夢渡りの邂逅と同族嫌悪 第二話。
天高く輝く太陽の光が瞼を閉じていても届き、その眩しさでブラッドフォードは眼を醒ました。
「……ここは……私は、いったい……?」
ブラッドフォードは寝起きのためか靄がかかったような思考に頭を振り、己の置かれた状況を理解しようと努める。
「この服は何だ……?……いや、それよりも此処は何処だ?」
なかなか回復しない思考に眉間に皺を寄せ、ブラッドフォードは着慣れているはずのスーツにさえも違和感を感じてしまう。
濃紺のシンプルでありながらも仕立ての良いスーツと、糊のきいた白いワイシャツ、上品な色合いのネクタイ……。
「…………私は疲れているのか?」
当たり前の服装のはずが違和感ばかりを感じてしまい、何か絶対に忘れてはいけない大切なことを思い出そうとする度に邪魔をするように思考が鈍くなる。
疲労により思考が鈍っているのかと片手で目元を多い、座っていたベンチの背もたれに身体を預けるブラッドフォード。
「……大丈夫ですか? 体調が悪そうですけど。」
そんなブラッドフォードの姿を見かねたのか、一人の少女が声を掛けてくる。
「……いや……大丈夫で……」
その少女は、今までに出会ったどんな人間よりも美しい容姿の少女だった。
「でも、何となく見てたんですけど、顔色も悪いし……もしかして熱中症じゃないですか?」
「……そんなはずは……」
己へと伸ばされる美しい少女の白魚のような小さな手と、澄んだ可憐な声音に思考が奪われるように混濁し、本能が警鐘を鳴らすブラッドフォードへと全てを任せてしまえと誰かが囁く声が聞こえた気がした。
「私が側にいますよ。」
“あはっ! 君の望み通り側にいてあげるからさっ!”
ブラッドフォードの頬に触れそうな程に手を伸ばしながら優しげに少女が呟いた言葉に重なって、絶対に忘れてはいけない“誰か”の悪戯に囁く明るい声が脳裏に木霊する。
「っっ?!」
その悪戯でありながら、明るい声が聞こえた瞬間にブラッドフォードの心に忍び寄っていた思考を鈍らせる靄が晴れ渡った。
「“ブラッドフォード!”」
想いを込めて己の名を呼び、照れくさそうに笑う愛しい少女の幻がブラッドフォードの心を癒し、今までの数々の大切なゆうりとの思い出が走馬燈のように駆け巡る。
何故少しでもゆうり様のことを忘れかけていたんだっ!、と膝枕をしていたはずなのに、姿を消してしまっている誰よりも愛しく思っている想い人の姿を求めるブラッドフォード。
眼を見開いたブラッドフォードは己に伸ばされる目の前にいる美しい少女の手を乱暴に振り払う。
そのまま、迷いのない身のこなしでベンチから身体を起せば、美しくも妖しい少女から距離を取った。
「何者だっっ! ゆうり様を何処へやったっっ!!」
飛び起きて普段は腰に有るはずの愛剣も、ゆうりから贈られた護身刀の存在も消え失せていることだけで無く、己が見たこともない服装に身を包んでいることに気が付いたブラッドフォード。
目の前にいる美しい少女が何かを知っていると考え、何よりもゆうりから贈られた護身刀がないことに唇を噛みしめながら対峙する。
「……え……? いきなりどうされたんですか? 何者って言われても、私はただお兄さんを心配して看病しようとしただけ……」
キョトンとした表情から、困惑した表情に変化していく美しい少女の声が再び思考を絡め取ろうとブラッドフォードに迫る。
しかし、思考を奪う声の力を跳ね飛ばし、ブラッドフォードは美しい少女を油断無く睨み付け言葉を発した。
「これでも、魑魅魍魎蠢く社交界を渡る貴族の一人だからね。 偽りと毒を含んだ言葉くらいは見分けることができる。……少なくとも、貴女が私に抱いているのは善意などでは無いよ…………身に覚えは無いが私への敵意を感じるからね。」
ブラッドフォードへと作り物めいた美しい微笑を浮かべる少女へと、腹の底から力を込めて叫ぶ。
「例え女性でも、ゆうり様に害を為す輩は容赦しないっ! 今すぐに私のゆうり様の居場所を教えて貰おうっっ!!」
ゆうりの無事を信じて叫ぶ険しい表情をしたブラッドフォードに、美しい少女は作り物めいた微笑を消して皮肉めいた笑顔を浮かべた。
「……残念ね、もうちょっとで優李に相応しくないって言ってやれたのに。……ていうか、どさくさに紛れて“私の”優李なんて止めてくれる? お前のじゃなくて、私の大切な親友の優李よ。」
職人が丹精込めて織り上げた絹のような長い黒髪を掻き上げて、美しい少女こと彩花はうっそりと微笑む。
「……ふふ、面白いことを言いますね。 決して間違ってはいませんよ。 私の誰よりも愛しい婚約者であり、未来の花嫁であるゆうり様ですから。」
彩花の言葉を聞いたブラッドフォードの片方の眉がピクリと動き、寒気がするような笑みを浮かべて優李を害する敵から、ゆうりを奪う敵と認識を改め対峙する。
「……うふふふふふふ。」
「……ふふふふふふふ。」
笑顔で見つめ合っているはずなのに、まるで極寒の氷の大地に来てしまったような冷気が漂い、二人の間に火花が散る。
……それぞれに龍虎を背負い立つ二人はゆうりという存在を巡り、互いが決して相容れない平行線上にあるのだと理解するのだった。
※※※※※※※※※※
「園宮ー、お前そろそろ起きないと先生はこれからみたいドラマが有るから鍵閉めちゃうぞ。」
皺の寄ったワイシャツに、藍色のネクタイをした立花は丸めた教科書でゆうりの頭を軽く叩く。
「……んっ?……ほえっ……ブラッドフォ……え、えぇぇぇっっ?! 何で立花先生が居るのっっ?!」
ポフンッと頭に走った軽い衝撃に、ゆうりは眠い眼を擦り顔を上げる。
欠伸をしながらブラッドフォードの名を呼びかけ、周囲の様子に気が付いて混乱し驚きの声を上げてしまう。
「先生の方が“ええぇぇ?!”って言っちゃうぞー。 何でお化けでも見たかのような声を上げるのかねえ?……ま、そんなことはどうでも良いから、さっさと帰れよー。 先生はこれから“しがないオッサン太平記!”を見るのに忙しいから。」
「ちょっ?! 可愛い生徒が混乱してるのに、ドラマの方が大切なんですかっ?!」
ブラッドフォードに膝枕をされていたはずが、何故か花の女子高生時代に通っていた高校の自分の教室で机にうつ伏せになって寝ていたゆうり。
「涎の痕のある生徒より、先生の心はドラマを見たいと叫んでるからしょうが無いな。……彼氏も出来たのに、涎なんて垂らしてると嫌われるぞ。」
「えっウソっっ?!」
涎の痕があると言われたゆうりは、急いで窓硝子に映る自分の顔を確認する。
「……お前ね……鏡くらい携帯した方が良いと思うぞ。 身だしなみって言葉も有るし……」
鏡を携帯していないゆうりが窓硝子で顔を確認する姿に、立花は微妙な表情を浮かべてぼそりと呟く。
「うっ……別にこんなことくらいじゃブラッドフォードは嫌ったりしないもん!」
立花の言葉に怯んだものの、すぐに子供っぽい仕草で言い返すゆうり。
「そうか、そうか、ヨカッタナー。」
「何で片言っっ?!」
互いに笑って巫山戯ながらまるで漫才のような会話を交わす立花とゆうり。
「……でもさ、先生。」
「んー? 先生に乗り換えようと思っても駄目だぞ。 先生にも好きな人くらい居るからな。」
だが、会話に一区切り付いた時を見計らいゆうりは寂しげな表情を浮かべて話題を変える。
「あ、やっぱり居るんだ……じゃなくてっ! これって前に見た夢と同じだよね、先生?
……だって、私は女子高生時代に彼氏なんて出来た事無いし……先生だってもうちょっと真面目だったよ。 生徒との間に心の壁があるって言うのかな……?」
困ったような笑みを浮かべながら呟いたゆうりは、何時か見た“胡蝶の夢”を思い出していた。
「……正解だ、園宮。」
ゆうりの問いかけという形では有っても、確信しているその瞳の輝きに誤魔化すことなく立花は微笑を浮かべるのだった。