剣を習う者
帝歴403年11月8日
休日のこの日、俺はシグレとルヴィラと共に剣の鍛練をしていた。
以前、ルヴィラと俺とシグレが交わした約束を果たす為に休日を利用しルヴィラも俺達二人の鍛練に参加させていた。
「ええと、ルヴィラさん。もう少し、背筋を伸ばして……あと力みすぎないように……。」
「……こう、かしら?」
シグレが手本を隣で披露し、ルヴィラはそれを見よう見真似で真似をする。
二人が取り組んでいるのは、剣の基礎的な構え方である。
初心者であるルヴィラには、軽い練習用の木剣を持たせ取り組ませているがそれでもかなりの重量はある。十回まともに触れればいいほうだろうか……。
彼女の隣で軽々と真剣を振るうシグレは新しい弟子が出来た事に喜んでいるのか、普段よりも楽しげに見える。
しかし、教えは真剣そのもの。決して妥協は無く、初心者には少し厳しすぎるくらいだろうか……。
俺はそんな二人をちらちら見守りつつ、自分の日課をこなしており気付ばそれを終えていた。
額から垂れる汗を拭い、俺は一人早めの休憩に入ると二人の様子を見守っていた。
「シグレ、そろそろ休憩にしたらどうだ?もう2時間は過ぎているだろう。」
俺の声に気付いたシグレは剣を鞘にしまうと、疲労で既に満身創痍のルヴィラを連れてこちらに向かってくる。
「お疲れさま、ルヴィラさん。」
ルヴィラに持って来た飲み物を投げ渡すと、それを難なく取った彼女はゆっくりと蓋を開け、飲み物に口を付けた。
飲み終えると、ふうとため息をつき俺の隣に腰を掛ける。
「疲れたわ……。よくこんな物を毎日のようにこなせるわね。」
「何年間も続けているからだよ……。まあ、俺は姉さんの教えが厳しかったからな……。」
ルヴィラにそんな事を話すと、汗をタオルで拭き終えたシグレが俺に声を掛けてきた。
「シラフ、こっちに飲み物投げて貰える?」
「分かった。確か、これだったよな。」
俺はそう言う、シグレの水筒を手に取り彼女に向かって軽く放った。シグレはそれを難なく取ると、飲み物に口を付けた。
「ルヴィラさんは、やっぱり筋がいいですね。私はまともに振るのに2ヶ月は掛かりましたのに、一日でかなり扱えていますよ。」
「そうかしら?あなたの教えがいいのもあると思うわ。」
「光栄ですね。それで、シラフはもう鍛練を終えたの?」
「ああ、二人が熱心に取り組んでいたから声を掛けられ無かったんだけどさ、流石に休憩は取らないと厳しいだろう?」
「シラフの言うとおりかもしれないね。厳し過ぎて続かないのであれば元も子もないですから。」
そう言うと、シグレは腰に帯びた鞘から剣を引き抜き軽く振るう。
「シラフ、少し試合でもどう?」
「構わないよ、もう少し体を動かしたいからな。」
俺は立ち上がり、ベンチ立て掛けていた剣を取り出し鞘から引き抜く。
「ルールはどうします?魔力の使用は?」
「うーん、魔力は無し。それで、寸止めで先に一本を取ったら勝ちでどう?それで……負けた方は、昼飯を奢るとか……?」
僅かに微笑みながらシグレはそうつぶやくと、俺に剣を向ける。目付きは真剣そのもの、負ける気はさらさら無いご様子だった……。
「分かったよ、その勝負を引き受ける。ルヴィラはここで休んでいるか?」
「そうさせてもらうわ、私はもう疲れたもの……。」
●
二人はルヴィラから離れて間合いを取り、10メートル程の距離を取ると互いに剣を構えた。
「…………。」
魔力の圧力は感じないが、両者の緊張感は張り詰めておりそれは初心者であるルヴィラにも理解出来ていた。
そして、二人が踏み込む。1秒の間もない時間で、両者の剣が衝突し金属音が響き渡る。
「……っ!」
ハイドが剣に込める力を僅かに緩めると、それに引かれるようにシグレが進む。
しかし、シグレは瞬時に僅かに揺らいだバランスを取り直すと態勢をより低くくし剣を振るう。
それに反応したハイドは攻撃をいなすと間合いを取り直す。
「相変わらず、反応が早いですねシラフ。」
「それはあなたもでしょう。やはり、そう一筋縄では勝てそうに無い。」
「簡単に負けるようには、鍛えていないからね。」
シグレがそう呟くと、ハイドとの間合いを一気に詰める。
僅かな予備動作しか無い彼女のその動きに、ハイドは一瞬隙を突かれたかに思われたが、経験が物を言い彼の体が自然にシグレの攻撃をその剣で受け止めた。
「っ……。」
「……そうでなくては、面白くありません……。」
「ええ、でも勝負は負けられませんよ。」
そして、両者の戦いは再開した……。
●
その日の夜、俺は少しため息を付きながら外の景色を眺めていた。見えるのは、つまらなそうにしている自分の顔と向かいに座り楽しげにメニューを眺めている二人の女性が窓に反射し写っていた。
結論から言うと、情けない事に俺は勝負に負けてしまったのだ。
決定的だった事は、足場が草地であった事を俺は見落としてしまい、足を滑らせ見事なまでに転んでしまったのだから。
起き上がろうとするも、シグレに剣を突き付けられ勝負は決していた。俺のその様子に余程面白いのか、彼女の顔は明らかに笑っていたのだ。
「はぁ……。情けないな……本当に……。」
俺がそんな事をぼやき、テーブルに突っ伏す。
俺にとってこれまで無い程の呆気ない負け方に、俺自身が一番気分が優れないでいた。
「気にしすぎですよ、シラフ。」
そう言い慰めるシグレ、しかし垣間見えたその表情は笑っている。これは、面白がっているなと俺はそう思った。
「負けの一つ、あなたには関係無いのでしょう。この勝負が始まった時点で、あなたが私達に夕食をご馳走するのは決まっていたんですから。」
ルヴィラはそう言い、先程頼んだ紅茶に口を付けた。
「まあ、王女様に食事を奢らされるのは騎士として流石にまずいだろうし。勝負を始める以前に、俺が奢るのは決めていたからな……。」
俺は体を起こすと、何となく頼んだコーヒーに口を付ける。今日の出来事のせいか、余計に苦く感じる。
「とりあえず、今日は好きな物を頼めよ。どうせ、俺の奢りなんだからさ……。」
「そうさせてもらうわ。」
ルヴィラがメニューに再び手に取り軽くそれを眺める。
「シグレ、どうして今日わざわざ三人での食事を提案したんだよ?」
「何の事です?」
「とぼけなくていい。何か目的があっての事だろう?」
「目的と言われても、ただ親睦を深める為ですよ。」
「それだけですか、本当に?」
「はい……。あなたには、私が何か策を巡らしていたように思えたんですか?」
「ええ……王女ですし、何かしらの考えがあっての事だろうと。」
「別にそこまで大層な考えはありませんが……。」
「……。」
「もしかして、シラフ。あなたは、こうした親睦会は初めてですか?」
「ええ、特に目的も無い会食は初めてですけど……。」
「……つかぬことを聞くけど……。シラフ、あなたに友人はどれくらい居りますか?」
「……友人ですか?ええとクレシア、それにルーシャと……あとシグレに……リノエラ……それと……。」
それから10秒程過ぎても俺から名前は出て来なかった。
それを見かねたシグレは、
「サリアに友人はいないのですか?」
「まあ……知り合いに同年代は少なかったですし、いても俺が特殊な存在だったので距離を取られていましたから……。」
「つまり……何か用も無く共に食事をする事は無かったと?」
「ええ、舞踏会だとか何かの式典とかに呼ばれるとかはよくありましたけど……。」
「…………。」
「あの、シグレさん?」
「シラフ、同性に友人はいないのですか?」
「同性ですか……よくよく考えてみればいないかもしれませんね……。まあ……仕方ないかもしれませんけど……。」
「何か心当たりでも?」
「強いて言えば、姉さんとルーシャに原因がありますね……。」
「シラフのお姉様と、サリアの王女に?」
「はい。姉さんはまあ、見れば分かりますけど飛び抜けた程の容姿を持っていますから。それが影響して、俺はサリアでよく思われていないんですよね……。同性、異性関わらずよく言えば羨望、悪く言えば嫉妬の目が向けられてきましたから……。」
俺のその言葉を聞くと、シグレは納得したのかゆっくりと頷いた。
「ルーシャはと言うと、俺が彼女の騎士として任命された事からですかね。昔から、多くの貴族からあわよくば彼女を我が家の息子と結ばせようという者が多い中で、俺のような存在が現れた事で貴族階級の人達からはかなり嫌な人物だと幼少期からありましたから……。」
「……なるほど、身分故に交友関係が偏ってしまったという事ですか。」
「まあ……そうなりますかね。まあ学院に来ても、昔から変わっていないのか同性の友人がいないんですけどね……。」
「そうですか……。」
「まあ、姉さんやルーシャの存在が無かったら今の俺はありませんから。」
「あなたから、見て今のサリアの王女はどう見えます?」
「ルーシャの事をですか?」
「はい、今の彼女について。」
「昔とはだいぶ変わっていた事ですかね……。前までは男勝りって感じだったんですけど、学院で会ってからはかなり落ち着いてそれなりに王女としての自覚を持っていたと感心はしましたけど。」
「男勝り、あの王女が?」
「ええ、今となっては別人みたいな感じですけどね。」
「……なるほど。そういう事ですか……。」
「何か納得した事でも?」
「ええ、やはりあなたとサリアの王女は羨ましいと思ったんですよ。」
「そうですか?」
「はい。いい主を持ったのですね、シラフ。」
「立派な方ですよ。だから今度は、俺が彼女に誇れる立派な騎士になるんです。」




