伝えた想いは
帝歴403年11月24日 午後4時半頃
オーケストラの奏でる音楽がホール全体に広がっている。
俺は一人、待ち合わせの人物を探していた。
今日この日、俺と組む事になっているのはルーシャとクレシアの二人。
しかし、ルーシャは現在来賓達の対応に追われ合流出来そうに無いと判断した俺はクレシアを探していた。
ホール全体を一通りは探し回ったが全く彼女の姿は見当たらないのだ。
(クレシアはまだ来ていないのか?)
そんな事が頭に過ぎる、しかしもしかしたら彼女も俺を探しているのかもしれないと思い彼女の端末に連絡を取って見るが応答は返って来ない。
(反応が無い……。何か外せない用事があるのか……あるいは……。)
一瞬嫌な予感が脳裏を過ぎったが、振り払い彼女の捜索に戻る。
彼女が約束を早々と投げ出すとは思えない、いや投げ出すにしろ連絡はするはずだろう。
俺は、クレシアを探す為にオーケストラの曲が鳴り響いているホールを飛び出し彼女の捜索に向かった。
●
学院の入場門前に来て私の足はそこで止まっていた。
「…………。」
踏み込む事にためらいが出ていた。
ドレスの上にコートを羽織っているにしろ、外は冷え込んでおり長時間留まるのは体に堪える。それが分かっていても、私は学院に踏み込む事が出来なかった。
今日この日、私が舞踏会に来た意味……。
2週間程前に、親友と交わした会話が脳裏に過ぎった。
「クレシアがどうしたいのかは、任せる。でも、私がクレシアに告白について伝えたのはお互いの条件を対等にするためだから……。」
「ルーシャ……本気なの……?」
「本気だよ。だからこそ、クレシアには伝えたんだよ。私と同じく彼に惹かれているクレシアに……。」
「…………。」
「クレシアがどうするのかは、クレシア自身が決める事だよ。でも、クレシアが私と同じように伝えようとするのならこの機会を無駄にしないようにして。」
「うん……。必ず、後悔の無い選択をするよ……。」
後悔の無い選択をする。そう私は彼女に答えたのだ…。
でも……実際は……。
数日間に彼と交わした会話……。それが再び脳裏に過ぎる。
「そうか。ルーシャが行くからてっきりクレシアも一緒に行く物だと思っていたよ。何で、そんなに行くのに悩んでいるんだ?悩んでいるって事は行きたい気持ちがあるんだろ?」
「それは……うん……。今年は行きたいかなって思ってはいるんだ……。」
「どうしてだよ?」
「それは……その……。」
「……?」
「ルーシャが行くっていうのもあるからさ……。でも、私なんかと踊ってくれる人はいないでしょう?」
「踊る相手か………なるほど。それなら、俺で良いならさ……相手役を引き受けるよ……。」
「えっ……でも、シラフは当日忙しいんでしょう?二日間の内、どっちも先約があるってこの前言っていたし……。」
「ああ……まあ、その通りだよ……うん。初日はテナとシグレ、その次の日はルーシャと多分姉さんだと思う……。でもさ、時間の空きを見つければ少しの間なら相手役を引き受けられると思うよ。」
「いや、でも……。」
「行きたいんだろう、舞踏会?それに、学院に来てクレシアには何度も助けられたからさ……。さっきの事もあるし、だから恩返しとして何か協力はしたいと思っているんだ。」
彼のその言葉に私は戸惑った。彼の優しさには惹かれる物がある……。
しかし、それでいいのか自分にためらいが生まれた。
どう答えればいいのか分からない、自分は彼と行きたいのかそれとも……。
答えが得られず、気付けば私は彼に問い掛けていたのだ……。
「シラフ……、本当に私なんかでいいの?」
「当たり前だろ、クレシアに俺は何度も助けられているんだからさ。」
「……そっか……。うん……、私で良ければ喜んでお引き受けします。」
彼の優しさに甘えてばかりの自分が嫌になる……。
親友は自分から前に進もうとしているのに対して、私はずっと立ち止まってばかりだ……。
親友の彼女は自分には勿体ないくらい素晴らしい存在だ、学院内で生徒達の前に立ち先導していく姿を私は近くで見てきた。
生徒達の前で堂々と発言をし、そして意見をまとめ議題を解決へ導きそして計画を円滑に進行させていく。
圧倒的な程の指導者としての実力が彼女にはある……。
その親友の惹かれている彼は、私と親友に仕える騎士……。
彼女に誇れる騎士となる為に、彼はその剣を捧げてきた。彼の強さは並大抵の努力だけで得られる物では無い事くらい私でも分かる。
自国内ではほとんど味方もいなかったのに対して彼はひたすらその剣を磨き続けた。
自分の弱さを理解している、だから乗り越える為にいつも無理をし続ける。
自分の大切な物を守る……ただそれだけの為に彼は騎士としてあり続ける……。
そんな二人に対して、今の私はどうだろう……。
自分一人では何も出来ない……いつも誰かに救われて……手助けされてばかりだ……。
私には……何も出来ない……。
私一人では何も出来はしない。
私には何も無い……。
あの二人に届きうる何かが、今の私には何も無いのだ……。
「何をしているんだろう……。私は……。」
私は一人、誰もいない学院前で立ち尽くすことしか出来なかった。
今頃、二人はどうしているのだろうか……。
舞踏会、その中で親友である彼女は彼に想いを伝えようとしている。
なのに、私は……。
「…………ここにいたんだな、クレシア。」
「っ……。」
俯き、地面を眺めていた私に声が掛けられた。
聞き覚えのあるその声に、僅かに身が震えその方向を見る。
息を切らし、こちらを見据える一人の男……。
本来ならここにいない人物がそこにいた……。
「……シラフ……。」
「来ていなかったから、探したよ。こんなところで立ち止まってどうしたんだ?」
「……私は、」
「こんなところで立ち止まってばかりだと、体を壊しかねない。休むのなら、学院内でもいいはずだろう……。」
「………。」
「ほら、早く行こう。風邪を引かれたら、ルーシャに心配を掛けるだろう?」
彼は私に手を差し伸べる。
その手を取ろうとするが、彼の手に触れる寸前のところで止まる。
「クレシア?」
「ルーシャは……どうしたの?彼女と踊る約束をしていたんでしょう……。」
「ルーシャは来賓達に囲まれて俺の相手を出来るような様子では無かったんだよ……。シンさんが近くで護衛に回っていたから、落ち着くまで待とうと思ったんだけどさ……。クレシアの姿が会場内の何処にも見当たらないから、こうして探しに来たんだ……。」
「………それだけの理由で私のところに?」
「それだけって……、クレシアが簡単に約束を破るとは思えないだろう。なのに始まっても何処にも見当たらないのはおかしいと思ってさ。」
「今はルーシャのところに居てあげてよ……。私の事なんか構わないで、彼女の元に居てあげるべきだよ……。」
「クレシア?」
「ルーシャは、あなたとこの舞踏会を過ごすのをとても楽しみにしていたから……。私の事は放って彼女の近くに居てあげて欲しい。」
「クレシアも同じじゃないのか?ルーシャと同じように今日の舞踏会をクレシア自身も楽しみにしていたはずだろう……?」
「そうだよ。」
「だったら……。どうして、自分を放っておいて欲しいなんて言うんだ。こんな寒い中で一人で立ち尽くすだけでじゃ風邪を引くだけだろう……。」
「………。」
「とにかく、中に入った方がいい。風邪を引かれたら困るから……。」
彼が私の手を引き、学院内へ導く……。
どれだけ、私を探し続けたのかその手はこの寒空の中僅かに汗ばんでいた。
彼の優しさ……それに自分は甘えてばかりだとつくづく思う……。
彼に引かれるがままに、舞踏会の会場を目指し進んでいく……。
人気のない、校舎内を私と彼の足音だけが響いていた。
「クレシアがどうするのかは、クレシア自身が決める事だよ。でも、クレシアが私と同じように伝えようとするのならこの機会を無駄にしないようにして。」
ルーシャのその言葉が不意に脳裏に過ぎった……。
彼の手に引かれる私の脳裏に過ぎる彼女の言葉に胸を締め付けられる。
今日の舞踏会、ルーシャは彼に想いを伝えるとそう言っていた。
私も同じならば、この機会を無駄にしないようにしてと……条件を対等にする為にそう彼女は私に言ったのだ。
でも、今の私は何も言葉が出なかった。
ひたすら続く静寂の時間……。
彼と二人きりの時間が、何故かとても辛く感じた……。
伝えなければ後悔する、分かっていてもこの想いを伝える勇気が出ない……。
自分の無力さを痛感しながら、ただ時間だけが過ぎていった……。
●
11月24日 午後5時半頃
クレシアを連れて、会場に戻った俺は丁度来賓達から逃れたルーシャと合流を果たしていた。
僅かに疲れ気味だと感じたが、俺とクレシアに合流するなりいつもの彼女の様子に戻っていた。
「シラフ、それにクレシアも。って、シラフその汗どうしたの?」
「ちょっと、色々とな。クレシアがまだ来ていなかったようだから捜索をしていて、学院前で立ち尽くしていたところを連れて来たんだよ。」
「そうなんだ……。クレシア大丈夫なの、体調とか何かあったの?」
「大丈夫、少し疲れてただけだから。」
「ルーシャこそ、ようやく抜けられたって感じだよな?来賓達との接客はもう済んだのか?」
「うん。とりあえずはね……ある程度落ち着いたところだよ。」
「そうか。」
「ねえ、シラフ。また混むかもしれないからさ、早く行こう。」
「分かってる。」
そう言うと、ルーシャはこちらに右手を差し伸べる。
僅かに照れているのか、視線はこちらに向けずに手だけを伸ばしていた。
「私をしっかりリードしてよ、シラフ。」
「最善は尽くすよ。行こう、ルーシャ。」
俺はルーシャの手を取りホールの中央に向かう、彼女との舞踏会が幕を開けた。
●
オーケストラの奏でる曲が中盤に差し掛かり、俺は目の前のルーシャに視線を向ける。
これまで意識しないでいたが、彼女はかなり魅力的だと感じた。
長い金髪に対して、彼女は白い華飾りが散りばめられた青いドレスを纏っていた。
王女故に、ドレス姿をよく目にするが今日の彼女は普段より魅力的に見えていた。
2年……学院で再開するまでにそれ程の年月が気付けば流れていた……。
僅かそれだけの時間で、目の前の彼女はあまりの変貌を遂げたと言えよう。
「……姉様は、あなたに王女として成長した事を見せる為に舞踏会の運営を務めていました。あなたが騎士として自分に尽くしてくれている、だから姉様は自分が王女として成長している姿を舞踏会を運営するという形で示していたんです。」
不意に舞踏会の始まる前にシルビアと交わした会話が過ぎった。
王女として成長した姿、確かに十分過ぎる程成長を彼女は遂げていた。
そして、この舞踏会を自分が成長した事を示す為にルーシャ自身が最前線で取り仕切り行ったのだ……。
彼女に仕える俺として、その成長振りには驚かされる。
「ありがとう、ルーシャ。今日の舞踏会に誘ってくれてさ……。」
「シラフ……。」
「舞踏会、最前線で努力したんだろう……。立派ですよ、俺はあなたに仕える者として誇りに思います。」
「当たり前だよ。私はあなたに相応しい王女になるって決めたんだからさ……。」
「そうか……。」
「ねえ、シラフ………。この舞踏会の後、少しだけ時間いいかな……。」
「構わないが、何かあったのか?」
「うん……。ちょっとだけ話があるだけだよ、駄目かな……。」
「……。分かった、時間を空けておくよ。」
「うん、待ってる。場所は学院の中庭で待ち合わせ……だから、ちゃんと来てよね……。」
「ああ、必ず行くよ。」
俺がそう答えると目の前の彼女が僅かに笑みを浮かべる。
心からの感情なのか、その表情に僅かに俺自身も照れてしまった……。
成長し、最前線で努力し続ける彼女の姿に俺は驚かされる。
長い時間を共有したからこそ、彼女の成長には驚いたが今の彼女の見せるこの笑顔が、彼女に仕える俺として一番嬉しい物だと感じている……。
舞踏会の後、俺に持ち掛けたルーシャの話も気になるが、今はこの時間を噛み締めておきたいと俺は思っていた。
●
帝歴403年11月24日 午後6時
ハイドがルーシャとの踊りを終え落ち着いていた頃には時刻は既に午後6時を回っていた。
ハイドは約束していたクレシアとの踊りに移ろうとしていた。
だが何も知らない彼等にその時が刻一刻と近付いている事を知る由もない……。
襲撃まで残り、3時間半……。




