第六話
ルーカスの故郷は、勇者の城のある町から南東に行ったところにあるという。
「セスヤ村って呼ばれている。ぶどうが採れて、酒も作っている。いいところなんだぜ?」
「待って。世界は衰退に向かっていて、土は痩せているのでしょう? ぶどうが成るの?」
「ああ、そうか。ミナキは知らないのか。村の近くに森があるんだ」
「森!?」
「ああ、ある。こればっかりは見てもらうしかないけどな」
確かにいくら口や言葉で言われるより、見たほうが早い。
しかし、森があるなどとても信じられない。と、いうのも勇者の町を出てすぐにミナキを出迎えたのは地の果てまで広がる荒野だった。土や岩の地面が冷たく硬く足を押し返し、乾いた風が砂埃を舞い上げる。当然植物などなく、あるとすればすっかり枯れ果てた草か、枯れ木だった。緑のものなど視界に入ることすらなかった。
町を出る前のことを思い出す。
町の外で生まれ育ったルーカスは、たとえ徒歩で三日ほどの旅でも入念な準備が必要だと語った。何でも勇者の町から村までの道中、全く何もないと言うのだ。その言葉は本当で、宿場町も何もなく、人どころか野生動物すら見当たらなかった。ただ乾いた風が吹きつけ、舞い上がる砂埃に苦しめられた。
植物は食物連鎖の根底に位置すると、この世界の有様を見せ付けられると実感した。そして、ミナキの力は植物を操る力であったが、植物がないとまるで何もできなかった。これまで鍛錬を付けてくれたエルタルは、その力を極めれば、何も無くても植物を出現させられるだろうと言った。かつてグランがミナキにその力を見せたように。
そして、もう間もなく村が見えるという頃、ルーカスは言った。
「村には立ち寄らない方がいいかもしれない」
「えっ、どうして!?」
「俺たちはグラン様に追われる立場だ。それに、俺の知る限り、人の暮らしているところなんて限られているし、ここで村に顔を出せば必ずグラン様に伝わる」
「村の人は黙っててくれそうじゃない? ルーカスが生まれ育った村なんでしょう?」
「そうだが、相手は勇者だ。勇者の命令と、俺たちの懇願じゃあとても敵いそうにない。それに、村の人たちは自分たちの生活の方が大事だし、それは責められない」
「それじゃあ、どうするの?」
「森へ行こう。まだ見えないが、村にもっと近づけば、村の向こうにある森が見える。それに、森なら身を隠せるし、運が良ければ師匠に会える」
「師匠?」
「ああ、俺を育てた人だ。昔は父さんと一緒に暮らしていたんだけど、父さんがグラン様の召集に応じることになって、そのときに師匠に預けられたんだ。俺を鍛えてくれたのは師匠なんだぜ?」
そういえば、ルーカスの父はグランの従者だったと言っていた。
「召集って何があったの? 戦うために呼んだのよね?」
「暴竜討伐だ。北の暴竜は知っているか?」
「聞いたことがあるわ。グラン様はそれを討つために私を召喚したって……」
「そうか。グラン様はもう何百年と暴竜と戦っているんだ。そして、今から十年ぐらい前に暴竜討伐の隊を編成して、北に向かった。結果は分かるだろう?」
ミナキは静かに頷いた。
暴竜は討ち果たせず、ルーカスの父でグランの従者ハンスは命を落とした。そしてこの討伐が失敗に終わったからこそ、ミナキは召喚されたのだろう。
頭の奥で、町を出る前に聞いた従者の言葉が反響する。
――――あの竜を子どもに片付けさせ、子どもをグランが片付ければそれで終わるのだから。
グランは世界の衰退を食い止めるために暴竜を討たなければならない。それが世界を統べる勇者としての責務のはずで、そこまでは分かる。でも、どうして協力するはずのミナキが殺されなければならないのか。全く分からなかった。
人目を避けるために、二人は日が沈んでから村を迂回して森に入ることにした。
村の周りには田畑が広がっており、人がいれば見つかりやすい。視界を遮るものが無いので、夜を待つことにしたのだ。
荒野での野宿もすっかり慣れてきた。町を出るときに無人の工場から借りてきた毛布を頭から被り、寝ている間に砂塗れにならないように寝る。世界が衰退しているおかげで、荒野には危険な動物が一切おらず、安心して休むことができた。
「ねぇ、どうしてここには森があるの?」
毛布を被ったものの、まだ日は高い。眠気もやってこなかった。
「さぁ、分からないな。でもずっと昔からあって、この地の人は森に寄り添うように暮らしてきた」
「森と寄り添うように、ね。森を切り開いて畑にしたりしないの?」
その方が作物がたくさん採れそうである。
「そういうわけにはいかないんだよな、これが」
「どういうこと?」
「森にはシャーリーがいるんだ」
「シャーリー?」
「ああ、シャーリーって呼ばれているけど人間じゃない。凶暴な熊だ。それもかなり大きいな。その熊が森に入ってきた人間を襲って、とても森を切り開くなんてことができないんだよ。シャーリーは森にさえ入ってこなければ襲わないし、森の近くならまだ土で作物が作れる。だから森の近くでずっと暮らしているんだ」
「へぇー」
と頷いたのもつかの間。
「待って。これからその森に向かうのよね!? 大丈夫なの?」
「あー、いやそれはちょっと……。もしかしたらその熊に会うかもしれない」
「嘘っ!」
ミナキは跳ね起き、毛布が剥がれる。悲壮な顔が陽光に照らされる。この何も無い荒野には日の光を遮るものすらなかった。
「待て、必ず会うとは限らないし、運がよければ俺の師匠に会えるんだ。師匠は強いし、何度も熊を撃退している。だから師匠に会うまでの辛抱だ」
「その師匠っていう人に本当に会えるの? 森で」
「会える。師匠は村で一番の剣士なんだ。村の人が森で採取をするときに護衛として一緒にいる。俺が村にいたときからずっとそうだし、俺が村を出て行くとき、森に移り住むみたいなことを言っていたから、もしかしたら森にいつもいるのかもしれない」
「本当なの、それ?」
「こればっかりは俺も行って見ないとなんとも……」
不安である。そしてその不安から、より一層眠気はやってこなかった。