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平成最後の――

四月三十日、十九時。

 足下に広がるネオンの光に、思わず体がすくむ。髪を揺らす風は、昼間とは打って異なり、鳥肌が立つほど冷たい。

 何で私、こんなところにいるんだろう。

 今頃、家に帰ってご飯でも食べながらテレビを見て、平成最後の特番でも見ながら、げらげら笑っていたはずなのに。

 冷たい風は、右に左にと自由に吹き、髪の毛をぐしゃぐしゃに乱して遊ぶ。

 何で私、ビルの屋上にいるんだろう。

 鳥肌が止まらない。それは、風のせいだけではなかった。

「もうすぐお別れね」

 眼下に広がる、宝石箱のような夜景。このあたりで一番高いビルの屋上。そのフェンスの向こう。

 女が一人立っている。

 背中を向けているせいで顔は見えない。

 でも、私はその顔を知っている。


 フェンスを境にいる二人の人間。その顔は、ほくろの位置、剃りすぎた眉、ストレスで割れた唇に至るまで同じ顔。


 時は平成最後の日。残り四時間で平成も終わろうとしていた。




   ◇平成最後の――




 ドッペルゲンガーという言葉を知っている人は多いだろう。

「自分と同じ顔の人間に会ったら死んでしまう」という話は結構有名ではないだろうか。

 平成元年にこの世界に生まれ、いたって平凡に人生を過ごしてきた私は、今まさに平成が終わるその日に自分のドッペルゲンガーに会ってしまった。


 しかも、死のうとしている。


「ちょ、ちょと待って!」

 そう叫んだものの次の言葉が出てこない。

 あれ、死ぬのってオリジナルの方じゃないの? とか思っている場合じゃない!

 このビルは五階までがオフィスビル、その上からマンションになっていて、先月からここの清掃アルバイトを始めたのだが、まさか帰ろうとした瞬間、エレベーターで自分とそっくりな人間とはち合わせるなんて、思いもしなかった。

 自分と同じ顔だから、とつけてきたわけでもない。

 下りボタンを押し、待っていたのだが、どうやら間違えて上りエスカレーターに乗ってしまったようだ。

 密閉されたボックスの中、他に逃げ場などあるはずもなく、そのまま一緒に最上階まで来た。

 もちろん、エレベーターの中はとても静かだった。

 向こうが降りたら、すぐに閉じるボタンを押そうと思ったのだが、そうも行かなかった。

 ハンカチを落としたのだ。

 それも、刺繍の入った高そうなハンカチ。すぐに大切なものだと察しがついた。

 仕方がないなあ――。

 それを拾って、慌てて開くボタンと押すと私もエレベーターを降りた。声をかけようと息を吸い込んだものの、彼女はどんどん先へ行ってしまう。

 どこに向かっているのかなんて考える余裕もなく、刷り込みされたアヒルの子のように、ひたすら彼女の後を追う。

 そうして見たのが、フェンスの向こうにたたずむ彼女の姿。

 言葉を失ったのは、言うまでもない。


 どうしてこうなった――。


 胸の内で、幾度となく同じ言葉を叫ぶ。

「止めても無駄」

 囂々と鳴る風の中、フェンスの向こうから静かな声が放たれる。

「私は行く」

「駄目だよ!」

 とにかく止めなくては――その思いだけが胸の中で渦巻く。この時間だ。端からは見つけにくいだろうし、屋上に来る人間もいない。助けを求めることは不可能だろう。

 この人を生かすも殺すも、私にかかっている。


 ぐっと唇を噛む。

 そんな責任重大なこと、私には無理だよ……。しかし、ここで逃げ出せば、目の前で人が死ぬ。

 ――鏡でも見ているような錯覚さえ覚える、赤の他人。

 やらなきゃいけない。でも、と恐縮する自分もいる。

 平成元年に生まれ、平成が終わろうとしている今、死のうとしている人が目の前にいる。


 人付き合いが苦手で、小学生のときは一人で過ごして、中学ではいじめられて、高校に行ったけど中退。引きこもっていれば、親は口うるさく、ああしろこうしろと指示してくる。

 ――世の中では、昭和に生まれて平成のうちに結婚しなかったら、平成ジャンプって言うらしいよ、あんたと同じねと言ってきた母。


 何が結婚だ。何が平成ジャンプだ。

 そもそも私は、昭和生まれじゃねえ!

 まったくもって、馬鹿馬鹿しい。個性を謳いながら、拘束してくる世の中が大嫌いだ。


 そもそも、自由って何?


 大人になれば自由だと思っていたのに、結局大人になっても自由なんかなくて、皆「これが普通」というラインを辿るように生きているだけだった。

 最初からつまづいていた私にとって、その「普通」のラインは、あまりにも遠すぎる。

 誰かに言われなくても自覚くらいしている。


 ――私は社会の底辺。いわゆる落ちこぼれ。


 だから、わかるのだ。

 こんな、社会の落ちこぼれになんか、人を救うだけの力なんかない。

 かける言葉が見つからず、沈黙だけが重くのしかかる。

「――ねえ」

 できることなら私が消えたいと思った矢先。

 先に沈黙を切り裂いたのは、フェンスの向こうにいる彼女だった。

 こんな状況でなければ、美しい夜景に心踊るだろう。知る人ぞ知る、素敵な場所を見つけてしまった、と。


「生きていて楽しい?」


その瞬間、思わず息を飲んだ。

 風に巻き込まれるように聞こえた彼女の問いかけに、私はとっさに答えることができなかった。

 それは、とても残酷な質問だ。


 今はまだ、いいかもしれない。両親は健在で話し相手はいる。でも、何十年と経った後、私は孤独に殺されていないだろうか――。

 ――今でさえ、時々疑問に思ってしまう。


 どうして生きているのだろう、と。


「ほらね」

 彼女は勝ち誇ったような、それでいてどこか泣きそうな声で鋭く言った。

「楽しくないでしょ」

 何も言えなかった。同じ顔、同じ声。これで同じ服を着ていたらきっと親でさえ私たちの区別がつかないだろう。

 彼女は他人だ。それなのに、鏡の中の自分が説教しているような、不思議な錯覚に陥ってしまう。


「私一人が死んだって、誰も困らないのよ」

 眼下に広がる鮮やかなネオン。蛍のように小さな光が、無数に集まり形成される光景は、美しくもあり儚くもある。今、この瞬間どこかの光が消えても、私は絶対に気づかないだろう。

 それこそ、今この瞬間に世界中のどこかで誰かが死に、誰かが生まれているのと同じように。


 彼女の言うことは正しい。私が死んでも世界は何食わぬ顔で毎日朝を迎える。それは、簡単に想像つく。

 それこそ世界の創造主でもない限り、どこで誰が死のうが生きようが、世界は変わらずに回る。

 だから――言わずにはいられなかった。


「それなら――私が死んでも同じでしょ?」


 人生なんてこんなものだ。

 平成最後の夜。こめかみに銃口を押し当てられたみたいに、現実を突きつけられた今、もう何もかもがどうでもよくなった。

 簡単に言えば自暴自棄。彼女の言うことは正しい。

 それに、元号が変わる前だ。ちょうど区切りもいい。

 私はフェンスを乗り越えると、そのままの勢いで星より明るく鮮やかな世界へ飛び込んだ。



 ――そのはずだった。



「駄目!」

 視線を向けると、彼女の体も大きく傾き私へと手を伸ばしている。その顔は、愚直に例えば、そう、……必死だった。

 どう見ても死を望む者の顔ではない。どちらかといえば、生きるためにもがく顔だ。

 何やってるんだろう。重力に引っ張られる体を止めるすべはもうない。


 それは、彼女も同じだ。

 結局、私は彼女を救うことができなかった。私なりの最善を尽くしたつもりなのだが、まあ望む結果など簡単に手に入らない。


「何でドッペルゲンガーのあんたが死のうとするのよ!」


 ドッペルゲンガー? 私が? もしかして彼女の?

 あり得ない。

 確かにそっくりだが、私には私の人生がある。もしかして、彼女は私を見てこんなことをしたのだろうか。

 だったら、馬鹿だ。――大馬鹿者だ。

 飛び降りた瞬間、手放したハンカチが目に入る。

 私はあのハンカチを知らない。淡い紫の藤が刺繍されたハンカチ、ドッペルゲンガーなら知っているはずだ。

 でも、知らない。だって、私は私だから。

 そのとき、彼女がなんでこんなことをしたのか何となく想像がついた。


「――もしかして、自分が死んでも私がいるから大丈夫だとか思った?」

 私の声は、彼女には届かない。聞こえるのは風の音だけ。

 だから、腹の底から叫んだ。


「バカ野郎! あんたの代わりなんてどこにもいないんだよ!」

 そして気づく。

 ――その言葉は、そっくりそのまま私にも返ってくることに。

 今更になって後悔の念が募る。


 平成最後の大ジャンプ。もし、生まれ変わりなんてものがあって、また人間に生まれたらーーしがらみや不安、苦悩から自分を殺すのではなく、もがいてあがいて暴れまくってでも生きる人生を送ろう。

 あなたも、来世では他人に自分の人生を委ねるような馬鹿な真似はしないでね。

 両目を強く閉じる、自分とそっくりな顔を見てふっと笑みがこぼれた。






 さよなら、平成。


 さよなら、自分。







   ◇


 はっと目を覚ましたとき、一瞬自分がどこにいるのかわからなかった。

 あれ、私死んだんじゃ――そう思ったのにここはビルの屋上。他に人はいない。

 とっさにフェンスに駆け寄り、真下を見つめる。だが、救急車やパトカーの赤いランプはおろか騒ぎ一つない。

 夢? こんな風の吹く屋外で?

 ――あり得ない。

 そのときだ。

 視界の隅っこで何かが動いた。追いかけるとそこにあったのは、彼女の持っていたハンカチ。可哀想に思えるくらい、風に弄ばれ転がっていた。

 これではっきりした。やっぱりあれは夢ではなかったのだ、と。

 なら、彼女はどこ?

 あたりを見渡すが、それらしき人影は見つからない。

 ふいに、ネオンの光がさっきよりも弱々しい気がした。星の方が存在を主張している。腕時計を見ると、もうあと数秒で十二時だった。

 えっと驚いたときには、秒針は十ニを回る。

 平成が終わり、新しい元号に変わった。

「あーあ」

 力が抜ける。まさか、こんなところで日をまたぐどころか、元号さえまたいでしまったとは。

「やっぱり、夢だったのかな」

 それにしては、随分と鮮やかすぎる夢。しかし、それならこのハンカチはどう説明つけたらいいのか。

 まあ、いいや。今日はもう疲れた。帰ろう。

 ハンカチを持って立ち上がる。ハンカチがあるってことは、彼女は必ず存在していることを意味しているということだ。決して幻ではない。

 夢でなければ、どういう原理でこうなったのかさっぱりわからないが、狐に化かされたと思えば、そんなに怖くはない。

 次会ったとき、このハンカチを返そう。

 そう思いながら、暗くなりつつある街を振り返る。


 さよなら平成。初めまして令和。


 あんなリアルな夢を見たあとだ。生まれ変わった気分で帰路につく。

 ドッペルゲンガー。

 ビルから落ちたあのとき、彼女は確かにそう口にした。

 もしかしたら、彼女にとって私は死神のように見えたのかもしれない。

 でも、それは私にも同じ事が言える。

 彼女は私のドッペルゲンガーだった。だって、私は確かに死のうとしたのだから。まあ、考えても仕方がない。

 ――もう、終わったことだ。

 どちらがドッペルゲンガーか、なんてどっちでもいいじゃないか。

 

 ――平成最後の自分殺し。


 いつかそう振り返られる日が来るよう、私はこれから先の新しい時代を生きよう。「普通の人生」というラインに首を締めることなく。


カーテンを開け空を見上げる。

 いつもと変わらない日常に、そう誓った。



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