戦いの果てに、真実を
393年10月
「あの子は相変わらずか……」
私の視線の先で本を読んでいる小さな男の子。
彼の名前はハイド、しかし訳あって現在は私が引き取り共に暮らしている存在。
現在のあの子に、私はシラフという名前を名付けた。
ずっと昔に居た仲間の名前。
あの子が選ばれたというヘリオスの一番最初の契約者の名前だ。
この屋敷に彼が来てから様々な事があったが、あの子なりには上手くここでの生活に馴染めている様子。
でも、誰にも心を開いていない様子だった。
今も一人で本を読んでいる。
あの子の母親に似たのか、同時期ほ父親以上に生真面目だと感じた。
しかし、子供らしさは感じない。
親を失った影響か、あるいは私達に迷惑を掛けまいとひたむきな努力を自らに課してまでの事なのか。
あの子の真意はよく分からない。
弟子をいくつも預かった事のある私でも、これまで子供や兄弟が居たことが無いので子供への接し方がよく分からずにいた。
「うーん、どうしよっかなぁ……」
頭を抱えて私はうなだれる。
一度あの子に料理を振る舞おうとしたが、屋敷の執事さんに全力で阻止された。
何かの贈り物をと考えてはみたが私の思いついたのは、葡萄酒や茶葉等の子供には口の合わない代物ばかり。
本を読むようなので、以前王都に訪れた時は私の知識足らずで誤って官能小説を渡しそうになる失態を犯してしまった。
しかし渡す直前で、執事が私の買った本の内容を確認してくれたのだ。
そのお陰であの子に直接渡る事なく未然に防ぐ事が出来た。
しかし、私が何をやっても上手くいかない事に僅かな焦りを日々感じている。
このままじゃ、あの子に嫌われるかも
そんな思考に幾度も陥る。
椅子に腰掛けている内に眠気が襲いかかる。
あの子とどうすれば仲良くなれるのだろう。
今のあの子には何が必要なのだろう。
真剣に本を読むあの子を眺めている内にまぶたが徐々に重くなる。
気付けば私の意識は途絶ていた。
しばらく経って私ふと目を覚ました。
眠気に誘われ、私はそのまま寝てしまったらしい。
視線をあの子が居た場所に向けると、先程の場所の何処にも見当たらず私は一瞬焦った。
しかし、冷静になれば居場所はすぐに分かる。
よくよく気付けば私には一枚の毛布がかけられていたのだ。
そんな私の膝の上で本を抱えながらあの子は寝てしまっている。
「君なりの優しさなのかな」
僅かに微笑ましい様子に私は寝ているこの子の頭を撫でる。
少なくとも私は嫌われて居ないのだと、それだけは垣間見えた気がした。
「これから先もよろしくね、シラフ」
寝ているこの子を起こさぬように、私は自分に掛かっていた毛布を掛け直す。
彼が起きるまで間私ずっと傍に居続けた。
●
帝歴403年12月8日
衝撃による爆風で砂煙が立ち込める。
既に夜を迎え、視界も悪い。
攻撃を放った影響なのか、全身の力が全く入らずにいた。
「何がどうなった……」
状況が掴めない、お互いの状況が分からず思考が滞る。
瞬間、体の力が忽然と抜けていく感覚に陥る。
「っ……。」
あまりに激しい全身痛みと吐き気。
巨大な力を扱った報いが己に降りかかった。
「ぁぁっ!!」
言葉が出ない、呻き声にも似た言葉にもならない音が喉から漏れる。
すると血が肺に入り込んだのか、咳が溢れ出た。
「ゴホッっ!!」
抑えた手は血に染まっていた。
「っ、それより姉さんは……」
辺りを見渡す。
視界が闇に染まり何も状況が分からない。
ふらついた足取りで辺りを見れば、何かの光が視界に入り込む。
「嘘だろ……」
視線の先には彼女がいた。
あの攻撃を受けても尚、平然とこちらを見据える彼女の存在がそこにあったのだ。
「っ……、そりゃ勝てねぇよ」
思わず膝から崩れ落ちる。
あまりの実力差を見せつけられ、俺は完全に戦意を喪失した。
俺は負けた、目の前の彼女に負けたのだ……。
ゆっくりと彼女が近付いてくる。
俺にトドメを刺すつもりなのだろう。
ここまでやった駄目なのなら勝てるはずがない。
全てを悟り、諦めかけた刹那。
彼女から思わぬ言葉を確かに聞いた。
「まさか、私と互角以上に渡り合えるなんて思ってもみなかったよ。
本当、いつも無理ばかりするんだから」
俺にそう言い掛けると、突然俺の体を抱き締めた。
あまりに突然の彼女の行為に俺は戸惑うが、泣いているのか体を震わせながら言葉を続ける。
「私さ、結構本気だったんだよ。
本気で殺そうって思った。
でもね、無理だったよ。
やっぱり、あなたを殺せなかった」
「姉さん……」
「だからこの勝負は私の負けだよ。
いつの間にから本当に強くなったね……。
おめでとうハイド。
そしてごめんね、痛かったよね……」
そう俺に言いながら泣きじゃくり、チカラいっぱいに強く抱き締めてくる。
体の傷に響き逆に痛い程だ。
ある意味、姉さんらしいと思いながら俺は泣き続ける彼女をなだめ続けた。
俺より遥かに強い彼女、それでも俺の知る限りでは誰よりも心優しい人物も彼女なのだから。
時間が幾らか経ちようやく彼女の泣きが収まるも姉さんは一向に離れようとしなかった。
「姉さん、流石にそろそろ離れて」
「嫌、今日くらい受け入れなさい」
「はいはい……、分かりましたよ」
いつもよ姉さんには俺は頭が上がらない。
今回が初めての姉弟喧嘩だと思う、規模こそかなり大きな物であるが……。
しかし、戦いが終わればいつもの姉さんそのもの。
いや、いつもより扱いに困る程面倒な様子である。
わがままで困った様子だが、不思議と嫌とは感じなかった。
「ハイド」
「何です?」
「この際だから、一応言うべきだけど。
彼女は絶対に救えない、それを頭では理解しているんでしょう?」
姉さんからの問いかけに対して、俺は答えた。
「分かっています。
それでも、残された僅かな時間を彼女が幸せに過ごせる期間として与えたいんです。
それが俺に出来るかは分かりませんが、絶対に救ってやると約束しましたから」
「誰と約束したの?」
「長い夢の中でずっと共に過ごしてきた家族。
そいつと交わした大切な約束です」
「そっか、今のあなたなら出来ると思うよ。
セプテントでの作戦に参加を認める、でも無理はしない事。
仮に、あなた達の誰かが死亡する事も念頭に入れた方がいい。
お祭りとは違って、今度の戦いは正真正銘の本気の殺し合いだよ。
向こうは開放者としてのあなたを確実に殺しに掛かるはずだから」
「分かっています」
「それじゃあ、作戦については私から言う事は無いよ。
話題を変えましょうか、例の事件についての事。
過去に引き起こされた火災について」
「……何が聞きたいんです?」
「ハイドはあの日、何を見たの?
十年前のあの日、クラウスが見つけた部屋で何があったのか?
今のあなたが言える範囲で、教えて貰えるかな?
今回の作戦において、かなり関連性の高い問題だから」
姉さんが俺に尋ねた十年前の事件。
かつては俺が引き起こしたとされる火災として処理された物だが現在はかつての家族であるリン。
実際は俺が生み出した幻影のリンが起こした物だという事だが今の俺がそれ以上の事を知っていると姉さんは踏んでいるらしい。
実際言うとその通りだ。
小妖精であるリンを俺が取り込んだ際、俺は過去の記憶を幾つか思い出す事が出来た。
そして、リンが経験した記憶も俺の中にある。
その中の記憶には、例の火災の記憶も含まれていたのだ。
この時、俺はあの火災においての違和感の正体を理解する事が出来た。
「例の事件、アレを引き起こした原因となったのは当時生きていたリンで間違いありません。
でもそれは、結果としてです。
本当の理由になった影にはもう一人、別の存在が関係していたんです」
「どういう事なの?」
「姉さん達は恐らく、セプテントにあるリンを契約者として生み出したあの組織が火災の元凶だと踏んでいる。
でも、その認識は少し間違いです。
俺もまだ完全に思い出した訳でも無いので不明なところが多いんですが、確実に言える事があります。
彼女はむしろ、こちらを守る為に行動したんです。
リンは例の存在から俺達家族を守る為に力を使用した、その結果として火災が引き起こされたんです。
そして、彼女は一度殺された。
俺はその光景を見ていたんです。
俺はそれを認められなかった。
つまり例のもう一人の存在は俺にとって少なからずリンや家族と同等の存在だった裏切り者であった。
そのあまりの光景に耐えかねて幻影である今のリンを生み出したんです。
クラウスさんが最後に見た羽の生えた少女は、その幻影である今の彼女です。
あの場に居たはずの裏切り者こそ、あの事件の本当の黒幕で間違いありません。
裏切り者が一体誰なのか、恐らく幻影であるリンは確実にそれが誰なのか知っているはずです」
●
同刻、セプテント北西部のオラシオン帝国特殊軍事開発施設にて。
毎日の日課である訓練等終え、入浴や簡易的な食事を済まし私はベッドで寝転んでいた。
特に何かする訳でもない。
無駄な力を使うのは余計な負担になるからだ。
ただ、彼と再会を果たしたあの日から私の体には異変が起きていた。
いつも訓練の後にはほとんどの場合鈍い痛みが全身に襲いかかる。
ここ数年でようやく慣れたものだが、ハイドの護衛として付いていたラウ達との交戦によりその痛みを一切感じなくなったのだ。
それと同時に、味覚及び触感のほとんどを失った。
力の代償なのだろう、それでもあの痛みから解放されたのは幸運かもしれない。
しかし、これが何を意味するのか分からない。
この症状が続いた場合どうなるのか?
死ぬ?
あるいはそれ以外?
結果は分からないが、少なからず良い方向に向く等は到底あり得ないだろう。
そんな甘い物であるのなら、誰もこの力を他者へ使わせようとしない。
私だから使える力。
私が選ばれたこそ使える、私のみに許された神如き力だ。
例の任務は謎の男の介入により阻止され、近い内に十剣等との大規模な戦闘が予測される。
恐らくそこで再び私は彼に出会える。
私にとって恐らくそれが最後になるだろう。
大規模な戦闘が始まれば、恐らく私は一番に狙われる。
動くであろう者達は、十剣と学院との連合軍。
つまり彼を含む十剣の人員、更にはマスターが危険視しているシファ・ラーニルが動くであろうこと。
シファ・ラーニルがどれ程の実力があるかは分からないが、彼女に勝てなければかの者をあぶり出すのは不可能。
奴をあぶり出す為に、不本意ではあるが再び彼を危険に晒さなければならない。
奴にとって、彼は護衛対象。
彼の喪失は彼女の存在意気の消失となる、故に彼を守る為に必然と奴は現れるはずなのだ。
「私達を弄んだ裏切り者。
彼を、家族を裏切ったあなただけは絶対に許さない」
許さない、許さない、許さない許さない許さない。
彼にはそれを知られずに奴を殺す。
少なくとも彼にとって奴は私と同程度に大切な存在なのだから。
だから、濡れ衣の罪を全て私が引き受ける。
例え私が彼に憎まれても、殺されてもいい。
彼に殺されるのなら。
10年前のあの日から、彼が私を生み出した意味をようやく果たせるのだから。
だから、彼女を殺してその恨みを全て私が引き受ける。
彼の怒り、憎しみも全て私が背負う。
それで全てが終わるのだから。
だから奴を、彼女を絶対に殺す。
私の残された全てを捨ててでもだ。
彼女に報いを、怒りを、憎しみを彼の代わりに果たすと決めた。
あの日から、彼女に一度は殺され、そして彼が私に絶好の機会をこの日の為にくれたのだから。
「ようやく決着を果たせるのね。
私達を狂わせた全ての元凶、テナ・ラグド・サリア」




