ちびっ子?! ぱにっく!! その五。
「バル様、あーん。」
「…………」
膝の上に幼いゆうりを乗せて、何故か己に向かって差し出されているプリンをのせたスプーンを見詰めながら、バルトルトは何故こんなことに、と背中に嫉妬と言う言葉では生温い幼なじみの殺気を感じ、内心で深いため息を付いた。
「……己で食べられますので……」
「や! ゆうりがあーんするのっ!」
これ以上、幼なじみを刺激しないようにやんわりと断ろうと試みるバルトルトだったが、スプーンを奪おうとした手は空を切り、ムスッとした表情をゆうりは浮かべる。
「(……私にどうしろと言うのだ……)」
今にも、白いハンカチを取り出して嫉妬から噛み千切りそうな幼なじみ、ブラッドフォードの様子に眼を合わせないように細心の注意を払い、ゆうりの機嫌を損ねないように諦めて口を開く。
「バル様、おいしい?」
「…………はい……」
背中に感じる刺々しくなっていく殺気のおかげで味など分かろうはずもない状況のバルトルトの心情など、幼いゆうりに分かるはずもなかった。
「……お父様……なんと言いますか……解毒薬が出来るまでの我慢ですわ。」
「…………そうだな。」
ゆうりがマリーロゼと、予想外なことにバルトルトにまで懐いたことを見届けた最高位精霊達は、一刻も早く幼いゆうりという名の天災から解放されるために、解毒薬を作る蓮の元へと作業をせっつくために向かってしまったのである。
七色のアフロに大小様々なリボンが結ばれ、パンダの落書きだったはずが目の周りの黒いインクが滲んで流れ落ちて悲惨なことになっている顔面で、満面の笑みを浮かべて“お袋をよろしく頼む”と去って行った柊を含む最高位精霊達へと、バルトルトは恨み言を言わずにはいられない心境だった。
「……私は……まだして貰ったことがないのに……おのれ……バルトルト……」
「(…………冗談では無く、このままでは命が危ういと思うのは私だけだろうか……?)」
徐々に本気で殺意を纏い始めたブラッドフォードの眼差しに、命の危険すら感じ取ったバルトルトの背筋に冷たい物が走る。
「あは! ねえ、バル様っ! ゆうりね、決めたことがあるの!」
「……何をですか?」
照れくさそうな笑みを浮かべたゆうりは、ある意味誰かさんにとっては爆弾よりも威力のある言葉を無邪気に口にする。
「ゆうりね、バル様のお嫁さんになる!」
「そうですか、それは良かったで……は?」
「……え? お姉様?」
ニコニコと無邪気な笑みを浮かべたゆうりの言葉に、バルトルトとマリーロゼは頬を引き攣らせ、聞き間違いであることを心の底から願った。
「バル様のお嫁さんになって、毎日あーんして上げるね!」
可愛らしい満面の笑みを浮かべたゆうりの言葉に、とうとう堪忍袋の緒が切れた男がいた。
ゆらりと立ち上がり、剣呑な幼なじみに向けるなど有り得ない、それだけで人が殺せそうな殺伐とした眼差しを宿した男、ブラッドフォードが背筋に冷たい物が走る薄い笑みを浮かべる。
「……バルトルト……君のことは大切な幼なじみだと思っていたけれど……どうやら間違いだったようだね。」
「ぶ、ブラッドフォード! 落ち着けっ! 本気に受け取るなっ、子供の戯れ言だろうっ!!」
「そうですわ! きっと、お姉様はあんまり意味が分かっていらっしゃらずに言っているだけですわ!!」
今にも剣を抜き放ちそうな鬼気迫った表情を浮かべたブラッドフォードを押し留めようと、バルトルトとマリーロゼが必死で弁明を図る。
「むぅ……ゆうりは、ちゃんと意味分かってるもん! お父さんとお母さんになるってことだもん! おしごとに行くお父さんに、いってらっしゃいってちゅーすることだもん!」
「「ゆうり様(お姉様)はちょっと静かにしていてください(ませ)!!!」」
バルトルトの膝の上で身を捩り、向かい合わせになるように抱きつきながら、ゆうりはブラッドフォードへと火に油を注ぐような言葉を発し、バルトルトとマリーロゼは必死でブラッドフォードの怒りを鎮火しようと言葉を尽くす。
「……バルトルト、君の好みの女性像を考えてみれば、私の愛するゆうり様へと邪な感情を抱いていたとしても可笑しくは無かったんだよ。」
「いきなり何の話だっっ?!」
ふふふ……と不気味な笑いを溢しながら眼の据わったブラッドフォードはぶつぶつと呟き始める。
「セレナーデ・エラスコット男爵令嬢しかり、君の容姿に怯えずに内面を見てくれる気丈で、気の強い部分もある女性が好みだしね……ゆうり様も君の好みに当て嵌まるという訳だ……。」
「ちょっと待て! マリーロゼが誤解するような妙な勘ぐりは止めろっっ!!」
可笑しいと思うべきだったんだ、とぶつぶつと呟き続けるブラッドフォード。
「君ってば、妙にゆうり様には優しかったし、話しが合っている時が多かったし、私よりも仲良さげに話していることも多かったよね。」
「それはマリーロゼに関する話しをしている時や、子供達への接し方について恥を忍んで相談していたからだろうっっ!!」
悲鳴のような叫び声で言い返すバルトルトへと徐々に距離を詰めていくブラッドフォード。
「……私とゆうり様の仲を引き裂くことは誰で有ろうと、それが例え大切な幼なじみだった君でも許さないよ。」
「過去形っっ?! 待てっ、早まるなっっ!!!」
ゆらりゆらりと不気味な笑みを浮かべるブラッドフォードへ、バルトルトが命の危機を本気で感じ取った時、ブラッドフォードを凍り付かせる威力を持った言葉を放った者がいた。
「バル様を虐めるおっちゃんなんて嫌い、大っ嫌い。」
「っっ?!……ゆ、ゆうり様っっ?!」
キッと睨み付ける様に言い放たれたゆうりの言葉にブラッドフォードはがっくりと項垂れてしまう。
「……ゆうりさん……嫌いだなんて言っては駄目ですよ。」
「だって、マリー姉様! バル様をいじめるんだもん!」
流石にブラッドフォードが不憫に思えてならなかったマリーロゼが、ゆうりを窘めようと静かに言葉を続ける。
「ブラッドフォード様は、本当にゆうり様のことをお慕いしているのです。 だから、ゆうり様がお父さ……バル様とばかり仲良くしているのが悲しかったのですわ。」
「……おしたいしてるって、なーに?」
「えっと……お嫁さんになって欲しいほどに大好きと言うことですわ。」
マリーロゼの言葉に何か感じる物があったのか、ゆうりは自分の言葉の影響で悲壮感と絶望感に苛まれている様子のブラッドフォードへと視線を向ける。
「……うーん……」
何かを考えている様子の困った表情を浮かべたゆうりは、一度バルトルトの顔をジッと見つめてから、ぴょんっと膝の上より降りて床に四肢を付き、項垂れるブラッドフォードの元へと近付いていく。
「……おっちゃ……ぶりゃっどふぉーど、嫌いなんて言ってごめんね。」
「ゆうり様!」
よしよしと頭を撫でるゆうりへと本気で嫌われた訳では無かったと安堵の表情を浮かべるブラッドフォード。
「ねえ、ぶりゃっどふぉーどは、ゆうりのことが大好きなの?」
「はい、大好きですよ。」
躊躇うことなく己の問いかけに応えたブラッドフォードへと、ゆうりはむうっと困った表情をもう一度浮かべ、何かを閃いたのか満面の笑みを浮かべる。
「だったらね、ぶりゃっどふぉーどはゆうりのお嫁さんになればいいよ!」
「「「……は?」」」
名案とばかりに自信満々に告げられた言葉に告げられた本人だけでなく、マリーロゼやバルトルトも疑問の声を上げてしまう。
「んっとね、ゆうりはバル様のお嫁さんになるから、ぶりゃっどふぉーどがゆうりのお嫁さんになれば、みんな幸せだよ。」
幼児特有の思考回路で全てを丸く収まる答えを導き出したゆうりは、ニパッとした笑みを浮かべる。
「……お嫁さん……ですか……」
「うん! ぶりゃっどふぉーどはゆうりのお嫁さんはイヤ?」
「そんなことは有りませんが……出来ればお婿さんの方が……嬉しいと言いますか……」
目の前できゅるんとした瞳で覗き込んでくるゆうりへと困った笑みを浮かべてしまうブラッドフォード。
「イヤじゃないなら決まりだね! ぶりゃっどふぉーどは今日からゆうりのお嫁さんね!」
「えっ……と……ありがとうございます。」
戸惑いながらも、おっちゃんからは昇格できたことに素直に喜んでおこうと考えたブラッドフォードの顔に影が差す。
「あは! 誓いのちゅーしたから、もうぶりゃっどふぉーどはゆうりのだからね!!」
「……は……?」
機嫌良く無邪気な満面の笑みを浮かべるゆうりの行動を見てしまったマリーロゼとバルトルトは驚きの表情を浮かべる。
「お姉様……幼き頃は照れ屋ではありませんでしたのね……」
「あのブラッドフォードを幼くなっても翻弄するとは……」
何が起こったのか何となく察したブラッドフォードが狼狽えるなか、ゆうりの身体が淡い光りに包まれていく。
「ゆ、ゆうり様っ?!」
目の前で光りに包まれてしまったゆうりへと驚きの声を上げてブラッドフォードが慌てて手を伸ばせば……
「……あれ……?……私、今まで何をしてたんだっけ?」
すぐに光が収まったブラッドフォードの伸ばした手の先には、普段と変わらぬゆうりの姿が其処にあった。
「……ゆうり様?」
「ん? なにさ、ブラッドフォード?」
「ゆうり様っっ!!」
「ぎゃっ?!」
名前を呼べば普通に応えてくれるゆうりの姿に、感無量といった様子でゆうりへと抱きつくブラッドフォード。
「お姉様、良かったですわ……でも、どうして元に戻ったのでしょう?」
「わからんな。……だが、元に戻ることが出来たのだから深く考える必要は有るまい。」
ゆうりを力一杯抱きしめるブラッドフォードの様子にマリーロゼは穏やかな笑みを浮かべ、バルトルトは疲れたように大きなため息を付く。
「マリーロゼとバルトルトの前で何すんのさっ!!」
「ぐふっっ……この威力……いつものゆうり様ですね……」
痛みに悶えながらも、安心したように笑みを浮かべるブラッドフォードへと、ゆうりは首を傾げてしまうのだった……。