偽りの少女
偽りの少女
帝歴393年1月
屋敷での生活にも慣れて来た。
ここでは10数人の従者達、そして彼の両親と最近養子に加わった彼と同い年の妹が暮らしていた。
そこに私が加わった事で、毎日が賑やかだと彼の両親等は楽しそうにしている。
昔からのここは名家らしく、国の中でも指折りに入る程。父親は毎日仕事に追われて家族との時間を作るのが難しいらしいが、母親が彼の代わりに子供達への相手をしている。
父親は仕事が落ち着いた頃に子供達の話を聞くのが日々の楽しみだそうだ。
私も彼等と馴染めてはいるつもりだ。
とある例外を除いて……
「おーい、テナもこっちに来なよ」
ハイドは私が人間の本を読んで勉強している隣で同じく本を読んでいる。
先程から部屋の片隅でこちらの様子を伺い続ける少女に向かって声を掛けた。
「ええと、私はいい……」
彼女は私の方を一瞬見るそう呟き、そそくさと部屋から出て行ってしまった。
「相変わらず、リンの事が苦手なのかアイツ。
嫌いって訳じゃないとは思うんだけど……」
「そうね。
あとハイド、もう少し静かにして貰える」
「はーい」
素っ気ない返事をして部屋は静かになる。
少し離れた場所にある暖炉の焚き火からパチパチと音が鳴る。
しばらく時間が経った頃、キリの良いところで手を止め彼の方を見ていると頭をカクカクとしながら眠気と戦っていた。
子供にはまだ長い時間の集中は辛いのだろうか。
「しょうがないわね」
席から離れ別の椅子に置かれている毛布を取り出し、暖炉の前に置かれたソファーの前に置く。
ウトウトとしている彼の体を軽く持ち上げ、そのままソファーに座らせた。
「リン…?」
眠そうな顔で尋ねる彼に対して、私は毛布を掛け彼の頭を膝の上に乗せた。
「少しだけ休憩よ、あなたも休みなさい」
「別に、僕は……」
「恥ずかしくて照れてるの?」
「そんなんじゃない」
「そう。
なら、しばらくはこうさせて貰える?」
彼はこちらの方を振り向かず、ただ頷きを返した。
暖炉の火を見ながら、静かな時が過ぎていく。
●
「対象は以前とまるで変わらず。
妖精族の彼女と共にいる時間が多い模様です。
経過報告は以上です、マスター」
自室に籠もり、壁に寄りかかりながら主へ向けて本日の報告を済ませる。
すると、頭に直接話しかけるように声が流れてくる。
「連絡ご苦労。
やはり例の彼女は彼と共に居ることで安定しているようだね。
同じくして特異点の彼も、彼女と居る事で変化はありそうだ。
君は相変わらず、妖精族の彼女とは親しめそうにないか」
「彼女の存在は極めて危険です。
普通の異種族が神器と契約をするのはまず不可能。
そう設計したのはマスター自身でしょう?
なのに、彼女はそれを平然と扱える様子ですから仮に特異点を傷付けた場合制御不能に陥り、殺してしまう可能性もあります。
マスターが特異点の英雄化を目的とするのであれば、彼の死傷は避けるべき事象です」
「確かに、君の意見は最もだな。
私も彼を英雄化させるにあたっては現段階で失う事は非常に避けたい事象だ。
機会を伺い次第、早々に彼女の処分も見当するべきだろう。
君に何か考えはあるのかい?」
「近々、彼の選定の義が執り行おうという流れがあります。恐らく今後半年以内には確実に行われる模様です。
選定の義の最中彼に注目が集まるところで私が彼女を連れ出し私がこの手で直接排除します」
「実に面白い計画だね。
まさか、君からそういう言葉が聞けるとは思わなかったよ。
その時を期待していよう。
定期報告は継続、変化や異常があればすぐに報告するように」
「了解しました」
声はそこで途切れ、私は一息つく。
常に私へと取り巻く様々な出来事。
私は私の為に、生き残る為の最善を尽くそう。
ソレが私の果たすべき責務だ。
●
帝歴403年4月1日
月日は更に巡り、私は現在の世界の状況を多くを知る事が出来た。
彼の屋敷で長い間世話になった私は、近い内にこの屋敷を出る事を決めていた。
遠く離れた土地ではあるが、妖精族が生きているという情報を手に入れたからである。
もし本当だとすれば、私はようやく同胞達との再会がようやく叶うのだ。
しかし、ソレにあたって気掛かりが幾つかあるが。
その中の一つに、私がかつて破壊した研究施設の長であるアルクノヴァが私に告げた彼等の目的であった。
「現在、この世界はとある人物によって管理されている。世界の全てを己の為だけに利用し、我々の生死すらも奴の手によって管理されている。
人間も異種族も奴によって生まれたに他ならないが、私達は奴の支配から脱却する為にこの施設を帝国時代から創設し実に300年余りを奴等を確実に殺す為の研究に費やしてきた。
施設の派閥が割れた後も、それぞれの方法で奴等を殺す為の研究に費やし続けた。
我々の人類の最大の敵とも言えるその奴等の名は、
ラグナロク、そして、その統率者であるカオス。
全ての元凶である奴等を倒す為に、君の協力が必要だ」
アルクノヴァとの会話で気掛かりであったのが、ラグナロクという組織とカオスという存在。
具体的に彼等が何を行い、何を目的として動いているのか分からないが、彼がこれまで私に教えてくれた事のほとんどが真実であった事を踏まえれば、彼等が討とうとしているラグナロクともいずれ出会う可能性がある。
多くの文献を確かめたが、この屋敷にはラグナロクと呼ばれる存在やカオスという存在は書かれていなかった。
大昔から存在しているのであれば、尚更何かの手掛かりがあるかに思えた。
しかし、幾ら探そうとラグナロクとカオスの存在だけは一向に手掛かりはない。
何も彼等に関する手掛かりは掴めないまま、日々は過ぎ去っていく。
そしてこの日、選定の儀と呼ばれる物を近々控えているハイドが中庭で休んでいる私の元にやってきていた。
「どうかしたのハイド?」
「この屋敷を出るって話、本当なの?」
「あなたにはまだ伝えていなかったはずだけど」
「父様とリンが話しているのを見かけたから」
「そっか」
「この屋敷で暮らすのが嫌だから出ていくの?」
「そうじゃないよ、私は仲間の元に向かうだけ。
長い長い旅になりそうだけど」
「そうなんだ」
「あなたの方は近い内に儀式を受けるようだけど、何の準備もしなくていいの?」
「特に何か必要という訳じゃないから、大丈夫。
父様と母様は儀式関連の仕事で忙しいみたいだけど」
「そうね、あの子は相変わらず私との距離を取るみたいだけど」
「そうだね」
「無理をしてもしょうがないわ。
あなたは儀式の事だけについて集中していなさい。
大事なものなんでしょう?」
「うん」
彼はそう答えると、私の元を去って行った。
私は以前として彼の義妹であるテナと馴染めずにいた。私以外の人物達とは親しげに話している素振りは見受けられたが私に対しては何処か一線を引いている。
恐らく、私が彼女の兄であるハイドと親しくしている事が原因しているのだろうと。
なんとなく私はそう思っていた。
●
帝歴393年4月3日
儀式当日。
この日、私は儀式の全容をようやく理解した。
これから彼の受ける選定の儀というものは、私の身につけている首飾りと同じ神器の素質を見抜く為のものらしい。
まさか、ここで再び神器を垣間見る事になるとは思わなかった。
儀式の前に、国から遣わされたという使者が持ってきた儀式で使われるという神器を見せてもらった。
赤みを帯びた金属の腕輪。
炎刻の腕輪と呼ばれる国の至宝らしい。
強大な炎の力を宿し、この国の英雄が使っていたものだそうだ。
「私と同じ力か」
偶然にもソレは私の持つソレと同じ力。
私の持つ形こそ違えど同じ炎の力を宿す首飾りと今私が見ている腕輪が同じような代物なのだ。
不思議な感覚にふけるが、儀式も近付いた為この場を後にする。
儀式の時間が近づいてくると、不意に私の服誰かが後ろから掴んでくる。
すぐ近くに見えた薄茶色髪の毛からテナだとすぐに分かった。
珍しく私にぴったりとくっついているので尋ねてみる。
「珍しいわね、テナ。
どうかしたの?」
「少し付いて来てもらえる?」
儀式の時間が近いにも関わらず、彼女は何処か落ち着きが無かった。
彼女の母親からは仕方がないとの事で私に付いて行くよう促される。
その言葉に従い、私はテナを連れて部屋から出て行った。
部屋から出ると、トコトコと私の手を引いて何処かに案内をしていく。
屋敷が広い分、彼女の足では少し時間がかかるのだろうが儀式の直前になって何をしようとしているのだろう?
「テナ、私をどこに連れて行かせたいの?」
「もう少しで着く」
彼女は一言、そう呟く。
そして目的の部屋に着くと、私と共にその部屋へと入った。
場所は使われていない客間、特に物は置かれて居らず掃除だけされ放置されている部屋だ。
「テナ、一体ここに何があるの?」
再び彼女に尋ねると、視線の先に彼女は居ない。
何かが張り詰めた感覚に陥り、事態を察知した直後私の脇腹をナイフが掠めた。
直前で気付き、直接は免れたが私はナイフの持ち主へ向けて声を掛ける。
「何の真似、テナ……」
ナイフを持つのは私よりも背丈の低い子柄な少女。
私をここへ連れ出した彼女本人であったのだ。
「あなたが邪魔なんです」
そう言って再びナイフを振りかざす彼女。
先程よりも速く、ナイフを振るうが私も既に警戒しており容易く彼女の攻撃を躱す。
彼女の突然の行動に戸惑う、しかし放っておけば私が殺されるのは確実だと頭では理解していた。
数度の攻撃を繰り返す度、彼女のナイフを振るう精度は高くなっていく。体格差はあれど、少しでも判断を誤れば私を殺してもおかしくなかったのだ。
「あなた、いい加減に!!」
思わず子供相手に攻撃を仕掛けるが、それが彼女の狙いなのか躱される。
そして私の右の視界が凄まじい痛みと共に消え去った。
「テナっ……!!」
「声を出しても無駄ですよ。
この部屋は事前に音や衝撃が漏れないように細工してたので」
「何をしているのか分かっているの?」
「問題ありませんよ。
あなたが死んでも後処理はすぐに済みますから」
僅かに微笑み、視界が半分塞がった私目掛け攻撃を仕掛ける。
動きが鈍り、攻撃を避けきれず傷が増える一方だった。
「私、このお屋敷には特別な要件を受けて潜入しているんです。
なのにあなたが来たせいで色々と困っていたんです。
だからあなたには死んで貰います」
「ふざけないで!!」
子供相手だと油断していた私は構わず、神器の力を使った。
灼熱の炎が辺りを燃やし、私と目の前の少女を囲う。
彼女は危険だ。
彼に何かが迫る前に私が排除する。
覚悟を決めたその瞬間、一瞬体が震えると同時にテナは呟く。
「あなたがソレを使うなら、私も使っていいですよね?」
私も使っていい?
彼女言葉の意図が一瞬分からないでいたが、次の光景を目にした瞬間それを理解した。
彼女の心臓の辺りから強い光が漏れる、そして特徴的な茶髪が徐々に色を変え伸びていた。
黄金色の髪、そして両目が紫色の光を放ちこちらを見下すように見ていた。
その手に持っていたナイフはいつの間にか無くなり、手には身の丈程の槍がそこに存在していた。
「最後に一つ教えてあげます。
私はラグナロクの一人であるテナ・ラグド・サリア。
今のあなたを生み出した例の研究施設の者達が必死になって殺そうとしている者達の一人がこの私ですよ」
彼女軽く槍を振るい、それを防ぐも身体が一瞬で持っていかれそうな感覚に陥った。
よろめく私に彼女は作り笑顔を浮かべながら槍を私に向ける。
「じゃあさっさと死んで下さい、………姉さん」
少女振りかざした槍の迫力に思わず動きが止まる。
攻撃が私へと迫る中、突然現れた人影が左の視界を遮った。
攻撃の瞬間、少女の表情が一瞬強ばっていくのを捉える。
そして私の視界を遮った者が床に倒れた。
「嘘でしょう、何であなたがここに来ているの!!
こんな事あり得ないのに!!」
倒れた存在をテナは目の当たりにして、彼女は酷く動揺していた。
私はすぐさま駆け寄り、倒れたその人物を抱き起こす。
「怪我はない、リンちゃん。
テナも、お姉ちゃんとは仲良く……しないと…、駄目よ」
私を庇ったのはテナと彼の母親だった。
私が声を掛ける間も無くその言葉を残してそのまま彼女は力尽きてしまう。
テナへと伸ばしかけた手がぱたりと止まると、彼女自身の目から涙が流れた。
それでも、私は腹の奥底から湧き上がる感情を抑えられなかった。
「あなたのせいで!!
お母様が死んだ!!」
怒りに任せ私は少女へと斬りかかる。
しかし、私の攻撃は突然止まった。
意思と反するように、突然体が硬直した。
「どちらにしろ、もういいんです。
あなたさえ死んで貰えれば幾らでも修整が効きますから」
返り血を浴びた少女が私を見上げそう呟いた。
自分が彼女の攻撃を受けた事。
あの一瞬にも満たない間に、状況が逆転していた。
「死んで下さい、姉さん」
槍を振り払いそのまま私の体は部屋の壁に叩きつけられる。
傷が深く体が動かない。
何かの僅かな音が聞こえた。
燃えていく部屋の中、また一人誰かの存在を感じた。
「しっかりしてよ!!
リン!!何があったんだよ!!」
子供の声、目が僅かに開きその存在を視界に捉える。
「ハイド……?なんでここに?」
私がそう尋ねるも彼は私に背を向け、変わり果てたテナと対峙した。
「お前がやったのか、お母様もリンもお前が!!」
「私は……」
「人殺し!!お前のせいで家族が死んだんだ!!
お前のせいで、お前のせいで!!」
怒りを露わにハイドは少女に襲い掛かる。
しかし、非力な彼はすぐさま彼女にあしらわれ床に叩きつけられる。
「本当に馬鹿みたいな人ですね、いつも」
「その声、まさかお前……」
「私を恨んでくれて構わない。
私のせいであなたを傷付けた事に変わらないから」
少女は彼の胸ぐらを掴みながら、彼に話しかける。
彼の右腕に嵌められた赤みを帯びた腕輪を垣間見た瞬間テナは僅かに微笑んだ
「私が近くに居るとあなたを苦しめるからもう行くよ。
さよなら……、もう一人の契約者」
そう言い残して、彼女は私の方へ彼を放り投げると何処かへと消え去ってしまった。
この部屋に残されたのは瀕死の私と彼だけ。
私が放った神器の力の影響で炎が更に強まっていく。
このままでは彼も死ぬかもしれない。
そして、私自身も限界だった。
「君だけは守るよ、私が死んでもあなただけは……」
彼を助けられる可能性が一つあった。
彼が私と同じ炎の神器に選ばれているのなら、彼は自分の引き起こした炎では死なない。
私の経験上がそうであったからだ。
だから、私の力で彼の力を誘発させる。
屋敷を覆う炎を彼自身の引き起こした炎に変える事で彼を生かせる方法だ。
その為に、私は……。
「例えもう会えなくてもいい」
覚悟はしていた、いずれ別れは来ることを。
「傍に居れなくても私はずっと見守っているから」
「リン、何を……」
「私を助けたあなたを私は絶対に忘れないから
ずっと傍に居れなくて御免ね、ハイド……」
私の放つ神器魔力と共鳴するように、彼の腕輪から炎が溢れ出る。
意識が薄れる、彼が私に向け必死に声を投げ掛け続けるが自分の意思に反するように身体は徐々に動かなくなっていく。
彼に抱かれながら私の長い日々はようやく終わりを迎える。
そのはずだった……




