第二話
「ミナキを町にだと?」
一週間ぶりに自分の城に戻ってきたグランは、従者であり、師でもあるエルタルの提言に顔を渋らせた。
「駄目だ。とても許可できない」
「しかしもう半年だ。いい加減何かの力に目覚めていいだろう。しかしさっぱりだ。過去に武術に秀でるという力があったそうだが、ミナキがそうとはとても思えない。だとしたら、その力に目覚める切欠がないだけなのだろう」
「しかしな、外に出すのは……」
「私が側につこう。そうすれば危険は回避できるだろう」
「いや、駄目だ。エルタルは町の者に知られている。ミナキが私の関係者だと気付かれてしまうだろう。それでは回避も何もあったものではない」
グランには敵が多かった。
北の災い、氷の暴竜もそうだったが、敵はそれだけではない。もっと面倒なのがいた。東には口やかましい、手荒な奴もいて、そいつらにミナキが何かされるのではないかと心配だったのだ。東の奴らにとって、グランを狙うよりミナキを狙う方がずっとリスクが低く、確実だろう。
危険はあるが、エルタルの言葉にも一理ある。
グランは勇者の後継になってすぐにこの火炎の力に目覚めた。切欠はなんだったか忘れてしまったが、エルタルの道場を燃やしてしまったのはよく覚えている。彼はグランを叱らず、勇者の後継を弟子に持てたことを誇ったのだ。そして後に従者となった。
ミナキにどんな力が宿っているにせよ、力が覚醒してこその勇者の後継。今のままではとても暴竜退治どころではない。
「私の直属の部隊から人を出そう。皆腕が立つものばかりで、町での護衛ぐらい簡単にこなしてくれるだろう。そうだな、サマンサと護衛の二人いれば、大丈夫だろう」
「分かった。そのように手配してくれ」
「世話をかけるな、エルタル」
城を開けがちな勇者は、心から信頼できる働き者の従者に感謝の言葉をかけた。
○
グランは再び北へと向かったその日、ミナキはサマンサと共に城を出て、城壁の外に広がる町へと行くことになった。
「町と言っても日中は静かなものですよ」
はじめて城を出るミナキが楽しそうにしているのを見て、サマンサが言った。
「そうなの?」
「ええ、日中は工場がありますから」
「工場? 工場があるの?」
驚きだった。普段から剣の鍛錬ばかりで、この世界のことをよく知らないミナキだったが、世界の文化レベルは低いと思っていたのだ。少なくともテレビとか、レンジとかそういうのとは無縁なところだろう。そう思っていた。しかし、ここにきて工場という近代的な言葉の登場に思わず面食らう。
「ありますよ、もちろん。町の外が工業地になっているんです」
「そうなの!? そっちにも行けるの?」
「あまり遠出はできませんから、時間次第ですね。でもそんなところに行ってどうするのですか」
「いや別に何かするって訳じゃなくて、何を作っているのかなって気になって……」
「何って、いつも食べていらっしゃるじゃないですか」
「え、食べ物工場なの?」
「そうですよ。ほら、以前お話したでしょう。北の暴竜について。あの災いがある限り、世界は衰退に向かっているのです。そして土が痩せ、作物を植えても育ちにくいのです。グラン様の力があって、ようやく食べ物を作ることができるのですよ」
「そうなんだ……」
ミナキが思うより、世界は深刻な状況にあった。そして、世界を衰退から留まらせるために勇者グランは尽力していたのだ。
「ああ、あの人が今回の護衛に付いてくれる人ですね」
勇者の城の出口、大きな城門の前に軽装の男が一人ぽつんと立っていた。見慣れない顔だったが、立ち姿から腰に下げた剣をうまく扱える人間だと分かる。
その人はやはりグランが用意してくれたミナキたちの護衛だった。そしてその護衛はどこか退屈そうな顔をしている。それもそのはず、今回のミナキの外出、表向きには侍女サマンサの買い物だったからだ。町には勇者グランを良く思わない人間も潜んでおり、勇者の城で働くサマンサにも危険が及ぶと危惧し、グランが護衛を付かせたということになっている。だからこの護衛はたかだか侍女の買い物に付き合わされることになった不幸な男性というわけだ。
「こちらの女は?」
今のミナキはサマンサ同じく侍女の格好をしている。護衛にはミナキも侍女にしか見えないことだろう。
「私の手伝いにございます。今回は荷物の多い買い物をするので、荷物持ちを連れてまいりました」
「そうか」
サマンサは考えていたのか、するりと嘘を並べた。怪しいことでもないと、護衛は納得した。
「さ、参りましょうか」
サマンサが促すと、護衛は大きな城門の脇にある、小さなドアからミナキたちを外へ、町へと誘った。
サマンサの言う通り、町は静かだった。
城に使われている橙色の石と同じ石で町中の建物が作られているのか、視界を橙色が埋める。地面の土も赤っぽく、空以外は赤っぽい色に染まっていた。日は高く、昼過ぎの頃だった。町は人影も少なく、静まり返っている。
何だか寂しい町だった。
人が住んでいる様子はある。でも町が生きているように感じられない。城を囲う城壁の向こうに町が広がっていると聞いて、城壁の向こうから密かに耳を澄ませたことがある。でも、何も聞こえなかった。今なら、この町の様子で納得が出来る。この町はあまりに静か過ぎるのだ。
「何件か店に寄りますね」
この外出の表向きの理由はサマンサの買い物。当然一行の行き先を決めるのもサマンサだった。
サマンサの後に続きながら、ミナキは町を眺める。
町の通りには店が立ち並ぶも、どこも閑古鳥が鳴いている。店の奥に店員らしき人影を見つけたが、呼び込みもしようともしない。気だるげに椅子に体を預けているだけだった。
そうして、サマンサが訪れた店は店の表はガラス張りであったが、店の内側から黒いカーテンが隙間なく敷かれ、店内の様子を伺えない不思議な店だった。
「ちょっとここで待っていてもらえますか?」
ミナキと護衛の男にそういい残して、サマンサは足早に店に消えていった。
「何のお店なんでしょうか?」
残されたミナキは、退屈だったので護衛の男に話を振る。
「さぁな」
しかし護衛の方はミナキと話すつもりはないのか、その返答に拒否を滲ませて、話はそこで打ち切られた。
結果から言うと、その日の外出でミナキの力が覚醒することはなかった。あれから二件ほど店を回ったけれど、ミナキと護衛は店の中に入れなかった。店の様子から食べ物以外のものを売っているお店のようだ。雑貨屋か何かだろうとは予想がついた。サマンサがそんなお店で何を買ったのかは、当然分からなかった。
町への外出は一回では終わらなかった。
一週間ほど時間を空けて、もう一度許可が下りたのだ。鍛錬ばかりの毎日で、特に変化のない生活だと、何もしない外出というだけでも嬉しいものだった。でもまたあの冷淡な護衛と一緒か、とわずかに気落ちした。
「それじゃ、今日はよろしくお願いします」
サマンサの後ろに隠れるように立っていたミナキは聞きなれぬ声を耳にして、顔を出した。
サマンサの前には前のときとは違う護衛が立っていた。
前の護衛より少し若い、明るそうな青年。
「あ、荷物持ちの方ですね! ルーカスです。よろしくお願いします」
「え、あの、ミナキです」
握手を求められ、つい応じる。そして反射的に名乗ってしまった。
「へぇ、変わった名前しているんですね。どこ出身の方なんですか?」
「えっと……」
しまった。ミナキが勇者の後継だとは、異世界から召喚された人間だとはごく限られた人間しか知りえないことだ。この様子だと彼は知らない。いくら城の人間だろうとおいそれと正直に答えてはいけないだろう。
ミナキが答えに窮していると、サマンサがすかさず助け舟を出してくれた。
「さ、話はそこまでにして。時間は限られているのです。行きますよ」
サマンサが歩き出し、ルーカスとの話もそこで打ち切られた。ミナキはほっと胸をなでおろす。
サマンサははじめに前と同じカーテンが締め切られた店へと訪れ、前と同じようにミナキたちを外へと残した。前回はなかなか戻ってこず、無言で話すのを拒む護衛と長々と立ちぼうけを食らったのだ。ミナキは店に入ろうとするサマンサの背中に早く戻ってきてくれと無言で訴えた。その訴えは通じたのかどうか分からないが、サマンサが店に入るとすぐにルーカスが話しかけてきた。
「ミナキってもしかして南の方出身?」
いきなり親しげに、砕けた口調で問いかけた。さっきまで敬語だったというのに。
「え、南?」
「そっちの方に民族が住んでるって聞いたことあったから」
「あー、うん、はい」
なんと答えていいのか分からず、曖昧に頷いておいた。それをルーカスはどう受け取ったのかは分からないが、何か事情があると察したようだ。
「勇者の都には来たばっかり?」
「ええ、来てからずっと城勤めをしています。サマンサさんの手伝いみたいな感じで」
ずっとサマンサと共にいるからだろうか。ミナキは咄嗟に嘘が出た。
「そうなんだ。グラン様に会ったことある?」
「城で何度かお見かけしただけです。話したことなんてとても恐れ多い……」
本当は何度も話したことはある。そういえば一度手合わせしたことがあった。エルタルと手合わせしたとき同様にすぐに勝負がついたけど。
さすが災いを相手にするだけあって、ものすごく強かった。そんなグランですら打ち勝てない災いが、ミナキが加勢したぐらいで果たして勝てるのかどうか。
「ルーカスさんは普段何をされているんですか?」
「さん付けはいい。呼び捨てで。いつもは地下の警備をしているよ。一応城で暮らしているけど、知らないよね?」
ミナキは素直に頷いた。普段のミナキはエルタルと剣の鍛錬をしているぐらいで、城のほかの区画には滅多に立ち入らないのだ。出歩いていたら、もしかしたらルーカスに会っていたかもしれない。
「地下って、何があるんですか?」
「勇者様の火だよ。知らない?」
「知りません」
「本当に外から来たんだな」
どうやら勇者様の火とやらは勇者の都では当然の知識らしい。グランは火炎の勇者と呼ばれているらしいし、何か大事なもののようだ。
「その様子だと、火を見たこともない?」
「ないです。地下にも行ったことがないんです」
「そっかー、忙しいんだな。たまには休みをもらって町を出歩いたらどうだ?」
ミナキにとって、この外出が休みのようなものだったので、曖昧に笑っておいた。この町へ出かける日だけはエルタルとの鍛錬がなく、のんびりと過ごせるのだ。
そして例のごとく、サマンサはまだ店から出てこない。
ミナキの視線に気付いてか、ルーカスが言った。
「ここの店主、話好きなんだよ。サマンサさんは店主に捕まっているだけさ」
「そうなんですか?」
「ああ、先輩が愚痴っていたから」
その先輩とやらが、前の外出のとき居合わせた護衛だったらしい。
「前の方はどうされたのですか? それともこの護衛の仕事は持ち回りなんですか?」
「本当は先輩の仕事だったんだけど、俺が酒を渡して代わって貰ったんだよ。城と地下の往復じゃ退屈だしな。たまには表に出てのんびりしたいからな」
「い、いいんですか、それ……」
表向きはサマンサの買い物の護衛だが、真の目的はミナキの護衛のはず。グランが知ったらどうなることか。
「大丈夫だって。グラン様は一度城を離れると一週間は帰ってこないし、すぐに北に向かわれる。ちょっとぐらい代わったってばれないって」
すごいことだ。ミナキならあのグランに逆らおうとか、騙そうとか、ごまかそうとは絶対に思わない。手合わせで敵わないと身にしみているからだろうか。
そうして、ようやくサマンサが紙袋を抱えて店から出てきた。
「お待たせしました。さ、次に行きましょう」
何を買ったのかは聞かなかったが、サマンサのほうからふわりと青臭い香りが漂った。その香りが鼻に届くと、じわりと体に何かが染みるような感覚があった。