夢渡りの邂逅と同族嫌悪 第一話。
とある昼下がりのブラッドフォードの執務室では、その部屋の主が大好物の人参を目の前にぶら下げられた馬のように猛烈に仕事を捌いていた。
……だが、その視線は書類と目の前にある数人掛けのソファに寝そべっている大好物へと何度も往復しているのは誰が見ても一目瞭然だったのである。
「あのさあ、ブラッドフォード。 私のことを見なくて良いから仕事に集中した方が良いと思うけどな。 あとでエミリオに怒られるよ。……だから言ったじゃん。 仕事中なら私は別の所で遊んでるってさ。」
その大好物ことゆうりは欠伸をしながらブラッドフォードへと仕事に集中するように声を掛け、気を散らせてしまう原因である己が退散すると告げた。
「……駄目です! もう少しで終わらせますからっ!!」
「あはー……その言葉何度目だっけ……?」
寝そべった状態で本を読み、足を揺らすゆうりの姿にチラチラ視線を投げかけるブラッドフォード。
ゆうりが視線を感じて眼を向ければ、いかにも仕事をしています! と言った様子の態度をとるのだが、動いていない手元にため息を付いてしまう。
「……マリーロゼ達の邪魔をしないために構ってくれる人を探して、君の所に来てみたんだけど……まさか、君が書類仕事を貯め込んでいたなんてね。」
イスリアート公爵家で繰り広げられているであろうお茶会を思い浮かべてゆうりはアハハと乾いた笑みを溢す。
何故ならば、マリーロゼが桜と共に作った手作りの菓子をお茶請けに、柊と二人でお茶をする予定であったのだ。
それだけで有ったならば、別にゆうりは遠慮することなく共にテーブルを囲い、会話に花を咲かせたかもしれない。
だが、マリーロゼが昨夜仕事より戻ったバルトルトへとその柊との予定を告げると、何故か今日の朝の時点で仕事が休みになっていたのである……。
「(……あはは……二人っきりにさせたくないって気持ちが丸見えだよねえ……夜中の内に王城に戻って、今日の分の仕事を鬼のようにこなしちゃうなんて!
……柊! 将来のお舅さんと仲良くなる良い機会だもんね! 温かい眼で見守るって言うか……山吹や牡丹辺りはガッツリと見学してそうだから、あとで詳しく聞けばいいしね!)」
ゆうりの脳裏にはマリーロゼへと分かりにくい微笑を浮かべ、愛娘の作った菓子を褒めるバルトルトの姿が浮かんでいた。
同時に、柊へと二人っきりになるなど言語道断とばかりに愛娘に気が付かれないように貫徹の影響もあり血走った眼を向けるバルトルトの姿も思い浮かんでいたのだった。
「先に言っておきますが、ゆうり様。 私は別に仕事を貯め込んでいる訳ではありません。 今日の分の確認しなければならない書類が何故か多いんです。……まるで、誰かが一気に夜中の内に数日分を捌ききったかのように……」
その誰かを知っているゆうりはあはは……と空笑いを浮かべる。
「えっとさ……本当に忙しそうだし、私はヴィクトリアかフェリックスの所にでも行こっかな。 それか、フェリシアでお昼寝でもしようかなあ……なんかさっきから眠たいし……」
眼を擦りながら身体を起こすゆうりにブラッドフォードは焦った様子で立ち上がり、なんとかゆうりを引き留めようと試みる。
「ちょっ……本当にすぐに終わります! ですから、宜しければこのまま一緒に過ごしたいと思っているんです!…………そう、そうです! 婚儀の際のことをゆっくりと話したりとか……」
どうにか己を引き留めようとするブラッドフォードへと、ゆうりはコテンッと首を傾げてしまう。
「婚儀のことを二人だけで話してもしょうが無いじゃん。 王女の婚儀って面倒臭いねえ……伝統が何だとか、仕来りだとか……どうしてもっとこう、何て言うのかな……挑戦? 自由?……アグレッシブルな感じに出来ないのかな?」
「……あぐれっしぶる、というのはよく分かりませんが……ゆうり様は私との婚儀がお嫌なのですか?」
ゆうりの言葉にブラッドフォードの表情が曇る。
共に有りたいがために上げるはずの式が逆にゆうりの心を遠ざける結果に繋がっているならば、ブラッドフォードはどんな手段を用いてでも婚儀を中止しなければならないと考えを巡らせ始める。
「先に言っておくけど君との“婚儀”じゃなくて、“王女の婚儀”が面倒臭いんだよ。 式を挙げる場所も、ドレスにしたって全部決まっているようなもんじゃん。」
ゆうりは娘達が色々と考えてくれていたにも関わらず、王家の伝統を全面に押し出された“王女の婚儀”に眉を寄せるが、すぐにブラッドフォードにはまだ内緒にしている事柄を思い出して小さく笑みを溢す。
「良かった……」
「ん?」
身体を起こしたゆうりの側に静かに近付いてきていたブラッドフォードは安堵のため息混じりの笑みを浮かべて、ゆうりの頬に手を伸ばす。
「未だ精霊ですらない私では仮初めなのかもしれませんが、それでもゆうり様のお側に置いて頂けるのだと実感できることでしたから……。
私のこの髪の一筋も、魂の一欠片でさえも、全てがゆうり様の物なのだと他者へと証明する儀式でしょう? 式を挙げる許可を頂いたとき、本当に嬉しかったんで、うぐっっ。」
頬を撫でていた手で、ゆうりの髪の一筋を掬い上げ、口づけながら恥ずかしげも無く囁くブラッドフォードへとゆうりは何処からともなく取り出したスリッパで頭を叩く。
「は、はははは、恥ずかしいことを臆面もなく真顔で言うな、ばかあぁぁぁぁぁっっ!!!」
顔を紅く染めて、ブラッドフォードに囁かれた言葉に羞恥心で悶えるゆうりは叫び声を上げてしまう。
「おや、ゆうり様? あまり叫び声を上げていますと、幾らエミリオに人払いを言いつけているとは言え、誰かが貴女様の私の愛の言葉で紅く染まった可愛らしい顔を見てしまうことになるやもしれませんよ?」
相変わらず可愛らしい方だ、と叩かれた頭部を撫でながらにっこりと笑顔で呟くブラッドフォードへと、ゆうりはキッと睨みながら反論する。
「残念でした! エミリオが立ち去った時から結界を張ってるもんね! だから、どんなに騒いでも誰も来ないもん!!」
ふふんっと自慢げに目元を紅くしたまま、胸を張って答えるゆうりに一瞬何かを考えて動きを止めたブラッドフォードが、ますます笑みを深くしてゆうりとの距離を詰めていく。
「それは良いことを聞きました。……ねえ、ゆうり様?」
「な、なにさ……どうして、近づいて来るの?!」
ゆっくりとした動作で、笑みを浮かべたままソファに腰掛ける己へと距離を詰めるブラッドフォードの瞳に危険な色が浮かんでいる気がして、ゆうりは及び腰になっていく。
「……つまり、ここでゆうり様がどんな声を発しても大丈夫と言うことですよね?」
「……いやあぁぁぁぁっっ?!」
首筋まで真っ赤になってしまって、ブラッドフォードの一言に許容量を超えたのか固まったゆうりへと隠しきれない笑い声を漏らしてしまう。
「くっ……くく、ふふふふふっ……冗談ですよ、ゆうり様……ふふ……貴女様は本当に可愛らしい人だ。」
声を押し殺そうとしても耐えきれず漏れてしまう笑い声に、徐々に正気を取り戻したゆうりはからかわれたと言うことに気が付いて憮然とした表情を浮かべてしまう。
そして、何かを思い付いたのかニヤリと笑みを浮かべると指を鳴らす。
そうすれば、ブラッドフォードが途中で手を止めていた書類など仕事に必要な物一式が、ソファの前にある机の上に全て転移してくる。
「えっ?!……ゆ、ゆうり様?!」
己の意思に反して動いたブラッドフォードの身体は机の上に置かれた書類の前に居住まいを正して座ることとなり、その膝の上にゆうりが頭を乗せた。
「私をからかう暇があるなら仕事を終わらせてよ。 あはっ! 君の望み通り側にいてあげるからさっ!」
「うっ……」
己の膝を枕にして見上げてくる小悪魔のような笑みを浮かべたゆうりの言葉に、ブラッドフォードは言葉を詰まらせてしまう。
「……私の膝枕など固くて寝心地が悪いでしょう?」
からかわれた仕返しをゆうりがしているのだと理解してはいるが、男女の立場が逆転しているものの仲の良い恋人同士のような状況に内心穏やかではないブラッドフォード。
ブラッドフォードは己の膝の上に頭を乗せて、にっこりと見上げてくるゆうりの姿に頬に熱が集まってくるのを感じてしまう。
「ブラッドフォードが嫌なら良いよ。……バルトルトか、エリオットにして貰う……」
「ゆうり様が満足するまで私が膝枕しますっ!!」
ブラッドフォードが嫌ならば他の人にして貰うと、幼なじみ二人の名前を出す小悪魔な笑みを浮かべたゆうりへと力一杯自分がするとブラッドフォードは答えてしまう。
嬉しいような、恥ずかしいような……幸せな複雑な感情の入り混じった表情を浮かべたブラッドフォードに、悪戯が成功したような表情を浮かべたゆうりは眠気に誘われるように瞳を閉じるのだった。