箱庭の幻想、炎を超えて
帝歴403年12月14日
この施設の最下層。
リンの待ち受けるであろう部屋の通路を俺は一人で歩いていた。
明かりのほとんど見えない通路を歩き続ける。
自分の足音のみが響き渡る中、俺は上で戦闘をしている仲間の事を心配していた。
闘舞祭において、学位序列最強として君臨していたローゼンと同等、あるいはそれ以上の存在と彼等は現在戦闘を繰り広げているのだ。
とてもじゃないが、まともにやって勝てる相手なのかすら疑わしいだろう。
しかし、早々に決着を付けなければ後ろに控えている姉さん達及び学院と十剣の連合軍がこの施設に向けて攻撃を開始する。
それでも現在は敵をこちらで倒さなければ外部からの攻撃は仕掛けられないはず。
しかし、魔術の結界によって侵攻が阻まれているのなら結界の解除を外部から行っているはずである。
恐らく掛かる時間もあまり長くはないだろう。
「やるしかない」
そう、ここまでやり切ったのなら最期まで続けるだけだ。
この日の為に、この時の為に俺はここに居る。
家族を救う為に、リンがこれ以上罪を重ねない為に。
俺自身の手で止めて見せる。
●
通路を進み俺は巨大な扉の前に立つ。
恐らくこの施設の中で最も巨大な部屋だろう。
幾度もこの施設で彼等は戦闘を繰り広げていた。
兵器としての役目を果たす為に、リンやこの施設のホムンクルス達は戦いを続けていた。
俺のやることは彼女達にとって身勝手な行為。
あまりにも都合の良すぎる行為だ。
それでも、俺は……救いたい。
たった一人の家族を……、
俺が扉に手を触れると、扉がゆっくりと開いていく。
光が差し込み、内部の巨大な空間が鮮明に視界へと入り込む。
目が次第に光に慣れ、内部の光景をこの目で確かめる。
目の前に広がる光景に俺は思わず驚愕した。
「これは一体……?」
目の前に広がるのは自然の景色だった。
広い草原が広がり、ところどころには木々が生えている。
そして、俺の足元には整備された道があの空間の奥へと続いていた。
ところどころに緩やかであったり、急な坂が点在、そして奥の景色を見れば山々が広がっている。
そして俺は、この光景を知っている。
初めて見るはずの景色なのに、俺はこの光景を見たことがあった。
あの道を辿れば分かるだろう。
何故かそんな気がして、俺は目の前に続く道を進んだ。
進んでいくと、小鳥の鳴き声や小動物の影、昆虫等の姿も見る事が出来た。
そして、この空間に生息している動植物達は全て祖国であるサリアに生息する物だとわかった。
この空間は恐らく、リンが俺を待ち受ける為に作ったモノ。
つまりこの道の先にあるのは……
道を更に進むと、俺の思った通りのモノが存在していた。
黒い外壁の大きな屋敷。
自身の記憶の中に残っているカルフ家が暮らしていたという大きな屋敷がそこにあったのだ。
「確かに、最後の戦いに相応しいだろうな」
目の前にそびえ立つ屋敷を見ながら、俺は思わずそう呟いた。
俺と彼女が初めて出会い、共に家族として僅かな期間であるが共に暮らしていた場所。
俺の全ての始まりであり、今は既に無くなったはずのかつての場所。
過去の因縁に決着を付ける場所として、これ以上ない場所である事をリンは分かっていたのだ。
俺達が初めて出会った場所で、これまでの全てを終わらせる。
向こうの覚悟も相応なモノなのだと……。
屋敷の扉に手を掛け、ゆっくりと入る。
懐かしさと同時に緊張感が漂う。
扉を開くと、すぐ目の前に例の彼女は俺を見下すように立っていた。
「待っていたよ、ハイド」
見上げるように俺は玄関から二階へと繋がる正面の階段上に佇まう彼女の方を見据えた。
極彩色の美しい羽を広げ、オレンジ色の長い髪を揺らしている。
黒いドレスのようなモノを纏い、禍々しい魔力のようなナニカがドレス模様を形づくり蠢いている。
明らかに、こちらの知る以前の彼女とは違っていた。
常に深層解放を使用しているかに思えたが明らかにナニカが違う。
放つ魔力あまりにも禍々しく嫌悪感すら感じる程なのである。
「ようやく会えたな、リン」
緊張感が漂う空間、僅かにでもどちらかが気を緩めればその隙が仇になるだろうとさえ感じる。
俺の返答に対して、しばらく間が空く。
俺自身も出方を伺い警戒していたが、リンはゆっくりとこちらへ歩み寄る。
「そう警戒しなくても、今は戦うつもりはないわ。
懐かしい場所でしょう、これから壊れる前に歩きながら案内してあげる」
「何が狙いだよ?」
「単純に、ただの戯れよ」
そう言って彼女は俺の手を取り、屋敷の中の案内を始めた。
●
屋敷内部の一つ一つの部屋に対して目の前の僅かな説明をしながら俺の手を引き歩いていた。
使用人達の部屋で夜中まで遊んでいた事。
使われていない応接室で、一緒に本を読んだり勉強をしたこと。
家族達と共に食卓を共にしたこと。
屋敷でのかつての思い出を語りながら俺達は屋敷内を歩き回っていた。
過去を語る時、彼女は少し寂しげな表情を垣間見えたが、どれも楽しそうに共に過ごした出来事を俺に向けて語り続ける。
そして屋敷の中庭に向かうとかなり目立つ大きな木がそこにあった。
「屋敷の再現は間取り図が残っていたから容易く出来たけど、木の形はあの時のようには上手く再現出来なかった。
この木は昔、あなたがよくこの周りで両親達と遊んでいた場所。
私とも天気が良くて温かい日はここでゆっくり過ごすこともあったわね」
「そうだったな……」
かつての思い出を語りながらが俺達は木の前に立つ。
幾ばくかの時間が経った頃、唐突に彼女は己の過去を語り出した。
「私は、あなた達に出会う以前は人間がとても嫌いだった。
知ってるでしょう?
私達妖精族がかつて人間達からどのような扱いを受けてきたかを……」
「それなりには文献で知ってるよ。
俺達人間は、リン達のような妖精族に対して行った数々の行い。
人間を嫌いになってもしょうがないさ……」
「私もね、人間に奴隷として扱われた事があったわ。
毎日、明日生きられるか分からない日々を一年くらい過ごして僅かな仲間達と共に逃げ出したの。
奴隷として生きた証として、私の体には焼印が刻まれている」
「……それじゃあ、リンは俺達家族も人間だったから嫌いだったのか?」
「最初の頃は嫌いだったわ、それでも優しく得体の知れない私を受け入れてくれた事に感謝している。
あなたの両親にも、あなた自身にも……」
そう言ってリンは俺の方へと振り向き直ると、彼女は言葉を続けた。
「私は今でも人間は嫌いよ。
それでも、私はあなたの家族と過ごした日々はとても楽しかった……。
私の人生の中でも、あなたの家族と共に過ごした日々が一番幸せだった……。
だから、全てを失う事がとても辛かった……。
既に知ってるんでしょう?
あの火災にはもう一人黒幕が存在している事について」
リンは俺にそう告げると、俺は頷き返答する。
「ああ、それが誰なのかは分からないがな。
そいつは、今の俺が知っている人物なのか?」
俺が彼女から聞きたい事、俺の過去について恐らく最も知っているだろう彼女は黒幕の存在を認識していた。
黒幕の実在が確定し、それが誰なのかようやく分かると、思ったがリンからの返答は予想外の言葉だった。
「そうかもしれないわね。
あなたがあの日以降に出会ったのかは分からないけど、恐らく既に出会っている可能性が高い。
それが一体誰なのかについて。
その件に関しては私から名前や詳細は言えないわ、アレとは私自身で決着を付けると決めたのだから」
「何を言っているんだよ!
そいつは俺達の家族をめちゃくちゃにした元凶なんだろ?
だったお前は何も悪くない!!」
「いいえ、元凶は私なのよ。
あの火災の炎は私自身の炎と、あなたを救う為に私が誘発させたあなた自身の神器の炎だから。
私が己の身を黒幕から守る為に、私は神器の力を使ってしまった事があの火災の原因だから……」
「だったらお前は何も悪くないじゃないか!
悪いのはお前を襲った黒幕の方で……」
「違う、違うの、私が……私が全部悪いの!
私が、部外者の私があなた達と関わってしまったからこんな事になったんだよ!
私があのまま野垂れ死んでいれば、あなたの家族も何もかもが失わずに済んだのよ!!
私はこの世界が嫌い、憎い、全部が嫌!!
どうして、私達だけがこんな目に遭うの!!
どうして、私の周りから私の関わった人達が死ぬの!!
私がこの世界に居なければこんな事にならなかった!!
なのに、それじゃあこれまで私が生きてやり遂げようとした事は何になるの……!!
私が一体何をしたの!!
ただ私は生きたかった、失った私の同胞達やあなたの家族と、ただ平穏に暮らしたかっただけなのに!!」
涙を流しながらこちらに訴えかける彼女の姿。
これまで、一体彼女がどのような運命を辿ったのかは分からない。
それでも、余程辛かったのには違いない。
奴隷として生きていたとも言っていた程である。
俺達と共に過ごして、僅かに得た平穏も彼女は目の前で失ってしまった。
世界そのものを憎み、その挙げ句の果てが今の彼女の禍々しい姿なのだろう。
自分達を拒絶し続けた世界全てに対しての憎しみ。
俺達家族を奪った者、奪ってしまう要因となってしまった自分自身への憎しみ。
自分のせいで、俺の両親を奪ってしまったという罪悪感に彼女はずっと苦しんでいたのだから。
だから、俺はこれ以上彼女が苦しむ姿を見たくない。
「それでも俺は、リンに、君には生きて欲しい。
例え残り僅かでも、残された時間にこれ以上、罪を背負わずに済む為に俺はここまで来たんだよ。
今からでも俺は君を、リンを救いたい……」
俺は涙を流す彼女に向けて手を差し伸べる。
「そこから先に行くな、リン。
君がこれ以上傷付く必要はないんだからさ。
だから、こっちに来いよリン……」
俺から差し伸べられた手を見て、リンの手が僅かに俺の方へと向かう。
触れる寸前、彼女の手が止まった。
止まった手に違和感を覚え、俺はリンの顔に視線を向けた。
リンは目を閉じ、何かをぶつぶつと小さく呟いていた。
俺に聞こえないような小さな声。
耳を済ませると「ダメだ、ダメだ……」、と自らに言い聞かせるように唱えていたのである。
「今の私にあなたの側に居ていい資格なんてない!!」
俺に向けて彼女はそうハッキリと言葉を告げると彼女から魔力が溢れ始める。
大気が震え、この空間そのものが彼女の力に呼応するように轟々と音が響き渡っていた。
瞬間、彼女の身を包むように灼熱の炎が身を包んだ。
そして、炎が弾けると中から現れた彼女の姿は別人のように変わっていた。
燃えるような真紅の長い髪、赤黒く燃え盛る真紅と蠢く闇のような色を纏ったドレスに身を包んでいた。
彼女の周りには激しく燃え盛る鎖が背中の極彩色の羽を包むように展開されている。
右手に握られた燃え盛る身の丈程の炎の大剣。
その剣先は俺に向けられていた。
「どうしても、戦わないといけないんだな」
「ここに来た以上、それが私達の定めよ。
武器を構えなさい、ハイド……。
いいえ、サリア王国の十剣シラフ・ラーニル」
彼女に言われるがまま、俺は神器に魔力を込める。
全身を焼き焦がすような炎と熱に包まれ、弾けると同時に俺の姿が変わった。
炎の衣に身を包み、全身から力が湧き上がってくる。
彼女の持つソレと似たように、俺の右手には炎を纏った一振りの剣がそこにある。
2つの炎が対峙する。
お互いに放つ巨大な熱量が屋敷へと向かい、火が起こる。
炎が屋敷へと徐々に燃え広がる様は、俺が長き渡って、いや今も苦しみ続けたあの日の炎を再現しているかのようだった。
全ての始まりであり、そして区切りを付ける時だ。
まるで憎しみ、苦しみ、後悔、それ等の連鎖を断ち切る時が来たのだと、俺達二人へ告げるかのように。
「終わらせよう、あの日の苦しみも悲しみも全て……」
過去の記憶が過ぎる。
ずっと苦しみ続けた、幼い頃の炎の記憶。
あの日の炎は今も俺を苦しめる。
それでも俺は繰り返さないと誓った。
守りたいモノがあるから。
守るべきモノが増えたから。
守りたい人が居るから。
救いたい人が目の前に居るから。
だから……
「俺が変えてやるよ。
俺の目の前で、もう誰も失わせはしない!!」
声と同時に両者の体が動く。
炎と衝撃が交錯し、辺りに炎が広がり続ける。
一人の家族を救う為の戦いが幕を開けた。