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雪きつね 2018.6

 上京して数年。父が入院したという母からの一報で、久しぶりに地元に戻ってきた。

 電話口の母の動揺ぶりから慌てて休みを取ったものの、詳しく聞けばただのぎっくり腰で、蓋を開けてみれば一日で退院だった。

 それでも、久々に両親の顔を見るにはいい機会だと思い直し、ハンドルを握ってこの何もない田舎町に戻ってきた。

 ここもずいぶん変わったなとフロントガラス越しに思う。

 小学生の頃は、このあたり一面田圃で、夜道も暗く、街灯も球切れして日が沈んだら絶対に通りたくない道だった。クラスメイトが、「電柱からのっぺらぼうが出てきた」と言えば、皆それを信じた。そのくらい、昼と夜ではまとう雰囲気の違う道だった。

 それが今では田圃も少なく、道幅が広がり、住宅が建っている。ここ最近ブームになっている「老後は田舎暮らし」とやらに町が乗っかっているせいかもしれない。

 あの不気味だったお化けロードはもうないのか、と思ったら少し寂しくなった。新しい道ができて便利になる一方、どこか空しさを感じてしまう。

 山の麓にある人口一万人ほどの小さな田舎町には、かろうじて高校までの学校はあるものの、映画館やゲームセンターといった娯楽施設はなく、青春を過ごすには、いささか退屈な場所だった。そのせいか、若者の数は減少傾向にあり、就職を地元で行うものも少ない。高齢者は増える一方で交通の便も決して良くないこの町は、死にゆく大木を連想させる。

 人口減少、高齢化といった社会問題は、静かにそして着実に自分たちの身の回りに迫り、気づいたときには手の打ちようがない状況になっている。

 この神社もそうだ。

 山間の車道を走っていると、ぽつんっと急に現れる鳥居。山へと続く階段を上れば、社殿にたどり着く。小学生の頃の記憶だと、もっと鮮やかな朱色で大きく見えた鳥居も、今は年老いた老人のように生気がない。

 それもそのはず。祭りでにぎわったこの神社も、今となっては廃神社になったと聞いている。

 跡継ぎもなく、高齢だった神主が逝去してまだ数年しか経っていないはずなのに、もう何十年も前から見捨てられたような雰囲気を醸し出している。

 それでも何故か懐かしくてたまらないのは、幼少期によくここの境内で遊んでいたせいかもしれない。

 そのときだった。

 鳥居の前に立つ赤いランドセルの子供。その子が振り向いたとき、気のせいかもしれないが目があった。そして、一気に階段を駆け上っていく。

 あっと思ったときにはもうその子の姿はどこにもなかった。

 急いで車を停め、後を追う。

「ちょっと待って!」

 鳥居の前で声を張り上げたが、おそらく聞こえていないだろう。どくどくと脈打つ鼓動とは裏腹に、のんきなカッコウの声が聞こえてくる。戻ってくる気配はない。

 ――一緒に行けば平気だよ。

 ちょうどこの階段で差し伸べられた白い手を思い出す。もう数十年も前の記憶だというのに、鮮明に蘇る。

 あのときは、今みたいに夕暮れ時ではなく日も沈み、星が出ていた。暗くて怖くて泣きべそをかいていたことまで覚えている。

 空を見上げれば、茜色にカラスが飛んでいくのが目に入った。もう少しすれば日が沈み、暗闇が訪れる。街灯のないこの場所だと、足元さえぼんやりとしか見えない。存在そのものが闇に飲まれるような気さえしてくる。

 でも、それは幼かった頃の話だ。

 今は、ポケットに懐中電灯にもなるスマートフォンが入っている。便利な時代だ。いや、ただ単に経済力を持つようになっただけか。

 夕暮れ時、赤いランドセルの子を追って階段に足をかけた。

 幅の狭い石階段には、苔が生え滑りやすいだけでなく、ところどころ崩れ壊れていた。駆け上がることもできないまま、先へ行ってしまった子供の後を追う。

 参拝だけなら問題はない。しかし、こんな時間に小学生が一人で参拝とも考えられない。一体どんな用があって来たのだろうかと思いに耽っていたせいで気がつかなかった。

 道が――二手に分かれている。

 麓の鳥居から社までの階段は一本道であり、決して二手に分かれるほどの道や距離はない。

 しかし、目の前には二つに分かれた道が続いており、その先は鮮やかな朱色の鳥居が隙間なく建ち並んでいた。

 一体どうなっているのだ?

 後ろを振り返ろうとしたときだ。

「ダメ!」

 突然聞こえた高い声。金縛りにあったように体が止まる。

「振り返っちゃダメだ」

 見ると、二股に分かれている道の間に少年が立っていた。時代劇で見たことのある、平安貴族が着ていそうな衣装におかっぱ頭と眉まろ。そして何より、肌だけでなく髪まで真っ白だ。血が通っている人間の色ではない。笑うとか驚くを通りこして、あっけにとられてしまった。

 ドラマの撮影でもしていたのだろうか。

 そう考えれば、この突然現れた道もドラマのセットで、さっきの子も撮影を見に来ただけと納得できる。

 しかし、だ。

 そうじゃないと胸の内が騒ぐ。撮影ならあるはずのカメラどころか、撮影機材やスタッフらしき人もいない。

 そして何よりもこの雰囲気だ。

 さっきから虫や鳥の鳴き声が一切聞こえない。しんっと静まりかえった森の中は、うすら寒くも感じる。真夏だというのに、両腕をさすったときだ。

「こっちだよ」

 耳元をかすめるように聞こえた声。それは、あの少年の声だろうか。いや、違う。

 あれは、君の声だ。

 ちりん、と鈴の音が聞こえた気がした。


 こんな事を言えば君は怒るだろうけど、出会ったきっかけはもう覚えていない。いつの間にか言葉を交わすようになって、近くにいて、一緒に過ごすようになっていた。金魚の糞と嫌味を言われたときは、君のことを言われたと思ったけど、今思えば逆だったのかもしれない。

 この神社で毎年行われていた夏祭りにも一緒に来ていた。屋台を見て回り、綿飴を買って薄暗い階段に座って二人で食べたことが、ついこの前の出来事だったかのように思い出せる。

 綿飴を食べたことがないと言えば、君は笑ってバカにしたけど「それじゃあ食べなきゃ損」と言って口に突っ込まれたときは、さすがに驚いた。

「思い立ったが吉日」と言う言葉がぴったりな君。当時は言葉をあまり知らなかったから、突進するイノシシのようだと言ったら、ものすごく怒られたっけ。

 でも、君のその行動力が小さな世界を広げた。

 口の中に入れた瞬間、ふわっと溶けて消えて甘さだけが残る。噛むなんて動作は必要ない。ただ溶けていくのだ。乾いた大地に水を与えたときのように、すっと消える。その不思議な触感ととろけるような甘さに夢中になった。

 ――その結果、家の鍵を落とすという事態を招いた。

 それに気づいたのは、翌日の夕方。家の玄関の前だった。さっと血の気が落ちたのは言うまでもない。

 両親が帰ってくるのは、夜中だ。夏場だから外で待っていても死ぬことはないけど、飲まず食わず、じっと家の前で待つことは想像しただけで身が震えた。連絡が取れればよかったのだろうが、携帯電話なんて当時は持っておらず、近所の家から電話を借りたとしても、連絡先がわからない以上、両親に今起きている緊急事態を伝えることはできない。

 きつく唇を噛みしめれば、わずかに鉄の味が広かった。山際に沈みゆく太陽を一睨みすると、歩いてきた道を戻る。大きな空の端には、藍色が広がりつつある。

 タイムリミットまで時間はない。

 急ぎ足で、コンクリートの道を隅々まで見渡しながら、学校までの道を戻った。しかし、見つからない。日が沈む前に見つけたかったのだが、時の流れを止めることはできない。カラスが鳴きながら山へ帰って行く。徐々に深くなりゆく空の色と比例するかのように、胸の奥が締め付けられた。

 早くしないと。

 再び鍵を探すため俯くが、目頭がかっと熱くなり視界はぼやけた。お化けが出るという話が、頭の中をぐるぐる巡る。

 もう二度と平穏な日常に戻れないかもしれない。目から滴がこぼれそうになって、手の甲で拭ったときだ。

「何してるの?」

 はっと顔を上げれば、街灯がつき始めた農道にビニール袋を片手に持った君がいた。夜でも夕方でもない。蝋燭の火で照らされたような薄ぼんやりした空とぽつんぽつんと光る街灯の明かりのせいで、一瞬幻覚を見ているのかと思った。

 向こうにもそれが伝わったのだろう。むっと君は口を尖らせると頬をつねってきた。

「何泣いてんの」

「別に。泣いてないし」

「嘘だね。目、真っ赤なんだけど」

 うっと喉をひきつらせたが、今思い返せば、あんな薄暗闇の中でどうしてわかったのだろう。

 有無を言わせない気迫に負け、事情を説明すれば君はふんっと鼻で笑った。

 虚を突かれたものの、いくらなんでも酷すぎる態度に、ふつふつと怒りが湧いてきたときだ。

「ほら、行くよ」

 いきなり手を捕まれ引っ張られれば、つんのめる。思わず転びそうになった。

「どこに?」

「……ねえ、ここに来るまでに頭でも打った?」

 頭を左右に振れば、君は明らかに顔をしかめた。じっと見つめられても、本当のことを話したまでだ。嘘をついている余裕などない。

「まあいいや」

 君はふっと息を吐くと、買い物袋を持ち直した。がさがさとビニール袋が音を立てる。

「とりあえず、あそこに行こう」

 そう言って指さしたのは、神社のある小山だった。


 どんなに権力や富を持っていようが、人は時間を巻き戻せない。あの日起きた出来事も、思い出という言葉でくくられてしまう。砂がこぼれるように時間は常に落ちている。

 今この瞬間も例外じゃない。

 そう、目の前に無数の鳥居が並び、社殿まで一本道のはずの道が、何度も二股に分かれていようが、これもすぐに「過去」になる。

 異様な格好の少年が、何度も振り返りながらついてくるのを確認する。その仕草がどことなく動物を連想させる。

 夢でも見ているのだろうかと何度も目をこすれば、涙が出てきた。

 ぼやける視界の中でも、少年は歩いては振り向いてを繰り返している。朱色の鳥居が、異世界へ誘っているようだ。

 赤い鳥居が立ち並ぶといえば、京都にある伏見稲荷大社を思い出す。この鳥居のトンネルはそれによく似ているが、人気のない黄昏時だとやはり現実感がない。そんな中を変な格好の少年についていくなんて、笑われそうな話だ。でも、君ならきっと話に食いついてくるだろう。「まるで不思議の国のアリスだ」と言いながら。

 あの日なくした家の鍵は、この神社の境内に落ちていた。見つけたのは暗闇を恐れなかった君だった。大人になった今、こうして不可思議な体験に直面しても冷静でいられるようになったのは、君の存在が大きいのかもしれない。あの頃の自分だったら、間違いなく逃げ出していただろう。

 一歩一歩、足を前へ運ぶ。赤いランドセルを背負ったあの子も同じような目に遭っているのだろうか。遠くを見るが、鳥居が羅列しているだけでわからない。

 戻ろうにも謎の少年がそれを許さない。振り返ろうとすれば、いつの間にか目の前に少年が現れ、きりっと睨むのだ。

 終わりのない道をひたすら歩いている気分だ。もしかして、狐に化かされているんじゃないか。そんな気持ちが沸々と湧いてくる。

 このあたりの昔話に、そんな話がある。

 三日三晩降り続いた雨のせいで、土砂崩れが起き、一つの集落が丸ごと飲み込まれた。たまたま市場へ出かけていた一人の男だけを残して皆死んだ。男は後悔に苛まれながら、出家し僧侶になる。僧侶は各地を巡りながら修行を重ね、そしてこの土地にやってきた。山の麓にある小さな集落は、僧侶の今は亡き故郷によく似ており、僧侶は故郷を重ねその集落を歩き回った。

 すると不思議なことが起きた。

 出会う人すべてが、故郷の人々にそっくりだったのだ。もちろん、向こうは初対面である僧侶に丁寧な物腰で接してくる。「どこかで会ったことがないか」と訪ねても皆首を傾げるばかりで、「他人のそら似ではないか」と言う。僧侶は不思議に思いながらもいつも通り修行を行うが、差し入れを持ってきた女の顔を見て、態度を一変させた。

 女は、男の母親にそっくりな容姿をしていた。姿だけではない。声も記憶にあるままだ。僧侶は、泣きながら女に詫びを入れた。目の前にいるのが自分の母親ではないと知っていながらも、詫びずにはいられなかった。

 土砂崩れが起き、集落が消える直前、母親と喧嘩別れをしていたのだ。

 二度と言葉を交わすことができないばかりか、遺体を丁重に葬ることもできなかった、貧しいなりにも女手一つでここまで育ててもらったのに、こんな別れ方をしてしまった、と後悔を引きずりながら僧侶は生きてきた。

 自分よがりな考えだとは十分わかった上で、泣きながら何度も謝れば、「過去を引きずり未来を捨て生きることは、死人と同じです。雪を手元に残そうと寒空の下で立っていれば、雪は残っても貴方は死ぬ。貴方が死んだ後も季節は巡り、寒空の元へ移動できない雪は溶ける。結局報われているようで何も報われませんよ」と母と同じ声で女は言った。

 僧侶は、はっと顔を上げるとそこには何もいなかった。

 女だけではない。粗末な小屋も近くにあった家も馬小屋も田畑も何もかもなかった。ただ、静まりかえった森だけが広がっていた。

 化かされたのだと気づいた僧侶は、さらにむせび泣いた。

 騙されたからではない。

 ずっと目を背けていた事実を突きつけられたからだ。誰も報われないのはわかっていた。しかし、どうしようもなかった。僧侶は額を地面にこすりつけながら子供のように声を上げて泣いた。僧侶として失格だとわかっていても、泣く以外に心を占める空しさに向き合う術はなかった。

 そのときだった。

 物音が聞こえ、はっと顔を上げた僧侶の目に、雪のような真っ白な狐がいたという。化生の類に化かされていたのだと思った瞬間、涙も止まった。しかし、不思議と嫌悪感は湧かず、ただあっけにとられた。獣というよりは、現象という言葉が当てはまる。何にも染まることのない真っ白な狐は、僧侶が手を伸ばした途端、目の前で水が蒸発したように消えたという。

 以来、僧侶は旅をやめ、この地で暮らし始めた。それが、この町誕生の由来だという。

 どこにでもある故郷の民話だ。しかし、君はこの話が好きだった。

 中学に上がった頃、この辺りに大雪が降ったことがあった。

 大雪といっても道路状況に支障もなく、学校も休校にはならなかったから、ただ単にいつもより多い程度だったのだろう。それでも皆、大騒ぎだったのをよく覚えている。かまくらや雪だるまなど、雪が少ないと作れないものを汗をかきながら作った。そんな中、歩きにくい雪道を帰りながらこの神社に君と来た。寄り道していこうと誘ってきたのは、君だった。

 当たり前だが、境内には誰もいなかった。

 ただ、雪をかぶった狛犬がちょっと哀れに見えたくらいだ。白く染められる社は、普段見ている社とはまったく違っていて、子供心ながらわくわくしたのを覚えている。

 そこで君と雪を使って動物を作ったのだが、何の動物を作ったのか覚えていない。耳や目に使うからと、狭い境内を歩き回っていたことを思い出す。案の定、翌日は筋肉痛になった。

 あのとき君は、何を作っていたんだっけ。

 数珠のように連なる鳥居をくぐりながら思いだそうとするものの、やっぱり思い出せない。ただ、たくさん作ったことは覚えている。それこそ、この鳥居のように。

 耳鳴りが聞こえそうなほど静まりかえった森の中をただひたすら歩く。空は朱色が濃くなり、日が沈む間際のあがきのひとときに入る。この時間帯の茜空は、血をこぼしたような色をしており、苔蒸した石階段さえ染める赤に魅入られる。

 赤色は少し苦手だ。

 情熱や愛情などを示す色だが、血も赤色のせいか、何となく「命」を連想させる色だからかもしれない。

 命。それは、生と死。

 生者は死者と会うことはできない。

 ――もう二度と、君と会うことはできない。

 いつの頃だったか、君は猫のように鈴を持ち歩くようになった。ちりん、ちりんと廊下から聞こえてくる鈴の音に君が近くにいることを知ることもよくあった。

 どうして持ち歩くのかと聞いたことがある。そうしたら、君は「音がすれば近くにいることを伝えられる」と返した。

 そのときは、別に伝えなくてもいいだろうと思ったのだが、今はあの鈴の音が恋しい。

 忘れもしないあの日も、こんな夏の日だった。

 放課後、鈴の音と共にやってきた君は、「帰ろう」と声をかけてきた。ちょうど鞄に荷物を詰めていたし、用事も特にない。でも、すぐに「いいよ」と返せなかった。

 同級生に言われたさりげない一言が脳裏をよぎる。

 ――おまえ等いっつも一緒だよな。なんか、絡みづらい。

 別に周囲と距離を取りたいわけでもなく、むしろいろんな人と関わってみたいと思っている。それなのに何故か壁を築いていると言われた。その原因が、君だと言うのなら……。

「先帰ってて」

 顔を見ずにそう言った。

 君は純粋に「わかった」と言って駆けていってしまった。足音は消えても遠くから聞こえてくる鈴の音だけは、いつまでも耳に残った。

 これが君と交わした最後の言葉になった。


 一体、いつまで歩き続けるのだろうか。

 先を行く真っ白な少年が、振り返る。この不可思議な空間に迷い込んだときから、何度も何度も振り返る。

 もしかして化かされている?

 そんな考えが脳裏をよぎった。だったら、このまま言いなりになる必要はない。さっさと来た道を戻ろう。その方が早い。足を止め、振り返ろうとしたときだった。

 ――ちりん。

 鈴の音が聞こえた。それもただの鈴の音じゃない。君が持っていた鈴の音だ。聞き間違えるはずがない。

 はっと顔を上げれば、少年がこちらをまっすぐ見据えていた。手に持っているのは、鈴。赤い付け紐はあのときのまま、何も変わっていない。

「それ、どうして」

 絞り出たかすれた声。頭の中がごちゃごちゃして、何を言えばいいのかわからない。

 少年は、くるりと背を向けると脱兎のごとく駆けだした。慌てて追いかける。

 見失ってはいけない。聞きたいことがたくさんある。

「待て!」

どうして見ず知らずの少年が、あの鈴を持っているのか。

 一体何者なのだ、あの少年は。


 君に冷たい態度を取ってしまった翌朝。君は学校に来なかった。そう言えば昨日の夜、君のお母さんから電話があったっけ。母さんが電話に出て「今日は一緒に帰ってきてないの?」なんて聞くものだから、腹が立って「いつも一緒じゃない」って怒鳴ってしまった。

 もしかしたら、それが電話口にいた君のお母さんに、ましてや君に聞かれてしまったんじゃないかって思って、あまり寝られなかった。

 君が学校に来ていないって知ったとき、頭の中が真っ白になった。そして、謝らなくちゃと思った。

 だけどこの日は、朝から周りが変だった。

 ホームルームの時間になっても先生が来ない。クラスの中がざわざわと騒がしくなり始めた頃、ようやく担任教師がやってきた。

 でも、どこか表情が堅い。必死に平静を装っているような胡散臭さがあった。

「今から整列して体育館へ行くように」

 表情だけでなく声まで堅い。いつもとは違う様子に教室の中が騒然となる。

 妙な胸騒ぎがした。ふと脳裏をよぎるのは君の顔。今まで一度も学校を休んだことのない君が今日に限っていない。それが、ひどく不自然だった。

 そして、その予感は当たった。

 体育館に集められ、校長の口から語られたのは、君の死だった。

 事故死と他殺の両方で調べを進めているとまで聞こえて、あとは遠くで響く雑音でしかなかった。

 君と一番仲が良かったから、真っ先に聴取をさせられたけど、何を話したのかまったく覚えていない。

 ショックだった。

 信じられなかった。振り向けばどこかに君がいるような気がして、学校の帰り道、何度も振り返った。けれど、君はもちろん、人影一つない。

 それでも、心のどこかで皆がドッキリを仕掛けているのだという気持ちが拭えなかった。まだ、君は生きている。死んだなんて悪い冗談だ。いや、冗談にしては酷すぎる。

 ネタばらしをされたときのために、どんな反応をしようかいくつも考えながらその日は帰った。

 しかし、それが無駄だったと思い知らされたのは、四日後。君の葬式のときだ。

 君のお母さんが泣いていた。お父さんも口をへの字に曲げ、天井を見上げていた。仲良しだったからと君と最後のお別れと言って、棺の中をのぞかせてもらったとき、ああ本当にもう君に会えないのだとわかった。

 君はあの神社で倒れていたと聞いた。近くに太い枝が落ちていて、警察の調べだとそれが頭に当たったのだと言う。

 でも、それは違う。

 君が神社に行くときは、いつも社の前にある階段に座る。絶対に木のある場所には行かない。何故そう言い切れるのかと警察の人に言われたが、いつも一緒にいたからこそわかる。

 君は口には出さなかったが、神様を信じていた。神様だけじゃない。妖怪や精霊など口に出せばバカにされるだろうものの存在を信じていた。

 だから、神域である神社の森には近づかない。そう訴えたけど誰も耳を貸してくれなかった。君は不慮な事故で死んだ。そういうことになった。

 でも、やっぱりそれは違う。

 君が死んだ日、上空を飛んでいたヘリコプターが何かを落下させたらしい。ニュースではけが人は出ていないと言っていたけど、それは嘘だ。

 枝が落ちた木を見てきたが、切り口は電動鋸で切ったように異様に綺麗で、近くには真新しい土色の箇所があった。

 真っ赤な夕日が世界を染める。君は殺されたのだ。

 まっすぐ続くアスファルトの歩道。もう鈴の音も聞こえない。


 必死に追いかければ、いつの間にか社へたどり着いていた。少年の姿は見あたらない。

 大きく肩を揺らしながら周囲を見回す。ここにたどり着くまでの道中が変だっただけで、境内には特に異常はみられない。

 そもそもここに来たのも赤いランドセルの子を追ってきたのだ。あの少年のことは後にしよう。

 廃神社と聞いていたが、想像していたよりは幾分かマシな姿をしていた。それでも蜘蛛の巣が張り、塗装がはげ、神が座する場所としての風格は消えている。

 一体、こんなところに何の用があって来たのだろう。赤いランドセルの子を探し、社の裏へ回り込んだときだ。

 君があの雪の日、作ったものを思い出した。

 ――雪兎があるんなら、こういうのもあっていいでしょう?

 歪な形のそれを君は「狐」と呼んだ。雪兎ではなく、雪狐。

 あの日、無数に作った狐は境内のいたるところに置いた。狛犬の足元にも、社の隅にも賽銭箱の前にもだ。

 どうして狐だったのだろう。あの頃に思いを馳せながらふと思う。しかし、答えを持つ君はいない。この疑問は一生わからないまま――。

 ふっとため息を吐いたときだ。

 視界の隅っこに大きな黒目の小学生が、顔をのぞかせた。「ここは危ない」と声をかけようとしたときだ。

「そこ、危ない」

 小学生はこちらに向かってまっすぐ指さした。

 振り返って青ざめた。

 この神社の裏側には切り立ったような崖がある。今は廃屋と聞いていたからランドセルを背負った子供が向かっていったとき、危ないと思って慌てて追いかけたのだ。

 ところがどうだ。

 記憶の中では、もう少し先のほうにあったはずの崖がすぐ後ろにあった。あと一歩下がっていれば落ちていただろう。

「君こそこんなところで何をしているの?」

 平静を装いつつ、ランドセルを背負う子に近づく。端から見れば、不審者に思われるかもしれない。

 小学生は、再び指をさす。その先には、モーゼの十戒のごとく割れた森。その間から遠方に輝くものが見えた。

 海ではない。湖だ。

 まさか、こんな景色が見えたなんて。君に教えれば目を輝かせるだろう。でも、もう君はいない。

 君は殺されてしまった。

 国や世間、大人にではない。ちっぽけな見栄で張り固めた、くだらない自尊心が、君を殺したのだ。

「……ごめん」

 崩れ落ちるように謝るが、相手がいないのではただのエゴでしかない。

 あんなにたくさんあった雪狐ももうない。

「本当に――」

 ごめん、と言おうとしたときだ。

「あ」

 隣に立つ子供が驚いた声を上げた。

「狐だ」

 はっと顔を上げると、茜色の空と遠くに輝く湖面、そして両脇に広がる森の間に真っ白な狐がこちらを見ていた。狐は、ぴょんぴょんっと兎のように数回跳ねた後、宙返りをして消えた。

 文字通り、跡形もなく一瞬だった。

 しかし、確かに聞こえた。

 ちりん、と軽やかな鈴の音。視界の隅っこに映った、くっきりと浮かび上がるまっすぐな飛行機雲。

 君に笑われたような気がした。



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