剣折れても
帝歴403年12月8日
衝撃に飲まれ、体が吹き飛ぶ。
まるで天災を生身で受けているかのような衝撃と痛みが全身にぶちまけられる。
地面に叩きつけられ、血反吐を吐く。
全身の感覚が徐々に失われていくのをただ感じていた。
「勝てる訳がないのに、まだやるつもり?」
倒れ伏す自分の胸ぐらを掴み、目の前の存在は容易く持ち上げる。
「俺は…負けられないんだ!!」
意識が薄れる中、自分の信念のみを頼りに無理矢理体を動かし剣を振るう。
しかし、簡単に軌道を予測され俺の体を離しすぐさま蹴りを加える。
衝撃が全身を貫くが、どうにか態勢を直し俺は立ち上がる。
目の前の存在を見据え、俺は再び剣を構えた。
「だったらこれで!!」
全身の魔力を高め、右腕の神器から莫大な熱量と炎があふれる。
炎が包み込み、自身の姿を変えていく。
「深層解放、まだやるつもりなのね。
じゃあもう少しだけ本気を出してあげるよ」
彼女はそういうと既に莫大であろう魔力を更に高めていく。
全身が凄まじく激しい閃光包まれ姿が変化した。
その背には光を放つ純白の右片翼。
左には白き魔法陣が複数個出現し、あり得ない程の魔力を常に溢れさせていた。
「この姿は天臨。
天人族本来の力を完全な形で行使できる姿。
ただ魔族との混血が影響して完全ではないけど、私はその代わりこういう事も出来るんだよ」
そう言い彼女は更に魔力を引き上げる。
莫大であるはずの現在のその姿から更に倍以上のソレへと引き上げていく。
天が震える。
そして、ソレは目の前に姿を現していた。
「さてと、こんなものかな?
改めて、これが私の全力の状態。
この姿に名前は特に無いんだけど、付けるなら臨界と言ったところかな」
臨界、そう告げた彼女の姿はあまりにも膨大な魔力で辺りの空間が歪んでいるようにも見えた。
圧倒的な美しさと畏怖を漂わせる存在感。
あまりにも別次元な存在に足元が震えていた。
「震えているのね、ハイド。
早々と諦めなさい、この姿の私に勝てる人は居ないんだから」
「俺は、それでも諦めない!!」
勝つと約束した。
俺は絶対に姉さんを超えて、そして家族を、リンを救うと決めたんだから。
恐怖に震える体を奮い立たせ、俺は目の前の神如き存在へ向かった。
●
何かが砕けた。
体から嫌な響きが聞こえ、鞭打つように体が大地へと叩きつけられる。
体を起こし、落ちた剣を拾おうとするが右腕が動かない。
よく見れば、骨が砕け原型を失っていたのだ。
「腕が……」
意識が朦朧とする。
全身が既に限界を迎えていた。
対して見据える敵は、疲労は見えない。
無尽蔵の魔力が常に放たれ、威圧感が漂うのである。
無駄な足掻き
そんな事ははじめから分かっていた。
でも、俺は……
「俺は、俺は……まだ諦めない」
利き腕ではない左腕で俺は武器を構える。
おぼつかない足取りで、ゆっくりでも目の前の存在へ近づく。
まだ体は動く、それだけで充分だから。
「あなたを超えないと、俺はいつまでも後悔する。
アイツを俺の手で救わないと駄目なんだよ!
偽りでも、幻想も関係ない!
俺は、俺自身の手でアイツを絶対に救うと決めたんだ!!」
全身の力を精一杯込め、俺は目の前の存在へと斬りかかる。
刹那、ガラスが砕けるかのような破砕音が聞こえた。
「いい加減、諦めなさい」
その声を聞いた瞬間、体は凄まじい衝撃に飲み込まれた。
遥か遠くの岩壁にまで体は飛び、そして叩きつけられる。
意識が遠のく、全身の力が徐々に抜けていく。
血に染まった両手。
既にズタボロに引き裂かれている胴体。
ここで死ぬのか?
そんな言葉が過ぎり、意識が消えた。
●
帝歴393年1月
全身が酷く重く、息苦しい。
視界が開けると、見慣れた気がする天井があった。
「今日はしっかり休めておけ、ハイド」
男の声、どこかで聞き慣れたその声が聞こえると静寂が訪れた。
全身が酷く暑苦しい。
体は思うように動かず、ただ息苦しくかった。
視線を横に見やると、机があり既に飲み終えた飲み薬が置かれていた。
ただ時間が流れていく。
苦しみがただひたすら長く続く。
「誰か……、」
思わずそんな声が漏れた。
誰もいるはずの無い何処かの部屋、ただ時間だけが無情に流れる。
辛く、苦しむ時間だけが……
ふと、自分の手が何かに触れられた。
今の自分と比べれば遥かに冷たいであろう手の感触。
視線を見やると、少女の姿が目に入った。
オレンジ色の長い髪を揺らした少女。
背には美しい色彩を放つ蝶のようは羽がそこにあった。
少女は自分の寝ているベッドに腰掛けながら、自分の手を優しく握っていた。
「大丈夫よ、私がずっと側に居てあげるから。
お父様達には、怒られてしまいそうだけど」
「っ……?」
少女の顔はよく見えない。
ただ、優しく微笑みながら自分の傍に居続ける。
「私はここに居る。
だから、安心して休みなさい」
●
懐かしい記憶だ。
小さい頃に一度、自分は高熱を出してしまい一週間近く寝込んでいた。
そんな中、リンは両親の目を盗んで俺の部屋に何度も赴き自分の看病をしてくれたのである。
常に多くを語らない。
明るく元気という印象はなく、ただ静かにいつも自分の事を気に掛けてくれていた。
そして彼女は自分の弱みを、俺にはただの一度も目の前では見せなかった。
●
帝歴393年2月
暑苦しい感触。
まだ外はかなり冷えているにも関わらず、自分の周りが暑苦しかった。
何かにしがみつかれ身動きが取れない。
例の如く視線を向けると、そこには静かに寝ているリンの姿があった。
いつも勝手に潜り込む彼女には心底疲れるが、今はもう慣れてしまっている。
すると、ふと自分の体に込める力が強くなった。
悪い夢を見ているのか、彼女の体は恐怖に怯えて震えている様子である。
「……来ない……で…、嫌だ……」
うめき声をあげ、更に全身に込める力が強くなる。
「大丈夫だよ、僕がここに居るから」
震える彼女にそう言い掛けながら、自分も彼女を抱き締め何度も彼女に言いかける。
彼女はここに来る以前にとても辛い事があったらしい。その姿を普段、自分や両親に見せる事はまずない。
だが、稀にこうして自分の元で寝込んでいる時にはたまに昔の夢を見て怯えていた。
自分の部屋で寝ている時も、恐らく見ているであろう昔の居場所の記憶。
苦しんでいる彼女に、自分は何もできないのだ。
昔の事を尋ねる事、恐らくソレは彼女に聞いてはいけない。
必ず辛い表情を浮かべるだろう事が目に見えているからだ。
だから今回のような状況の場合、自分はいつも彼女に伝え続ける。
リンが二度と辛くなるような事にはさせないように
自分は彼女の味方であろう、大切な家族だから。
●
闇の中に居る。
体は思うように動かず、目の前は一面の闇が広がっている。
冷たい空間だ、それが最初に感じた感覚である。
先程まで、自分は凄まじい熱量に包まれていた。
何もかもを焼き尽くすかのような業火の如く。
しかし、今はその逆。
熱が奪われていく。
自分を動かし続けていた熱量が離れていく。
「あれ、俺は……一体何をしていたんだ?」
脳裏に浮かんだ一つの疑問。
思い出せない、俺は何かをしていた。
何かの理由があった。
炎に包まれていた、何故?
何も思い出せない、自分が何をしていたのか。
何をしようとしたのか……。
●
帝歴393年3月
「お父様、僕に何のご用件ですか?」
多くの本が並べられた一室、父様の仕事部屋でもあるこの部屋に自分は突然呼ばれた。
母様からは何も心配は要らないと言われ、この部屋には自分と父様の二人しか居ない。
「ハイド、そう身構えずともいい。
説教の為に呼び出した訳じゃないからな。
お前の日頃の行いの成果で二人に深く信頼されている、充分に次期当主として恥じぬ行いだ」
「ありがとうございます」
「それでだ、今日はお前に褒美を用意したんだ」
そう言い、父様は机の上に置かれた箱を抱え自分の元に持ってくる。
自分の頭程の大きさの立派な装飾の施された箱がそこにはあった。
「これは?」
「開けてみなさい、きっと喜ぶ物だと思うよ」
手渡された箱を受け取り、ゆっくりと開ける。
自分の手のひら程の大きさ、剣の模様が入った首飾りがそこに入っていた。
「これは父様の、僕の家の大事な宝物では?」
自分は思わず答えた。
この首飾りはこの屋敷の家宝というべき物。
立派なご先祖が活躍し今のこの代まで代々当主継承されてきたものなのだから。
しかし、父様は笑っていた。
「いやいや、これは模造品だよ。
造りこそ似ているが、私がお前の為に特注した物だ」
「僕の為に?」
「首飾りの蓋を開ければ分かるよ。
本物ととても見た目似ているが、今のお前にふさわしい物になっているはずだ」
父様はそう言われ、首飾りの蓋を開ける。
二枚貝のような構造の首飾りなのか、蓋を開けると蓋の下は細かい造りの歯車の見える時計盤。
そして、上蓋の方には一枚の写真が入っていた。
自分ととある少女が写っている物である。
「これは一体……」
「彼女との家族の証だよ。
実は昨日既にもう渡してあるんだよ。
これと同じ代物を既に彼女も持っていてね」
「どういう意味ですか?」
父様に聞き返すと、ゆっくりとその理由を答えた。
「この屋敷に彼女が訪れ、早数カ月。
お前も彼女と仲良くなってくれて良かったが、やはり彼女は何処か危うげでね。
これから先、もしかしたら彼女の身に危険が迫るかもしれない」
「そんな事、僕が絶対にさせません!!」
「ああ、その通りだ。
その時、彼女を見つけられる為の証としてお前にこれを渡そう。
ハイド、お前の大切な家族を守ってくれるな?」
「絶対に守ります、僕が必ず」
「その意気だよ。
もしお互い離れ離れになってもこの時計があれば必ず見つけ出せる。
だが離れ離れにならないように、毎日仲良くそして常に彼女の味方でありなさい。
彼女も自分を救ってくれた君の味方でもあるのだから」
●
意識が薄れていく中、幾度も自分に入り込む記憶。
父親から渡された贈り物。
自分の服を探り、それはすぐに見つかる。
古びた銀時計、大切な家の宝物である。
剣の模様が掘られ、先代から代々継承された代物だ。
国の為に活躍した英雄の家系に送られる至宝。
十剣……、祖国の…サリアの英雄。
蓋を開き中身を確かめる。
正午で止まった針、そして蓋には一枚の写真。
オレンジ色の髪の少女と、幼い子供の頃の自分。
古びていたのか写真がひらひらと落ちる。
落ちていくそれを拾うと、写真の裏面には文字が書かれていた。
新しい我が子と、ハイドとの一枚……。
彼女の名は、…………。
392/11/26
少し掠れた文字でそう書かれていた。
少女の名前……。
大切な家族の名前……
「……リン」
名前を掠れたような小さな声で唱える。
自分が何を成そうとしたのか、何の為に動き続けたのか鮮明になっていく。
救うと誓った大切な家族。
再び失うのか?
家族をもう一度失うのか?
俺は何者だ?
「今のあなたはもう、無能の存在なんかじゃない!!
私の誇れる、誰よりも立派で生意気で誰よりも大切な存在なんだから!!」
声が聞こえた。
自分へ必死に訴えかける少女の声。
自分が思い描いた偶像の存在の彼女の声。
ここで俺は立ち止まるのか?
誰も救えず、約束も果たせず。
偶像に幻想に踊らさせ続け、現実から常に逃げ続けてきたのにここで終わるつもりなのか?
俺が弱いことなんて、分かり切っている。
それでも認めてくれた存在が常に居てくれた。
だから今度は、俺が果たないと……。
例えそれが偶像でも幻想でも構わない。
自分の存在や命を全てを投げ売ってもいい。
彼女がそれでも自分との再会の為に全てを投げ売っていたのだ。
自分も同等、
いやそれ以上の覚悟で挑まないと駄目なんだ。
彼女を、家族を、リンを救うと願うのなら……
だから……
●
意識が現実へと戻る。
状況は何一つ変わらない。
敵はこちらを見つめている、崩れいつ死んでもおかしくないこの体を見ている。
これ以上戦えば死ぬ。
いや、既に一度死んでいたかもしれない。
俺はまた救われた。
能天気で生意気なリンに喝を入れられたんだろうか。
自分が情けない、本当に自分は弱いな。
何度も何度も周りに助けられた。
今もこうして、奮い立たせられた。
「分かってるよ、今度は俺の番なんだよな」
立ち上がるだけでも精一杯。
限界は既に超えて、もう剣を握る力すら無い。
いや、既にその剣も砕け刃を失っているのだ。
剣は折れた。
騎士の命とも言える剣がこうも容易く折れたのだ。
それでも、俺はここに居る。
戦う意思は残っている。
この体を突き動かす、信念。
何よりも熱い、炎にも似たこの感情は本物なのだ。
しかし幻だけでは本当に救いたい誰かを救えない。
それでも俺を動かし支えた存在だ。
例えこの世に存在しない虚構や偽りだとしても。
それが自分を突き動かし変えてくれた物であるのならそれでいい。
光が見える。
薄れる意識の最中、目の前をひらひらと飛ぶ小さな光。
小さな人?
いや、あれは小さな妖精……。
俺を常に支えてくれた、偶像の存在。
俺に向かってその小さな手を伸ばす。
僅かな光を灯しながら、温かい光を自分に向けてくる。
どうしようも無いほど眩しい光だ。
震える手を伸ばしていく。
自分へ差し伸ばしてくれるその光に惹かれて。
「さっさと立ちなさいよ。
じゃないと置いていくよ」
光は妖精は俺にそう告げる。
俺は思わず可笑しくなって笑ってしまった。
「何が可笑しいのよ!!」
「悪い、でもその台詞は違うだろ。
本来なら俺が言うべきことだろう?」
手を伸ばし、小さな妖精のその手に触れる。
そして、俺は彼女に伝えた。
「一緒に戦う、だろ?」
その言葉を聞いて、妖精は笑っていた。
当たり前だと、彼女の表情がそれを言わずとも伝えてくれたのだから。




