祖父母の愛情
椿樹は、兄二人と共に広島で一年過ごす。
だがその一年後、歯切れを切らしたのか、広島の祖母は宮崎県の日南市にいる父方の両親ーー実質、椿樹たちの育ての親ーー祖父母の元へ何も言わずに三人を置いていった。つまりは、三人のことが厄介になり、捨てたのだ。私からすればそうとしか考えられなかった。
すぐに気づいた日南の祖父母は車を追いかけたが間に合わず、無情にもポツンと置いていかれた孫三人を可哀想に思い、引き取ることを決意する。
日南の祖父母は、長男ーー春樹さんに事情を問いかけ、優しく抱きしめた。そのとき、張り詰めていた糸がプツンと切れたのだろう。幼かった春樹さんは初めて涙を流して大声で泣いたと言う。考えてみてほしい。いくら強くあろうとしてもそのときの春樹さんは三歳だ。子供は子供でも、まだまだ幼すぎる年齢。そうなって当然だと思う。
祖父母の名は、相田彰、相田美枝子。
農業を営むーー路上栽培のキンカン農家だったらしいーー祖父母はそのとき既に六十目前だったが、三人を迎えて第二の子育てに励んだ。椿樹と次男の相田伸樹さんのおしめを替え、長男の春樹さんには伸び伸びと暮らせるよう愛情を注ぎ育てた。
見渡す限りの緑に囲まれた大自然の中で野山を自由に駆け回り、伸び伸びとした生活環境の中で健やかに元気に育つよう、祖父母は孫三人に惜しみない愛情を注ぎながら第二の子育てをしていた。
だが。
このとき既に祖母の体を胃がんという名の病魔が蝕んでいたのだ。