第二話 変われないモノ
帝歴403年7月9日
それから皆で朝食を済ませた後、俺はアノラさんの食器を洗いを手伝っていた。
「これも私の仕事ですので、手伝いは不要なのですが………」
「いいんですよ、俺がしたくてしている事ですから」
「そうですか、いつもすみません」
「別に構いませんよ。
それに明日からはしばらくここを離れるので。
手伝いすることもありませんからね」
「そういえば、もう明日なのですね。
シラフ様、荷造りはもうお済みになられましたか?」
「俺は昨日の内にはとっくに済ませたんですけど、姉さんは一切していなかったと思います……。
後で荷造りを手伝ってあげて貰えませんか?」
「畏まりました、後で向かいます。
それと国王陛下から例の品が届いております」
「もう届いたのか?
それじゃあ、姉さん達の荷造りが終わったら部屋に持って来て欲しい。
俺はこの後、日課の鍛錬に取り組むので」
「了解しました。
お荷物の件が終わり次第お声掛けします」
●
洗い物を済ませると俺は屋敷の中庭へと向かった。
庭に着き次第、一度深呼吸をすると右腕に存在する腕輪に視線をゆっくりと向けていく。
「早く俺は……」
目を閉じ俺は自身の精神を集中させる。
すると自分の体内から何らかの力の流れを感じ始めた。
姉さん曰く、これが魔力という物らしい。
魔力は生命力のような物であり植物や動物、構わずに存在しているそうだ。
微量でもあるが鉱物や大気にも存在している。
この世界に複数本存在している世界樹から溢れていると言われており、この魔力という存在は今を生きる俺達にとって掛け替えのない存在だろう。
そして俺は現在、俺は今その魔力を体の中で研ぎ澄ませ、全身でソレを感じている。
魔力がある程度まで高まった事を確認すると、俺は再び視線を例の腕輪に向けた。
そして腕輪に高まった魔力をゆっくりと注ぎ込ませる形をイメージ。
たちまち腕輪は赤く激しい光を放ち形を変えていく。
腕輪は元の色味を残し、一振りの剣へと変わった。
その剣は僅かに細身の刃を覗かせており、自分の腕程の長さで何処か危うげな煌めきと存在感を放っている。
その剣は自分の目の前で浮遊している。
俺が手に取るのを今かと待っているようであった。
剣を手に取ろうとした瞬間、激しい炎が巻き起こり俺の全身を激しい炎で包み込んでいく。
包み込む炎は熱いが、その身は燃えない……。
しかし、全身を包み込む炎故に俺の体中から大量の冷や汗が溢れ出してきた。
「やめろ……」
俺の視界がぼやけ、目の前の光景が大きく揺れた。
自身の体の自由が効かない、思わず膝を付いてしまう。
俺の思考に、僅かな恐怖が差しかかった。
今朝、夢で見たあの日の光景が鮮明かつ断片的に。
思い出したくない……、あの夢を……。
あの日を……あの炎を……。
俺を包み込む、炎は消えない。
俺から全てを奪ったあの日の光景は今も俺を苦しめ続ける。
脳裏に浮かぶ、叫び声……。
炎に飲まれ助けを求める人。
火傷がひどく元の姿が何であったのか分からない死体の山……。
「やめろ、やめろ、やめろ……!」
俺を包み込む炎は、俺の悪夢を呼び覚まし続ける。
拷問に等しいそれに自身の自我が壊れるかに思えた。
「やめてくれ!!」
その時……突然俺を包み込む炎は消え去り俺の力が抜けた。
地面へ倒れそうになった瞬間、誰かが俺の体を支えた感覚を覚えた。
意識の途切れる間際、俺を必死に呼び掛ける銀髪の影が僅かに写っていた。
●
「っ……ここは?」
意識がはっきりせず、誰かの声が頭に響く。
体が重く、上手く動かす事が出来ない。
そして間もなく声が返ってきた。
「シラフの部屋だよ……。
自力では無理そうだから私がここまで運んで来たの」
声の主は、すぐに分かる。
俺の姉であるシファ・ラーニルその人だ。
意識がはっきりとし始め、俺は自身の体をゆっくりと起こし立とうとするが俺に掛けられた毛布の上にはリンが寝ており立つのを一度取り辞めた。
既に辺りは日が落ち始めている時刻になっており、俺が寝かされたベッドの右横には姉さんがいた。
「また無理をしたよね……」
「すみません、また迷惑を掛けました」
倒れるのは今回が初めてではない。
これがいつものこと、何度も繰り返した失敗。
この腕輪には、強大な炎の力が宿っているらしい。
しかし俺は、幼い頃に両親をこの腕輪による火災によって亡くした影響からか、俺は今でも炎を見ると恐怖心を覚えてしまう。
現在は日常生活を送る分には問題ない程度に回復してはいるはずである。
料理の為に火を使う程度は問題ない程には……。
しかし腕輪の力は凄まじく俺は耐える事が出来ないのが現状である。
「無理はしなくていいっていつも言っているけど、シラフは全く聞き入れてはくれないんだね……」
姉さんの心配の声に対し、
俺は自分の意見を主張した。
「俺は……。
自分に与えられた責務から逃げたくありません」
言葉を発するが、自分の手は確かに震えていた。
過去の事件は今もこうして俺を苦しめる。
自分のその弱さに苛立ちを覚えた。
昔から何も変わってない……。
ただ、恐怖から目を背けているだけだ……。
「シラフはさら頑張り過ぎだよ……。
そんな事を繰り返したら、いずれ自分を壊しかねないよ。
私だって昔から強かった訳じゃないしさ。
焦らなくてもいいと思うよ」
優しい言葉……慰め……同情……。
俺はそれに僅かながら苛立ちを覚えていく
「そうだとしても、それでもさ……。
俺は早く結果を出さないといけないんだよ。
姉さんも、いや……。
姉さんだからこそ分かっていることでしょう?
この腕輪に選ばれる事の意味を、あなたこの国の誰よりも一番理解しているはずですから」
その言葉に対し姉さんは表情を曇らせた。
しかし、それでも尚彼女は言葉を返そうとする。
「そうだとしても、私はね………」
この人は優し過ぎる。
今の俺にはそんな甘い言葉がとても嫌に聞こえる。
彼女の言葉を遮るように、俺は声を絞り出した。
「姉さんには返し切れない恩があります。
ですが……それ以上俺に踏み込もうとするなら、俺はあなたを恨みます」
「シラフ、私はね………」
彼女の両手が自分の震える手に触れようとしたその瞬間、俺は思わずその手を振り払った。
「やめて下さいっ!」
思わず自分の取った行動に自分自身が嫌気を指した。
こちらを戸惑いながらも見つめる姉さんの姿を見て居られず視線を反らしてしまう。
「ごめんねシラフ。
私が何もわかってあげられなくて……ごめんなさい」
姉さんと言葉を交わす度に苦痛を感じる。
「お願いします、今は一人にさせて下さい……」
震える手を強く握る。
俺の言葉とその様子を見かねた姉さんは何も言わず静かに俺の部屋を去っていく。
日は完全に沈んでいた。
夜の僅かな光が部屋を照らし出していく。
「俺は……どうして前に進めないんだ!
これじゃあ俺は昔と何も変わっていないだろ……!!」
自分の弱さがいつも嫌になる。
その憤りの感情がこの時、俺の中を占めていた。
「俺は強くならないといけないんだ………!
俺は……俺は、もっと強くならないといけない………!
じゃないと、何の為のこの力なんだよ!!」
ただ時間だけが過ぎていく。
俺には未だに、この力への向き合い方が分からない。