××は蛹にならず蝶になる 2023.2
空高くまで昇った太陽が、暖かな陽光を地に落とす。片手で影を作りながら、私は視線をあげた。
庭園に植えられた柚子の木。収穫用ではなく、観賞用の木だが、冬には小振りな実をつける。数ヶ月前まで裸だった木に今は青々とした葉が茂っていた。その葉がところどころ欠けている。目を凝らすと、焦げ茶色の芋虫が葉をはんでいた。アゲハチョウの幼虫のだろうか。
「何見てるの?」
振り返れば、長い黒髪をツインテールに結った少女がこちらに向かってやってくる。プリーツの入った白いスカートを揺らし、目に好奇心を宿した彼女は、私の隣に立ち視線をたどると「ひっ」と短い悲鳴をあげた。
「気持ち悪い」
首を肩にすぼめ、両手で腕をかき抱く。一歩二歩下がった彼女を見て、私は目を細めた。
「何か用?」
汚れのない白一色の校舎は、写真で見た教会のような形をし、憩いの場である庭園は箱庭のように整えられている。建物の白と木々の緑と空の青。色、形、配置――そのすべてが完璧で絵の中にいるような錯覚を覚える。
私の問いかけに、はっとした顔をして「3516(サンゴイチロク)は、次なんの講義なの?」と上目遣いで首を傾げながら言う。彼女は自分の容姿に自信があるのか、あざとい仕草をよく知っている。私より二つ年下で小柄な彼女――2249(ニニヨンキュウ)を見下ろしながら「生物」とだけ答えた。早くどこかに行ってほしいと思った。
「えー、いいなあ。私はこれから社会なの」
肩を落とし、ため息混じりに2249は聞いてもいないことを言う。
「社会って嫌い。学園の外には卒業しないと出られないのに、映像や文字、写真だけで理解しろって、むちゃくちゃじゃない?」
口をへの字に曲げてこちらに視線を向けてくるが、私に不満を言ったところでこの後の講義は変わらない。社会は嫌でも必要な講義だ。文句を言う暇があるなら、勉強すればいい。
もちろん、口には出さない。無駄な波風を立てれば、講師に目をつけられ、寮母の耳に入ってしまう。追い出された子がどうなったのか、私は知らない。
「でも3516は得意でしょう? 学園で二番目なんだもの」
私は胸の奥から苦いものがわき出すのを感じながら、抑揚のない声で答えた。
「社会だけね。それに一番じゃない」
この学園には、五歳から十五歳未満の子供が約八百人暮らしている。西棟と東棟は男女別の生活棟で、食堂や体育館、グラウンドは別にある。中央にある学習棟は、生活棟の倍以上ある建物で、年齢や能力によって振り分けられたクラス別に講義が行われている。
ふわっとわき上がるように吹いた風が、肩まで伸びた髪をさらう。爽やかな新緑の匂いが鼻をかすめた。
「3516はもう卒業でしょう? どこにするか決めたの? そこそこ成績もいいんだし、やっぱ〈天〉?」
途端、私は眉間に深く皺を刻んで、彼女を睨んだ。ぴくりと肩を揺らした彼女は「そろそろ講義が始まる時間だから」と取って付けたような笑みを浮かべ、早足で去っていく。
身体育成講義でもないかぎり、私たちは走らない。大けがをしてもこの学園を追い出されることがあるからだ。
瞬間的にわき出た怒りは、小さくなる背中を眺めているうちに呆れへと変わる。
よくもずけずけと訊けるものだ。
今年の秋、私は卒業する。十五になった子供は、例外なくこの学園を出なければならない。卒業とは、大人の仲間入りでもある。
その際、卒業生は〈天〉〈中〉〈地〉と三つある地位の中から一つ、選ばなければならない。
これは、人類史にある王族貴族、平民、奴隷といった身分とは違う。端的にいえば、労働区分だ。
〈天〉はこの国の発展のために働く者で、〈中〉と〈地〉の者を使役しながら、個人の損得より国の利益を優先的し一生を捧げる。
〈中〉は周囲の人々のために働き、〈地〉の者を使役させながら、利になることだけを考え生きる。
〈地〉は〈天〉や〈地〉の指示通りに動き、求められる結果をきちんと出し迷惑をかけないよう生活する。
卒業が近づけば、嫌でもこの三つのうちから一つを選択しなければならない。でも、誰もが選択肢を三つ持っているわけではない。成績が優秀で人格もよく、周囲から好評価な者でなければ〈天〉の選択肢は与えられない。逆をいえば、卒業を控えた者の中には〈地〉のみしか選べない者もいる。
私は足下を見た。卒業を控えたこの時期、嬉嬉として卒業後の未来を語る者もいるが、私は逆だ。正直、卒業などしたくない。しかし、そんな者は、今までに一度もいた過去はない。
深いため息を吐いて、講義室へ向かった。
◇
「すばらしいですね、101(イチマルイチ)」
講壇の上に立つふくよかな女講師が、ふかふかのパンのような笑みを浮かべる。
101と呼ばれた少女は、一度控えめに微笑むと席に着いた。
アーモンドのような大きな目に、光の加減で輝いて見える焦げ茶の瞳、影を落とす長い睫毛、シミひとつないなめらかな肌。開花直前の蕾のような淡い色の唇は薄く、鼻筋は名のある彫工が創った女神像のように通っている。遠目からでもわかる美人だ。惜しげもなく背に流す黒髪は、癖一つなく、まるで絹糸の束のようであった。
101。この学園の人間ならば、知らない者はいない。
才色兼備とは、まさに彼女のために作られた言葉だと思う。勉学、スポーツ、芸術、人柄。彼女は、完璧な学園の完璧な生徒だ。
彼女に勝る人間なんてここにはいない。嫉妬なんて抱くことすら馬鹿馬鹿しくなる。101は、実在する、手の届かない理想像であった。
頬杖をつきながら、ちらりと彼女へ視線を向ける。同じクラスメイトだが、話したことは一度もない。話かけようとも思わない。彼女の周りは常に人だかりができている。学生だけではない。講師からの覚えもいい人だ。この前、立ち入りが禁止されている区域に講師といるのを見たと言っていた子がいた。
きっと彼女にとって、私の存在は道ばたの小石のようなものだろう。
彼女も今年の秋、卒業する。彼女のことだ。進路の悩みなんて何一つないんだろう。そう思った途端、自然と眉が寄った。
講義の終わりを告げるチャイムが鳴る。次は社会だ。今いる講堂で行われるため、移動する必要はない。
しかし、私は席を立った。講義が始まるまで時間はある。その間、講堂のあちこちで起こる話題は、もっぱら進路についてだ。楽しそうに、あるいは自慢げに語る声など聞きたくもない。
どうして皆、簡単に口にできるのか。
まるで、自分の想い描いた通りの未来が待ち受けていると言わんばかりの姿が気持ち悪い。不安はないのかと問いただしたい。彼らと自分が別の生き物だと言われても、今なら信じられるだろう。
逃げ場を求めて自然と足が向いたのは、庭園だった。
春に芽吹いた若葉は、より深い緑に染まり瑞々しさを増す。あふれ出す生命力が乗った風に包まれた瞬間、ようやく息ができるような気がした。
視線をあげる。光を浴び、緑に輝く葉をつけた枝に、三センチほどの大きさの芋虫が、体をうねらせ葉に向かっている。
もう少し大きくなれば緑色の芋虫になり、蛹を経て蝶へ変わるだろう。やっぱり、どう考えてもあの芋虫が、美しい羽を持つ蝶と同じ虫なんて信じられない。
でも、事実だ。生命の神秘を心の底から不思議に思う。
体をうねらせ、ゆっくりと葉に到達した幼虫が、葉を食べ始める。その姿をいいな、と羨ましく思う。
動物や植物、虫は生まれたときからプログラムされているように、ただひたすらに生きている。死という終わりまでいっさいの迷いがない行動は、今の私には眩しい。
「いっぱい食べて大きくなれば、空を飛べる、か」
予鈴が鳴る。戻らないと。
そのとき、風が吹いた。
髪が、前へとなびく。一匹のアゲハチョウが目の前を飛んでいった。
――まって。
走らなくても講義には間に合う距離だ。でも、私の足は自然と動いた。転んで怪我をしたらどうしよう、なんて気持ちは無視した。
スカートが翻る。やめてくれ、と泣きつくように前太股にはりつく。走っていると私も風になった気分だ。体の内側で駆けめぐっていたもやもやとした重りを置いて、私は全力で走る。
でも、逃げ切れたのは走っている間だけだ。
講堂に全力疾走のまま駆け込むわけにはいかない。立ち止まった瞬間、心臓は激しく胸を強く打ち、体が鉛のように重くなった。私の体では、空を飛ぶことはできないと現実を突きつけられる。
息を整え、手櫛で髪をすき何食わぬ顔で荷物を置いていた席まで行く。
空を飛ぶ感覚は、羽を持たない私にはわからない。けど、今のような、わずかな疲労と共に爽快感が全身を包むのではないか。
いいな。
ノートを開き、教科書をパラパラと眺めていれば、やってきた講師が講壇にあがった。持ってきた鞄から紙の束を取り出す。
幼虫が葉を食べる音が聞こえるような気がした。
私もたくさん食べている。知識という葉を十年間も。自分の体の一部にするために、必死にかみ砕きながら。
幼虫は、蝶になることに不安を感じないのだろうか、と思って苦笑した。
虫は虫だ。人とは違う。
悩みすぎだ。虫を人と同じように思うなんてどうかしている。
◇
「3516、ですよね?」
ばっと振り向いた私は、目を見張った。101がいる。しかもひとりで。
固まる私に101は、少し困った顔をした。慌てて「そうです」と消えそうな声で答える。
「ああ、よかった。人違いをしてしまったかと思いました」
物腰の柔らかな口調でそう言うと、「なにを見ていたんですか?」と私の視線の先をたどり始めた。
「だめ!」
101が眉をしかめるのを想像した途端、反射的に声が出た。両手をあげ、視線を遮ろうとしたが、それよりも先に101は見つけてしまった。
「虫、ですか」
少しトーンの下がった声を聞いて、私は慌てた。必死で言葉を探すが出てこない。そんな私に彼女は微笑みかけた。
「たくさん食べていてかわいいですね」
本音かどうかはわからない。けれど、想像していなかった反応に私は目を丸くした。
「目をこらせば、この学園にも虫はいるのですね。気づきませんでした。ここは――あまりにも綺麗すぎるので」
芋虫を見つめながらそういう彼女の横顔は、慈悲深い女神のようだった。見とれていると、101と目が合う。びくりと飛び上がる私とは対象的に、彼女は美しく微笑んだ。
「実は私、あなたとお話がしてみたかったんです」
誰にも邪魔されずにね、といたずらっ子のような茶目っ気のある笑みを浮かべる。それで私は、なるほどと納得したのだ。
101がひとりでいるところなんて見たことがなかった。でも、どうして私なのか――疑問が自然とわく。クラス替えは常に行われている。しかし、ある程度年齢を重ねてくるとクラスメイトもだいたい固定されてくる。
私が101と同じクラスに振り分けられてから、三年。今になって彼女が私に興味を持つ理由がわからない。
そんな私の心情を見透かしたように、101は穏やかな声で言った。
「先週の社会の講義が始まる前、あなた走って来たわよね? 前の講義が生物で移動なんてないのに」
驚く私に、彼女は「たまたま窓の外に視線を向けたら見えたの。一瞬だったから、他の人は気づいていないと思うわ」と言う。
「ねえ、どうして外に出たの? スポーツの講義でもないのにどうして走ったの? 大けがをするかもって思わなかった?」
矢継ぎ早に繰り出される質問に私は目を白黒させながら、一歩、二歩と下がった。こんな101見たことない。けれど、101は逃がさないと言わんばかりに、距離をどんどん縮めてくる。
この学園では、成績不良者だけでなく人格不適合者や大病、怪我を負った者は別の施設へ送られることがある。この学園よりもランクが低い場所へ移されるのだと噂を耳にしたことがあるが、本当かどうかはわからない。
講師も寮母も「この学園から出て行きました」と言うだけでなにも教えてくれないからだ。けれど、出て行った子が戻ってきたことは一度もない。
「――今、みんな卒業後の話しかしないから。ちょっと居づらくて」
私は、ぽつりぽつりと彼女の質問に答えた。
本当のことは言いたくなくて、言葉を濁しながら答えたはずなのに、彼女はすべてわかったようだった。
「そう。3516は賢い人なのね」
そう言う101の顔が、微笑んでいるのに泣きそうに見えて、私は眉をひそめた。
次の日。そろそろ蛹になっているだろうか。遠回りをして講義室へ向かう。101と話したことで、胸の内にあった重く憂鬱とした気分が、ほんの少し晴れた。
彼女は本当に凄いなと昨日のことに思いを馳せていた私は、柚子の木の前に着いた瞬間、大きく目を見開いた。
地面に死体が転がっている。
立ち尽くす私の横を、脚立を担いだ老齢の庭師、二人組が「今年は害虫が多い年ですな」「殺虫剤を散布するのも手間ですから、出ないでほしいですけどね」と朗らかに笑いながら去っていった。
「そんな」
思わず声が出る。懸命に生きていた芋虫は、空に羽ばたくことなく死んだ。柚子の木にとってアゲハチョウの幼虫は害虫になる。枝に目をこらしても、葉をはむ虫の姿は一匹もない。
私はしばらくその場から動けずにいた。
「3516、やっぱりここにいたのですね」
ゆっくりと振り返れば、困った顔をした101がいた。彼女の周りには誰もいない。早足で来たのか、息をあげながら101は言う。
「もう講義が始まっています。無断欠席者には、ペナルティが課せられることを知らないあなたではないでしょう? 今ならまだ間に合いますから、行きましょう」
101が手を引くが、私は動けなかった。するりと手のひらが離れ、温もりが消える。彼女は、どうしてこんなところにいるのか問いかけることも、私を放って戻ることもできた。けれど、そうしなかった。101は私の隣に立ち、私の視線の先をたどって――はっと息を飲んだ。
「……皆、蝶のことは綺麗だと褒めるけど、芋虫は害虫だと簡単に殺す」
私は101を見る。
「成績優秀、将来有望。そんなあなたから教えてほしい。――私は害虫?」
101は、大きく目を開き、くしゃりと顔を歪めると「違うわ!」と力強く否定した。
「命は等しく平等よ。たとえ、自然界で生きられない欠陥を抱えていても、『可哀想だから』『どうせ死ぬのだから』と奪っていいものではないの! 命は――生きることは私たちに与えられた〈不偏の自由〉なんだから」
そう言って、彼女は私の冷たい両手を握りしめた。力強く、自分の熱を与えるように包み込む。
「将来に不安を持つことは悪いことではないわ。今すぐ人生を決めろと迫られて、逃げ出したくなることも悪いことではない。逃げてもいい。あとでゆっくり決めてもいいことなの」
でも、この世の中はそうではない。期限を決められ、幼虫のような私たちに早く蛹になれと迫ってくる。
私は無理矢理、笑顔をつくった。そこで初めて自分が泣いていることに気づいた。
「ありがとう、101」
でも、講義を受けられそうにない。卒業後の地位希望書の提出は、明後日に迫っている。私はギリギリ〈天〉になれるかなれないかの位置だ。
別に〈天〉になりたいわけじゃない。希望書だから、望み通りに叶うとは限らない。でも、卒業日に交わされる書面にサインをしたら最後、私はその労働地位で一生を生きなければならない。何十年もあとになって後悔するかもしれない。そう思ったら、希望書でも記入することをためらった。
迷って、迷って。そして――わからなくなった。
私は芋虫だ。どんなに葉をはんでも、蝶になることのない欠陥品の芋虫。そんな芋虫が、蝶の幼虫と一緒に育てられただけ。周りが蛹になりだして、ようやくその事実に気づいた愚か者だ。
「私、卒業できそうにない」
サインなどしないで、この学園にもう一年留年できないだろうか。そう思って言った言葉だ。
しかし、101の顔色が変わった。血の気の落ちたような青白い顔には、いつもの女神のような微笑がない。気迫のある顔をずいっと近づける。
「そんなことを言ってはだめ」
小さな声だ。しかし、真に迫る声だった。
「3516、どうしても決められないのなら〈天〉にしなさい」
普段の優しげな雰囲気が消え、彼女は短く命じるように言う。先ほどとは別人のような変化に、私は自分の目を疑った。
私が「無理だ」と口を開こうとすれば、それを遮った。
「講義に行きましょう。みんな待っているわ」
有無は言わせないと言わんばかりに引っ張られ、私は従う他なかった。
ガラガラと胸の奥でなにかが崩れた気がした。
やっぱり、彼女も他の人と同じなんだ。力強く握られた手をふりほどくこともできず、私は涙を飲み干した。
◇
どうせ誰もわかってくれない。
だから、私は擬態し続けた。羽を持つことのない芋虫が、蛹になったように偽り、ハリボテの翼を用意して羽化を装う。
101とは、あの一件以来話をすることはなかった。ほんの少しでも気を許してしまったことを悔い、「あいつはおかしい」と言われないよう、必死で周りに溶け込んだ。柚子の木にも行かないようにした。
ただ、少しだけ感謝もしているのだ。幼虫がプログラムされたような生き方をするように、彼女が道を示してくれたことで、うまく擬態できたのだから。
卒業して数年。久々に足を踏み入れた学園は、記憶にあるものとあまり変わらない。
「青山さん、お久しぶりです」
声のした方へ振り向けば、かつて2249と呼んでいた女性が小走りにやってきた。
生徒は、学園を無事卒業できた証として名をもらう。たしか2249は、近藤と名乗っていたはずだ。
「遅れてすみません。少し急ぎの手続きをしていたものですから。さあ、行きましょうか」
この学園も創立されてから五十年経つ。よって、新しく建て直すか補強するだけに留めるのか、現場調査にやってきた。専門知識はない。私は、実際に使う者たちの意見を聞き様子を見るために来た。
鳥がさえずり、空を飛ぶ。子供たちは礼儀正しく、勉学に励んでいる。庭園も変わりない。
「案内係を命じられましたけど、青山さんここの卒業生だし必要ないですよね」
あの頃とあまり変わっていませんよ、と彼女は言う。〈地〉の地位についた彼女は、この学園で講師として教鞭を振るっているという。
「それにしても青山さん、やぱり〈天〉にしたんじゃないですか。こうやって会わなかったら一生知らないままでしたよ」
無駄口を叩くつもりはない。無視すれば、彼女は頬を膨らませた。相変わらず、子供みたいなことをする。
「ここも変わらないな」
柚子の木の下、幼虫の死体に蟻が群がっている。
「そういえば、覚えてます?」
近藤は、私から三歩ほど距離をとって問う。
「私たちが学生のとき、101っていう頭がよくって、美人でいつもまわりに誰かはべらかせていた人、いたじゃないですか?」
私は頷いた。忘れるには印象が強すぎる人だ。きっと今頃、〈天〉の地位について、その頭脳を活かしているに違いない。
卒業時、卒業生はひとりひとり別室に呼ばれ地位の通達を受ける。それに承諾するサインをし、名を記された個人カードを渡され、学園の外へ出される。戻ることもその場に留まることも許されず、カードと一緒に渡された書面に書かれた場所へ行き、そのまま家と働く場所を紹介されるのだ。
書面に記載がある場所は、全員が同じ場所ではない。行ってしまえばそのまま社会に組み込まれるため、卒業を喜びあうことも、別れの言葉を言うこともない。
元気にやっているだろうかと思ったときだ。
「その人、処分されちゃったみたいですよ」
驚きですよね、と近藤は言う。
「処分?」
聞き捨てならない言葉を聞いた気がして、思わず口にすれば「そっか、青山さんは知らないのか」と少し小馬鹿にしたように言う。
「処分は、文字通り処分です。ほら、私たちが学生のときもいたじゃないですか、素行が悪い人とか病気になった子とか突然どこか行っちゃったこと。あれ、みんな処分されていたんですよ。焼却炉に、ぽいって」
近藤は、ゴミを投げ捨てるように手を振る。
私は開いた口がふさがらなかった。彼女の「命は平等だ」と言った言葉がよみがえる。
「十五になる前って人間じゃなくて、家畜と同じなんですよ。国の所有物なんで」
理解が追いつかず呆然としている私の姿に気をよくしたのか、彼女の口が回る。
「そんなに驚かないでくださいよ。家畜なので処分していいんですよ、卒業前の子は。国にとって不要な人間を養うなんて、そんな無駄はできないですから」
この国の子供らは、生まれてすぐ親元を離れる。労働に専念するためだ。だから、私も彼女も親という言葉を知っていても、実際に会ったことはない。
「当時、教壇にあがっていた講師と話をする機会があったんです。そのとき教えてもらいました。本当にもったいない子だったって。なんでも、卒業時の書類にサインしなかったらしいです。いろんな講師に気に入られていたこともあって、卒業後の社会のことやこの学園の仕組みも知っていたそうなんですけどね」
そう言って、彼女は口元に手を当て、ふふっと笑った。
「知っていてサインしなかったって、死にたいって言っているようなものじゃないですか。成績優秀で人望も厚く、美人で悩むことなんてひとつもないのに死を選ぶなんて――。バカですよね」
かっと血が上ったが、手を出すことはなかった。
私も彼女のことはよく知らない。
けれど、命を救われた。それを知った。今になって。
101という呼び名しかない彼女もまた、蛹になれない芋虫だった。
再び、視線を落とす。害虫として駆除された虫の中に、彼女の姿があるような気がした。
「あ、この話は内密にお願いします。学園関係者しか知っちゃいけない話なので」
ぺろっと舌を出して彼女は言う。腹の底から沸々と熱いものがわくが、今の私は〈天〉だ。〈天〉は〈中〉〈地〉を従える。つまり、罰を与えることもできる。
ふっと笑みがこぼれた。彼女が〈天〉にしなさいと助言をくれた訳が、今ならわかる。ここで目の前の存在を抹消することは簡単だ。だが、まだ使い道はある。彼女の口は軽い。風で飛んでいってしまいそうなほどに。
「さっき遅れちゃったのも、処分手続きの書類を作成していたんですよ。『卒業したくない』って私のところに相談に来たんです。精神に異常があるとしか思えないですよね?」
同意を求められても困る。それはかつての私自身だ。
「私の知らない話をしてくれてありがとう。あなたは博識ね」
感情のない声で褒めれば、近藤は満面の笑みを浮かべた。
「この学園のことなら任せてください。青山さんより詳しいので」
私は顔を見られたくなくて、うつむく。同時に、死体が目に入った。
私は地面に転がる虫に誓う。
必ず、蛹にならずとも空を飛べる世界にしてみせる――と。
ハリボテの羽で蝶のフリをする私にしか、この世界は壊せない。
了




