リカちゃん 2021.6★
目映いライトと複数のレンズが私を追いかける。
女優として注目され、一気に仕事も増えた。その結果だ。
たまに華やかな世界でうらやましいと言われるけれど、実際そんなにいいものばかりではない。多くの目にさらされると、誹謗中傷の声も一定数生まれるしストーカーや脅迫まがいのことをされたりもする。
「次はテレビ局に向かいます。インタビュー撮影です」
マネージャーに促されるように車に乗れば、すぐに動いた。あっという間に住宅街は過ぎ、高速道路に乗る。そんな車窓を眺めながら、ふっと息を吐く。正直、この仕事は休む時間もない。
それでも続けるのには理由がある。
◇
「あのさ、一組の鈴木のことどう思ってる?」
駐輪場に向かう途中、ここを通れば近道できるのでは? と人一人が通れる程度の校舎の隙間を歩いていたときだった。突然聞こえてきた声にげんなりと肩を落とす。
――めんどくさい場面にはち合わせてしまった。
そっと顔をのぞかせれば、男女の学生が向かい合っている。
男の方は後ろ姿で誰かまではわからないが、女学生の方は知っている。
リカちゃん。皆、そう呼ぶ。
すごい美少女がいると入学式当初から話題になっていた。リカちゃん目当てに、同級生だけでなく先輩までもが教室までわざわざ見に来るほどだ。直接話をしたことはないが、クラスメイトがそこまで騒がれれば、嫌でも目にはつくし、話も聞こえる。
例年より開花が早く、散り際の桜とともに迎えた入学式からまだ三週間。初対面であろう者から三週間でそんな質問をされたら、誰だって返答に困る。
「どう、って言われても」
リカちゃんは、胸の前で祈るように手を組んで、目をそらす。はっきり言ってやればいいのに、と心の中で毒づく。か弱い小動物みたいな態度は、見る人によっては可愛いかもしれないが、一方で自分の主張を押し通せると勘違いさせることになる。
たとえば、今目の前にいる男子生徒みたいに。
男子生徒は、会話に出てきた「鈴木」とやらの友達かパシリかなんだろう。虎の威を借る狐という言葉が脳裏をよぎるくらい、何故か自信満々というか高圧的というか。でも、私よりも背が低いから、小学生が親の真似を背伸びしてやっているようにしか見えない。
もしかしたら、その鈴木とやらよりも自分の方がイケている、何なら俺を選ぶだろう? みたいな自信があるのかもしれない。
心の中で静かに舌を出す。私には関係ないことだ――。気づかれないよう、そっと今来た道を戻ろうとしたとき、リカちゃんと目が合ってしまった。
潤んだ大きな黒い瞳が、言葉よりも強く語る。
助けて、と。
助けてあげるほど、私は彼女のことをよく知らない。だって、まだ三週間の仲なのだ。同じクラスといえど、話したこともないし、友達と言えるのかも怪しい。
けれど、大きく潤んだ瞳は愛犬のボンゴを彷彿させた。ゴールデンレトリーバーのボンゴは、大きな体の割に気が弱く、大きな音が苦手。雷が鳴ると、尻尾を股の間に挟みクンクンと鳴く。外で飼っているため、家の中には入れちゃだめと母は言う。でも、雷の鳴る夜にあの大きな瞳で見つめられて無視できる人がいただろうか。少なくとも私は無理だ。
家の中にこっそり連れ込んで、私の部屋に匿う。そして翌朝、母に叱られる。そんなことを何度か繰り返したなと記憶がよぎる。可愛いボンゴ。だから、卑怯だ、と思った。
今、ここで無視することを選べば、ゴールデンレトリーバーを見るたびに今日のことを思い出すだろう。それは絶対に嫌だ。
ならば、仕方がない。
「何してるの?」
素知らぬ顔で声をかけ、姿を見せれば、男子生徒はわかりやすいほどに飛び上がった。見開かれた目は、驚きからすぐに怒りに変わる。
「お前には関係ないだろ!」
八つ当たりもいいところである。大人ならまだしも、私だってまだ高校デビューしたばかりのお子さまだ。腹が立つものは立つ。
「関係なくないけど? そもそも用があるのはあんたじゃないし」
ぶっきらぼうにそう言い放てば、男子生徒の顔は見る見る赤くなった。そんな茹でたこを後目に、私は「先生が呼んでいる」と彼女に声をかける。もちろん、嘘である。
「わ、わかった。ありがとう」
助けを求めた本人だ。私がついた適当な嘘だということはわかっているだろう。
さすがに来た道を戻るわけにはいかないので、彼女と一緒に奴の目が届かない場所まで行く。これで私の役目は終わった。特に声もかけず、当初の目的地であった駐輪場を目指す。
もしかしてついてくるかもと思ったが、そんなことはなく、リカちゃんとは無言のまま別れた。もしかして、本当に先生に呼ばれたと思ったんじゃ――と思ったが、後を追う気にもなれず、どうにでもなれと帰り道についた。
もうリカちゃんと関わることはないだろう。そのときは、そう思っていた。けれども、翌日。驚いたことにリカちゃんから話しかけてきたのだ。
「昨日はありがとう」
どうやら、私がついた嘘もきちんとわかっていたらしい。あのまま先生のところに行っていたら、私に礼など言うものか。
「お礼なんていいよ」
目が合わなければ、私だって見て見ぬ振りをしていた。しかし、彼女はそんなこと知らない。
「でも、助けてくれたことは事実だから」
私をまっすぐ見る瞳は、やっぱりボンゴと同じだった。
それから、リカちゃんは事あるごとに私に話しかけてくるようになった。リカちゃんは人気者だ。私なんかと一緒にいること自体、実は何か企んでいるのではないか――そう疑っていた時期もあった。
リカちゃんの周りはいつも人が絶えない。一方、私は口べたで愛想笑いも苦手だからまだ友達と呼べる人がいない。それに対して不満はない。常に誰かと一緒にいる方が疲れる。
でも、リカちゃんはそうじゃないんだろう。
そして、そんな私のことを「友達のいない、かわいそうな子」だと思ったのかもしれない。
「次の授業、理科だよね? 一緒に理科室行こう!」
「さっきの英語の小テスト、私、全然できなかったぁ」
「掃除当番どこ? あ、一緒! 早く行って早く終わらせよう」
――気がつけば、一日中付きまとってくる。
彼女だって一人じゃない。男女問わず、いつも誰かがそばにいる。それでもリカちゃんは私に話しかけてくる。周りにいる同級生が、顔をしかめているのに気づかないまま。
「私のことは放っておいて」
うんざりしていた。彼女が私に話しかける度に、蔑むような目で私を見る奴らにも、それに気づかない彼女にも。
だからはっきり言ってやった。あのとき助けてもらった恩を返そうとしているのなら、もう十分だ。これ以上、私に関わらないでほしい。
美しいひまわりが夏を選び、猛暑の中でしか咲かないように、人も合う合わないがある。彼女は燦々と輝く夏のように周りを魅了し、狂わせる。一方、私は真っ白な雪の下につぶされた名も知らない草だ。誰もが存在すら忘れる。だが、彼女が私に声をかける度に、私の存在は白日の下に晒される。やがて周囲に焼き殺されるのではないか。そんな思いが拭えない。
もちろん、ただでやられるつもりはない。けれども、お互いのためこれ以上干渉することはやめようと、私なりに優しく言ったつもりだった。
でも――。
「何、その言い方。ヒドくない?」
「リカちゃんに謝れよ」
「優しくしてもらっておいて――あり得ない」
私は、彼らと話をしたわけじゃない。あくまで、リカちゃんと話したつもりだ。
でも、こうなった。
これが、リカちゃんだ。私にはない魅力で周囲を惑わし、力にしていく。時にその力は、入学してまもないときのように、身を滅ぼしかけるだろうが。
ああ、面倒くさい。
こうなりたくなかったから、言ったのに。結局、こうなった。肝心のリカちゃんは、おろおろするばかりで止めようとしない。その戸惑っている態度が、私に言われた言葉で傷ついていると周りは思ったらしく、私への風当たりはさらに厳しくなった。
もう、何を言っても無駄だ。
私は席を立つと教室を出た。予鈴が鳴った。でも、戻るものか。階段を上っていれば、先生とすれ違う。とっさに「具合が悪いので保健室に行きます」と言って走ったが、保健室があるのは教室があるのと同じ、一階だ。呼び止める声を背中で受けながら、そのことに気づいたがもうどうにでもなればいい。
私は走った。階段を駆け上がる。息があがって、目の前がもうろうとする中、行き着いた先のドアノブに手を伸ばした。堅い壁を押し破るように全身を使い、ドアを押し開けた瞬間。ごうっという音が耳元を流れ、髪が後ろへ引っ張られた。頬を打つ冷たい風とは裏腹に、視界いっぱいに広がる空は、どこまでも青く澄んでいた。
川の中に放り込まれたみたいだ。
空を見上げたまま、足を踏み出す。屋上へと続く扉は、手を離すと勢いよく閉まった。まるで世界から放り出されたようだ。命綱を切られ、あてもなくさまよう宇宙飛行士の気分のまま、フェンスまで行くと背中を預けた。
頬を叩く風は強く、髪はグシャグシャにかき乱される。それでも、心はずっと穏やかだ。ここにはうるさいものは何もない。淀んだ水辺から清流に移った気分だ。ようやく、息ができる。
そう思ったときだ。
屋上へと通じる、唯一の扉のドアノブが動いた。
気分は一変、私はじっと扉を睨む。隠れればいいのだろうが、正直、今はそんな気分じゃない。それに授業はもう始まっている。ようやく見つけた居場所を盗られるくらいなら、戦う方がいい。
しかし、扉を開け現れた人を見て私の闘争心は静まった。
リカちゃんだ。
連れの人間はいない。彼女一人のようだ。扉を開けてすぐ、私と目があったものだから、リカちゃんは大きな目をさらに見開いた。ボンゴも驚いたとき、目を丸くしたのを思い出す。
「ごめんなさい」
「何で貴方が謝るの?」
謝るとしたら私の方でしょう。もちろん、謝るつもりはないけど。
関わらないでと言ったばかりだというのに、どういうつもりでここに来たのか。私の方が問いたい。
リカちゃんは、教室にいたときと同じ、もじもじと体をくねらせる。言葉を探す癖なのか、両手の指先を合わせては離すのを繰り返す。
「もう授業も始まっているし、戻ったら?」
しかし、リカちゃんはその場から動こうとはしなかった。苛立ちが、落ち葉のように積もる。私は元々我慢強い性格ではない。
「いい加減にしてよ!」
大きな声を出せば、リカちゃんの細い肩が飛び跳ねた。
「私言ったよね? 放っておいてって。それなのに何? 私のこと笑いにでも来たの?」
「違う!」
初めて食い気味に否定してきたリカちゃんに、私は多少なりとも驚いた。いつもにこにこ笑顔を絶やさないリカちゃんが、こんなに強く否定するなんて思っていなかったからかもしれない。
「……じゃあ何?」
尖った刃のように否定したあと、黙り込んでしまった彼女へその続きを促す。リカちゃんは、両指を虫の足のようにせわしなく動かすと、何か覚悟を決めた目でまっすぐ私を見据えてきた。
思わず、どきりと心臓が鳴る。
「――いの」
彼女が何か言ったのはわかる。けれど、ここは屋上だ。それに距離もある。声を張らなければ聞こえない。ごうごうと汚いものはすべて洗い流すような強い風が吹く。リカちゃんが大きく息を吸ったのが見えた。
「友達になりたいの!」
華奢な体を折り曲げて、彼女は叫んだ。小さな体を震わせ、大きな声で鳴く蝉の姿が脳裏をよぎる。
「私は! あなたと! お友達になりたいの!」
呆然と立ち尽くす私に彼女は言う。どうやら、聞こえてないと思ったらしい。平然と恥ずかしげもなく、同じ言葉を繰り返す。
「わかった、わかったから!」
風はまだ冷たいはずなのに、私の頬は燃えるように熱い。
「ずっと言いたかったの」
リカちゃんは少し落ち着くとぽつりと言葉をこぼす。何でも誉めてくれる人は周りにいても、どこか本心から話せないのだという。その点、私はあの一件のこともあり、まだ本音を言いやすいらしい。
面倒なことになったなと思いつつも、本心から嫌な気はしなかった。
◇
それから、私はリカちゃんとよく一緒にいるようになった。一方、彼女を取り巻いていたクラスメイトは次第にリカちゃんから離れていった。
「ねえ、帰りにここに行かない?」
そう言って見せてきた携帯の画面には、最近オープンしたばかりのアイスクリーム屋だった。
「いいけど、私は食べないよ」
甘いものは苦手だ。でも、リカちゃんは甘いものが大好きだった。
「いいよ」
毎回そう言って店に言っては、リカちゃんは私に少しだけ分けてくる。苦手だからと断るのだが、その度に怒られた犬のように落ち込むものだから、仕方なくもらう。それを何回も繰り返していた。
リカちゃんは可愛い。ボンゴにしてあげたように、たまに頭をなでてあげたくなる。
私に友達と呼べる同級生は、リカちゃんだけになった。彼女がボンゴのように付きまとってくるからだ。
でも、リカちゃんにはたくさんの友達がいる。前のように取り巻きがいなくなっただけであって、付き合いは今も続いている。
リカちゃんは人気者だ。綺麗な花に集まる虫のように人が湧く。
――リカちゃんの本当の友達は、私だけなのに。
リカちゃんが誰かと楽しそうにおしゃべりしているのを、私は教室の隅からじっと見ている。彼らは知らないのだ。リカちゃんの本当の友達が誰なのか。最初のうちは、その優越感に浸っていればよかった。
でも、二年、三年と学年があがるにつれて、私がリカちゃんと一緒にいる時間は少なくなっていった。よく一緒に行っていたアイスクリーム屋も今はもうなくなっている。そのことを彼女は知っているのだろうか。
いつもリカちゃんから「一緒に帰ろう」と誘われていたこともあって、私からは誘いにくい。
ふっと息を吐く。私はリカちゃんの友達なのに。どうして一人でいるのだろう。絵の具をこぼしたような真っ赤な空を睨む。ふと視線を落とせば、校門に向かって歩くリカちゃんの姿があった。
珍しく、彼女の周りには誰もいない。声をかけるチャンスだと思った。教室の窓を開け、大きく息を吸い込んだときだ。
突然走り出したリカちゃんは、校門に向かって大きく手を振り出した。その先には男子生徒。確か、となりのクラスの人。リカちゃんは、その男子生徒に見たこともないような笑顔を向けると、次の瞬間には手をつなぎ歩き出していた。
肺を膨らませていた空気は、風船のようにしぼむ。
「お似合いのカップルだよね」と、リカちゃんの後ろを歩いていた女生徒二人が話していた。
私の中で、何かが音を立て崩れていく。
瞬きどころか息を吸うのすら忘れ、私は真っ赤に染まった空がドス黒く染まっていくまで、ずっとそこに立ち尽くしていた。
リカちゃんと私は友達――。でも、いつの間にかそうじゃなかった。そのことに気づかなかったなんて、私はなんて馬鹿なんだろう。だって友達なら、彼氏ができたら真っ先に報告してくれるものじゃないのか。
――もう、私たちは友達じゃないんだ。
重い足取りで家に帰る。途中、何度かクラクションを鳴らされた気がしたが、そんなことはどうでもいい。頭が体を動かしているというより、体に刻み込まれた家までの道のりを必死にたどっているようであった。
真っ暗になった世界を、心細げな街灯が照らす。人気はない。あるのは、街灯に群がる虫だけ。その虫も光に焼かれたようで、足下には死体が転がっている。
いつもなら何も感じない、普段通りの眺めだ。でも、今日は違う。
この虫は、私だ。
光に魅せられ、身を焦がし自滅した私だ。
庭先の腰の高さまである柵を開ける。庭に目をやれば、汚い犬小屋が目に付いた。今、その犬小屋の主はいない。
ボンゴはとても可愛かった。でも、それだけじゃない。
――私に従順だった。
玄関を開ければ、「こんな時間までどこをほっつき歩いていたんだ!」と怒鳴る声が遠くから聞こえたけど、それら全部無視して自分の部屋に入れば、中から鍵をかけた。誰かと話をする気分じゃない。
携帯を手に取ると、SNSを開く。
放課後、リカちゃんはアイスクリームを食べに行ったようだ。きっとあの男子生徒と一緒だろう。SNSには「今まで食べたアイスの中で一番おいしい」と可愛らしい絵文字とともに投稿されていた。
今はないアイスクリーム屋で、私と一緒に食べたときも同じことを言っていたのだが、彼女は覚えていないのだろうか。
一緒にいてあんなに楽しかったのに、彼女はもう全部忘れてしまったのだろうか。
私なんかより、他人と一緒にいる方が楽しいのだろうか。
もしそうなら――。
◇
「おはよう!」
翌朝、下駄箱で靴を履き替えていると、リカちゃんが声をかけてきた。長い髪を尻尾のように振り、彼女は私が言葉を返す前に教室へ行ってしまう。私たちは同じクラスだ。ホームルームまでまだ時間はある。前は一緒に教室まで行っていたのに。小さくなる背中を睨みつけながら、私も同じ教室を目指す。
リカちゃんにとって、今の私は何なんだろう。
卒業まで残すところ半年を切った頃から、生活は忙しくなった。いわゆる受験というやつのせいだ。本格的にいろいろと動きだし、取り組むのが遅かった者は涙を飲む。
ちょうどその頃からだろうか。リカちゃんの周りが騒がしくなったのは。
――あの子、中絶したらしいよ。父親はわかってないんだって。
――ああやっぱり。ちょっと顔がいいのを利用して男を誑かしていたって噂、本当だったんだ。
――いつも笑っていてちょっと変な子だなって思っていたけど。それ聞いて納得。表と裏のある人間だったってことね。
――人ってわからないものだよねえ。
リカちゃんの周りから潮が引くように、人が去っていったのだ。原因は根も葉もない噂。リカちゃんは必死に否定していたけど、誰も聞く耳を持たなかった。
それもそうだろう。日に日に受験に対するストレスがたまるこの時期に、憂さ晴らしするにはちょうどいい噂が耳に入ったのだ。これを逃す者は少ない。噂は風のように校内に広まり、とうとう先生の耳にまで入る事態になった。しかも真相を確認するために呼び出しをしたことでさらに拍車がかかり、最終的には保護者の耳にまで届いた。
「例の子、その子には近づいちゃダメだからね」
朝、珍しく玄関先まで見送りに来た母親がいきなりそんなことを言う。私は適当に返事を返し、いつも通り学校に向かった。
リカちゃんは、隣のクラスの子と別れたらしい。当然の流れだと思った。
「おはよう」
私は下駄箱にいたリカちゃんに声をかけた。あの溌剌としたリカちゃんの面影はなく、ぎらぎらと放っていたあの雰囲気はすっかりそぎ落とされていた。
そもそも噂の元凶は、夏休みが終わる頃、リカちゃんは重い夏風邪に懸かってしまい、しばらく学校を休んだことだった。
もちろん、それだけであんな噂が生まれるはずがない。
リカちゃんは私のあいさつに力なく笑うと、一人で教室に向かう。
卒業までもう一ヶ月切っている。なのに、相変わらずリカちゃんは私と一緒に教室まで行かない。以前のような関係に戻らない。
結局、リカちゃんは志望校に合格することができなかった。本人に直接聞いた訳じゃない。先生と二者面談しているところをたまたま聞いてしまったのだ。
私は卒業したら上京する。知っている人が誰もいない土地で生きてみたい。今はその気持ちが強い。でも、その前にやらなければならないことがある。
三月一日。私たちがこの学び舎を卒業する日。
特別思い入れもないけれど、改めてこれが最後だと言われると少しだけ胸の奥にぽっかりと小さな穴が空いたような気がした。三月の風は冷たい。でも、地面を歩く生徒を見ていると箱庭を眺める支配者になった気分だ。
あの校門を出れば、後戻りはできない。そんな感覚を覚える。次々に校門に吸い込まれていく卒業生を見ていれば、屋上の扉を開ける音が耳に届く。
視線を向ければ、真っ青な顔をしたリカちゃんが立っていた。
「ねえ、どういうつもりなの?」
そう言って彼女は一冊のノートを突き出してきた。それは私が彼女の机に入れたノートだ。
「どういうつもりって言われても――」
私は口元に力を入れる。そうでもしないと笑ってしまいそうだった。
「見たまんまでしょう?」
リカちゃんは悪魔でも見たような顔で私を見つめる。彼女に渡したノート。そこには、リカちゃんがいつ、誰と何を話していたのか、誰がリカちゃんのどんな話をしていたのか、そういったことが事細かに綴られている。もちろん、全部本当のことだ。
「友達からの卒業プレゼント。――喜んでくれた?」
そう言えば、リカちゃんはノートを投げつけてきた。
「ふざけないで!」
風にあおられ、ノートはバサバサと翼を羽ばたかせる無様な鳥のように転がる。
「こんなことして楽しい? 気持ち悪い!」
「気持ち悪い?」
それは聞き捨てならない。
「二年前、あんたがここで私に言ったこと、忘れたとは言わせない!」
言ってみろと口にすれば、彼女は両手の指先を合わせて動かす。それを見た瞬間、怒りの炎は消えてしまった。
結局、私は彼女にとって数ある人形の一つだったのだ。自分を際立たせる、もしくは道楽のための。しかし、私にとっての友達は、彼女一人だけ。それに最初に忠告したはずだ。
――放っておいて、と。
それを無視して、「友達になろう」と言ったのはどこの口か。
「もういい。わかった」
私は屋上から出る直前、彼女の方を振り向くと思い出したように言う。
「そういえば、あの噂。流したの私だから」
リカちゃんは顔面蒼白のまま、私を見る。ようやく、まっすぐ私を見たリカちゃんに、さらに追い打ちをかけるように言う。
「従順になれないのなら、一生私のことを忘れないよう、優しく丁寧に時間をかけて――刻みつけてあげるね」
陶器のように白い顔で立ち尽くすリカちゃんに向かって、にっこり笑うと私は屋上を出た。
◇
「一躍、トップ女優の仲間入りを果たしましたが、まだまだプライベートは謎に包まれている――そこで、今回はかなり踏み込んだインタビューをしたいと思います!」
元気いっぱいに話すアナウンサーに向かって、微笑を浮かべる。
「ずばり、今一番会いたい方はいらっしゃいますか?」
私は悩むことなく口を開いた。
赤い唇を蠱惑的に光らせ、レンズに微笑みかける。
「親友のリカちゃんです」
彼女に逃げ場など与えてやるものか。
ねえ、リカちゃん?
完




