幻影、その果てに……。
帝歴403年11月16日
セプテントから呼び出しを受けたルヴィラは、学院の現副理事長であるアルクノヴァに案内され研究施設に向かった。彼に施設を案内されると、鋼鉄の扉で閉ざされた白い扉の前に来ていた。
「……ここだ。この中に奴がいる。君たちの会話は、奴の意思により外部には漏れないようになっている。無論、私にも聞く権利は無い。」
「実際には聞いているのでは?」
「それは無い。部屋の確認は奴自身にも行わせた。隠して設置していた盗聴器全て取り外されたからな……。」
「そう……。」
「私の言葉を信じるのかね?」
「今更嘘をついたところで、あなたには何も利点は無いでしょう?」
「そうだな。では、私は仕事がある為失礼する。帰りには部下を手配するので、中にある呼び鈴を鳴らせ。」
「分かりました。」
「では、私はこれで失礼する。」
そう言うと、アルクノヴァは去って行った。
一人残されたルヴィラは、扉を道中彼に説明された方法で開ける。
ルヴィラが扉に手を触れると、青い魔方陣が出現しゆっくりとその扉が開いた。
目の前には広い空間が広がっている。そして、その中央に置かれたテーブルと二つの椅子。
片方の椅子には先客が既にいた。今日ルヴィラを呼び出した本人がそこにいた。
ルヴィラが部屋に足を踏み入れる。そして彼女が部屋の内部に入ると扉が静かに閉まった。
ルヴィラはそれを気にもせず、テーブルの元へと向かった。
彼女がテーブルの近くに来ると、先に椅子に腰掛けている人物が彼女に話し掛けた。
「久しいわね、ルヴィラ。」
「10年振りですね、あなたに会うのは……。」
先に腰掛けている人物はオレンジ色の長い髪、そして異彩を放つ程の精練された美貌を持ち、そしてその背には蝶のような色彩豊かな羽があった。
シファの美貌が大輪の美しさと表現出来るのならば、彼女はただそこにいるだけで周りの視線を集める孤高の存在と言えるだろうか。
ただ、その人物の目は冷酷では生ぬるいとさえ言える程の畏怖を彷彿とさせておりルヴィラ自身も僅かに全身に震えが来た。
「幻影のあなたも、時が経てば成長するのね……。」
「私も、あなたが生きているとは思っていました。しかし、このような形で再会するとは考えてもいなかった……。」
「変わったわね、私とは別の暮らしを与えた甲斐はあったというものかしら。」
「あなたの名前を私は知りません。私の名前はあなたから授かったもの、ですが私はあなたの名を知りません。」
「そうね、会話を交わす上では不便だし機会としては丁度よいかしら。」
そして、その人物は静かに名乗った。
「リーン・サイリス。私の名は長いからこのくらいでいいでしょう?」
「リーン・サイリス……。」
「あなたの名前、ルヴィラ・フリクは私の名前の一部から取ったもの……。私の力の一部を与えたあなたに、私は自身の名の一部を与えたのだから。」
「名前の一部……ですか……。」
「ルヴィラ、あなたが私に呼ばれた理由が分かる?」
「解りません。それに、何故今になって私を呼んだのです?私一人を置いて、一人去ったあなたが……どうして?」
「………そうね、確かに私はあなたを置いて一人去ったわ。それから今に至るまで、私とあなたが会う事は無かったもの。」
「……、それであなたの目的は一体何です?」
「簡潔に伝えるわ……。ルヴィラ、交換留学を辞めてセプテントに戻りなさい。」
「………どういう事です?」
「近い内に私が動く、それだけ言えば充分でしょう?」
「意味が解らない。あなたが動いたところで何が起こるというの?」
「………。」
ルヴィラの言葉に、リーンは何も答えない。彼女の行動から、何かを感じたのかルヴィラは……。
「……私が動く……。副理事長の話していた事と何か関係があるとでも?」
「そうね……それ以上は何も言えないわ。」
「………殺しの依頼でも受けているような台詞ですね?」
「そうね、私は殺しの依頼を受けているわ…。相応の身分を持つ人物のね……。」
「それで、何故その依頼に私が関係あるのです?」
「これ以上は隠す方に無理がありそうね……。あなたの方が、人と接する機会が多いから仕方ないとは思うけど、仕方ないわ……。」
下手な対話が逆に不利と判断したリーンは一息つくと、
「殺しの対象は、サリア王国出身の十剣の一人であるシラフ・ラーニルよ。彼は史上稀に見る解放者と呼ばれる存在の一人で私達の支援者にとって不利益となる存在。故に私達は彼の殺しの依頼を引き受けた。あなたを呼び出したのは、余計な感情を彼に抱く前に距離を取らせる為、これが今回呼び出した最大の理由よ。」
「………嘘では無いようですね……。」
リーンの言葉に、ルヴィラは静かに応じると、少し間を開けて言葉を返した。
「あなたの言葉には応じられません。」
「………。」
「あなた達が何をしようと、私には関係の無いわ。あなたが誰かを殺そうと私には関係ないもの……。ただ、彼を殺される訳にはいかない……。あなたに歯向かう事になろうとも、私は彼の味方ですから……。」
「………やはり、彼に毒されていたようね……ルヴィラ。」
「毒されてなどいないわ、これは私の意思よ。」
「………なるほど、資料の通り周りに与える影響力が大きい……。それに私の幻影が影響を受けた……そういう事ね……。」
「……私の意思よ。誰に何を言われようとも、私は私の意思で言っているわ……。」
「…………そう、ならあなたの好きにするといいわ。」
「どういうつもりです?」
「好きにすればいいと、私はそう言っているの…。」
「…………。」
「ただ、私に歯向かった事は必ず後悔するわ……。」
「あなたを敵に回しても、彼をあなたには殺させない。」
「何故、そこまで彼に拘るの?」
「………私からは言えない事よ。あなた自身が実際に会って確かめるべき事だから……。」
「……そう、私からは以上よ。帰っていいわ。」
「彼に今回の事を話すかもしれませんよ……。」
「それは出来ないわ、私がそれを封じたもの。もし、今回の話の内容を他言すれば……。ルヴィラ、あなたは死ぬわ……。」
「っ………。」
「こうなる事も想定には入れていたもの。あなたが私と対立する事も想定の内……だからその対策も打っていたわ。この部屋に入った時から、私はあなたにその制約の魔術を掛けていたもの……。」
「……なるほど、罠はあなた自身でしたか……。」
「彼と過ごせる残された僅かな時間をせいぜい楽しむといいわ。私は私の役目を果たすだけよ……。」
「っ…………。」
「ルヴィラ、私は自分の目的の為ならどんな罪も背負うと決めているの……。例え、それがあなたであろうとそれは変わらないわ……。」
「あなたは何が目的なの?何の為に、アルクノヴァの元にいるの?」
「……マスターの元に居れば、いつか必ず彼に会えると信じている……。私は彼に殺されるのなら喜んで罪を重ね続けるわ……。」
「一体誰何です、その彼というのは?」
「ハイド・カルフ……。私と同じ、炎の神器の契約者よ……。」
●
帝歴403年11月17日
この日の放課後、日課である鍛錬を早めに切り上げたハイドとシグレは公園のベンチに腰を掛け会話を交わしていた。
「シラフ、ルヴィラさん今日は元気が無いようね?喧嘩でもしたの?」
「何も無いよ。だが、昨日急遽セプテントからの呼び出しがあったらしく帰って来たのは昨日の夜遅くだったな……。その辺りから元気が無かったんだが、理由を聞いても話してはくれなくてさ……。」
「家族からの呼び出しだったのかもしれないんじゃない、子供と両親の仲が良いとは限らないでしょう?あるいは、お見合いの話……。勝手に作られた見合いに、反対したがそれを受け入れては貰えなかった等……考える状況は様々ね……。」
「なんか、実感がこもっていて説得力がありますね。」
「そうね、私が経験した事を言ったまでだもの。サリアの騎士さんなら、王女の身分ならそう言う話くらい聞いた事があるんじゃないの?」
「それは……まあ。でも第一王女は見合いの話は引き受けてはいるんですけど、向こうが遠慮をしてしまうんですよ……。あれほど、優れた方の伴侶に私等はふさわしく無いとかだそうで……。」
「完璧過ぎる人なのね……。」
「ええ……。当の本人は自覚がありませんけど……。」
「その王女は今、どうしているの?」
「確か、あなたと同じ交換留学に行っているはずですよ。ルーシャが以前そんな事を言っていましたから。」
「そう。それで、話を戻すけど……ルヴィラさんの件について。あなたはどうするつもりなの?」
「どうするも何も、家庭の事情なら俺が入り込む余地はありませんよ。どうにかしたいのなら、自分でどうにかしないといけない事ですし。」
「そうね、それが正論だわ。でも、それを後押しするのが、共同生活をする上でも重要な事だと私は思うけどね。」
「後押しですか……。部外者の言葉で何が出来るというんです?」
「きっかけを作るくらいなら、あなたにも出来るでしょう?」
「何です、その出来そうに見えて出来そうにない事は……。」
「まあ、何かしらはあなたに出来る事はあるんじゃないのかな?」
「そうだな。やれる限りは手を尽くして見るよ。」
「それで、踊りの件は引き受けてくれるの?」
「引き受けますよ、あなたから頼んだ事ですしね。」
「そう……。」
「交換留学で、異文化の体験としてはいいと思いますし。ですが、上手に踊れる自信はありませんよ……。」
「私も少しは練習をしているけど……ちゃんと踊れるかはわからないもの。でも、学院の行事なんだから楽しめればいいんじゃないの?ここでは、堅苦しい事はしないで済むのだから。」
「そうですね……。」
「何か不服な事でも?」
「いや、ルーシャから誘いを引き受けたはいいんですけど相変わらずあなたとの仲は悪く見えましたから……。」
「私とサリアの王女との仲ですか……。」
「ええ、もう少し仲良くは出来ませんかね……。」
「私自身としては、彼女は少しからかう程度くらいで丁度いいと思うけど?」
「それは…流石に……。」
「無理して仲良しになる必要は無いでしょう?王女だからどうということでは無い、私が決める事だもの。あなただって、あのラウという人物の事は嫌っているでしょう?」
「それは、まあ……。複雑な事情がありますしね……。」
「そういうことよ。私と彼女もあなたのように、何かしらの線引きがあるだから変に仲良くする事は出来ないの。」
「そういうものですか……。」
「女性同士の仲というのは、男性同士の関係より……より複雑なものよ……。」
「なんかそれも実感がこもっていますね。」
「そうね、あなたの知らないところで様々な世界があるということ。だから、交換留学も新しい考えや文化に触れられる。だから私は自分で望んだの、自分の世界を広げる為にね……。」
●
その日の夜。昨日からあまり元気が無いルヴィラに対してハイドは夕食後、話を切り出した。
「ルヴィラさん、どうしてそんなに元気が無いんです?」
「……昨日と同じよ。あなたには関係の無い事、それだけよ……。」
「話すだけでも、少しは楽になれるとは思いますけどね。」
「それが、余計な事よ……。あなたには何も関係が無い事だもの……。」
「…………そうですか……。」
会話が途切れ静寂が訪れる、すると再びハイドが口を開いた。
「誰かと喧嘩でもしたんですか?」
「…………。」
ルヴィラはそれに対して何も答えない。しかし、僅かに体が震えたのをハイドは見ていた。
「家族と喧嘩をしたのなら、今は仲直りが出来なくてもいつかは必ずするべきだと思います。今はすれ違ったとしても……いずれは……。」
そうハイドが言おうとすると、その言葉を遮るようにルヴィラが口を開いた。
「放っておけばいいでしょう。赤の他人のあなたが、私の事に口を挟まないで!」
ルヴィラがハイドに対して声を荒げそう言った。
ハイドは彼女の言葉をただ受け止める。
「余計なお世話なのがどうしてわからないの……。あなたの中途半端な言葉が、余計に誰かを傷付けているのが……どうしてわからないの!!」
「…………。」
「私は……私の事で誰かを巻き込むのは嫌なの!!なのに、あなたは勝手に踏み込もうとして……あなたは何がしたいの!どうして他人の心をかき乱すの!!答えてよ、シラフ!!」
ルヴィラは怒りに任せて、言葉を荒げそう叫ぶ。
しかし、その目には涙が流れていた。
「…………。」
「あなたには関係無いと言っているのに……どうして……。」
「助けが必要な人を見捨てる訳がありません……。口ではそう言っても……本当あなたが誰かに助けを必要としているのは分かりますから。」
「…………。」
「何で苦しんでいるのか、その詳しい理由は聞きません……。でも、俺は俺に出来る事でならあなたを助けたいとそう思っています。」
「………そう、あなたはそういう人だものね……。他人を勝手に心配する……そして気付かぬ内に手を差し伸べてしまう。そういう人だもの……あなたは……。」
「…………。」
涙を拭い、ハイドの目を見据える彼女は意を決し口を開いた。
「いくつか伝えるべき事があるわ……。」
「はい……。」
「これから話す約束を守ってもらう。たったそれだけの事よ……。」
「どういう事です?」
「そのままの意味よ……。それが出来ないのならこの話は無しだけど……。」
「分かりました……。その約束を守ります……。」
「………。1時間、少し自室に籠もるわ……。その後、1時間を過ぎて私が戻らない時は私を呼びに来てもらえる?」
「それだけですか?」
「ええ、それだけよ……。でも時間内の内は決して中には入らない事……。」
「分かりました……。それに従います。」
「そう……。」
ルヴィラは静かにそう呟くと、突然ハイドの方に歩み寄りそして彼に抱き付いた。
「……っ、ルヴィラさん?」
「………やっぱり、そうだったのね……私は……。」
ルヴィラはハイドに抱き付き何か確信したのかそう呟いた。
「……どういう事です……。」
ハイドは突然の事に訳も分からず、ルヴィラの行動に戸惑いを隠せない。
10数秒程、抱き付くと彼から離れそれから何もいう事も振り返る事もなく自分の部屋へと消えていった。
それから1時間の時が過ぎたが、彼女が部屋から出る事は無かった。
約束通り、ハイドは時間が過ぎると部屋の扉をゆっくりと開け中に足を踏み入れる。
部屋に広がっていたのは、静寂だった……。
「………。」
目の前の光景にハイドは何も声が出なかった。
部屋を出た痕跡は何も無い……。
そして、部屋の主の姿は愚かその生活の痕跡の何もかもが消えていた……。
彼女の机の上に置かれている一枚の書きかけの置き手紙、それが、彼女の残した唯一の物だった……。




