第四話
勇者の火は赤々と燃え、揺らめいていた。いつか目の前で見せてくれたグランの火とは違う、何かひきつけるものがある不思議な火だった。
その火は印象的だったのか、ミナキの心にずっと残った。
その日もへとへとになるまで剣の鍛錬を行い、寝台に入るとすぐに眠ってしまった。そこまではいつも通りだった。だが、月が空にある間にふと目が覚める。窓から差し込む月明かりは部屋に長く伸びて、橙色の床を青白く照らした。
夜はまだ深いようだ。隣の部屋にいるサマンサを起こすのも良くないので、そのまま二度寝をしようと考えた。だが、目を瞑っても眠れず、寝台の上で転がっていた。
ふと、あまりに静か過ぎることが気になった。
風も虫も、何の音もしない。
そういえば、と思い出す。この町はほとんど橙色だった。視界のどこかに必ずその色があった。そして植物の種の売買が制限されていることもあるのか、町にも城にも植物が全くなかった。ミナキが町を見て寂しいと思ったのは植物がないからではないかと思う。城で出される食事には、一応野菜が入っているが、すべて調理済みのものばかりで、生野菜というものや、果物は皆無だった。
潤いがあまりにない。
世界が衰退に向かっている影響はそのように現れているようだった。
寝台の上で考え事をしていると、お手洗いに行きたくなり、起き上がった。ついサマンサを呼ぼうとして、止まった。サマンサはミナキの側仕えで、常に側にいた。本当にどこまでも着いてきたし、お手洗いのときも外で待っていた。今は夜中だし、お手洗いぐらい一人で行ける。ミナキは一人で部屋を出た。この城に来て、はじめて一人で行動した。
城そのものが眠りについているかのように静かだった。
お手洗いの位置は知っていた。ミナキの寝室からも近い。そこでふと、冒険心が疼いた。今はみんな眠っているし、普段は鍛錬ばかりで出歩けない。町への外出だってサマンサの買い物に付き合う形で、自由はない。
今のミナキは誰の目もなく、自分の意思で歩けるのだ。それがどうしようもなく嬉しくて、楽しかった。足音をしのばせ、城の中を歩き回ることにした。
だが、すぐに人影を見つけ、物陰に潜む。幸い、その人影にはミナキは気付かれなかったようだ。物影から伺うと、その人影はサマンサだった。小さな紙袋を抱えている。町のあの店で買ったもののようだ。だとすると、あの中身は植物の種というわけで。
この町の周辺では土が痩せていて、何も育たないとは聞いた。花の種を蒔いたところで果たして芽が出るのだろうか。気になって、ミナキはサマンサの後をつけることにした。
そしてサマンサは普段鍛錬に向かうときに廊下から見下ろす中庭を抜け、城の裏手へと、半ばガラクタ置き場のようになっている一角へを消えてゆく。ミナキはためらったが、そのままガラクタ置き場へと身を滑らせる。
水音がした。
この石と砂ばかりの町で、水も貴重な存在だった。城でも食事のときや、お茶のとき、体を洗うときぐらいしか出てこない。必要最低限に提供された。
水が何かにすくわれ、まかれる。
ガラクタの隙間から覗き込むと、サマンサが深い器に水をいれ、地面に向かってまいているところ。いや、水をまいているのではなく、地面に生えている植物に水をやっているところだった。
サマンサは買った種を育てていたのだ。
しかし、さすが痩せた土地だけあって、そこにある植物は茎も細く弱弱しい。何とか立って、つぼみを頂いているような有様だった。
久しぶりに見る植物に集中しすぎたのか、足元がおろそかになっていた。うっかりガラクタを蹴ってしまい、それが思わぬ音を響かせた。音のない静かな夜にガラクタが崩れる音が反響した。
「誰!?」
普段決して聞くことのないサマンサの鋭い声。もうここまでくれば隠れるなんてできやしない。大人しく顔を出すことにした。
「ごめん、サマンサ」
「ミナキ様……?」
「別に何かするわけじゃなくて、ただ見かけたから、後追っただけで……」
「なんだ、そうでしたの。全く、驚かさないでくださいな。口やかましい衛兵かと思ったじゃありませんか」
「ごめんなさい」
「構いませんよ。ミナキ様でしたらよろしいですよ」
「サマンサがこれを育てたの?」
ミナキはサマンサの前に必死に生える植物を指差した。つぼみが膨らみ、あと数日あれば花開くだろう。
「ええ、綺麗でしょう?」
サマンサは嬉しげに目を細める。
「私は元々東の人間でして、東にはまだ植物が残っているのです。ほら、この町は全く何もないでしょう? それで寂しくてつい……。ですからこうやって密かに育てているのです」
「そうなんだ。私もこの町が寂しいと思っていたわ」
「ミナキ様も思われていたのですね。さ、どうぞもっとお近くでご覧ください」
言葉に甘えて、ミナキはサマンサの隣で花を眺める。
「私の元いた世界にもたくさんの植物があったわ。だからこの世界に違和感を覚えてしまって……」
「そうなのですか……。あの、ミナキ様、ここのことはどうぞご内密にお願いします」
「分かっているわ。花の種のことも、よね?」
「はい、申し訳ありません」
「いいわよ。サマンサにはいつも良くして貰っているもの。でも、たまにここに来てもいい? あなたが育てた花を見たいわ」
「もちろんですよ」
サマンサはこのガラクタ置き場の小さな花壇が誇りなのか、とても嬉しそうだった。もしかしたら密かに育てていても誰かに見てもらいたいと思っていたのかもしれない。
「ねぇ、聞いてもいい?」
「何でしょうか?」
「どうして花の種の売買が規制されているの?」
「それは、勇者様の御意思ですから」
「グラン様が?」
「大地が痩せていますでしょう? ですから食べられないものを育てても仕方ない、と。ミナキ様は勇者の火がこの地の人々に活力を与えているとご存知ですか?」
「そうなの? 聞いたことがないわ」
「勇者の火は工場を動かしているだけでなく、地下で燃え、大地を通して人々に活力を与える。この地は勇者の火無くして成り立たなくなっているのです」
「そんなことに……。それほどまでに世界は衰退しているっていうの?」
「残念ながら……。もう何百年も前からずっと」
「グラン様は私を北の暴竜を倒すために呼んだと言ったわ。正直、その理由が分からなかった。でも、サマンサの言葉で全てが分かったわ」
あの暴竜を倒さなければいつまでもこの歪な世界の形が続くのだ。グランが召喚という手を使ってまで、世界を救おうとするわけである。
「ミナキ様の召喚は従者の方々の中でも反対の意見が多かったそうです。過去にも例がない、何が起こるか分からない、と」
「でもそれでもグラン様は召喚したのね?」
「はい、召喚は勇者にしかできない秘術。その秘術で世界を救えるなら、と」
事態はミナキが思うより切迫していた。グランはミナキが立派な勇者の後継に三年もあればなれると言ったが、本心ではもっと早く成長して欲しいに違いない。そして、ミナキも早くグランの力に、勇者の後継になりたいと思った。
「あら?」
サマンサが何かに気付き、視線を落とす。
「どうしたの?」
「いえ、花が揺れましたから」
風は吹いていない。空には雲もなく、空を埋めようとする城壁の影に入り、月明かりも遠い。もう月が沈んでしまったかもしれない。
「見間違いじゃない?」
「いえ確かに」
ミナキも花を見つめた。そしてそのとき二人の前で花が震え始めたのだ。
「え、何。なんなの……?」
まるでスマホのバイブレーションのように。それともこちらの世界の花はこれが普通なのか。いや、サマンサも驚いている。そんなことはないようだ。
瞬間、花が爆発したかのように花開く。花弁を落とし、枯れ、種を零した。まるで花の成長を早送りで見ているかのようだった。だが、それで終わりではなかった。零れた種は地面に落ちると瞬時に芽が出て、茎を空に向かって伸ばした。葉を広げ、月明かりもない中、勝手に成長していく。
「一体何が……?」
サマンサも目の前の光景に戸惑っている。明らかにおかしな状況だった。零れた種がすべて芽吹き、育ち、そしてまた種を零してどんどん広がってゆくのだ。ガラクタ置き場の小さな花壇はあっという間にその花で埋まってしまった。
「サマンサ、まずいわ!」
咄嗟にミナキはサマンサの腕を引いてガラクタ置き場を後にする。
花は成長の速度を上げ、ガラクタ置き場を埋め尽くす。ただの成長するだけでなく、進化していた。ただ茎の上に花を頂く植物だったのに、蔓を得て橙の城壁を這い上がる。一輪しか頂かなかった花なのに一度に三輪の花をつける。ガラクタ置き場は緑と花に埋まり、それだけでは飽き足らず、城の一角をあふれ出し、中庭へと至った。
そして城を巡回していたらしい兵士が異常に気付いた。
「なんだ、何があった!」
「分かりません。花が突然……!」
「花だと?」
まずここにあるはずのないものに、兵士は眉を潜める。だが、説明するより前に、兵士の前にその花が現れた。そして水の入ったバケツを倒したように花が地面に広がり、橙色の土を緑で染めた。橙色の石壁の城を緑で上書きし、色とりどりの花で彩る。
「う、うわぁあぁ!」
訳のわからない光景に、兵士は悲鳴を上げて一目散に逃げ去った。そしてその兵士の悲鳴が城の人々の目覚ましとなる。東の空が白み始めていて、城の使用人たちが起きだす頃だったのだ。途端に城はざわめき始め、それに応えるように花も城に侵入した。人々の悲鳴が上がる。
ミナキたちもとにかく外へと、花から逃れようと必死だった。いつも町へと出かけるときに通る城門を目指す。城の出入り口はそこしか知らなかったのである。
「なんだ、何事だ!」
不機嫌そうにグランが現れた。しかし、人々はすっかり恐慌に陥っており、その声に応えるものはいなかった。
ミナキはグランの姿を見つけて、思わず駆け寄った。
「グラン様! 花がすごいことに!」
「花だと?」
グランは思い切り顔を顰めた。そしてそのとき丁度よく、花がグランの前まで広がってきたのだ。
「あれか」
目で見て納得したのか、グランは両手に火を点し、あっという間に花を燃やし尽くしてしまった。
○
「怪我はないか?」
エルタルに問われ、ミナキは首を振った。
「大丈夫です」
「そうか。けが人は誰もいないようだな」
勇者の城の謁見の間。普段グランは北に出ているからほとんど使われることのない部屋だったが、朝方の混乱もあって、久しぶりに使われていた。玉座のような椅子にグランは腰をかけ、その椅子の前にミナキとエルタル。そして離れたところにサマンサが立っていた。
「エルタルは見たか?」
グランが話を振った。
「いいや、瞑想をしていたところだ。気付いたときにはすべて終わっていたよ」
城の一区画に広がった花はグランによってすべて燃やされた。今残っているのは壁と城壁に花が広がった跡として、焦げ跡が残っているぐらいだ。
「すごかったようだな」
「ああ、見事なものだった。ミナキ」
「は、はいっ」
叱られるのか。何が起こったのか分からないが、何かまずいことをしてしまったようだ。グランは夕べ遅くに帰ってきて、すぐに寝ていたところを朝方の騒ぎで目を覚ました。疲れているところに面倒ごとを起こしてしまったのだ。ミナキはじっと身を縮めた。
「ようやく力を覚醒させられたようだな」
「え?」
思わぬ言葉に顔を上げた。グランの声音は優しい。顔に疲れが滲んでいるが、怒っている様子はない。
「気付いていなかったのか? あれをやったのはお前だ。ミナキ」
「そうなのですか?」
「ああ。私も勇者だからよく分かる。あれがミナキの力なのだ。それに、目覚めたばかりのころは力を暴走させがちだからな」
「お前のときは本当に大変だったよ」
「もう昔の話じゃないか。それに代わりの立派な道場を建てただろう?」
「それも燃やしたくせによく言うものだ」
二人はグランが勇者の力に覚醒したばかりのことを思い出してか、和やかな雰囲気を漂わせた。
「ともかくだ。ミナキの力は植物のようだ。これからは剣の鍛錬に合わせて、この力の鍛錬も行ってゆこう」
グランの表情は晴れやかだった。ミナキが力を目覚めさせ、北の暴竜討伐にまた一歩近づけたからだろう。
「それではミナキ、これからも期待しているぞ」
グランはミナキにそういい残して、また北へと向かった。