いや、今更そこまで言わなくてもいいよ。
やはり、そちら側でも色々と齟齬があるみたいだな。
それより、契約云々はひとまず終わったんだが……。
何か他に用はあったりするのか?」
「それよりって……、
っ……、何故そこまで冷静で居られるんです?」
「何故って言われてもな……、時間的に問題ないなら少しだけ稽古の相手を頼みたいんだが、リノエラの予定は大丈夫か?
時間的に、帰りは遅くなるかもしれないが……」
「そのくらいの事でしたら構いません。
喜んで稽古のお相手を務めさせて頂きます」
●
それから俺達二人は例の西の荒野へと向かった。
既に暗く、そして身体が凍てつく程の寒さの中。
凍った大地の上には、俺とリノエラの二人の姿しかない。
ここまでの移動方法にはリノエラの空間転移魔術によるものである。本来なら数時間以上片道で掛かるところをものの一瞬で辿り着いてしまった。
空間転移の魔術はかなり高難度であり、並の魔術士でも数人掛かりが必要。
魔導工学を用いて物流に活かす研究がこの学院でも行われている程なのだが、通常の人間よりも莫大な魔力を有する彼女だから出来る技なのだろうと感慨深く思った程だ……。
「稽古のお相手というのは、恐らくプロメテウスの力を試したいのでしょう?
力の扱い方は分かりますか?」
「まぁ、なんとなくはな……。
まず初めに、元々持っていた神器の力から使ってみる事にするよ。
この前の戦い以降、色々と立て込んでて一切使っていないからな」
「了解しました。
私に遠慮せず、全力で向かって下さい」
「ああ、相手を頼むよリノエラ」
俺はそう言い、自身の左腕に嵌められた赤みを帯びた腕輪に意識を向けて魔力を込める。
僅かに目を閉じ、精神を研ぎ澄ませる。
「……神器解放」
自身の告げた言葉と同時に全身を炎が包み込み、そして弾けた。
炎の衣を纏い、右手には真紅に燃え盛る炎の剣が現れ圧倒的な魔力、威圧感、そして存在感を放つ。
既に辺りが暗いからか、自身から溢れる炎が灯りとなり自分の周りだけが昼間のように輝いていた。
「なるほど、これが例の深層解放ですか……。
これが解放者の力……、確かに一国の行方を左右すると言われる程の威圧感ですね……」
「一応、もう一段階上もありますがね……」
そう言って俺は更に自身の魔力を引き上げる。
炎の衣が激しく煌めき、己の背中に蝶の羽を思わせる巨大な炎の羽が顕現する。
自身の髪の毛も同時にかなり伸びていき、長いオレンジ色の髪の毛が炎の煌めきと混ざる事で神秘的な存在感と更なる圧倒的な力を放ち始めた。
「っ……。」
驚愕のあまり、彼女は声を失ったようだ。
まぁ無理はないだろう、実際自分もこの姿は体力の消耗が激しい故にあまり使いたくはない程なのだから。
その分、扱える力は深層解放の比ではない。
手加減されながらも姉さんもとい、シファ・ラーニルとも互角以上に渡り合えた程の力なのだから。
「幻影解放、これが今の俺に扱える最高の力です」
「っ……ただの人間がここまでの力を……」
「では、始めましょうか。
まずは3分程、この姿での相手をお願いします」
「了解しました。
では遠慮は無用です、全力で向かって下さい!!」
彼女の言葉と同時に両者の身体が動いた。
●
圧倒的な熱量の渦に身体が大きく吹き飛ばされる。
正面からの迎撃は遥かに厳しく、一撃の当たりどころが悪ければ防御結界の上からでも致命傷になり兼ねない程。
目の前に立つ炎の化身とも言える彼の実力は、既に人間の域を超えたナニカであった。
これが解放者の力……。
いや、解放者を超えた更なる次元の存在。
こんな力をもう一つ隠していると思うと、全身に震えが起きそうな程である。
思えば天人族として優れた存在であったこの私が、人間達の通うこの学び舎に訪れてから、自身の未熟さを痛感している。
最初の一年目こそ、並の人間相手には負けなかった。
年に一度の戦いの祭典において、唯一私を打ち破れたのは人間によって作られたという特異な存在のローゼンという男のみ。
当初は、彼一人を強く警戒していたがここ数ヶ月でその常識は大きく崩れ去った……。
私を打ち破った謎の男、ラウ・クローリア……。
私の片翼を奪い去った、アクリ・ノワール。
そして……、
今、私の目の前に立つ特異点、シラフ・ラーニル。
私、いや天人族の力に迫る程の実力者が続々と現れている現実が目の前に存在している。
「っ!!!」
炎の煌めきが夜の暗闇に残像を残す。
残像は既に炎を纏いし彼が通り過ぎた跡を示すもの。
魔力の感知能力において最も優れている種族は我々天人族であるのは言うまでもない事。
ソレによって、彼の攻撃は容易く読める。
攻撃が読めればそこから反撃の機会を狙えばいい、そんな事はとうに理解している。
しかし、私の身体は反撃に応じる事など出来ず攻撃を凌ぐ事で精一杯であった。
天人族は比較的人間よりも多量の魔力を有している。
それも、四大天使の一人である私の魔力から構成される魔障壁は数百人程度の敵から攻撃を受けようとも傷一つ付かない程の強固さを誇る。
唯一、この障壁を向こう側から魔術の構成式を解読して無理矢理こじ開けるような真似をするなら話は別だろうが。
だが、この障壁を外からこじ開ける程の技術を持つ者はかなり限られる。
それも、私からの攻撃を防ぎながら解読出来る者となると、まず存在しないと思っていいはず。
なのに、目の前の炎の化身と化した彼は違った。
彼の放つ莫大な熱量で、魔術そのものが焼き切れているのだ……。
魔術そのものを焼き切る程の圧倒的な熱量……。
そんなモノをこちらがまともに受ければ、ひとたまりもないどころじゃない……。
如何に魔術にこちらが長けていようと、その魔術が彼の放つ莫大な熱量によって無効化されてしまう。
だが、彼だけは神器の力によって神如き力を扱える。
深層解放、いや幻影解放だと言ったか……。
それ等を扱いつつも、身体強化の魔術を無意識なのかそれとも意識的なのかは分からないが並行して扱っているのが事実。
熱量で既に近づきようがないにも関わらず、熱の塊がこちらと同等いやそれ以上の速度で攻めてくるのだ……。
「っ……このままでは……!!」
炎がこちらの速度に追い付いてくる。
あの羽は飾りではなく、確かに我々の持つ翼のソレと同義の存在だ。
更には彼の放つ炎の熱量によって、その推進力をも加速させているのだ……。
「はぁぁ!!」
彼の声と同時に烈火の一太刀がこちらへと向かう。
迫りくる炎の剣を辛うじて自身の持つ武器で受けるも、こちらの身体に跳ね返る反動は全く無かった。
私は思わず自身の目を疑った。
そう、彼の放つ刃は私の持つ剣そのものすら断ち切ろうとしていたのだ……。
その刹那、彼の剣は私の持つ剣を完全に断ち切って見せると切られた刃先は、彼の剣が放つ熱量によって完全に溶けているのが私の視界に入り込み、あり得ない現実を突き付ける。
既に私と彼との間には実力差が生まれている。
僅か数ヶ月の期間で、彼は天人族を超える力を得ていた事を思い知らされる。
「っ!!」
瞬間、爆発のような衝撃が辺りに響き渡るが自分にその衝撃は訪れない。
私の身体に触れる寸前で、彼の刃は静止していたのだから。
「まずは一本取れたって感じかな、リノエラ」
「……、お見事です。シラフ様……」
私は彼にそう告げ、手に持った武器から手を離すと彼もその燃え盛る剣を引いた。
距離が近かったのか、彼の剣が近づいたところは軽い火傷を負っている。
いや、この程度で済んだのは彼の技量あってこそ……。
本来なら、火傷どころか触れたところは消し炭と化してもおかしくないのだから。
「済まないリノエラ、えっと……流石にやり過ぎたか」
「いえ、この程度であれば自然治癒で明日には治りますから。
それより、ひとまず神器の力には慣れましたか?」
「ああ、以前までの感覚はだいぶ取り戻せたよ。
で、今度はもう一つの方を試したいんだが……。
大丈夫そうか?」
「ええ、問題ありません。
私の心配は無用ですから、思う存分に力をお使い下さい」
「強がりはそのくらいにしておけ、片翼の天人族」
突然、横から第三者の声が聞こえ私とシラフは声の方向を見る。
暗がりの中でうっすらと見える人の姿。
左手で灯りを持ち、その顔はよく見えないが声からして恐らく男だろうというのは理解できた。
だが私と彼しか居ないこの場に何故第三者の存在が現れたのだろうか?
それも、天人族の魔力感知能力から逃れられる程の特異な何かを持っている様子。
警戒は怠らない方がいい。
「あなたは確か……舞踏会の一件で手を出してきた……」
シラフはあの男と面識がある様子。
しかし、彼もあの男に対しての警戒心は拭えない模様であった。
シラフの反応に対して男の口角が僅かに上がる。
笑っている、彼が自分を覚えていた事に僅かながらでも嬉しかったのだろうか?
「どうやら、君は覚えていてくれたようだなシラフ。
あの一件で、王女及びその関係者に甚大な被害は大きく出ていなかったと聞いている。
やはり、サリアの騎士としての使命は果たせているようだ。
それに、あの時一度だけ見せた技を既に会得して見せたのは天性の才と言うべきか、もしくは同じ炎の契約者としての縁か何かか……、どちらにせよ君が強くなっているのは実に嬉しい事だ」
「あの時の事は確かに色々と助かったよ。
それについては本当に感謝している。
だが何故、今あなたがここに居る?
それに、貴方は一体どこの誰なんだ?」
「あー、そうか……。
あの時は状況が状況だったから俺については何の説明はしていなかったな……。
シファさんから俺の事は聞いてないのか?」
「いや、姉さんからは何も聞いてはいない」
「そうか、じゃあ改めてこちらから自己紹介を。
俺は元十剣団長及びサリア王国騎士団ヴァルキュリアの団長を務めていた、ハイド・アルクスだ。
現在はラグナロクの一人として、世界の秩序を守る存在としてその使命を果たしているがな」
「っ……ラグナロクだと?!」
ラグナロク、その言葉を聞いた瞬間シラフの表情が一層と険しくなり収めていた剣を引き抜く。
が、向こうは何も臆する事なく言葉を続けた。
「まぁまぁ落ち着け。
俺は別に殺し合いがしたくてここに来た訳じゃない。
それに、君の家族であった妖精族を殺したのは確かにラグナロクではあるが俺ではないんだ。
彼女を殺したって奴についての詳細に関しても俺は特に何も知らされていないしな」
「そんな言葉が今更信じられるのか!!」
「俺が彼女を仮に殺したっていうなら、既に舞踏会の一件で息の根を止めていたさ。
あの後、君が彼女と再開できたという状況こそ俺に彼女を殺す意図が無かった事の証明になるかと思うが、どうだろうか?」
「っ……」
男の言葉に押され、シラフは剣を収めた。
「納得して貰って何よりだ。
まぁ、どちらにせよ君の相手はしなければならないからね。
もう一つの神器を試す相手は必要だろうからな。
近々、タルタロスの一件が控えているからね。
君の力は必然的に借りなければならない。
その協力の意思をこちらから示す為、前金代わりとして俺が向こうから派遣された訳だが。
サリアに縁のある人物の方が君としても接しやすいだろうというカオスの妙な心遣いなのかもしれないが……」
「同じサリアってどういう意味だよ……。
いや、違う……、さっきの十剣団長って言葉……。
ソレにハイド・アルクスってその名前はまさかあの……」
「ようやく、俺が何者なのか理解してくれたようだな」
「な……、あり得ない……。
数百年以上前のサリアの英雄が何故今目の前に存在しているんだよ?」
「一応俺は、生前の情報を元に作られた本人のコピーと言えばいいか……。
幻影に近い存在、いやカオスの意思が反映されているからそこは少し違うのか……。
まぁとにかく、俺は当時のハイド・アルクスを模して限りなく本人に近づけて再現された似て非なる存在って事だよ」
「つまり、本人ではないがソレに近い何かって事か?」
「そんなところだ。
まぁ無理に理解せずとも構わない。
今は、君の新しい力を存分に振るう相手が必要な訳だからな。
加えて、同系統の神器を持つ者はそう多くない。
君としても貴重な体験になるだろうよ」
「随分と虫のいい話だな。
一応、俺はラグナロクとは敵対する立場だぞ?
ソレを踏まえた上で言ってるのか?」
「勿論、君が敵対していようとしていまいと構わない。
だが、このまま力の扱い方もままならないまま最前線で野垂れ死にをされても困るからね。
君の力はこちらも高く評価しているよ。
俺個人としても、同じ力と名を持つ君は割と気に入っているからね。
故に、こうして試合の場を特別に設けたんだ。
それに今の君では到底ラグナロクには勝てないよ」
「俺が深層解放を扱えてもか?」
「こんな俺でも深層解放程度なら扱えるんだ。
いや、ラグナロク全員が解放者あるいはソレに準じる力を持った奴等だよ。
気になるんなら試しに、さっきまで使ったヘリオスの力とやらを俺に使ってみればいい。
実力の違いがすぐに判るはずだ」
「………、言ったな?
サリアの英雄を模した存在の割に、随分と俺の力を舐めたものだ」
「舐めるも何も、それが事実だろう?
あの時、君は俺よりも遥かに弱かったんだ。
あの妖精に敵わない程に、君は弱かったんだよ」
「………リノエラ、ここから今すぐ離れろ」
唐突に彼は静かに私に向けて呟いた。
「シラフ様、しかし……」
「いいから離れろ。
今度ばかりは軽い火傷では済まない」
「っ……、分かりました。
ご武運を……」
私は彼にそう告げ、この場をゆっくりと離れる。
あの場から私が離れてから間もなく、爆発的な魔力の高まりを肌で感じた。
先程私に向けて放たれたソレとは比較にならない程の2つの魔力の衝突。
この戦いの行方を祈る事。
それが今の私に出来る事の全てなのだから……。