剣と姫の在り方を
帝歴403年12月21日
その日の放課後、俺は護衛を兼ねてヤマト王国の第三王女であるシグレと帰路についていた。
彼女は剣術にも嗜みがあり、自分と同じ年月程度かそれ以上を費やしている程だ。
学問にも抜かりがなく、正に文武両道と才色兼備を言い表すのに相応しい存在だと思う。
そんな彼女の護衛を務めている俺であるが、実際のところ護衛が必要ない程に強いのが事実。
彼女は、この学院の一行事の1つである交換留学で現在訪れており、サリア王国の国王陛下直々の書類を持ち出してまで俺を彼女の護衛に任命したのである。
俺を任命した事、その目的は自身の学んだ剣を継承する為だ。
仮にも王女という自身の立場故に、いずれは剣から離れなければならない現実が存在している。
自身が磨き上げたその技術を誰かに引き継がせたいという理由があっての事だった。
剣術を引き継がせる相手は誰でも良かったという訳でも無いらしい。
自分と同等、あるいはそれ以上の存在に引き継がせたいという彼女の意向の元で彼女を前回の闘武祭で打ち破った俺が選ばれたらしいが……。
実を言うと、俺には彼女に勝てた実感がない。
あの時、彼女を打ち破れたのは俺の持つ神器の力があってのモノなのである。
純粋な剣の実力においては、彼女は明らかに俺以上の存在なのである。
ヤマト王国にも、彼女と同等の技術を持っている存在はそれなりに居るのかもしれない。
彼女自身が五本指の中に入る程の実力だと言われても遜色ないのは事実、しかし上には上が居るのが常であるだろう。
つまり、本来剣を引き継がせる相手はヤマト王国内にも居るはずなのである。
交換留学も残り2ヶ月を切った今日、俺は彼女にソレを尋ねる事にしてみた。
「シグレ、少し気になった事があるんだが?」
「気になる事?
勿体ぶらさず、さっさと要件を言いなさい」
「ああ、今更なんだが。
剣術を引き継がせたい相手、俺にも他に候補が何人な居たんじゃないのか?
何人かと言わずとも、一人くらいはさ?
本来なら、ヤマト王国内の人間で継承するのが伝統文化の1つであるはずのヤマト流の剣術だろ?
わざわざ他国の俺なんかに教えるって事に今更ながらに違和感を感じたんだ」
「ああ、その事ですか。
確かに、あなた以外にも本当は引き継がせるべき相手が居ましたよ。
でも、その人は私に遠慮して一度は継承を断った人です。
昔はその人の方が私なんかよりもずっと強かった。
でも、私はその人に言われたんです。
自分よりも、貴方の剣を引き継がせるべき人が他に居ると……」
何処か寂しげにそう告げる彼女。
その相手は、彼女にとってかなり重要な人物であったはずに違いない。
「そのお相手の名前は?」
「ラクモ・カゲムネ。
私の婚約者候補の一人よ」
「婚約者って……、既に相手が居る事に驚いたがその相手が本来の後継者だったのか……。
でも、相手が自分の婚約者であるからその継承を拒んだとか、そういう理由でもさっきの言葉を聞く限りはそうでもないのか」
「ええ、私も色々と事情が複雑だから。
そもそも、婚約者の候補に私が彼を選んだようなものなのよ。
私が剣術を始めた理由のそもそもは、その人と関われる共通の何かが欲しかったから。
ルークス様は確かに憧れの存在、でもそれ以上に私は彼の隣で一緒に居られる理由や何かが欲しかった。
その挙げ句に行き着いたのが、今……。
いつの間にか、その形が歪んでしまっていたけどね……」
「そうですか……」
「シラフには伝えた方がいい頃のかもしれない。
どうして私が、貴方に剣術を継承させたいのか。
私とラクモについて。
そして、貴方への本当の依頼をね……」
俺の横を歩きながら、何処か寂しげにそう告げた彼女。
いつもの凛として芯の強い様子とは珍しく、この時はいつ折れてもおかしくないような……。
そういう弱さが、溢れていた。
●
幼い頃から、その人と私は親交があった。
正確に言えば、その人の家系は代々ヤマト王国に仕える家系であるが故に、私と関わる事は必然的だった。
出会った時、その人は自分よりも1つ年上、少しだけ自分よりも背が高めの男の子。
ヤマト王家に仕える剣士の父の背中を求め、その人は父を追うように剣に身を置いていた。
そんな彼の姿を追うように、当時まだ幼かった私も彼の隣で剣を振るうように変わっていく。
彼には最初、呆れられ無謀だとも言われたが頑なに私はそれ等を拒み、意地でも剣を握り続けた。
初めて剣を握ってから5年の月日が過ぎる頃には、彼も私の実力を認めてくれるようになっていた。
それが純粋に嬉しくて、とても幸せだった。
稽古終わりに一緒に昼食を道場の縁側で食べながら、お互いに剣技と武道の在り方について語り合った。
とても幸せな日々だった。
でもソレは、幼い頃の幻想だったのかもしれない。
あの日を境に私とラクモとの関係は歪な物になってしまったのだから……。
忘れもしないあの日、帝歴401年の2月10日。
寒さが強い冬の事だった。
ラークへの入学を近くに控えた頃、先に向こうに入学していたラクモが私の護衛の為にヤマト王国へ帰省したという報告を耳にした。
私はすぐに、ラクモの元に向かった。
でも、その姿が目に入った時これまで私の隣で剣を振るっていた彼の面影は無かった。
とても暗い表情を浮かべ、いつもなら出会い頭に明るく屈託のない挨拶を交わしてくれるはずの彼が何も言わずに私の横を通り過ぎた。
「ラクモ!」
本来はあり得ない彼の行為に、私は思わず声を荒げ彼の名を叫ぶ。
彼からの返答はたった一言……。
「僕はもう剣を振るう事が出来ません」
ただ一言、私にそう告げて彼は去ってしまった。
後に、その理由を噂程度で耳にした。
闘武祭と呼ばれる戦いで、対戦相手が戦いの前日に奇襲を仕掛けその攻撃の影響で彼の両手足に始まり体の至るところが腐敗しそれ等を失ってしまった事。
更に手足以外にも臓器の幾つかも、腐敗し使い物にならない為に人工臓器に取り替えられている。
失った両手両足は代わりに義手と義足が与えられるが、以前のように剣を振るう事はもう二度と出来ないだろうと……。
生きている事がどれだけ幸いな事であっても、剣の道に数年を費やした彼にとっては生き地獄も同然であったのだから。
私は彼に奇襲を仕掛けた相手の事が許せなかった。
仇を討つ為に、私は一人で更に己の剣技に磨きを掛けた。
入学と同時に、私は闘武祭に勿論出場した。
ラクモには当時、頑なに止められたけど私はその静止を振り払い闘いにこの身を染めた。
彼の仇はすぐに取れた。
でも、それでも私の闘志は無くならなかった。
力に飲み込まれるように、怒りに染められるように私は更に闘いに染められ、そしてその年の祭りが終わり頃には、こう言われるようになっていた。
武神と。
その年、唯一負けた相手が天人族の四大天使が一人であるリノエラ・シュヴルという人物。
彼女は去り際、私にこう言い捨てた。
「貴方は強い。
でも、今の貴方では決して私に勝てない。
理由は、自ずと分かるでしょう?」
言葉通り、理由は私自身も分かっていた。
怒りに身を任せ、闘いに染められたこの剣では勝てる訳がないと……。
祭りが終わって、ラクモはようやく私に対して自分から話し掛けてくれた。
最初は否定こそされたが、勝ち進む毎に私の意思を彼は尊重してくれた。
結果的に、私の一番の理解者でもあった。
でもね、私はその頃本当に呆れる程に愚かだった。
「慰めなんて要らない。
来年に向けて、更に剣を磨くだけよ……」
「ですが、今以上に鍛錬を厳しくすればお身体に……」
「うるさい……。
貴方に私の何が分かるの!!
私の気持ちなんて何もわからない癖に!!」
思わずその場にいた彼を殴ってしまった。
でも、そこまで強くない力だったはず……。
でもね、彼の体は簡単にその場で崩れてしまったの……。
義足で体を支える事の難しさ、彼が今後二度と剣を振るえない事実をこんな形で見せつけられた瞬間だった……。
「これは、その……」
「大丈夫ですよ。
それより、シグレの方こそ怪我はありませんか?
戦いが終わってすぐですし、癒えていないはずですから」
「っ……。」
ゆっくりとぎこちない素振りで体を起こす彼を見て、私はとても辛かった。
こんな体になっても、私が闘いに身を投じても彼は私の味方で居てくれた事。
でも、私はそんな事を望んでない……。
私の望みは剣を握った最初の頃からずっと変わらなかったのに………。
貴方の隣に居たかった。
たったそれだけのはずなのに、私だけが剣を振るい続けている。
彼はもう二度と剣を振るう事は出来ないのに……。
●
「少しだけ長い話になってしまったわね」
彼女の過去に聞き入っている内に、気付けば彼女の家の前に辿り着いていた。
「別にそれくらいは構いませんよ」
「そう。
話してみると、意外とすっきりするものね」
「それは良かったです。
あの、一つ尋ねても良いですか?」
「ええ、構わないわ」
「話で聞いたこれまでの貴方と今の貴方、ラクモという人物との関係に何か変化はありましたか?」
「上辺だけは仲良くやってる。
でも、本質的な問題が解決していないから溝は深まるばかりね。
それに関係する話だけど……。
私はね、逃げたのよ。
彼の近くから今回の交換留学をしてまでね……。
貴方を後継者に選んだのは、隣で剣を振るっていてくれた当時のラクモの面影を貴方に重ねていた。
それがある意味大きな理由なのかもしれない。
だから貴方にはとても感謝しているの。
こんな私でも、貴方は受け止めてくれたから……。
でもね、やっぱり私は彼じゃないと駄目なのよ……。
貴方とルーシャ王女との信頼関係を見ていると、よりずっと自覚してしまう。
やっぱり私は、彼の隣で剣を振るいたいんだって……」
「いつか必ず、実現出来るはずです。
貴方とラクモさんなら絶対に……」
「そうだと、いいわね……。
明日、貴方に私からの本当の依頼を伝えるわ。
今日は話を聞いてありがとう。
おやすみなさい、シラフ」
そう別れの言葉を告げ、彼女は家の中へと入っていった。
彼女の本心の一端をようやく知れた事に、嬉しさもあれば同時に複雑な心境が絡んでいく。
もし自分が剣を握れなくなった時、どうする?
ルーシャに仕える騎士としての自分はどうなる?
ラクモという人物が、どのような覚悟の元で今もシグレに仕え続けているのだろうか?
あの二人の間にあるモノ、それが容易く治るモノでは無いことは、恋愛事に疎い俺自身でも理解に難しい事では無い。
だが、今の俺自身がこの問題に深く言う資格はない。
それだけは事実なのだから。