「こんにちは。未来宅配屋です」 2020.4
「こんにちは! 未来宅配屋です」
聞こえてきた言葉に、思わず顔をあげた。
聞き間違えかと思ったが、もう一度同じ台詞が耳に入る。
未来? 宅配? なんだそれ?
今時、詐欺師でももっとマシな嘘をつくだろう。一体、何なんだ?
自然と顔が向いた先には、二階建てのアパート。その扉の前に、見ているこちらが暑くなりそうなスーツ姿の男が一人。黒いビジネス鞄を片手に玄関の前に立っていた。
男の人差し指が、インターホンのチャイムボタンに伸びる。
まとわりつくような湿った風に乗って、僕の耳にもかすかな呼び鈴が届いた。その直後、踏切の警報音が響き渡った。
――やべえ!
走った。真夜中を告げるベルが鳴ったシンデレラのごとく必死に。走りたくないけど走るしかなかった。くわえていたアイスを手に持ち替える。
太陽が、帽子をかぶらないで外に出た僕の頭を焦がす。ガザガザと音を立てるビニール袋の中には、頼まれて買ってきた豚肉と総菜が入っている。
家に帰るには踏切を渡らなくてはならない。だが、タイミングが悪ければ五分以上待たされることもざらにある。
蝉が急げ急げと五月蠅く鳴く。
僕だって早くエアコンの利いた家に帰りたい。親も親だ。夏休みだからって、いいように人を使って――。家で掃除機をかけているだろう母に不満を募らせる。腹いせに釣り銭でアイスを買ってやったが、今はかなり後悔していた。
口にくわえていれば息はしづらく、手で持てば暑さで溶ける。
勝手に釣り銭を使った罰でも当たったのか、結局僕は遮断機に行く手を遮られ、アイスは熱をあげるコンクリートに落ちた。
あーあ。もったいねえ。
シャクシャクと木の棒についた残りの部分を咀嚼しながら、落ちた水色の物体を見て遮断機が上がるのを待つ。一匹の蟻が、アイスの存在に気づき、触覚を上下に動かすのをぼうっと眺めていたときだ。
「こんにちは、未来宅配屋です」
またか。
僕はそう思った。
何人かでこの辺を回っているのだろうか。
刺すような日光から逃げられる日陰もなく、じっと耐えていれば額から汗が流れてきた。それを火照った腕で拭う。
もしかして、何かの宗教団体か?
声のした方へ視線を向けたときだ。僕は思わず目を疑った。
カラスのように真っ黒なスーツと整った髪。まだ若そうに見えた横顔は、紛れもなく先ほどみた男だった。
「どうなってんだ?」
一軒家の玄関の前で、炎天下の中黒い衣装を身にまとい、ぴんと背筋をのばした姿でいられる自信、僕にはない。
それよりこの距離をどうやって移動したのか。走ってきた道を振り返る。あのアパートから踏切までの最短距離は、この道以外にない。
瞬間移動でもしたのか? 普通の人間じゃない? そもそも未来宅配って未来を教えてくれるのか? それって未来人じゃ――。
そんな考えが頭の中をぐるぐる回る。遮断機はまだあがらない。僕の視線は真っ黒な男から離れられなかった。
しばらくして家の中から老婆が現れた。さらに深く皺を刻み、怪訝そうな表情で顔を上げた老婆に男は腰を折って挨拶をした。
「未来宅配屋と申します。弊社は、未来を知りたいと望む方、みなさまに未来を届けるサービスをしております。代金は不要です。どうですか? 自身の未来をのぞいて見ませんか?」
言葉の意味を咀嚼していたのか、ほんの少しの間のあと、老婆は口を開く。
「今更、未来なんかどうでもいいね。金がもらえるほうがよっぽどマシだ」
そう言ってぴしゃりと音を立て戸を閉めた。
うわ――きっつ。
しかし、詐欺集団があの手この手と巧妙な手口を使う世の中だ。警戒しすぎるのも無理はない。でも、誰にでも冷たい態度をとるのは、ちょっと空しい。
でもまあ、怪しすぎるもんな。
一方で当然の反応だとも思う。商売するなら客の気持ちも考えないと。そもそもサービスとして怪しすぎるのだ。未来なんて不確定なもの、知りたいと思うのは、深刻な悩みを抱えているか面白半分で興味を示す人間くらいだろう。
障らぬ神に祟りなし――。視線をそらそうとしたときだ。
振り向いた男と目が合ってしまった。漫画だったら、ばちっと電流がはじけていただろう。
慌ててそらすものの、後の祭り。こちらにやってくる男の気配を感じながら、僕は遮断機の向こう側を必死に見つめる。
「こんにちは。君は未来を知りたいのかい?」
背後からかけられた声。僕はそれを無視した。
「君が望むのなら教えよう。学生だろうが関係ないしお金はいらないから安心して」
早くあがれ!
一心に縞模様のポールを睨む。そんな僕に男は構わず営業トークを始めてきた。
未来に興味がないわけがない。特に僕みたいな学生なら、どんな大人になるのか気になってしかたがない。それは、宝くじを買ったときと似た気分だ。好きなことを仕事にしているのか、結婚して子供はいるのか、ひょっとして有名人になっているのか――もう、気になって気になって逆に不安になる。
でも、宝くじと違うのは、本人の努力や環境などが大きく関わっている点だろう。それに、僕が胡散臭いサービスを利用してまで未来を知りたいかは、また別問題だ。
黄色と黒の縞模様は、何となく虎の尾を連想させる。男の声よりもカンカンと鳴る警告音に耳を傾けていたときだ。
気配もなく隣に誰かが立った。怪しいセールスマンではない。一瞬驚いたものの、横目で姿を確認した途端、眉間に皺が寄るのが自分でもわかった。
近所に住む同い年の少女だ。頭の高い位置から結ぶポニーテールから白いうなじがのぞく。話したことはない。きっと彼女の方は、僕のことなど知らないだろう。
でも、彼女は僕らの間では有名人だった。
彼女は、耳が聞こえない。
僕らの世界は、とても狭く小さく、自分と違うものは情けもなく排除する。子供だから仕方ない――大人はそう言って許す。そのせいで、純粋ゆえの非道が許された。少女はそんな環境の犠牲者と言ってもいい。
僕は数歩距離をとった。こんなところを他の人――特に同級生に見られたくない。彼女が僕らに害をなすようなことをしたことは一度もない。でも、僕らにとって彼女は「異端者」だった。
セールスマンはちらりと彼女へ視線を向けたが、依然興味は僕にあるようで何度も話しかけてくる。暑さと相まって苛立ちが募ってきた。
「別に自分に関わる未来じゃなくてもいいですよ。政治とか環境とか何なら他人のことでも。――好きな子が誰と結婚するのか、気になりません?」
途端、腹の底がかっと熱くなる。
喉までせり上がってきた、栗毬のような刺々しい怒りの言葉を飲み込むと、一度深く息を吸った。
感情に任せて喚き散らすことはしないと決めている。赤ん坊じゃないんだ。みっともない真似はしない。
そのとき、ふと妙案が浮かんだ。不自然にあがりそうな口角に力を込める。一度咳払いをして僕は口を開く。
「じゃあこの中に肉があるんだけど、これはどうなる?」
たしか、今晩は生姜焼きだと言っていた気がする。詰まるところ、僕はこの肉の未来を知っている。
さて、どう答えるだろうか。
男を見れば、ぱちぱちと大きく瞬きをした。やっぱり、と僕は心の中でほくそ笑む。
未来なんて不確定なもの、適当なことを言ってそれらしいことが起きれば、それが予言した未来だと無理矢理こじつけてしまえばいい。的中とまではいかなくても、当たったことに変わりない。
だから僕は試した。すぐににわかる未来を男に聞く。
所詮、詐欺師だ。近い未来の話ならすぐにその化けの皮をはがせる――そう思ったのだが、男はふっと不適な笑みを浮かべた。背中に寒気が走る。
「いいでしょう。じゃあ対価は『三日のうちによいことを三つする』というのでいかがですか?」
「は?」
何だそれ。小学生の月目標みたいなのが、対価?
バカにしてるのか。僕が口を開く前に男は言う。
「その肉は捨てられ、君はもう一度スーパーに行くはめになるでしょう」
天気予報士のように自信たっぷりな男だが、言っている内容は占い師と変わらない。
そんなはずない。
僕はビニール袋から肉を取り出した。白いトレーに乗った豚肉。ラップがかけられたそれに鼻を寄せた。
異臭はしない。自然とため息が出た。バカバカしい。
「何でそうなるん――」
だよ、と言いかけたときだ。
肉を持っていた手に衝撃が走る。何かの実験みたいにはじかれた自分の手がスローモーションのように映る。肉は、ブーメランのように宙を切ると線路の中へ落ちた。次の瞬間、電車が目の前を横切っていく。
「すみません、大丈夫でしたか?」
エプロンを着た女性が駆け寄ってきた。その首には、このあたりにある保育所の名前が入ったネームプレートが下げられている。
必死に謝る保育士が言うには、一人の園児が持ち出しを禁止しているボールを隠し持って来ていたらしく、電車にぶつけたらどうなるだろうといかにも子供らしい思いつきから、線路に向かってゴムボールを投げたという。
ボールは僕の足下に転がっていた。
肉は、線路の上でバラバラに散らばっていた。
男が笑い、耳の聞こえない少女は驚いた顔を僕に向けていた。
――あり得ない。
遮断機が上がった途端、僕は肩で風を切って歩き出した。
こんなのただの偶然だ。
耳の聞こえない少女が、口を開きかけていた気がするが、関係ない。どこか得意げなセールスマンから一刻も早く離れたかった。顔が熱い。もしかしたら、熱中症になったのかもしれない。それなら早く家に帰らないと。
気付いたら僕は走り出していた。
そして予言通り、僕は再びスーパーに行って肉を買っていた。信じたくないが確かに当たっていた。夕方ならもうあの男もいないだろう。そう思ったのだが――。
「こんばんは」
びくりと肩が跳ねる。顔を合わせないようにと注意を払っていたにもかかわらず、男はいつの間にか僕のすぐ後ろに立っていた。
「信じていただけましたか?」
僕は無視した。確かに未来を宅配しているのかもしれない。でももしかしたら、あの保育士と結託した壮大な詐欺の可能性もなくはない。
「金はないぞ」
このままだと家まで着いてこられそうな気がしたので、そう言って突き放す。しかし、男は大きく頭を左右に振った。
「対価はお金じゃないですよ」
そう言えばそんなことを言っていたっけ。それなら巻いて逃げてしまおうかと思ったときだ。
「言っておきますが、逃げても無駄です」
男は言う。
「対価はちゃんと払わないと。でないと、君に不幸が訪れる」
知ったことじゃない。走りだそうと足先に力を込めたときだ。
あっと思った瞬間、転んだ。肉の入ったビニール袋が地面に叩きつけられる。ふと視界に入った足下を見て目を細めた。
――靴ひもがほどけている。
「さっそく前兆が現れたようですね」
手を差し伸べるでもなく、ただ僕を見下ろすセールスマンに睨みをきかせる。
「――何かやったのか」
「まさか。言ったでしょう? 『対価を払わないと不幸になる』って。君の知りたかった未来はとても些細な日常のヒトコマだったのでこの程度で済んでいますけど、払い続けない限り一生つきまといますよ、これ」
信じられるかそんな話。
「まだ疑っているんですか? でも本当のことです。未来なんて『あいまいな』ものの対価には、一日一善のような『あいまいな』もので十分だと思いませんか?」
にいっと男の口元が上がる。思っていることまで見透かされている気がして、気味が悪い。だが、まあ一日一善くらいならやってもいいだろう。
僕はその日のうちに家の手伝いや親の肩もみ、姉貴のパシリまでやった。
善を三回。これでいいだろ。
やけくそになりながら、布団をかぶって寝た。
翌朝。犬の散歩をしに外に出た。普段は姉貴がしているのだが、この日は僕からかって出た。夏休みだ。家に帰ってからまた寝ればいい。決して、まだ不幸がつきまとっていないか心配になったからではない。
あくびをかみ殺しながら、リードを引く我が家の愛犬ポチに先導を任せる。端から見れば、散歩されているのは僕の方に見えるだろう。
この時期の犬の散歩にしては遅い時間だった。さすがに日の出の時間には起きれない。
いつも寄る公園でポチに水を飲ませたあと、帰路につく。はあはあ言いながら舌を出し、ときどきこちらを見上げるポチはとても愛くるしい。
もう少しポチの世話をしよう――そう心に誓う。
歩いていれば、踏切が見えてきた。家までもうすぐそこだ。昨日のことは忘れようと思ったとき、警報音が鳴り始めた。虎の尾が行く手を遮る。
カンカンと鳴る音が澄んだ朝の空にとけ込む中で、僕は一瞬迷った。
走って突き抜けようか――。線路を渡る老人の姿を見たせいかもしれない。そんな考えが頭をよぎったときだ。
遮断機が完全に下りてしまった。しかし、線路を渡るその人はゆっくりとした歩みのまま。よく見ると、足が少し悪いのか引きずっているように見えた。
早く渡れと思った瞬間、老人は足をもつれさせ転んだ。
ちょうど線路の真ん中である。
やばいだろ、これ。
リードを強く握ったときだ。すぐ横から何かが飛び出した。はっと顔を上げ、その正体を知ったとき僕の目は大きく見開かれた。
耳の聞こえない、あの少女だった。
彼女は、老人の手を引き立ち上がらせると向こうまで導こうとした。
だが――。
ブオーンと巨大な生物が吠えたような音が耳をつんざく。電車はすぐそこまで来ていた。普段なら、電車が通過するまでもう少し時間がある。しかし、この時間帯は違うのだろう。僕はこんなに早く電車が来るなんて知らない。そしてそれは、少女も同じだろう。
「早くしろ!」
僕は叫んだ。でも、彼女は耳が聞こえない。彼女に僕の声は届かない。老人は事の大きさに気付いたようだが、逆に焦ってしまいうまく立ち上がれない。
僕も行くべきか――。ちらりと彼女たちを見てから迫り来る電車を見る。行ったら僕も巻き込まれるんじゃないか。そんな予感が首をもたげる。
行かなければと思う一方で足に力が入らなかった。ポチの黒い瞳が困り果てた僕の顔を映す。「行かないの?」と言われている気がした。
「電車が来てるぞ!」
体が動かないのなら声を張るしかない。どうしてこういうときに限って周囲に頼れそうな大人はいないのか。しかし、ないものねだりをしている場合じゃない。
早く――早くしないと。
線路の中央から目を離さず、考え巡らせていたときだ。
「おはようございます。未来宅配屋です」
こんな早朝から営業活動をしているのか、場違いな声が僕の耳に届く。作り笑顔を張り付け、胡散臭い営業をしている姿が目に浮かぶ。
だが、今はそんなのどうでもいい。
このままだと二人に未来は、ない。
「お困りのようですね」
すぐ隣から聞こえた声にはっと顔を上げる。見ると、昨日のセールスマンが口角をあげて立っていた。
笑っている場合ではない。僕は噛みつくように言った。
「あの二人を助けてくれ!」
線路の中央へ指を指す。事は一刻をも争う。無駄口を叩いている暇はない。
「残念ながら、それはできません」
男は言う。
「あの二人はここで死ぬ定めなので」
うっと口を閉ざす。男にそう言われたら、本当のような気がした。
いつもなら知らない人間が来ると吠えるポチだが、おろおろと僕とセールスマンを見比べている。
僕がもっと早く行動できていれば――。
昨日の電車にひかれバラバラになった肉が、脳裏をよぎる。
助けたい。
しかし、それよりも恐怖心の方がわずかに勝った。
「早くしろ! 電車が来てるぞ!」
腹の底から声を出す。無駄だと知っていても、これしかできることがない。ブオーンと再び電車が鳴く。カンカンと警告音もうるさい。誰か助けに行けよと思っても線路の向こう側にいる人間はいない。
何もかもが、ねじ曲げることのできない運命を嘲気笑うように僕の声をかき消そうとする。
「逃げろ!」
僕が力の限り叫んだときだ。
「僕はあの二人を助けることはできません。――でも、自分を助けることはできます」
はっと周囲を見回す。いつのまにか、音という音が止んでいた。
気味の悪い静寂の中、僕はあることに気がついた。
音だけじゃない。――何もかもが止まっていた。
夢でも見ているのだろうか。それなら一刻も早く目が覚めて欲しい。目をこすったり、頬をつねってみたりしたが無駄だった。
これは、夢じゃなく現実だ。
「未来は、無数に枝分かれし、繊細で扱いには注意しなければならないもの、と思っている人は多いでしょう。しかし、それは間違いです」
男は言う。
「未来、いやこの場合は運命とでも言いましょう。それは大河のように太く力強く、簡単に変えられるような柔なものではないんです」
だから、未来を伝えても問題はないのだという。
「それ故、運命を変えるのは難しい。そして、変えた瞬間、大河に多少のズレが生じる。――知っていますか? 望遠鏡で星を見るとき、多少のズレが大きな差を生むことを。海上でも同じ事が言えますね。舵が多少ズレただけで、何キロもの誤差を生む。目にも見えない誤差も重なれば大きな差になる」
男はそう言って鼻で笑った。
笑われる筋合いはない。不満を惜しみなく現すものの、彼には効いていないようだった。
「僕は目の前で人が死ぬ瞬間を見たことがあります」
そう言って彼は線路の中央にいる二人を見つめ、さらにどこか遠くへ視線を向ける。
どきっと心臓が跳ねた。未来を知るのなら、死など当然目の当たりにしているだろう。何の不思議もない。だが、何となく胸がざわつく。
どこか遠くを見つめていた男の視線がこちらへ向いた。
「あれは仕方がなかった。もし、助けようとしたら僕も死んでいた。――多くの人にそう言われました」
でも――と彼は言う。
「僕はずっと後悔していた。・・・・・・だから、今ここにいます」
時間が止まっている今なら、彼らを助けることができるかもしれない。ふいにそう思った僕は、音のない世界で走ろうとして気付く。
足が、動かせない。
「僕は、過去の世界へ自由に行くことができる。ただし、未来をねじ曲げるような干渉は固く禁止されている。そんなことをすれば、運命に殺されるでしょう。それに、行き先は自分で指定することができない。――だから、今この瞬間。ようやく巡り会えた奇跡に僕は心から感謝しています。まあ、もしかしたらこれも運命の一端なのかもしれませんが」
そう言って男は、僕の頭に手を乗せた。ガキ扱いするなとその手を叩くこともできたが、そうできなかった。
その瞳は、慈愛に満ちた聖母を連想させた。彼の口元が動く。
「未来は変わる。確実に」
その瞬間、耳をつんざくような踏切の警告音が鳴り響く。
日常の中に溢れている音という音が、放流したダムのようにどっと流れ込んだ。
そして、迫り来る避けようのない未来も。
線路に背を向け、走りだそうとしたときだ。
「未来は変えられる」
警告音を割き僕の耳に届いた声。はっと顔を上げれば、あのセールスマンが線路に立っていた。さっきまで老人とあの子がいたところだ。その二人は線路の中にいるものの、端の方に移動していた。あそこまでいけば、例え電車が通っても死ぬことはないはずだ。
何が起きているのか、狐につままれた気分で呆然と立ち尽くしていれば、男は満面の笑みで僕を見る。少年のようなその笑顔は、まるで鏡を見ているような錯覚を覚える。
「あとは、任せた――」
男が言い終わる前に電車が通りすぎていく。
あっと言葉を失った僕だったが、男の死体はもちろん、そこにあのセールスマンがいたという人は、僕以外誰もいなかった。
◇
夢、と一言で片づけてしまうにはあまりにも鮮明すぎて。
いつもならグダグダしながら満喫する夏休みも、あのときのことが気になって仕方がない。
家で寝ているくらいなら買い物行ってきて、と母親に言われ仕方なくスーパーへ赴いた帰り、ヒグラシの鳴き声に耳を傾けながら、お釣りで買ったアイスを食べる。
カンカンと警告音が鳴る。虎の尾のような遮断機が下がる。
あの日のことが自然と脳裏をよぎった。
未来、運命、あらがうことの難しい大河、死を目の当たりにしたという男。
そして――。
「『あとは任せた』って何をだ?」
手に顎を乗せ考え込んだときだ。電車が目の前を通る。車体を揺らし、リズムよく音を響かせながら。
その瞬間、男の口元が最後に語った言葉が何となくわかってしまった。
――あとは任せた、僕。
警告音が止まり、進行方向を遮っていたポールがあがる。立ち止まっていた人々が動き始める。
その中で、僕だけが立ち止まったままだった。自然と大きなため息がもれる。
彼とのやりとりを細かいところまで思いだそうと記憶を巡らせる。そのうち、手に持ったアイスが溶けて地面に落ちた。再び、警告音が鳴り響く。虎の尻尾が行く手を遮った。
ぼうっと立ち尽くす僕の前を電車が通ったときだ。
「こんにちは! 未来宅配屋です」
はっと振り返る。轟音に紛れてはいたが、確かにそう聞こえた。
だが、それらしき人影はどこにもなかった。
電車は姿を消し、警告音も止んだ。ポールがあがり、人が行き交う。
振り向いていた僕も、顔をまっすぐ向けると前へ歩きだした。すれ違いざまに、あの少女と目があった。僕は軽く会釈する。
――未来は変えられる。
そう言うあの声が、ヒグラシの鳴き声と共に頭の中で響く。
了




