ラグナロク
帝歴403年11月24日 午後6時
「待たせたなクレシア……。」
ルーシャとの踊りを終えて落ち着いた頃、彼が私に手を差しのべていた。
「っ……。」
彼の手を取ろうとするが、その手に触れる寸前で私の手が止まる……。
「どうしたんだよ、クレシア?」
「ううん……。何でも無いよ、行こうシラフ…。」
少し震えるその手を振り絞り彼の手を私は取った……。
どんな結果になろうとも、せめてこの時間だけは……。
●
彼との踊りを終えた私は、気晴らしに外の空気を吸うため一旦会場の外に向かう。
シンさんは所用があるかとかで、一時的に彼女と離れる事になった。
珍しく、護衛が誰もついていない状況故に少し気分が開放的になる。
常に緊張感と隣り合わせの生活故に、この状況は少し気楽だった。
でも実際、こうして一人王女が出歩くのは危険なんだろう。
「リース……なのか。」
不意に私に向かい声が掛けられた。しかし、その呼び名は違っていた。
声の主の方を見ると、背が高めの男の姿があった。
茶髪の男性、容姿はそれなりに整っておりシラフより背が僅かに高いくらいか……。
双の羽飾りが特徴的な首飾りが目に入るその人物は何故か何らかの既視感を感じた……。
「あの……あなたは?」
「っ……いや、何でも無い……。どうやら、人違いのようだ……。」
私の顔を見るなり、人違いだと分かったのか男は頭を振り払った。
妙な感覚、彼に会った率直な感想はそういうものだ……。
「あの、あなたは?」
「ある人を探していてね、舞踏会の会場はここで合っているのかな?」
「はい、この先のホール内で行われております。」
「そうか……。ありがとう、その……君の名前は?」
「ルーシャ・ラグド・サリア。サリア王国の第二王女です。」
「王女……そうか、彼女の……。いや、当たり前か……。」
「?……あの、あなたの名前は?」
「ハイド、それが私の名前です。では、先を急いでいるので失礼させてもらいます。案内、誠に感謝します、ルーシャ王女。」
そう言い残すと、目の前の男は去って行った。
ハイド……あの男は彼と同じ名を言ったのだ……。
男の後ろ姿に、私は視線を向ける。
彼と同じ名前なのは単なる偶然だ……。
同じ名前などよくある話だ、しかし……。
男の右腕には、赤みを帯びた腕輪がそこにあったのだ……。
距離が離れた為、その詳しい装飾は分からないが明らかに彼の神器と酷似している……。
「あの人……一体……。」
謎の男との会遇……。
なのに、何故だろう……彼とは初めて会った感覚では無かった……。
●
クレシアとハイドとの踊りを、シファとラウは遠目から観察していた。
「今のところは問題無いかな……。」
「そのようだな……。シルビアからは以前として連絡は無い、そして神器の力も観測されていない。」
「みたいだね……。うーん、でも少し心配かな……。」
「シルビアの事がか?」
「まあね、彼女の居る位置にはどれくらいで行けそう。」
「今からなら、焦らずとも小一時間程で間に合う。今から向かって欲しいのか?」
「まあ、そうなるかな……。胸騒ぎというかさ……そんな感じ……。気のせいならいいんだけどね……。」
「予測が難しいか……。了解した。では、すぐに向かう支度をしよう。」
そう言ってラウは、シファの元から離れて行った……。
ラウがシファから離れて行く途中、ホールで声を掛けられる。
「そこの君、シファさんの知り合いかな?」
「……。」
ラウが声の方向を見やると、茶髪の男がそこにいた。
背丈はラウと同じくらい、双の羽飾りが特徴の首飾りを下げており威圧感という物を全く感じない男だった。
「知り合いなら、何だというんだ?」
「彼女を探していてね、案内して貰えないかなと思っていたんだが……。駄目かな?」
「分かった……案内しよう。」
ラウは仕方なく、男の問いかけに応じシファの元に案内をする。
案内する途中、ラウは男に話し掛けていたり
「シファと知り合いなのか?」
「まあね、師と弟子みたいな関係かな……。丁度、彼女がここにいると聞いたものだから一度挨拶をと思ってね。」
「…………。」
「君は、シファさんとどういう関係なのかな?」
「少し、面倒な関係だ。」
「面倒ね、それなりに親しい間柄なのか……。あの人が他人と親しくしているのは嬉しい限りだよ……。」
「……、お前何者だ?」
「……ハイド。ハイド・アルクス……それが私の名前だよ。」
「ハイドだと……。」
「私の名前だが、何かおかしいかい?」
「……シファに聞いて直接確かめる。」
「そうかい……。」
ラウが誰かを連れて戻って来た事にシファは少し不思議な表情を浮かべるが、連れの男を見るなりその表情は僅かに険しくなる。
シファの表情の変化に何かを感じたのか……。
再び男の方をラウは見るが、男は平然としているだけだった……。
「お久しぶりですね、シファさん。」
「……まさか……、本当にあなたなの?」
「まあ、驚きますよね……シファさんでも流石に……。以前とは、状況はまるで違いますからね……。」
「っ……。」
男とのやり取りを見て、ラウは気になっていた事をシファに訊ねる。
「シファ、この男は何者だ?」
「……ハイド・アルクス…。私の知る限り十剣史上最も強かった存在だよ……。」
「流石にそれは言い過ぎですよ、シファさん。」
「でも、事実でしょう……。あなたは強かった、私に匹敵する程の実力を持っていた存在の一人だもの……。」
「そうですか……。」
「でも、あなた当の昔に死んでいるはずでしょう………。あなたの死を、当時の王女は見届けたのだから間違いないはずだよ。」
「ええ、まあ死にましたよ。あれが一度目の死ではありませんでしたがね……。」
「…………。」
「でも、事実私はここにいますよ。シファさんなら、その理由は既にお分かりですよね?」
「………。」
彼の言葉にシファは無言で反応を示した。
すると、男は何かを思いついたのか一つの提案をする。
「そうなると、改めて自己紹介をしましょうか……。」
ラウとシファの方を見て、男は言葉を告げる。
「ラグナロクの柱が一人、元十剣ハイド・アルクス。改めて、よろしくお願いしますシファさん。」
男のその言葉に、シファとラウの緊張が高まる。
二人の態度を気にも止めず、男は言葉を続けた。
「君、えっと……名前は?」
「ラウだ。」
「そうか……ラウは先程何かの用事があるんだろう、呼び止めてしまって悪いね……。用事があるようなら、もう向かって構わないよ。」
「どういうつもりだ?」
「つもりも何も、君を呼び止めてしまったのは事実だからね。恐らく、彼女から何かの用事を頼まれていたんだろう?だったら向かうといい、それが今の君が果たすべき事だ。」
「…………。」
男の言葉を不審に感じるが深く考えても仕方ないとラウは判断する。
彼の言葉を受け、ラウは何も言わずにこの会場を去って行った。
「彼、とても強いのでしょう。見れば分かります……。」
「ハイド……。ラグナロクに属しているあなたが何をしようとしているの?」
「……俺はラグナロクとしての使命を果たすだけですよ。まあ、ラグナロクの命令には従いますが、アレの命令に従う気など毛頭ありませんから。」
「……じゃあ、一体何があなたの目的なの?」
「俺はあなたをこの場から離脱させる為に俺はここに来ているんです。」
「私を離す為に?」
「はい。無駄な犠牲は出したくありません、ですから俺に付いて来て貰えませんか?」
僅かにシファは考えると、意を決したのか……。
「分かった……あなたに付いて行くよ……。」
「あなたなら、そう言うと思っていましたよ。」
シファは男の提案に応じると、彼と共に舞踏会の会場を後にした……。
●
「姉さん……と、あの人は誰だ?」
クレシアと組んで俺は現在踊っていたが、俺の視界に会場を出て行く二人の姿が目に入った。
一人は、見間違うはずは無い姉さんであるシファ・ラーニルその人だ……。
しかし、もう一人に関しては見覚えがあるような無いような人物だった。
茶髪の男、俺よりは背が高い程度だろう……。
しかし、茶髪の男なら数は多い……。しかし、何故だろうあの男を俺は何処かで見ている……そういう気がしていた……。
「シラフ……どうかしたの?」
「いや、姉さんが誰かと会場を出て行くところが目に入ったから少し気になって……。」
「シラフの知っている人?」
「多分……なのかな?何処かで見たような、無いような曖昧な感じなんだよ……。」
「そっか……。」
クレシアはそう言い、この会話が途切れてしまった。
舞踏会が始まってから、彼女はこの調子だ……。
自分が遅れた事を気に病んでいるのか、あるいは何か別の理由なのか……。
今の俺には、その理由が分からない……。
尋ねたところで、既に何回かはぐらかされているからだ……。
俺が、会話に困っているとそれを見かねたのかクレシアから話し掛けていた。
「シラフ……私と居て楽しい?」
「勿論だよ、それがどうかしたのか?」
「………さっきから、何か考え事ばかりをしているように見えていたから……。」
「…そう、見えていたのか……クレシアには……。」
「……やっぱり、私じゃシラフに迷惑掛けてばかりだよね……。」
「そんな事は……。」
「いいの…本当の事だから……。」
「クレシア、何を言っているんだよ……。俺は……俺はさ、クレシアと組めて良かったって思ってるよ、学院に編入して色々助けられていた……だから、こういう形でもさ君に恩返しが出来て良かったと思ってる……。だから、クレシアが迷惑だなんて事はないはずだろ……だから……。」
「……やっぱり、そうなんだよね……あなたは……。それに私も……」
「クレシア……?」
俺が彼女のその言葉に対してを訊ねたその刹那、目の前の彼女はこちらの目を真っ直ぐに見据え言葉を告げた。
「ハイド、私はあなたが好きです……。」
突然の事に思考が追い付かなかった、目の前の彼女に言われたその言葉の意味を……。
しかし、理解が追い付き始めると俺は自然と彼女の真剣なその表情に視線を向けていた。。
真っ直ぐにこちらを見つめるクレシアの姿、そして薄焦げ茶色の彼女の髪には、以前俺が彼女の誕生日に贈った赤い花柄の髪飾りがそこにあった……。
彼女の言葉から数秒後、その言葉の意味をようやく理解し始めていた俺に対してクレシアは自分の言葉を続けた……。
「ずっと伝えたかった……、あなたにこの言葉を……。」
「……。」
「10年前から、学院でちゃんと再開を果たせる時よりも前から……。
私はあなたの事が好きです……。」
オーケストラの曲が会場全体に広がる中、俺とクレシアの周りの時間だけはあまりにも長く流れていた……。




