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保護者と加護者 2023.12

「マスター、少しだけ相談に乗ってくれない?」

 すぐに返事ができなかったのは、店内に流れるピアノアレンジの曲名を必死に思い出そうとしていたからだ。サビを心の中で口ずさみながら、もう少しで思い出しそうなのに、わからなくてむずかゆい。

 目の前に座るセミロングヘアの若い女性は、僕の返事を待たず語り出した。他にお客様がいなかったからかもしれない。

「この前プロポーズをしていただいたんです」

 片田舎にある、住居兼喫茶店の小さな店「稲荷カフェ」。祖母が喫茶店を始めるとき、屋敷神として奉られている稲荷神からとったそうだが、和を思わせる店名とは逆に、プリンとコーヒーが売りの洋喫茶店だ。

「嬉しかったんだけど、本当に彼と一緒になっていいのかわからなくなって……。マスターはどう思う?」

 場所のせいか、インターネットでホームページを作ったりブログをやってみたりと時代に合わせた宣伝をしているつもりだが、いつもやってくるのは生前の祖母を知る人ばかり。一見さんお断りのような店になりつつある中、久々にやってきた新規のお客様だ。好印象を持ってもらいたい。そしてできれば、口コミで宣伝してもらいたい。

 ――と、思っているんだけどなあ。

 いきなりの人生相談に困り果てる。しかも恋愛系の。こういったことは、正解がないのだから、当人同士腹を割って話し合った方が手っ取り早い。

 しかし、それができないからこうして僕に聞いているのだろう。彼女すらいない、この僕に。人選ミスだよと心の中で叫んだときだ。

「ねえ、貴方」

 まずい。

 一瞬にして、僕の頭からうだうだした悩みは消えた。

 声のする方へ顔を上げた女性客は、眉をしかめる少女を見て目を丸くした。驚くのも無理はない。同じ顔が二つ並んでいれば、誰もが一瞬目を疑う。

(そう)太郎(たろう)に変なこと聞かないでほしいんだけど」

「独り者に相談する内容ではない。尋ねる相手を間違えている」

「こら! 美瑚(みこ)美香(みか)!」

 思わず大きな声が出た。しかし、美瑚、美香と呼ばれた二人はどこ吹く風といった様子でこちらを見る。

「いきなり大きな声を出してどうした、宗太郎?」

「宗太郎が大きな声を出すから、この人驚いちゃったじゃん」

 確かに、カウンター席に座る女性客は驚いた様子ではあったが、それは決して僕が大声を出したからではない。

 お使いにいかせていたのに、いつの間に戻ってきたのか。僕は吐き出したいため息を必死に飲み込んだ。

「申し訳ございません、お客様」

「え、あ、はあ」

 頭を下げれば、女性客は歯切れの悪い返事をする。

 それもそうだろう。日本人形のように真っ黒でまっすぐな髪、陶器のような白い肌と大きな瞳、形のいい唇に細くしなやかな腕や足。まるで美少女絵から飛び出してきたような人間が二人もいれば、呆けてしまうのも仕方がない。

 男女問わず魅了する二人は、ご近所のご老人にたいそう可愛がられている。それは大変ありがたいことだ。

 だが、天は完璧な人間を作るつもりはないらしい。

「宗太郎、もう閉店時間だ」

「早く閉めよう、宗太郎」

 僕はたまらずため息を吐いた。

 彼女らの欠点。それがこれだ。我が道を行くタイプの彼女らは、遠慮というものを知らない。見た目はもう高校生くらいなのに、幼児のように言いたい放題言う。それが可愛いという常連客もいるが、一応接客業なのだ。店に出るのなら、そのあたりのことはきちんとしてもらいたい。

 双子の発言を受けて、女性客は伝票を持つとレジに向かった。慌てて僕もレジに向かおうとすれば、美瑚(みこ)が裾を引っ張り引き留める。

「これ、どこに仕舞えばいい?」

 そう言って指さした先には、テーブル席いっぱいに置かれた食材の山があった。

「え、買ってくるものは卵とベーコン、レタスと牛乳だけって言ったよね? てか、その前にレジ――」

「レジなら美香がやっている」

 言われて見れば、確かに美香がレジ打ちをしている。けれど、半ば追い出すような形になってしまったのも事実だ。一言謝罪すべきだろう。しかし、美瑚は袖を離してくれない。

 その間に、女性客は店のベルを鳴らして帰ってしまった。

「ありがとうございました」

 せめてその背中に届くよう、言葉をかける。

 双子が帰ってきた途端、嵐のように何もかもが駆け抜けていった。

「で、美瑚。その食材の山はなんだ?」

 どうみても渡した金額と釣り合わない。

 だが、美瑚は店のイスに座ると頬杖をつき唇を尖らせた。

「盗んでないよ?」

「いやいや。盗んだらそれこそ大問題だからね?」

 しれっと真顔でそんなことを言うものだから、冗談なのか本気なのかいつもわからない。

「宗太郎は嬉しくないの? いっぱい食材があるのに」

「いや、嬉しいか嬉しくないかでいえば嬉しいけど――」

「じゃあいいじゃん」

「いや、そういう問題じゃないから!」

 はあ、と息を吐く。

 美人双子姉妹は終始こんな感じだ。

「本当のことを話すとね、みんながくれたの」

「そうちゃんによろしく、だってさ」

 うなだれた僕を見てさすがに哀れみを感じたらしい。美香も口添えしてきた。

 祖母が多額の借金を抱えていたことを知ったのは、すでに鬼籍に入ってしまった後だった。本来なら、稲荷カフェは祖母と一緒になくなるはずだった。

 でも、僕がそうしたくなかった。

 僕は父の顔を知らない。母にいたっては、顔もろくに覚えていない。だけど、祖父母が大事に、本当に大事に育ててくれた。今の子供は大学に行かないと駄目だ、と言って無理して大学まで通わせてくれた彼らの借金は、とても他人事とは思えなかった。

 今も売り上げの大半は借金の返済に当てている。生活は楽観視できないけれど、以前――美瑚と美香の保護者になる前――までよりだいぶ楽になった。

 ――一時はどうなるかと思ったけど。

 人生、予想外なことばかりだ。……よいことも、悪いことも。

「宗太郎! 見て!」

 いただいた食品の仕分けをしていた双子が、目を輝かせて走ってきた。まるで子犬だ。美香が、両手で大事なものを抱えるようにタッパーを持っている。

「お稲荷さん!」

「それも米山の!」

「こら! 米山さんだろ。まったく」

 米山さんは、ご近所に住む齢八十を越えた元気なおばあちゃんだ。双子は、いなり寿司が何よりの好物であり、スーパーの総菜売場に置いてあるいなり寿司よりも、米山さんが作ったいなり寿司の方が好きだ。尻尾が生えていたら、ぶんぶんと振り回しそうだなと思いながら、僕は言う。

「まだ食べちゃ駄目だからな」

 えー、と不満そうな声が重なる。

「まずは屋敷神様にお供えしてから」

「いいよ、お供えしなくても」

「どうせ食べるし」

「だーめ。少しだけ我慢しろ」

 僕はタッパーを美香から取り上げると、店の裏側に向かう。敷地内の隅っこにある小さな石造りの祠。木製扉の両端に、白い陶器の狐が向かい合うように並ぶ。

 僕はタッパーのふたをあけ、祠の前に置いた。甘い油揚げの匂いが鼻をくすぐる。

「ふた、開けなくていいよ」

「カラスが狙っている」

 ついてきた双子が不満そうな声をあげるが、「少しの間だけだから」となだめる。

 僕は柏手を打ち、手を合わせ、目を閉じる。

「いつもありがとうございます。これからもお守りください」

 決まり文句を口にし一礼した途端、背後に控えていた双子が俊敏な動きでタッパーにふたをする。

「もういいよね?」

「ね?」

「あ、こら。さすがに早すぎるって」

 手を伸ばし二人を止めようとするものの、彼女らは風に舞う葉のようにくるりと僕の手をかわす。

「大丈夫、大丈夫」

「ご加護は変わらないって」

 そう言って、美瑚と美香は家の中へ戻っていった。

「まったく」

 ため息混じりにつぶやく。米山さんのいなり寿司をいただいたときは、お馴染みのやりとりである。

「申し訳ありません。彼女らに悪気はないのでお許しください」

 祠に向かって付け加えるこの言葉も、双子の保護者になってから毎度のこととなってきている。

 美瑚と美香は、僕の親族でも血縁者でもない。五年前に引っ越してきたご近所さんだ。彼女らの両親が仕事の関係で海外に行くことになり、面倒を任されたのだ。

 アルバイト代だって出せないから、店を手伝わなくていいと何度も言っているのだが、彼女らはそんな僕の言葉を無視して手を貸してくれる。

 正直、ありがたい。

「宗太郎、早く!」

「全部食べちゃうぞ」

 ひょっこり顔をのぞかせる美瑚と美香を見て、僕は口元を緩ませながら「今行く」と返事をした。


   ◇


「最近このあたりも物騒だよねえ」

「いやよね、強盗なんて。それも空き家を狙ってるって聞いたわよ」

 ピアノ曲に乗って聞こえてきた会話は、今町中を賑わせている話題だった。

「宗太郎くんのところも戸締まりしっかりすんだよ」

 僕は、とっさに笑みを浮かべると「そうですね」と返した。基本、自宅兼喫茶店であるこの場所には、常に誰かしらいるので、そこまで心配はしていない。

 むしろ心配なのは――。

「宗太郎は抜けているからな」

「一人だったら危なかったけどな」

 カウンター席で頬杖をつき、オレンジジュースをちみちみ飲んでいる双子が声を合わせるように言う。

「こら。ジュース飲むなら家の方で飲め」

 小声で叱ったはずだが、お客さんの耳にはしっかり届いていたらしい。今来ているのは、ご近所の常連さんだ。

「いいの、いいの。宗太郎くんと美瑚ちゃん美香ちゃんのやりとり、おもしろいから」

「それが楽しみなところもあるのよ」

「田島さん、村上さんだけじゃないですけど、みんなこの子らに甘すぎます」

 うなだれるように言うと、目尻に深いしわを刻んだ二人は、楽しそうに口を開く。

「だって、このあたりじゃこんなかわいくて若い子はいないもの。そりゃあ甘やかしたくなるわよ」

「孫も息子夫婦も市内に住んでいるからねえ」

 途端、双子は勝ち誇った笑みで僕を見た。

 このままじゃあ、人として駄目な方向に転がってしまう。保護者としてそれだけは看過できない。でも、どんなに彼女らに言葉を尽くしても、なおしたくないときは頑としてなおそうとしなかった。

 思春期の女の子ほど難しいものはない。

 僕はしたり顔の二人の前で、わずかばかりの抵抗とばかりにため息を吐いた。

 そんなやりとりをした、三日後の朝。

 自室のカーテンを開け、朝のさわやかな空気とまぶしい朝日を全身に浴びた後、カフェメニューの仕込みをしに喫茶店の方へ向かう。渡り廊下の向こう側、店の方へ足を踏み入れた途端、異変に気づいた。

「なんで」

 思わず言葉がこぼれる。

 来客の訪れを告げるベルのついたアンティーク扉。木製の扉には、窓のようなガラスがついている。そのガラスが割れていた。ガラスの破片が内側に転がっている。

 僕は慌てて駆け寄った。

 出入り口の扉の近くには、レジがある。売り上げは毎回確認したあと、レジ下の金庫に入れているのだが、決して大きな金庫ではない。持ち運びしようと思えばできる大きさだ。

「最悪だ」

 そこにあるはずのものがなく、僕はその場にうずくまった。


   ◇


 翌日、双子から休めとうるさく言われたが、僕はそれを無視して店を開けた。

 精神的なダメージで店を休めるほどのゆとりはない。ましてや、被害に遭ってしまった以上、いつも以上の売り上げが必要になる。 

「マスター、顔色が悪いよ」

 つい最近、恋愛相談をしてきた女性が再びやってきた。双子の失礼な態度に気を悪くして、二度とやってこないかもと思っていただけに、再来店は素直にうれしい。

「最近、寝不足でして」

 半分嘘で、半分本当だ。今後のことを考え出したら止まらなくなり、寝られなくなった。ただ、目の前のお客様には関係ないことだ。

「あら、そうなの。マスター忙しそうだし、体には気をつけないと。ちゃんと食べてる?」

 気さくな女性だ。自分と歳が近い異性との会話は、この町に住んでいると滅多にない。

「私も仕事が忙しくて。ほら、この歳だと――」

 そのせいか、彼女の言葉には共感できることが多く、思わず聞き入った。

「それは大変ですね」

 心の底からそう言葉を返せば、「それでね」と彼女は言う。

「最近仕事もずいぶん楽になったの。ほら、自分の力だけじゃあどうにもならないことって多いじゃない?」

 すぐ脳裏に昨日のことがよぎった。

 自身の警備の甘さもあったが、平和な田舎町で、ましてや住居を兼任している場所で盗みの被害に遭うとは予想していなかった。

「このお店は、なんの神様を奉っているの?」

 お稲荷様だと答えれば、彼女は緩く首を振った。

「たしかに有名で御利益もあると思うけど、全国に何万というお店が奉っている神様よ。なかなかそのご利益は受けられないわ」

 だから――と彼女が言葉を紡いだ瞬間、バンっと大きな音が店内に響きわたった。驚き、音のした方を振り向けばお使いを頼んだ二人がお客様用の玄関に立っていた。遅れてチリンチリンというベルの音が続く。

 大荷物を抱えた二人は、走ってきたのか、肩で大きく息を繰り返している。荷物の量からまたご近所さんが気をつかってくれたらしい。

 別にそんなに急ぐこともなかったのに、と思いつつお帰りと声をかけようとしたときだ。

「「宗太郎」」

 重なった声は、頭の中から聞こえてくるようだった。

「やっぱり顔色がよくない」

「もう店じまいだ」

 二人三脚のように、そろった足並みで迫ってくる双子の表情は堅く、緊迫感を漂わせる。だが、この店の経営者は僕だ。二人が決めるものではない。

「駄目だ」

 僕は厳しい顔をして言う。しかし、二人は僕の言葉を無視して、店内にいるお客さんのもとへ行くと「今日はもう終わりだから帰って」とばっさり切り捨てるように言う。

 血の気が引いたのは言うまでもない。

「す、すみません! まだ開店しているので最後までゆっくりしていってください」

 店内にいるお客さんは、カウンターに座る女性客以外、みんなご近所に住む常連さんだ。

 驚いた顔をしたものの、「美瑚ちゃん、美香ちゃんが言うなら仕方ないね」と席を立つ。

「本当、申し訳ないです」

 レジを打ちながら謝れば、「いいのよ」と優しい声で言う。そして、内緒話をするように口元に手を添え囁いた。

「昨日のことがあって、心配してきたの。あたしにはいつも通りの宗ちゃんに見えたけど、あの子たちがああ言うんだもの。自覚していないだけで参っているのよ、宗ちゃん」

 見送る僕の肩を叩きながら、「無理しちゃだめよ」と朗らかな笑みを浮かべ帰って行った。

 じんっと目頭が熱くなる。本当に人には恵まれていると思っている。

 店に戻れば、お客さんはカウンターに座る女性だけになっていた。

 早く帰れと失礼な物言いをする双子を、完全に無視してコーヒーを優雅に飲んでいる。

「ねえ、マスター。まだいていいんでしょう?」

 甘えるように上目遣いで尋ねてくる女性に、僕はうなずこうとした。だが、それより先に双子が言う。

「よくない」

「帰って」

「こら、美瑚。美香」

 さすがに見逃すことはできない。保護者としてきっちり指導する必要がある。

 もちろん、僕のことを思ってのことだということは百も承知だ。それでも、指摘しないとならないことは、きちんと伝えなければならない。

 口を開きかけた。そのときだ。

 がたん、と家の方から物音が聞こえた。一気にその場の空気が凍りつく。

「どうかしました?」

 何も知らない女性客だけが、訝しげな顔で小首を傾げる。

 誰かいるのだろうか。昨日の今日でさすがにそれはないと思いたいが、何があるのかわからないのもまた事実だ。

「ちょっと確認してきます」

 僕はそう言うと、意を決して飛び込むように家の中へ入った。


   ◇


 香り立つコーヒーを一口飲む。刺さるような視線が気になったが、目を合わせたら負けだ。だからわたしは、完全に無視を決め込んだ。

「ねえ」

 それでも人形のような双子は語りかける。

 帰って、と。

 うるさいな。

 眉間にしわを寄せ、不愉快さを伝える。しかし、まったく効果がない。怒鳴りつけようとした瞬間、目があった。

 金色の瞳。獣のような輝く瞳に、思わず自分の目を疑う。

「知ってるんだから」

「盗んだこと」

 は、と鼻で笑う。一体何を盗んだというのだろう。そう口にする前に、双子が口を開く。

「実行犯は別にいるけど」

「詮索役はお前だ」

「あのさ、冗談でも言っていいことと悪いことがあるのよ」

 語気を強めながら言っても、二人は顔色どころか表情ひとつ変えなかった。

「神の名を騙る、欲望に狂った人間の集団」

「信者から金を巻き上げ、楽しようとした悪人」

 淡々とした声音は、僧侶が読み上げるお経のようだ。ぬるくなったカップに触れる指先が、だんだんと冷たくなる。

「でも、そうならなかったから困った」

「だから盗んだ」

「ここなら人目もあまりないからって」

「ついでに馬鹿な信者も増やそうって」

「そういう魂胆なんだろうけど」

 息を継く暇もなく、交互に二人の口が動く。一体どちらがしゃべっているのか、途中からわからない。

 だが、言葉が途切れた。聞いていた音楽が前兆もなく、ぷつりと途絶えてしまったように。そういえば、店内に流れている音楽もいつの間にか消えている。

 妙な緊張感が走る。空気に飲まれないよう、唇を強く引き結んだ。

 ――変なデタラメいわないでくれる。そう怒鳴り散らせばいい。証拠なんかないのだ。もし、こんな子供にここまで知られているのなら、警察が動かないはずがない。

 ハッタリだ。そう自分に言い聞かせる。

 だが、悪寒が止まらない。

「あれに手を出した」

「あれを傷つけた」

 二人の目が大きく見開かれる。闇から見つめる獣の目。黄金色の鋭い瞳。

「「許せない」」

 声にはならない悲鳴があがる。

 刃を喉元に突きつけられたような恐怖が、全身を支配する。

 逃げなければ。

 そのことしか考えられないのに、足は震えてうまく立てない。それでも、目の前の、得体の知れないものから姿を隠したくて、イスを転げ落ちながら床を這い、扉の方へ向かう。

 青白い怒りの炎が、じりじりと頬を焦がすように間近であがっている――そんな感覚があった。

「盗んだものを返せ」

「そして二度と姿を見せるな」

「そうすれば」

「祟らないでおこう」

「腹立たしいけど」

「頭から丸飲みしてやりたいけど」

 そう言って二人で顔を見合わせくすくすと笑う。まるで手足をもいだ虫の必死であがくさまを見て面白がるように。

 チリンチリンと扉のベルが鳴る。

 振り向かず、ただ走った。

「「またのお越しを」」

 背後から肩をつかむようにかけられた言葉に、わたしは今度こそ悲鳴をあげた。


   ◇


 田畑が広がる見晴らしのいい道は、空がとても大きく見える。夜は街灯が少ないため、星がとても美しい。

 店が休みの日の買い出しは、双子ではなく僕がする。商店街の人たちやご近所さんとの交流も大事だ。祖母もよく幼い僕を引き連れ、買い出しに行った。そのことを思い出すから、僕はこの時間が好きだ。

「宗太郎くん、よかったね!」

 今日は同じような言葉をよくかけられた。盗まれた金庫が店の前に戻ってきたのだ。中に入っていた売り上げもそのままで、僕は心底ほっとした。

 双子が暴走したあの日、家の方でした物音は台所に積み上げていた段ボールが崩れた音だった。

 まだ、侵入者は捕まっていない。けれど、不思議なことに空き巣被害はぴたりと止んだ。

「ただいま」

 店ではなく、家の玄関から入る。途端、ひょこりと双子が顔を出した。

「お帰り、宗太郎」

「いい匂いがするぞ」

 くんくんと犬のように鼻を鳴らしながら近づいてくる二人を見て笑った。

「犬か、お前たちは。ほら、米山さんから」

 わーい、と両手をあげて喜ぶ美瑚と美香に「お供えしてから」と釘を刺す。

「じゃあ、はやく供えよう」

「宗太郎も早く」

 裏庭へ走っていく二人を見ながら、米山さんの言葉を思い出す。

 ――きっと宗太郎ちゃんのところの神様が、助けてくれたんだよ。

 だから、お礼をしてあげてね。

 そう言って渡してくれたお稲荷さんだが、すぐに双子の腹の中に収まるだろう。そう思ったら、神様に申し訳ない。同時に、ささやかながら幸福な時間を過ごせることに心から感謝した。




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