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死が二人を共にする 2024.12

 電車を降りた瞬間、鋭い日差しが全身を刺した。コンクリートの照り返しで蒸し焼きになりそうだ。シャツのボタンを一つ外すと襟元を持ち、うちわのように仰ぐ。

 しかし涼しくはない。そうしている間にも塗装がところどころ剥げている二両電車は、次の駅に向け出発して行った。

 降りた乗客は僕ひとり。無人駅のため、切符は降りるときに車掌に渡した。線路の向こう側は山だ。何十、何百という蝉が仲間のいない僕を「哀れ」と馬鹿にしたように鳴く。

 僕は黒いボストンバックを持ち直すと、ホームを出た。短い階段を下りれば、目の前には青々と輝く田圃が広がる。その目映さに目を細める。人影はない。

 横切るトンボを後目に、無人駅前に設置されている電話ボックスに入ると、十円玉を入れた。

「タクシーをお願いします」


 見渡す限りの田畑から、体が左右に揺れるほどの山道を行った先に僕が育った村がある。

「へえー、お客さんあの村の人間か。珍しいね」

 五十代くらいのタクシードライバーは、目を丸くさせながら大きな声を上げた。耳元でシンバルでも鳴らされているのかと思うくらい声が大きい男だった。しかし、男がそう言うのも仕方がない。

「今じゃ百人もいないんですよね? 路線バス会社と住人が言い争った話、知ってます? なんでも遠回りしてまでバスを走らせる理由がないとか」

 だからといって廃線にされると足がなくなる。残っている住人はほとんどが行くあてもない高齢者だ。日用品を買いに出かけるための手段がなければ生活に関わる。

「今回の帰省は墓参りですかい?」

「ええ、まあ」

 僕は言葉を曖昧に濁す。本当は人を迎えに来たのだが、そこまで言う必要はないだろう。

 タクシーから降りた僕は、ひとまず実家に向かうことにした。村の入り口から実家までは十五分ほど歩く。汗が首をなめるように流れた。道のりを思うと気が滅入りそうだが仕方ない。タクシーで村の中を走れば嫌でも目立つ。空き家になって二年。狭い村だ。同時に娯楽もない。噂話だけが生き甲斐の老人にとって、僕が帰ってきた、ただそれだけのことが一面を飾るニュースのように扱われる。僕はこの村に長居するつもりはない。用を済ませたらさっさと出ていくつもりだ。

 昨年も法事で帰郷したばかりだが、やはり思い出すのは子供の頃の記憶ばかりだ。

 ただ、あの頃と違い風が吹くたびにわさわさと揺れ輝いていた田圃の面影は消え、今では大小さまざまな雑草が我を通すように張り合っている。

 近道だ、と庭を無断で通り抜けていた民家は廃屋になり、近所にあった鶏小屋は物置に変わり、コンクリートで整備された道はひび割れ、所々穴があいていた。

 けれど、迫り来る山の近さや中腹にある神社に続く階段、ぽつんと色あせ今にも折れそうな鳥居は変わらない。

 特に鳥居の向こう、神社に続く傾斜が急な階段は、僕にとって思い出の場所でもあった。

 (りゅう)(へい)、あの場所がお気に入りだから。

 隆平は僕の一つ下の幼なじみだ。彼は人を嫌うということを知らない。道行く人には笑顔とともに挨拶を交わし、困っている人がいれば躊躇なく手を差し伸べる。くせっ毛が悩みの種で走るのが遅く、笑うと目が垂れる――そんな誰にでも平等で優しい男だ。

 僕は生まれたときからこの村にいたわけじゃない。六歳のとき、両親に連れられやってきた。移住してくる人間が珍しいこの村にとって、僕ら家族は未知の生物だったのだろう。遠巻きにし、誰も関わろうとしなかった。むしろ罵声を浴びせ、ゴミをまいたり洗濯物を濡らしたり、根も葉もない噂を流した。子供の僕にだけは知られまいと、両親は必死に隠していたが、さすがに気づいていた。周囲を山に囲まれた閉鎖的な村だ。住んでいる人間も環境も都会とは違う。

 けれど、そんな僕らを救ってくれたきっかけも隆平だった。

「大丈夫?」

 水を張ったばかりの田圃に落とされ、パンツまでびしょびしょだ――と途方に暮れていたときに差し伸ばされた手は今でも覚えている。

 嫌なこともあったが、結果的にいい記憶が多いのは隆平のおかげだ。

 ボストンバックを持ち直し、手の甲で額の汗を拭ったときだ。

「ひろちゃんか?」と声をかけられた。視線をあげれば、石垣の上に立つ木造民家の庭先で家庭菜園の手入れをしていた老婆と目が合う。

 僕は反射的に会釈した。老婆は顔の皺をさらに深く刻んだ。

「久しぶりじゃねえか。元気にしておったか。今は東京に住んどるんだっけな」

 僕は作り笑顔を張り付けたまま「ええ、まあ」と返す。本当は神奈川だが彼らにとってはさほど大きな違いはない。

「お前さん、今年でいくつになった? へえ! 三十六! もうそんな歳か。ひろちゃん、こんなに小さかったのになあ。結婚は? まだ! こんないい男放っておくなんて都会の女は贅沢だ。はよいい嫁さん、見つけて子供作りな。じゃなきゃあっという間に独り身のまま終わっちまうぞ」

 僕は愛想笑いを浮かべ続けることで精一杯だった。刺激の少ない村の人間にとって、僕のような存在は格好の獲物だ。自分が満足するまでしゃべると、老婆はようやく解放してくれた。

「暑いかんね。気ぃつけて行くんだよ」

 僕は張り付けた笑顔で会釈すると、足早に行く。

 僕は覚えている。あの老婆も僕ら一家が引っ越してきたとき無視を決め込んでいたことを。それが今じゃ身内のような気軽さだ。それが今でも理解できない。

 どっと疲れがきて、ワイシャツの胸ポケットから煙草の箱を取り出した。火はつけず、くわえるだけに留める。

 あいつ、煙草の煙嫌いだからな。

 そんなことを思いながら、煙草を舌先でなめた。


 僕ら一家は、園芸や家庭菜園に興味のなかったこともあり、テニスコート半分くらいはあるだろう庭には砂利が敷き詰められている。それでも雑草が生えているのだから生命の力強さには目を見張る。鍵を尻ポケットから取り出すと、戸に差し込む。ガタガタと大きな音を立てながら鍵を開けると、横に引いた。

 湿った空気が鼻を突く。廊下の奥が薄暗い。しんっと静まりかえった家は死体のようだと思い、ぶるりと体を振るわせる。住人亡き後も針を動かし続けている振り子時計のカチコチという音が心音のようだった。

 僕は靴を脱ぎ捨てると、家中の窓を開けた。日の光を入れ、陰を追い出す。途端、家の命がよみがえったような気がするから不思議だ。しかし、電気ガス水は使えない家など雨風をしのぐくらいしかできない。

 しかし休んでいる暇はない。

 僕はボストンバックから水筒を取り出すと、蓋でもあるコップにそそぎ、一気にあおった。

 そして自分の部屋に向かう。平屋の和風建築だ。一番奥が父と母の寝室兼書斎で、その手前に僕の部屋がある。木製の戸を横に移動させれば、小さな勉強机と本棚が目に入った。

 僕は机の上に置いてあった物を手に取ると、ゆっくりなぞるように慈しみを込めてなでる。「厄除け守」と刺繍されたお守りは色あせ、結び目は解れている。だが、それは僕にとってこの世で唯一の宝物でもあった。

 ――ひろに幸運がありますように。

 大学進学のため、村から出て行くことを告げたときだ。神社に続く階段が僕らの語り場だった。学校での出来事や勉学のこと、親に言えないことも隆平になら言えた。

 本当はこの村を出て行きたくなかった。この場所が好きとか両親の元を離れたくないとか、そういう理由ではない。

 隆平と会えなくなるのが、嫌なのだ。

 そう気づいたのは、大学に合格し、この村を離れるという現実が間近に迫ってからだ。ずっと二人で馬鹿騒ぎを続けていたい――そう思った。でも、もう遅い。

 僕があまりにも悲痛な顔をしていたからだろうか、隆平はいつも持っていたお守りを僕にくれた。そして――。

「ひろがいなくなるのは、寂しいなあ。――オレもひろと同じ大学に行こうかな」

 隆平が空を見上げながら言う。街灯の少ない村だ。星がよく見えたのを覚えている。僕は嬉しくて、その言葉を支えに一年過ごした。もし隆平が嫌じゃなければ、今より広い部屋を借りて一緒に住んでもいいかもしれない。まだそんな話もしていないのに、隆平との楽しい生活がぷくぷくと泡のように浮かんで消える。

 大量の小銭を握りしめて電話ボックスに入り、隆平と何時間も話し込んだ日もあった。声を聞くと無性に会いたくなる。いつも思い描く夢が早く現実にならないか、そんなことばかり思っていた。

 だが、隆平は僕と同じ大学には進学しなかった。


 村の墓地は山を切り崩してできた、ちょっとした高台にある。そのため広さはない。古びた墓石が並ぶ中、真新しい墓石が端の方に立っている。僕の両親が眠る墓だ。

 都会の整備された墓地と違い、足下はむき出しの地面で雑草が生え、水場はない。僕はポケットからライターを取り出すと、線香に火をつけた。ゆらり、と煙があがる。短く手を合わせると、立ち上がり墓石を見下ろす。

「――小さいな」

 ぽつりとつぶやく。

 両親はふたりとも背が高かった。火葬し、遺骨を持ったとき「軽いな」と思った記憶がよみがえる。

 僕の父と母はふたりとも天涯孤独の身の上だった。親兄弟どころか頼るべき親戚もおらず、常に自分の身は自分で守ってきた人だ。そんなふたりだから惹かれあい、一緒になった途端、互いに依存していたのかもしれない。

「誰かと思えば、ひろ君か」

 突然、しゃがれた男性の声がして僕は振り返った。

「……おじさん」

 隆平の父親だ。

 白髪の男性は、重たい足取りでゆっくりこちらに近づいてくる。足が痛いのか、その歩き方はぎこちない。たしか七十手前だと記憶しているが、垂れた瞼や顔に浮かぶ疲労感、丸まった背中や足取り、そのすべてが実年齢より上に見せた。

「いつ帰ってきたんだ」

「今日です」

 ついさっきタクシーで、と答えれば「盆だからなあ」と隆平の父は言う。

「ご先祖様を始め、ひろ君のお父さんお母さんも帰ってくるからな。きちんと出迎えに戻ってくるなんて、親孝行者だよ、君は」

「いえ、仕事が休みなのでたまにはと足を向けただけです」

 実際、先祖を迎える仕度はやっていない。もし本当にあの世というのが存在するのなら、一向にやってこない精霊馬に腹を立てているだろう。

「――隆平も帰ってこんかな」

 哀愁の漂うつぶやきに、僕の体はぴくりと跳ねる。

「誰かから聞いたかもしれないが――先月、死亡届を出した」

 誰のかは言わなかった。言わなくてもわかっていた。

「隆平、なんの連絡もよこさないんですか」

 そう言えば、隆平の父親は目元の皺を深く刻んだ。気に障ることを言ってしまったかと思ったが、瞼に隠れた両目が潤んでいるのを見て、涙がこぼれるのを堪えているだけだと悟る。

「……・あの馬鹿息子、どこをほっつき歩いているのか」

 言葉を詰まらせながらそう言うと、彼は自分の先祖が眠る墓石に向かっていった。一回りもニ回りも小さく見える背中に、僕は言いたかった。

 隆平はあの世になんか行っていない、と。

 けれどやめた。きっと今の隆平は、両親にすら会いたくないだろうから。

 ポケットから煙草を取り出し、口にくわえる。来た道を戻りながらなぜ今日はよく人に会うなと思う。記憶の中の故郷は、広がる田畑と山、そして隆平の姿しかない。タクシーの中で運転手が言っていた通り、若者が出て行く村だ。近い将来、この村はなくなる。みんなが薄々感じていることだ。そこに悲嘆も感傷はない。

 木漏れ日の差す山道を下り、騒ぎ立てる蝉の声を浴びながら唐突に思い至った。

「そうか、盆だからか」

 目の前を家族の乗ったワゴン車が通りすぎて行く。どこかの家の息子か娘家族だろう。出て行っても帰郷しないわけじゃない。

 整備されていない道を右に左にと揺れながら小さくなる車をじっと見つめる。ふと視界に木の生えていない山の斜面が入った。

 三十年前、特段目立つことのないこの村の名が日本中に知れ渡った。ヘリコプターに乗ったリポーターが、マイクを片手に険しい表情を浮かべていたのを今も思い出す。

「痛ましい光景です」

 山が砂山を崩したように土をむき出しにしていた。土石流だ。それも道をふさぐ程度のものではない。見えざる手が山を崩したような規模で広範囲に流れた。そのとき、村の一部が埋まったのだ。

 この村もただ消滅を黙って見守っていたわけじゃない。どこにでも郷土愛を持つ者はいる。

「このままだと村から若者がいなくなる」

 そう訴えていた当時の村長は、この村に高速道路を通そうとした。むろん、小さな村の話を受けて国が動くはずがない。ただ、村の上空を高速道路が通る案があったのだ。そこに目を付けた村長は、条件として村にインターチェンジを作ることを要求した。

 村長は国からの寄付金を利用し、土壌調査を行ったあと、手始めに村内の道を整備することから始めた。コンクリートで固められた道に、水質や土壌が悪くなった、米の生産性が落ちたなど一部村人から非難の声があがったらしいが、工事は止まらなかった。道を整えた際に排出された土砂を始め、重機や機材などを置く場所など村にはない。住民の反対を押し切り、もともとは神社所有の山を開拓した。

「今は村の土地だからってそんな無茶苦茶な話が通るか! おれのじいさんは、口を酸っぱくして言っていたぞ! 神さまの土地の木は切っちゃいけねえってな」

 土砂崩れが起きたあと、村にやってきたテレビ局や新聞記者に怒りをぶつける住人は多かった。

 実際、開拓したことにより地盤がゆるんだこともあるが、それだけでは土砂崩れは起こらなかった。起因となったのは、記録的な豪雨だと当時の専門家は言っている。

 カメラが映す村の一部が埋まった映像は、それなりに国民の関心を集めたらしい。田畑が大半だったにしろ、映画のワンシーンのような衝撃があったのだろう。この災害で十五棟が飲み込まれ、死者は二十三人に上った。

 だが、山に囲まれた閉鎖的な村が、日本中の注目を浴びた期間は短かった。村長がさっさと辞任し逃げるように村を出て行ったこともあり、高速道路の話はいつの間にか霧散。村の道路もある程度整えられただけで終わった。

 だが、これで終わりではない。崩れた土砂はまだそのままだった。埋まった田畑はもちろん、土砂を片づけても住もうと考えるものはいない。しかしそのままにしておくには、あまりにも胸が痛む。

 そこでやってきたのが、僕の両親だった。別に研究者でも権力者でもない。土砂の撤去を手伝うために移住してきた――変わり者だ。

 大型重機が何台も入れない場所のため、人力だけが頼りだったという。両親と似たように住み込みでボランティア活動をした人もいたらしいが、二ヶ月くらいでいなくなる人がほとんどだった。住人とのそりが合わないからだ。

 立派なご両親だったな、と葬儀をあげたとき村の人たちから言われたが、僕はそう思わない。

 ただの自己満足だ。

 両親が死んだのだって、細い山道を運転中にハンドル操作を誤った故の事故、となっているが実際は違う。

 亡くなる直前、手紙が届いたのだ。差出人は母だった。

 ――お父さんが職場の人と不倫しているみたい。

 そんな馬鹿な、と手紙を読みながら僕は鼻で笑った。父の職場は隣町にあるタクシー会社だ。家族経営の会社で職場にいる女性となれば社長の奥さんしかいない。関取のように大柄な中年女性で気も強い。とても父と不倫をするようには思えない。

 しかし、そのあとに続く文字を見て血の気が引いた。

 ――一緒に死のうと思う。

 冗談だ、と思いながら引き出しの中に突っ込んだ。しかし、翌日の朝。両親が亡くなったという連絡を受けて本気だったのだと知る。

 母にとって父はすべてだ。もちろん、父も同じだろう。けれど母は強い思いこみをした。母のことだ。捨てられるくらいなら、と思ったのだろう。

 受話器を置いたあと、僕は深く息を吐いた。そうすることしかできなかった。


 この村にいると嫌というほどさまざまなことを思い出す。

 十ニ年ほどしか過ごしていないのにな、と苦笑しながら僕は階段を登る。懐中電灯の明かりだけが頼りだ。日中は日差しから暑さを和らげてくれた木の葉も夜は月明かりを遮る。闇の中を歩いているようだ。

 両親が死に、葬儀をこの地であげたとき、僕は隆平と再会した。香典を届けに来たのだ。黒い喪服に身を包んだ長身の男は、約束を破ったことなど忘れたように平然とした顔で現れた。

 隆平は京都の大学に進学した。寮生活で電話もあまりできないからと言われ、オレから連絡するからという言葉を信じた結果、十年近く音信不通になったのだ。彼が在学中に何度か手紙を送ったが、返事か来たことは一度もなかった。

 記憶にある少年らしさはすっかり消え、精悍な顔つきはどこか頼もしさを感じる。線香をあげ、手を合わせたあと自然な動きで立ち去ろうとする隆平を僕は呼び止めた。久々に会ったのだ。話がしたいと言えば、彼は爽やかな笑みで「じゃあいつもの場所に夜の八時で。どう?」と言う。僕は頷く。いつもの場所と言われて思いつくのは、神社に続く階段しかない。僕は時間より三十分も早くついて彼を待った。四月も下旬になり日中は過ごしやすくなっているとはいえ、朝晩は冷える。特に標高の高いこの村はそれが顕著に感じた。ぶるり、と身を振るわせる。香の染み着いた喪服のポケットに両手を突っ込む。手に何か当たる感覚で煙草の存在を思い出す。一本取り出すと口にくわえ火をつけた。ふっと煙を吐き出すとせき込む音が耳に入る。

「オレ、煙草嫌いなんだよね」

 煙を払う仕草をしながら隆平がやってきた。

「悪い」

 そう言って素早く足下の階段にこすりつける。

「この場所、懐かしいなあ。ひろは元気にしていた?」

 あの頃に戻ったように屈託のない笑顔でそう言われると、約束を破ったことを問いつめてやろうと思っていた感情がすっと収まるから不思議だ。

「まあ、ぼちぼち。隆平は?」

 久々の再会で何を言えばいいかわからない僕に対して、隆平はあの頃の延長線に立っているような気楽さをまとっている。

「オレも似たようなもんかな。ひろは都内の会社に勤めているんだっけ」

 そんなたわいもない近況をやりとしたあと、僕は意を決して尋ねた。

「どうして僕と同じ大学にしなかったんだ?」

 すると隆平は少し黙った。そして「お互い久々の帰郷だし、お参りでも行かない?」と階段上に視線を向ける。地元である村人でさえ、階段が急すぎて滅多に行かない神社だ。もはや廃神社と言っても不思議はない。だけど、断る理由もなかった。

 階段を登り切ると、二人とも膝に手を乗せ、ぜえぜえと荒い呼吸を整えていた。

「ひろ、喪服なのによく登ったな」

 そう言われて、隆平は私服姿だと気づく。黒い服装だったから気づかなかった。

「結構きついな、ここ」

 社の前にある階段に腰掛けるのを見て、僕も隣に並んだ。境内からは空がよく見える。ここは星がよく見えるなと思っていれば「結婚するんだ」と言われた。

「は?」

 僕の言葉を彼は「大学進学と約束とつながっていない」という意味に捉えたらしい。隆平は照れくさそうに、頬をかきながら言う。

「実は高校三年のときに彼女ができてさ。進学先を悩んでいたら、オレの学力ならひろの行った大学より、京都の名門大に行った方がいいって言われて。その先の将来のことを思えば彼女の言うことも一理あったし、担任も親もそうしろって言ってきて――ごめん。なんかよく電話くれたり気遣ってくれたのに。約束破ったみたいになって」

 どうやら気まずさもあって、避けていたらしい。

「……結婚する相手は、高校からつき合っていた?」

 そう言えば隆平の頬が緩んだ。

「さんざん待たせちゃったから。つき合い始めて十年くらい経ったし、いい加減安心させなきゃなって思って」

 婚約者は、今一緒に住んでいるアパートに残してきたという。

「おじさんとおばさんにはオレも世話になったから。直接挨拶したかったんだ」

 そう言って彼は立ち上がった。今更ながらボストンバックを持っていることに気づいた。僕の視線に気づいたのだろう。隆平は「今夜帰るんだ」と言った。

「戻る」ではなく「帰る」という言葉を使ったことで、隆平にとってもはやこの村は帰る場所ではないのだと悟る。その事実が胸を静かにえぐった。

 隆平は腕時計をみる。おそらくタクシーを呼んでいるのだろう。引き留めたい。けれどその方法がわからない。

「こうやって話ができて――あの頃に戻ったみたいで楽しかったよ」

 じゃあね、と手を振り階段を降りようとした隆平に向かって、僕は手を伸ばす。

 行かないでと言いたかったのか、もう少し話がしたいと思ったのか。駄々をこねる子供が背中を掴む――そのつもりだった。

 だけど、ぼんやりとした月夜のせいか距離感が掴めず、僕は彼の背中を掴むのではなく押してしまった。

 そう、押してしまったのだ。

 砂袋を叩きつけるような音が何度か耳に届く。しばらくして音は止んだ。長く急な石階段の下に横たわる陰。

 そのとき、僕の胸にわいた感情は悲しみではなく、安堵感だった。


「待たせてごめん」

 二年ぶりに登った階段はやはり急で息も絶え絶えである。しかし、頬は緩みっぱなしだ。

 社に入った僕は懐中電灯をくわえながら、床下倉庫の扉を開ける。腰くらいの深さのある、棺桶のような小さい倉庫だ。そこには黒い服を身にまとった白骨体があった。

「そう怒らないでよ。君の婚約者、なかなか婚約を破棄しなくてね。でも、君の両親が死亡届を出すと決めたときにようやく折れたみたいだ。隆平、昔から人を見る目はあるよな。うらやましいよ」

 そう言って頭蓋骨を取り出す。美しいと思った。僕は花を愛でるようにそっとなでる。

「今日は君を迎えにきたのはもちろんなんだけど、この村に別れを告げようとも思って」

 今の隆平を理解し、慈しみ、支えてあげられるのは自分しかいない。彼はまだここにいる。けれど、周囲はそう受け取ってくれない――それだけは明確だった。

 僕は、あのとき隆平が使っていた黒いボストンバックに彼を入れるとジッパーを閉めた。

「それじゃあ、帰ろうか」

 タクシーを呼んである。もう村の外についているはずだ。

 僕は闇に覆われた石階段を懐中電灯で照らしながら、天にも昇るような心地で降りていった。







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