ワタシ、私
帝歴397年10月8日
暗い部屋の中、数多に及ぶ巨大なカプセル状の機械が置かれていた。
一人の女性研究員がソレを眺める中、一つのカプセルに対しては何処か複雑な表情浮かべながらも手に持った端末に視線を向けながら観察を続ける。
「これが例の新型ですか。
これまでの素体とは一体何が違うんです?」
女性に話掛けたもう一人の研究員。
突然の彼の言葉に対して、彼女は特に驚くような素振りも見せず淡々と説明をし始めた。
「私は先生から渡された資料通り設計しただけですよ。
それぞれの素体に使用した検体は私や他の研究員から検体を採取しソレを使用しました。
他にも検体が用意出来れば良いのですがね」
「それで?
これ等の実戦配備はいつから行う?」
「来月頃には彼女達の意識が戻る予定です。
実戦配備にはもう少々時間が掛かるかと」
「了解した。
アルクノヴァ様への経過報告を忘れぬように」
「それくらい、分かっていますよ」
「ああ、それと……。
さっきから気になるのですが、その素体には何か特別な思い入れが?」
研究員にそう言われた彼女は、目の前のカプセルの中に入っている素体に視線を向ける。
カプセルに入っているのは少女の素体。
薄焦げ茶色の髪、何処かソレは女性の姿と似通っているとすら感じる程である。
「コレは私の検体を使用し造られたモノです」
「君の検体を使ったものか。
なるほど、まぁ気持ちは分からないでもない。
しかし、こちらとしては無駄な足掻きだと思うが」
「私が今回の研究に協力したのは、その為ですから。
条件が飲み込めないのであれば、わざわざこんなところに今の私が来る必要もありませんでしたし」
「なるほど、あの人が頭を抱えた理由がわかりました。
まぁ程々にして下さいよルティア・ノワール博士」
研究員は彼女にそう言うと、この部屋を後にする。
残された女性は、カプセルに手を触れながら呟く。
「あなたの名前はアクリ。
大丈夫、あなたは一人にさせないから。
お姉ちゃんもそのうち会わせてあげるから、だから私にその為の力を貸して……」
●
帝歴398年2月
「ルティア博士が居なくなって、残されたのが素体達のみか。
あれ等の面倒はノーディアとあの妖精族、そして他の素体達が交代で見ている。
全く、あの人も無責任な事をするよ」
「しょうがないだろう。
あの人がここを去る直前の様子はかなり異常だった。
流石に死んだ自分の子供を生き返らせる為とはいえ、精神が壊れ始めしまいには薬に溺れていた程だ。
それを見兼ねた彼女の主人がアルクノヴァ様に頼み込んで強制的に辞めさせられたんだからな」
「今後の第四世代の研究はこれからどうなる事やら」
「アルクノヴァ様が後任をするそうだ、デウス・エクスマキナは既に最終調整の段階。
問題の器となる彼等の方を今後は見ていくらしい。
ルティア博士が彼等を完成させていたのは良かったな、途中で放棄されていたら彼等も廃棄せざる負えなかったからな」
「それで、今のところ残された素体達は?」
「現在残っているのは10人程だ。
その内飛び抜けて優秀なのはアクリとかいうホムンクルス。
戦闘評価も、知能評価もダントツで申し分ない、何を思ったのか例の妖精族自ら彼女へ戦い方を教えているようだからな」
●
398年3月8日
白い巨大な空間で、互いの攻撃が交錯する。
金属の武器同士がぶつかり合い、腕に痺れるような衝撃が響き渡る。
向こうの方がこちらよりも体格が大きい故に、こちらは力負けしやすく衝撃に耐えかねて吹き飛ばされた。
地面への直接的な衝突を体を咄嗟に動かし回避するも転がるように落ちた事に変わりない。
極彩色の羽を持つ彼女はこちらを見下し、ゆっくりと降り立つとこちらへ剣を再び向けた。
「立ちなさい、まだ終わってないわ」
「分かっていますよ……」
勝ち目がない存在、今の私では辿り着けそうにない高みにある彼女。
絶対的な力、そして圧倒的な美しさを持つ彼女に……
「今度こそ、私が先輩を超えますから」
今の私は憧れていた
●
私達ホムンクルスは人間よって造られた。
そして私達を作り出した人間に捨てられた。
生まれて間もない私達ホムンクルスに告げられたのは、全28名から最終的に2人までを残すというもの。
脱落者には処分が言い渡され殺される。
何を言っているのか始めはわからなかった。
だが徐々に減る私と同世代の存在を見ていく事で何が起きているのかを私達は察した。
私は生き残りたかった。
生きたかった。
この世界が何なのか、この建物の向こう側には何があるのかを知りたかった。
目覚めてから数カ月が過ぎた頃。
私は外の世界を見たという私達の仲間がいると聞きつけ、私達のリーダー的存在であるノーディアからその人物の話を聞くことが出来た。
「外の世界を知る者か……。
恐らくリーン・サイリスという妖精族の事だろう。
彼女が素直にお前に話してくれるかは分からないが行ってみるか?」
彼からはそう言われ、そして私は彼女と出会う。
私が後に憧れる、先輩という存在に。
「おい、この子が外の話を聞きたいそうだ」
「っ……何で私が?
私は今疲れているのだから休ませなさい」
「いいから話してやれ」
「その子、どうせ生き残れはしないわ。
知ったところで、早々死ぬだけよ。
だから言うだけ無駄なのよ」
「どうしたら話してくれますか?」
私は思わず彼女にそう尋ねた。
表情が僅かに動き、寝ていた彼女がゆっくりと起き上がると、私を見下し質問をしてきた。
「残りは今、どれくらいかしら?」
「21人、私を含めて現在はその程度残っています」
「そう、なら10人以内に残れたら話してあげる。
知りたいのなら生き残れるわよね?」
「……、分かりました。
それじゃあもし私が生き残れたら、あなたの知る全てを教えて下さい」
薄暗い部屋の中、自分が見上げた先にいる女性。
オレンジ色の長く美しい髪、異様とさえ思う程整った端正な顔立ちをしていた。
しかし、何処か寂しそうな表情を浮かべながら一言だけ私に告げる。
「せいぜい頑張ることね」
それ以上何も言う事はなく、女は部屋の奥へと行ってしまった。
「済まないね、話を聞かせるのは難しそうだよ」
「いいえ、問題ありませんよ。
私が生き残ればいい話ですから」
部屋の先を見つめながら、私は拳を握り締めていた。
必ず生き残る、そう誓った。
●
「残り5人、かなり絞り込んだようだな。
お前、最後に生き残るのは誰だと思う?」
「そりゃあ、ニルかフリース、アンクの3人の誰かだと思うよ。
まぁ規格外が一人居るが……」
「アクリの事だろ?
アイツが一番戦闘評価が高いのは紛れもない事実だからな。
戦闘評価に関しては、同時期のノーディアやローゼンを上回り常にフルスコアだ。
単純な個体性能だけ見れば、あの妖精にすら届きうるんだが……」
「確か未だに妖精の方には一度も勝てていないのか。
まぁ、向こう側が神器を持つというだけでかなり手厳しいのは事実だろう。
デウス・エクス・マキナを得たローゼンとも、同様に一度も勝てていない。
年齢や体格差、単純な戦闘経験の差だろうが第四世代の本来の力を得た時にどう変化するか……」
「そりゃ、奴なら容易く勝てるだろうよ。
ただ奴はマスターに対してというか、こちらへ対しての忠誠心は一番低い。
唯一、妖精やローゼンの命令にはしっかりと従うが俺達には手が負えない状態だ」
「なるほどなぁ……」
研究員達がそんな会話をしている矢先、目の前に例の人物が現れる。
アクリ・ノワール。
現状、第四世代の中では最強と言われる彼女であった
「楽しそうですね☆
何かありましたか、科学者さん☆」
「いや……何でもないよ。
君はこれから戦闘訓練かい?」
「ええ、今日は2週間ぶりに先輩との演習なので☆」
「そうかい、まぁ頑張りな」
「はい☆
お二人方もお仕事頑張って下さいね☆」
彼女から二人へ向けられる僅かに冷めた視線。
声音は明るいのに、何処か乾いたように冷めた言葉に二人の背筋が僅かに凍る。
目の前の薄焦げ茶色の少女は楽しげに歩いていくが、研究員二人は僅かに恐怖を感じていた。
「聞かれてたみたいだな」
「ああ、殺されるかと思ったよ」
「無垢な笑顔、元気いっぱいのように見せかけてこちらを脅しかけるとは……」
「傍から見れば普通の少女そのものだがアレを見ればとてもじゃないが耐えらたものじゃない」
「やはり所詮は人の皮を被った化け物に過ぎないよ」
●
ここでの生活を始めてから、2年程が過ぎていた。
私は先輩からの言葉通り生き延びた。
ここで生き残る為に必要なのは知能評価と戦闘評価の得点を合わせた総合評価で高い点を得る事。
知能評価100点満点、戦闘評価200点満点。
計300点満点という内訳の中、私達第四世代は競い合っていた。
現在残っているのは私を含む5人のみ。
その中で現在の私は知能評価と戦闘評価で満点を取り続けた。
先輩から告げられた生き残るという条件を満たす為に、私はひたすら戦いの勉強に明け暮れていた。
そして知る事が出来た外の世界での事。
先輩が外の世界で何を見て何を得て、何を失ったのか……。
楽しい話もあったが、それでも辛い事の方が多い現実に先輩は常に外の世界で苦しんでいた。
失ったというもう一つの家族、そして家族に紛れていた裏切り者への復讐の為に。
先輩はこの施設に戻ってきたそうだ。
外の世界での話を聞いて以降、私は時間さえあれば先輩の元へと向かっていた。
一緒に食事をしたり、戦闘訓練や勉強を見てもらったり。
私にとっては先輩が唯一の家族のような存在であった。
しかし力を得れば得る程、私達を見るここの研究者達の目は変わっていく。
ようやく得た強大な力への称賛から、強大な力故の反逆を危惧し私達を疎むように避けるように変化していた。
そして残された第四世代同士でも、私は彼等から仲間外れにされていた。
生き残りの為に、私達は同じホムンクルス同士での戦闘を余儀なくされる。
戦闘評価が一番高かった私は自然と他のホムンクルスからも恐れられ距離を置かれていた。
戦えば殺されるとわかっている。
私が生き残りの為に、最も率先して仲間を殺しているからだと。
マスターや他の研究者にはそれを気付かれているのか、ここ最近は彼等との戦闘は意図的に避けられローゼンやノーディア、そして先輩であるリーン・サイリスとの演習が主になっていた。
彼等は私から見てもかなり強い。
私達に戦い方を教えたのは彼等であり、その中でも先輩は群を抜いていた。
私の今の目標であり、憧れの存在。
届かない程の力と、そしてこちらを魅了する圧倒的な美しさと存在感。
彼女のような力と、その魅力が私の憧れだった。
周りに何を思われ、何を言われようと関係ない。
私は先輩のような存在でありたい。
先輩さえ居てくれれば、私はそれで良かった。
あの人が私を見てくれれば、認めてくれれば他に何もいらなかった。
そのはずだった……。
●
帝歴403年11月26日
先輩はその日、酷い怪我を負って戻ってきた。
炎の力を扱える彼女が、全身に火傷を負う程の重症を負う自体に研究所内は彼女の治療と事態の深刻さにとても慌ただしい様子だった。
幾らかの治療負え隔離された部屋に先輩は入れられていた。
部屋の外窓から私は全身に包帯が巻かれた先輩を見ていると、ノーディアが私に話掛けてくる。
「命に別状はない。
ただ今までのような生活は送れないかも知れない。
全身の魔力回路がズタボロになり、廃人寸前だった。
こちらが最善を尽くし、幾らかは修復出来たとしても、彼女はもう以前のような魔術の行使は出来ない可能性が高い」
「例のサリアの騎士にやられたんですか?
先輩がたかが人間程度に遅れを取る訳が無いんです」
「彼では無いという連絡は、向こうの方から既に連絡が来ている。
もう一人、あちらは炎を扱える神器使いを隠していたらしいがこちらの得ている情報とは誰とも一致しない。
更に、リーンはそのサリアの騎士とは旧知の仲であったようだ。
例のサリアで別れたという家族の中の生き残りであるハイド・カルフが現在はシラフ・ラーニルという名を名乗り十剣として現在は活躍している。
わざわざ自分の名前を隠していた理由は不明だがね」
「あのサリアの騎士が、先輩がずっと求めていた男の子だったなら先輩は始めから彼を殺すなんて無理じゃないですか。
それに、先輩を襲ったっていうもう一人の炎の契約者は今何処にいるんです?」
「分からない、現在我々はその行方を追っているが手掛かりは何もなくどうしようもない……」
「そんな……、先輩がこんな簡単に負けるなんて私は信じられない!!
だって先輩は、先輩は私達の中でもずっと強くて、憧れなのに……」
●
帝歴403年12月3日
研究所の技術力もあり、先輩はこの日からようやく怪我からのリハビリを開始していた。
そして怪我のリハビリ開始から数時間が経過しようと、先輩は一時の休憩も挟まず体を無理矢理動かす。
まるで何かに取り憑かれたかのように、以前の先輩の様子とはまるで別人のように振る舞っていた。
体の無理がたたり、先輩は体のバランスを崩し倒れる。
見兼ねた私が先輩の方へと向かい、駆け寄るも彼女は私の伸ばした手を振り払った。
「先輩、無理はしないで……」
「私に構わないで、アクリ。
コレは私の問題、私が今成すべき事だから」
「そんな体で何をするつもりなんです?
今は体を休めて、次の任務に備えるのが正しいはずです」
「私にはその次が無いの、アクリ。
だから私は、いち早く体を治して彼ともう一度戦わないといけない」
「例のサリアの男の子ですか?
そんなにその人の事が大切なんですか!!
これまで一度も先輩の元に来なかったそんな奴の事がそんなにも大切なんですか!!」
「彼は私の全てよ。
今の私が生きて居られるのも彼のお陰だから……。
残された時間も彼の為に使う、彼の為に私はここに戻ってそしてもう一度彼と出会う為に私は居るの」
「っ……そんなのおかしいです!
先輩は私の理想で、誰よりも強くて……だから!!」
「……、私は彼の為に生きているの……。
彼がこれ以上苦しまない為に、私が彼の罪も彼の復讐も全て背負うと決めたの。
私に光をくれたあの子の為なら、私は何だってするわ」
「っ、先輩……」
「私の邪魔をするなら例え貴方でも、マスターであっても容赦はしないわ。
この場の全員を殺してでも、私は私の目的の為に戦うだけ」
こちらを睨み、明らかな敵意を向けてそう告げる彼女に私は愕然としていた。
先輩は始めから私なんて見ていない。
見ていたのは常にあの男の子の存在。
死んだはずの存在、そんなものの為に先輩はずっと強さを求めていたのだ。
私の事なんて始めからどうでもよかったのだ……。
先輩にとって、あの人にとって私は必要のない存在。
私は始めから誰からも必要とされていなかった。
先輩は私を認めてくれた唯一の存在……。
そのはずなのに……
始めから私を見てはいなかった。
先輩の視線の先には常に、あの子供の影がある。
だから私の出会った時から、どうでも良かったのだ。
先輩にとっては、あの子供が全て。
それ以外は無価値に等しい。
先輩の言葉に私は何も返せず無言で立ち去る。
あのまま放っておけば恐らく数日も経たずして死ぬ定め。
あんな子供一人の為に、そこまでする理由は何なのだろうか?
たかが数ヶ月を外の世界で共に過ごした程度。
一体何が先輩を変えたのだろう?
いや、もう私にはどうでも良いことだ。
私は生きたい、無価値だとしてもこれまでの全てがそうだと決めつけられるのは到底許されない。
誰かに決めつけられる事、自分で決めつける行為さえも私は許さない。
どれだけ無様でも生きよう……。
私は誰よりも強い、そして美しく綺麗でありたい。
先輩に憧れた自分、その自分と想いは本物だから。
先輩よりも輝きたい。
先輩よりも強くなりたい。
先輩に私を見てほしい。
私を一人にしないで欲しい………
●
帝歴403年12月14日
閃光が交錯する。
外皮に漏れる魔力の光が残像として残る。
お互いの動きの軌道の後が残り、速度が上がる度にその長さは伸びていく。
爆発の衝撃が起きた先で、私達はほとんど無傷だった。
所詮は相手の実力を図る為。
グリモワールの出力をお互いに抑えているのだから、今の段階でも倒しきれるとは思えない。
「流石、ラウ様と言ったところです。
闘舞祭での戦いから、遥かに成長している。
攻撃に移行するまでの間の時間、魔術式を構築し魔術発動までに掛かる時間もかなり短い。
お互いのグリモワールの出力が同程度でも、恐らく魔術に関してはラウ様の方が上です。
この力を試す為に、もう少しは楽しめそうですね☆」
「貴様はそれが全力ではないのだろう。
そろそろお前の本気で来い、それとも出し惜しみで勝てると思っているのか?」
そう言って、目の前の男は黒い拳銃の銃口をこちらへと向ける。
確かに彼の言うとおり、このまま時間が過ぎるのはお互いに埒があかないのは事実。
攻撃の読みの深さが同程度、身体性能と戦闘経験はこちらが上なのに対して、魔術の練度及び戦闘技術は向こうが上なのだ。
お互いの手の内を学習して、共に学習し強化していくがいつまでも勝負が付かない。
それに、そろそろ私自身もこの力を試したいところだったし丁度いい。
瞬間、僅かながら身体の節々を貫く痛みの感覚が訪れる。
僅かに表情が歪みそうになるが耐えられない程ではなかった。
シンから取り込んだグリモワールが私の体内で未だ異物として暴れているのだろう。
現段階で戦いに支障は無いが続けば確実に身体を蝕むモノである事は間違いない。
早々と決着を付けた方が得策だ。
「そうですね☆
それじゃあ、2回戦目と行きましょうか」
自身の言葉と同時にお互いの魔力が高まる。
体内に埋め込まれた、人工神器デウス・エクス・マキナに向けて魔力を注ぎ込む。
体温がそれに応じて高まり、高揚感すら感じ始めた。
目の前の視界が僅かにブレると同時により鮮明な光景に移り変わる。
両手に手に持っていた短剣はいつの間にか消えていたが問題ない。
再び魔力を込め、生み出したい武器の形を思い浮かべ形付けていく。
両手から青い光を放つ魔法陣が形成され、真紅のハルバードが両手に現れる。
更に魔力を高め、体内の神器に向けてより魔力を込めていく。
埋め込まれた神器が激しく輝き、胸に埋め込まれている為その辺りから赤い光が激しく輝き始める。
その光は形を成すように、変化が起きる。
全身を包み込み、羽衣のように纏っていく……。
血に染まった真紅の衣装に、赤き光の羽衣が折り重なり光は更に増して輝いていく。
弾けるように光が拡散されると同時に変化は終えていた。
「これが私の最強の力。
深層開放、デウス・エクス・マキナ・アルファ。
ローゼンから一度この姿は見ているから、二度目になるのかな?
グリモワールでは全ての神器の力は扱えても、この深層解放だけは再現可能出来ない。
この力に加えて、私にはグリモワールも扱える。
ただ、神器の力は再現出来ないけど……。
それで、ラウ様は私に何を見せてくれるのかな?」
目の前の男はこの姿を見ても表情を一切変えなかった。
予想の範囲内、あるいは諦めななのか体内に溢れる魔力の流れが遅くなっているのがグリモワールから確認出来た。
まさか、諦めたのだろうか?
いや、恐らく何かを隠している。
シンという女が知り得ないナニカの力を奴は持っているはずだ。
「お前が力を見せたように、私もそれに応えよう。
だが、お前の言う通りに私のグリモワールでは深層解放は現状不可能。
だが、それに代わる力は既に得ている。
まだ完全とは言えないが、試す場としては問題ない」
「ソレは初耳ですね、彼女にわざわざ隠していたんですか?」
「シンには色々と仕事が重なっていた。
その邪魔にならないようにしていたまでだが、完成した時に一度見せてやりたかったものだな」
「それで、一体ラウ様は何をしようというのです?」
私がそう彼に尋ねた刹那、彼の体内の魔力が大きく揺らいだ。
彼の皮膚上から溢れるグリモワールの光が揺れるように煌めきを帯びていく。
全身を張り巡らせるようにグリモワールの光は規則的な模様を浮かべ発光するも、徐々にその模様が変化していた。
魔力の扱い方がこれまでとは全く違う……。
デコイとは違う、オリジナルの持つ本来の力なのだろうか?
「ロゴス・ヴィヴリオ」
彼がそう唱えた瞬間、その周りに数冊の半透明な本が魔法陣と共に現れた。
本達は更に数を増し、そしてそれ等全ては彼の周りを公転している様子。
あれが彼の魔力から生まれたモノである以上、ただの本ではない。
しかし不思議な事に本達が彼の周りに出現した途端、彼から放たれる魔力が非常に低くなっているのである。
代わりに、公転している本達から放たれる魔力は非常に高い。
これまで彼が錬成してきた武器達と比べるにはあまりにも格が違う程に。
これまでの200倍程、私の持つグリモワールから観測し割り出した結果がそれ程なのである。
彼自体の魔力が大して上がった訳でもない。
なのに何故だろう、私の本能が告げている。
アレには絶対に関わるなと、警鐘を鳴らしている感覚が全身を貫くように……。
「理の書庫
これが私の切り札だ」
「それが貴方の切り札?
むしろ貴方自身の魔力が弱まって弱体化しているのではありませんか?
そんな力で私に勝てると本気で思っているんですか?」
「私は、お前のように深層開放によって身体能力が大幅に強化されるような大層な事が出来ない。
ましてコレは体内のグリモワールが体の外に移動しただけだ。
私自身の魔力が減ったのは体の外に体内のグリモワールが外に出た事が影響している」
体内のグリモワールをわざわざ外に……。
それが何だと言うのだろう、彼の持つ魔力量が大きく落ちた事と関係があるのは確かだろう。
現在の彼からはほとんど魔力が無いに等しい。
ほとんど空の状態だ、そんな状態でも彼の周りには異常な程の高い魔力を持つ本達が公転しているだけなのである。
これがグリモワール本来の力だというのか?
シンの記憶にはこのような情報はなかった。
ノエルが彼女に隠し、この力の存在を見つける事を彼に託したのだろうか?
あるいは、マスターであるアルクノヴァ自らがこの力の存在を彼に教えた可能性もある。
しかし、彼にこんな力があるのならマスターは事前に対策方法を知っているはずだ、仮に無くともシファ・ラーニルと同じく警戒するよう伝えるはず……。
マスターも知らない力なのか?
ノエルだけが知っていた力なのか?
あるいは、彼自らが見つけた力なのか?
だが、あの本達がどれほどの脅威なのか全く分からない。
グリモワールから分かるのは莫大な魔力を保有するという情報のみ。
剣や銃などのわかりやすい武装とは明らかに訳が違うモノ。
そもそもアレが戦えるモノなのかすら疑わしい。
「そうですか、まぁそんな本如き。
これから紙くず同然にしてあげますから☆」
間合いを一気に詰める。
深層解放によって大きく身体能力が上がっている状態だ。
回避はまず不可能、向こうはあの本達のみ。
魔術を使おうと一瞬の間が必ず空いてしまうのだ。
その瞬間すら無くせば防御は不可能。
彼自身の魔力もほとんど無いに等しい。
例え防壁を貼ろうとも、その程度の魔力では今の私の攻撃は絶対に防げない。
今の私なら一瞬で奴の首を奪える。
両手に携えたハルバードに魔力を込められ、威力は更に増していく。
防御は不可能。
そのはずだった……
音も無く、まるで砂と化すように私の武器が目の前で突然崩れ始めた。
それは私の攻撃が彼の周りを公転し続ける本達の寸前に届いた刹那の事。
目の前の事象に何が起こったのか理解が追いつかない。
何かの攻撃を受けた?
いや、何も感触が無かった。
魔術の発動に必要な一瞬の間がなかったのはグリモワールで常に監視されて確認済みであった。
なのに、私の武器は彼の周りを公転する本達の目前で崩れてしまう。
アレが私の武器を崩壊させたのか?
だが、何かの魔術を直接受けたとは思えない。
魔法陣の発動が無かったのが何よりの証拠。
たかが本程度に、私の得物が壊されるなんてことがあるはずが……。
武器が崩れたのを見計らい、すぐさま私は己の身を引き間合いを取り直す。
思わぬ光景故に、私は動揺し息が大きく乱れていた
しかし彼は以前として様子に変化はない。
こちらを見据え、待ち構えているのみ。
「一体何をしたの……」
「見た通り、お前の魔術を無効化した。
武器が壊れたのは魔術によって作り出されたモノであるからが理由だろうな」
「でも、貴方は詠唱どころか魔術を使う間なんて無かったはず……。
その本に私の武器を壊せる力があるとはとても思えないけど」
「意図して壊したのではない、一定の範囲内に入ればお前の武器も深層解放も関わらず無効化出来る。
お前のようなホムンクルスであれば、肉体ごと分解されるだろうな」
「どういう意味?」
「この本達にはそれぞれ世界の法則や知識の全てが記されている。
魔術の概念すらこの中の一つだ。
それ等の本が、お前一人程度の一介の魔術程度で壊れる事はない。
いや、魔術そのものにこれ等の本を壊す事が出来ないという掟が前提としてこの世界には存在している。
この決まりを知る者は世界にほとんど居ないだろうがな」
「なんでそんなモノを貴方が持っているの……」
「これがグリモワールの本来の姿だ。
本の一冊一冊はグリモアと呼ばれ、それ等の集まりが我々の知るグリモワールと呼ばれるモノ。
コレの本来の力はグリモアを具現化され、それを行使する能力だ。
本の内容は絶対であり、何であろうとこの本には逆らえない。
本の内容を改ざんすればその通りに世界を造り変える事も可能だ。
一概に世界の攻略本とも言われた程だからな。
世界を己のモノとして造り変える事が出来るこの本の力を皆が欲し、そして恐れた。
今の私には魔術という概念そのものが効かない。
まして様々な魔術を駆使して生まれたホムンクルスは私に触れる事すらままならないだろう」
「そんなデタラメが私には通用しない!!」
彼の言葉を無視し、私は攻撃を仕掛ける。
本に触れようとした事で壊れるのなら、本の無い空間に向けて攻撃を仕掛ける。
「諦めが悪いな」
公転している本達が動き、私の武器を阻む。
武器が触れようとした瞬間、何事も無かったかのように崩れ去る様を眺めるのみ。
武器が崩れていき、手元にまで崩壊が及ぶも構わず攻撃の姿勢を保つ。
右手で構えた武器が崩壊していく間、左手に魔法陣を出現させ新たな武器を錬成する。
先程まで彼が使用していた黒い拳銃がそこに現れていた。
攻撃の仕組みは理解していた。
引き金の無い特殊な構造のモノであるがその仕組みは単純そのもの。
弾倉に当たる部分には事前に魔術を用いて弾を錬成している。
それぞれの弾には他の魔術が施されており、単純に銃による射撃と同時に魔術そのものを飛び道具として自在に操る事が可能。
しかし、ソレを扱う魔術の難易度は桁違いに高い。
武器を錬成する魔術を使う段階でも、私は一瞬の溜めの間が空いてしまうのである。
片方の拳銃を錬成する事に一瞬の溜めが生まれる、更にそこから扱う魔術の弾を錬成する事に魔術を使用する。
問題はこの拳銃から弾を錬成する魔術そのものだ。
ただの弾を錬成するのであるならそう手間は掛からない、一瞬の間が生まれるが同じ構造の弾一度に数発も作るのであるから応用が効きやすい。
しかし、目の前の彼がしていたのは一発一発に異なる魔術を付与した弾を錬成している点。
そんな魔術を扱うまでにどれほどの鍛錬や魔術の基礎を叩き込んだのか想像も付かない。
グリモワールを使用し補助をしていたとしても、むしろグリモワールが思考の容量を圧迫し邪魔になる程なのだ。
彼の実力が高いのは彼女の記憶からある程度予測していた。
しかし、先輩には勝てなかったのは以前の報告で把握している。
今の彼が、あの時の実力を遥かに上回ったとしても先輩よりも格下であるのなら私は絶対に負けるはずがない。
左手に構えた拳銃に対して再び魔法陣を展開し、弾倉に向けて弾を錬成していく。
異なる魔術を錬成するなんて事は今の私には出来ない、それでも彼に出来て私に絶対出来ないなんて事はあり得ない。
彼が可能にしたのなら、私にもそれは可能だ。
弾の錬成を終え、左手の拳銃を彼に向ける。
錬成した弾は5発。
至近距離から彼の頭に向け、込められた弾の全てを撃ち切る。
瞬間、目の前の彼が一歩後ろに引くと同時にその姿が私の視界から消え去った。
私の視線が僅かに下の方を見る転移の魔術が発動したと思われる魔法陣の光の残像を目視で確認した。
彼の位置を一瞬見失うが、グリモワールの観測により私の背後の頭上に居る事がすぐに脳内へ情報が行き渡り敵の体の動きをグリモワールからの観測によって把握する。
展開する本達の一冊が彼の右手によって広げられ、左手に何らかの魔術が使用されようとしている。
使用される魔術が何なのか、そこまでの把握は魔術の術式が構築される段階なので把握が出来ない。
だが前段階であるなら、時間の猶予はある。
先程私が放った弾が彼の周りを囲むように展開され光を放ち弾ける。
同時に4つの魔法陣が彼を囲むように展開された。
魔法陣の内部から、光の鎖が展開される本達の間縫うように彼に向けて放たれると同時に囲みその身柄を拘束していく。
「これで…、終わり!!」
放たれた鎖がすぐさま彼の周りを公転する本達に触れ容易く崩れ去る。
しかし、鎖によってこちらの攻撃の意識を逸らすには十分効果を発揮した。
事前に控えていた本命の一撃、彼の背後から至近距離で狙うソレが発動するのには十分な時間を確保出来ていた。
こちらに攻撃が当てようものなら、向こうはこちらの攻撃を受けなければならない。
魔力のほとんどが周りの本達にある以上、生身の肉体にアレが当たれば確実に奴を殺せるには十分。
例え相討ちになろうと、彼を倒せればそれでいい。
私が最強だと、ワタシが絶対だとここで証明する。
そして攻撃と同時の刹那、互いの攻撃が放たれ光と衝撃に身体が飲み込まれた。
●
視界と意識が鮮明になっていく。
攻撃の衝撃により、僅かな間ながら意識を失っていた。
爆発の衝撃による砂煙が未だ晴れず、ふらついた体を動かし状況を確認。
敵の存在は僅かな魔力を残し未だ生きている……。
こちらも彼程ではないが、先程の無理な攻撃が祟り限界は近かった。
錬成したはずの拳銃は未だ手元にあるがたった5発を撃っただけにも関わらずヒビ割れ銃口は半壊していた。
握っている手も、指先は魔力を強く込め過ぎた故に体内の血と潤滑液にまみれていた。
しかし、体にはおかしな点が幾つかあった
攻撃の衝撃に飲まれたはずの身体には何処にも深い傷は見当たらない。
彼の放った攻撃は確実に私に命中しているはずだが、何処にも攻撃によって与えられた傷は無いのだ。
代わりに、体内のグリモワールの活動が落ち着いていた。
彼との戦いで身体がようやくソレに順応したのだろう。
あの痛みから解放された事に対して僅かに安堵しつつも私は彼の元に向かう。
まだ奴は生きている、確実に仕留めなければ意味がない。
まだ生きているであろう敵の残党の処理もしなければならないのだ。
彼一人に時間をこれ以上費やす訳にはいかない。
辛うじて動く右手に残された魔力を振り絞り武器を錬成。
黒い短剣が一握り、今の彼を殺すには十分。
満身創痍の身体を動かし、瀕死の奴の元へと向かう。
そして彼はすぐに見つかる。
うつ伏せで倒れ、既に虫の息。
短剣を握り締め、彼の首元へと突きつける。
「私の勝ちですね、ラウ様……」
「どうやらそうらしい。
多少の無理が効きすぎたが問題はない。
私は既にやるべき事は果たしたからな……」
「どういう意味です?
私との戦いに敗北して、今から殺されようというのに何がやるべき事を果たしたと?
貴方は負けた。
だから何の目的は果たせていないんですよ☆
私達の勝ちです」
私の言葉に対して彼は僅かに間を開けるとゆっくりと口を開き始めた。
「グリモワール・デコイの動作異常に対して処置を施した。
体内のグリモワールはお前の身体に完全適合しているのはこちらのグリモワールからの観測により確認した。
これでひとまずお前の生命維持の問題はないだろう」
「何を言って……」
「戦闘中、常にお前はグリモワールの動作異常により全身に痛覚過敏が働いていたはずだ。
体の中枢神経全体をグリモワールの強力な魔力制御を正常に出来ず常に身体中枢をズタズタに傷付けていた状態だった。
放っておけば数時間程度で死に至っていた。
私は交戦中常にお前の体内のグリモワールを観測し続け処置方法を思考していた。
攻撃と同時にグリモワールのどの機能に異常があるのかを割り出すのに相応の時間を要したが、処置方法が分かれば後はグリモアを使用しその処置を実行に移すのみだった。
今の私ではその処置方法を行う程の能力は無かった故に半分程の賭けグリモアを使用する事を決断せざるを得なかったがな……」
「まさか……いやあり得ない。
なんでそんな事を私にしたんです………。
私は、貴方の仲間を殺したんですよ!!
なのに何でこんな私を助けるような真似を!!」
「シンと最後に約束したからな。
シンが私の側に居たいという願いを叶える為に。
姿形が変わっても側に居続けたいという願いを叶える為にあの場でお前を殺す訳にはいかなかった。
何より、お前を殺す事が私の任務ではないからな。
事情はどうであれ、お前が彼女のグリモワールを継承したのは事実だ。
姿形が変わっても、彼女のグリモワールはお前の中で存在し続ける。
だから私はお前を生かす為にシンと交わした最後の約束を果たす為に、私なりの最善を尽くしたまでだ」
彼のその言葉に愕然としていた。
全身の血の気が引くような感覚に陥るが、奮い立たせ怒りにも似た感情のままに言葉を彼にぶつける。
「ふざけないで下さいよ!!
こんな事を勝手にされて、私に何を望むつもりです!!
こんなに血に濡れて、多くの人だって殺した私をどうして……、どうして生かすような真似をするですか!!
こんな結末を私は望んでいないのに!!
貴方が私を憎み殺すのも当然の存在を何で……!!」
「シン一人を救えなかった、私自身への償いだ。
だが幸いにも、お前一人を救えるだけの力は私にあったようだな」
私は手に持った短剣を投げ捨て、死にかけの彼の襟首をつかみ持ち上げる。
「勝手な事をしてそのまま死ぬつもりですか!!
馬鹿過ぎません?!
そんな事をシンって女が貴方に望んだとでも本当に思っているんですか!!
貴方が勝手に死ぬなんて許さない!!
どれだけ無様でも貴方は生きる選択をしないと駄目なのに、何でそんな事をするんです!!
死んだ彼女の分まで、あなたに未来を託した彼女の為を思うのなら私を殺してでも生きようとする選択肢をするべきでしょう!!
なのに、なのに何で勝手に格好付けてあの人への償いですか!
ふざけないで下さい!!
今まで彼女への想いを何も知らずに生きてきた貴方が今更そんな愚行をしようなんて許しません!!
勝手に死のうなんてふざけないで下さいよ!!」
私の中の記憶が大きく混濁していた。
グリモワールの中にある彼女の記憶は私の中に残っている。
これが私自身の彼女の記憶を知っての想いなのか、あるいはシンという者が彼に抱いていた想いなのかは分からない。
それでも、それでも私は目の前のこの男に対しての怒りが収まらなかった。
気付けば涙が溢れていた。
泣きながら、私は彼に怒っていた。
溢れた涙に、ふと目の前の彼の手が触れる。
「今、お前が泣く必要はないだろう」
「理由くらい察しなさいよ、馬鹿……」
涙が止まらなかった。
敵であったはずの彼に、私は何故か心を許していた。
何も言わずそんな私を彼は抱き寄せる。
私に向けての行為なのか、シンという者に対しての行為なのか分からない。
それでも、今の彼は彼女の知る時の彼とは人間らしさと得ていた。
強さと今の居場所以外は必要無かったはずだった。
先輩さえ居てくれれば、この場所で先輩が私を見てさえくれればそれで良かった。
そのはずだったのに……