雪中ノ夢、今昔ヲ写シテ
冬の季節をより身に染みる毎日。
この季節になると、何処か憂鬱になる。
気付けば、あの日から長い日々が過ぎている。
でも、あの日から私は何も変わっていない。
変わったと思い込んで、何も変わらない。
彼との歪みが徐々に広がる中で、誤魔化して……。
普段の会話すら、どこか上辺面で互いに距離を置いてしまっていた……。
そして私はとうとう逃げ出した……。
いつもはすぐ近くに居たはずの存在だったのに……。
一番側で、一番に私を認めてくれた人。
それが、僅か一年程の期間で何もかもが壊れてしまった。
彼が二度と私は剣を握れなくなってから、私自身もいつの間にか彼から離れていってしまった。
気付けば彼の隣で握った剣を、彼から剣を奪った存在への復讐の為に振るい続けていた。
力に、怒りに、憎しみに身を委ねて、私は刀を……刃を振るい続けた。
それが気付けば私は八席という存在になっていた。
そして、復讐と怒りに任せて刃を振るい続けた私は、こう呼ばれるようになった。
武神と……。
●
帝歴386年11月10日、東方の歴史ある島国の一つであるヤマト王国の王宮で私は生まれた。
生まれた子供は、その日の天気が小雨であり冬の始まりが起こっている事からなぞらえて時雨と名付けられた。
正式名は大和ノ時雨。
異国では名と姓を入れ替えるので外交の際にはシグレ・ヤマトとして私の存在は国中に知れ渡ることになる。
ヤマト王国の歴史は数多くある世界各国と比べても非常にその歴史は古くから残っている。
帝という神の神託を受けたという存在が代々この島国全てを治めていた。
ヤマト王国は、島国の中に更に小国が幾多も存在し多くの戦が絶えず起こっていた。
しかし、帝の命令と権威が絶対であるという事は千年以上に渡り語り継がれ、かの帝国の支配下になろうとも受け継がれてきた由緒正しき血筋でもある。
私はその中でも、現在の帝の側室の3番目に生まれた存在であり第3王女という立場。
しかし、歴代の帝は全てが男である。
尚かつ第3王女という立場の私に王位継承権はそもそも縁が無いかに思えていたが……。
かの帝国崩壊が影響し帝国の皇帝と婚約したヤマト王国第一王女を含み外交として派遣されていた第一王子と第二王子及び第二王女は帝国の崩壊に巻き込まれて生死が不明となってしまい現在も行方が分からずにいる。
本来、最も次代の継承候補とも言えた両人が消え去
った事はヤマト王国内に大きな不安を煽り立てる事になった。
千年以上に渡って継承され続けた帝の血筋が絶たれかねない。
そんな状況の中でようやく生まれたのが私であった。
しかし、次代を担う存在として大きな期待を受けて生まれたのが女であった為に、王宮内では彼女を新たな帝として引き継がせるべきか否かで長らく悩み続けていた。
しかし、帝の継承問題に関して現帝である私の父、大和ノ東雲が下した判断は。
「では我が娘、シグレには歴代の王女の中でも特に文武両道に育て上げよう。
彼女に勝る知恵と武芸を持つ者のみが彼女との婚約しその間に生まれた子を次代の帝とする。
仮に、その間に我が死した場合我が娘シグレが代理の帝としてこの国を治める事を許可しよう。
以後、この件に関し勝手な物言いをする者が存ずるのであれば我に逆らう者と同義として処分する、以上」
こうして、幼い私との婚約を巡ったヤマト王国内での今にも続く争いは幕を開けたのだ。
●
9年前 帝歴394年7月14日
幼い頃から、私に対しての英才教育は徹底的であった。
勉学を始めとした基本的な教養に加えて、華道や書道、茶道といったヤマト王国の伝統芸能上での三道。
そして、剣道や柔道そして弓道での武術においての三道を徹底的に私は叩き込まれた。
毎日が辛かったが、私はそれでも己の身分に相応しい存在になろうと努力し続けた。
そんなある日、剣道の指南を受ける為に朝早くに稽古場へと訪れると、既に先客として二人の男の子が来ていた。
その姿から兄弟ではない、しかし互いの動きの練度は研ぎ澄まされており剣を振るう動きが重なっていた。
「「っ!!」」
背の高い男の方は、隣で振るう者よりも経験が長いのかほとんど息を切らしていない。
そして、余裕が見える彼とは裏腹に背の低い男の方は既に息は上がっているかに見えた。
しかし、負けず嫌いなのか隣の男の動きについていこうと若干かかってるかに思えた。
「朝早くから鍛錬とは、実に素晴らしい事だと思いますでしょう、シグレ様」
彼等を遠目から見ていた私に声を掛けたのは、剣道の指南役のである睦月ノ羅敢「ムツキノラカン」であった。
「ムツキ様。
あの二人は一体?」
「背の高い方の男の名は、ルークス。
あなたと同じヤマトの姓を持つ王族ではありますが、異国の血を持つ為に王位継承権を事実上剥奪されてしまったという、少々複雑な縁がありましてね。
小さい方はラクモ、いつも彼に付いて来て一緒に稽古をしているかわいい弟分みたいなものです。
あの二人はいつも私より先に稽古場へと訪れては、こうして剣を振るっているんですよ」
「そうですか……」
「あなた様も、あの二人と同じくこうして朝早くから足を運んでいるというのに行かなくても宜しいので?」
「そうでしたね。
ムツキ様、本日もご指南の程を宜しくお願い致します」
それから彼等も交えての、今日の稽古が始まった。
私も彼等程には無いにしろ、それなりに鍛錬は積んでいた故に稽古はそこまで辛いとは感じなかった。
しかし、私の隣で剣を振るう二人は私の数段上の練度で息を全く乱していなかった。
朝早くからあれだけ振るっていたはずなのに、二人よりも私の方が息が上がり始めていたのだから。
「っ……はぁはぁ」
二人のペースに気を取られ、自身の息が乱れていく。
相手が自分より年上だろうと、男だろうと関係ない。
ヤマトの後継者として恥じぬ存在。
誰よりも強く、誰よりも賢く、誰よりも美しく……。
全てにおいて完璧でなければならないのに……。
焦りは徐々に身体を蝕む……。
心も乱れる、わかっているはずなのに……。
本来、武道とは勝ち負け等関係ない。
心身を鍛え、己の在り方を磨く為のモノ。
勝ち負けに囚われれば、その力は容易く全てを傷付ける。
他者も、自身も同じように傷付ける。
頭では解っている、なのに……
疲労で混濁した意識の中、いつの間にか目の前の視界が闇に落ちていた。
●
目が覚めると、布団で私は寝かされていた。
私の寝る隣で護衛役としてなのか、先程まで隣で剣を振るっていたルークスがそこに腰掛けていた。
「目が覚めましたか、姫様」
「ええ、そうみたいですね。
あなたが、ずっと側で看病を?」
「途中までは二人でな、剣の稽古の後に控えていた予定は姫の体調を考えて取りやめになった。
今日はゆっくりと休むといい」
「そうですか……、不甲斐ないですね私は……。
ヤマトの王女として、私は手本となる存在でなければならないのに」
「噂通りだな……、幼い割に気負いが過ぎる。
俺と奴の動きについて行こうとした挙げ句、自分の身体の限界が見えていない。
いくら育ち盛りとはいえ、今となって身体を壊してはその後の自身の身の振り方に関わるだろう?」
「分かっています!
でも、私は……」
小さな拳を握り締め、駄々をこねる私……。
そんな様子に呆れたのか、ルークスは大きな溜め息を吐いた。
「はぁ……。
全く、呆れた姫様だ。
まぁ、俺が言える立場じゃないが……、師範から私の事は聞いてるだろう?」
「……、他国の血が流れてるとの事で事実上王位継承権を剥奪されていると……。
あの、自身のご両親の事はご存知で?」
「詳しくは知らない。
そして興味もない、俺を育ててくれた新たな家族が今の私の実の両親だ。
例えそれが王家の血が流れていようと、異国の血が流れていようと俺が俺である事に変わりわない。
自身の親が何者であろうと、自身には何があるのかの方が余程大切だろう。
現在を作るのが現の帝や民であり、どのような形であれ次代を作るのが我々とこれから生まれるであろう民達だ。
彼等が築き今に繋いだソレを、我々が更にどう積むのか?
姫はどうしたい?
今の貴方が、より理想を求めるのはこの国を自身を一体どうしたいからだ?」
「私が求める理想……」
彼に言われた言葉の意味が分からなかった。
いや、本当は分かっていた。
でも、分からなかった……。
私には無かったのだ。
私がどうしたいのか?
何の為に完璧であろうとしたのか?
私はヤマトの王女として、何を成したいのか?
次代の帝、跡継ぎを産む為?
国をより豊かにする為?
国の為なのか?、誰の為なのか?
私自身が本当は何を成したいのか?
「今の姫には少しばかり小難しい話だったか……」
私の沈黙を見かねて、そう呟いた彼。
そんな彼の様子から私は思わず彼に尋ねた。
「あなたはどうしたいんですか?
やはり貴方は帝の座を狙って?」
「俺は帝等というものに興味はない。
王では在りたいが帝を継ぐという意志など毛頭ない。
俺は、俺の名で王を目指す。
己が義と志を通し、俺の王としての有り方でこの国を、いや世界そのものを動かす。
この世界の歴史に俺の名を残し証明する!
生まれも血筋も関係なく、人は誰であろうと世界を変えられる可能性がある事をな!!」
そう高らかに告げた彼の顔は真剣そのもの。
ただの子供のうわ言ではなく、本気でこの人は王を目指してる事を理解した。
朝の鍛錬であれ程磨き上げられた剣の身のこなしこそ、彼の志の強さを体現していたに違いない。
私と、この人との大きな違い。
己が何を成したいのか?
そのカタチを明確に持っているか否か……。
己の理想もなく、ただがむしゃらに言われた稽古や学問を続けていた私では、彼のような芯のある強さは永遠に手に入らないだろうと……。
彼の言葉に対して、何も返せないまま時間だけが過ぎていく。
何も言い返せない私に対して、ルークスという男は以降何も言わずしばらくの間私の隣に座り続けていた。
徐々に夜が更けていく。
そろそろ夕食の時間だろうか。
家族と共に過ごせる数少ない時間、でもお父様は私に対してあまり興味がない様子。
食事の際も厳粛な行儀作法を守り、終始無言で終える。
毒味を繰り返えされて、既に冷めきった夕食。
普段の武道の稽古の後に食べる、素朴な塩の握り飯の方が私は好みだ。
今日の事、恐らくお父様の耳にも届いている。
失望されているに違いない。
この程度の事で倒れた私に対して、きっと……。
僅かな明かりが照らす部屋の中、隣で無言のまま座っていたルークスが唐突に口を開いた。
「今日の事が怖いのか?
君の父上、現帝に君の体調不良の事が知られているのではと?」
「っ……!!」
「その反応を見る限りでは、どうやら図星のようだな。
君の体調不良の件に関しては、ムツキ師範の方から話を通している。
結果として、師範が一週間の謹慎処分というところで話が落ち着いたそうだが……」
「そんな……、ムツキ様は何も悪くないではありませんか……。
悪いのは、あの程度で倒れた私の責任であって……」
「なら、その謝罪も込みで師範の屋敷で夕食でもどうだ?
今日は帝も遠方への出張で、君との夕食には間に合いそうにはないらしいしな……」
「そんな、私なんかがムツキ様の屋敷でおもてなしをされては謝罪の意味が……」
「本当にいいのか?
あの人、趣味が料理で並の職人と引けを取らない程美味いモノを作れるんだ。
それとも、謝罪もせずにここで一人黙々と食べたいって姫様が仰るのであれば仕方ないが……」
「っ……、そんな話に私が動くはずが……」
彼の甘い誘いに、己の手の甲をつねり踏みとどまる。
しかし、耐えられそうだと思った刹那私の腹の音が部屋に小さく響く……。
あまりにはしたない姿。
頬が染まり、熱くなる。
幾ら身内とはいえ、殿方の前でこのような姿を晒した自分に恥ずかしくなる。
「どうやら、姫様の身体は正直みたいだな」
笑いながらそう言う彼に、もうどうでもよくなる。
もう色々とヤケになりそうだった。
「…ます。
私も行きますからぁぁ!!」
思わず涙目で彼に本音を訴える。
すると、私を突然抱き抱えて口を開いた。
「よし、それじゃあ腹ペコの姫様から同意も得られた事だし、さっさと行こうか!」
「腹ペコは余計です!!」
このルークスという男の強引さに私は大きく振り回されていた。
この日を境に私の運命は大きく変わっていく……。
全てが義務として押し付けられ色味の無かった私の毎日、それが徐々に色付き始めた瞬間だ。