エミリオ・ラファティン補佐官の一日 その伍。
背筋に寒気が走るような冷笑を浮かべ、瞳孔の開ききったブラッドフォードの命を絶つことを目的とした殺意の刃がデイズモンドへと振り下ろされようとしたその時……
「はい、其処までですわ。」
殺意が充満し緊迫した空気を切り裂くように、一人の女性の決して大きくはないはずの声が修練場に響き渡った。
デイズモンドの頭部目掛けて突き刺すように剣を振り下ろそうとしたブラッドフォードの手が、聞き間違えるなど有り得ない、その愛しい声が響くと同時にピタリと動きを止める。
「……どうして……邪魔をされるのですか?」
その響き渡った声は、いつの間に現れたのかブラッドフォードの背後に立つアルテミス王女の姿をしたゆうりの物だった。
「邪魔をするに決まっていますわ。 私は怒りのままに刃を振るうブラッドフォードの姿など見たくはありませんもの。」
己の声に反応して動きを止めたブラッドフォードの背中を見詰めて、ゆうりは穏やかに微笑む。
「……この愚か者は私のことならば兎も角、貴女様を侮辱しました。 このような低俗な輩を所属は違うとは言え、のさばらせていたなど末代までの恥です。……どうか、この刃を振り下ろすことを止めないで頂けませんか?」
普段ならばゆうりが現れると同時に、些細な反応すら見逃すことがないように全ての意識を向けるブラッドフォード。
だが、ゆうりが現れたにも関わらずブラッドフォードは背後に立つゆうりへと振り返ることなく、殺意の溢れた瞳を命の危機の前に震えるデイズモンドへと向け続けていた。
「許可など出来ませんわね。 繰り返すようですが、怒りにまかせて刃を振り下ろすなど貴方らしくありませんもの。 それに……」
己に向けられることのない殺伐とした雰囲気を纏ったブラッドフォードの背中へと、ゆうりはクスリと笑みを浮かべて言葉を重ねる。
「そのような小物など放っておけばよいのです。 貴族としての心得どころか、王族へ侮辱の言葉を吐く意味すら知らぬ者など、ブラッドフォードが相手取る価値などありませんわ。」
「……っ……!」
微笑みながら紡がれるゆうりの言葉に、ブラッドフォードはギリリと奥歯を噛みしめ、遣り場のない怒りに剣を握る手に力を込める。
「……ブラッドフォード。 私にとっては有象無象の輩が発する百の侮辱の言葉よりも、私の大切な人達のただ一つの言葉の方が遥かに価値があります。 その中でも、ブラッドフォードが私に贈ってくれる言葉は特別なのですよ。
……ですのに、貴方にとっては私へと振り返り視線を向けるよりも、それの相手をする方が重要だと言うのですか?」
「そんなことは断じてありませんっっ!!」
ゆうりの言葉に反応したブラッドフォードは否定の言葉を叫びながら、背後へと勢いよく振り返る。
「ふふ、やっと私の方を向いて下さいましたね。」
振り返ったブラッドフォードの視線の先には穏やかな王女らしく、花が綻ぶように微笑むゆうりと、その背後に濃厚な殺気に当てられて青ざめているベアトリス、スカーレット、ヴィンセントの護衛三人組の姿も有った。
「……ゆ、アルテミス王女殿下……」
「あらあら、困った顔をされないで下さいませ。 怒っているブラッドフォードを恐ろしいとは思いませんが、やはり笑っている貴方の方が落ち着きますわ。」
クスクスと笑うゆうりの姿にブラッドフォードは困ったような微笑を浮かべ、纏っていた殺気混じりの覇気を霧散させていく。
「……あの者を許す訳では有りませんが、何よりも愛しい貴女様のお言葉ならば受け入れましょう。」
苦笑を浮かべたブラッドフォードは、柔らかく微笑むゆうりへと手を差し出す。
「ありがとう、ブラッドフォード。」
差し出された剣を収めたブラッドフォード手に己の手を重ねたゆうりは、エスコートされるがままに歩き出す。
その背後では何やら小さな悲鳴が聞こえたが、決して振り返ることなく修練場の端にいるヴィクトリア達の元へと歩き始めるのだった。
※※※※※※※※※※
時は多少遡り、ブラッドフォードが自身目掛けて振り下ろされたデイズモンドの刃を断った頃。
「ちょ、流石にサントル騎士団長を止めなければ危険ではありませんか?!」
ブラッドフォードの放つ濃厚な殺気に多少顔色を悪くしているエステルが、己の上司であるヴィクトリアへと叫ぶ。
「殴り倒しゃあ止まるだろうが、この件に関しちゃあ全面的に私はブラッドフォードの肩を持つからねえ。 あのボンボンのためにブラッドフォードを止める義理は無いさね。」
「あそこまで激情に突き動かされているのだ。 儂らが止めようと思えば止められんことは無いが、互いに多少の怪我は覚悟せねばなるまいな。」
焦った様子のエステルの言葉を鼻で笑うヴィクトリア、難しい表情を浮かべるシルヴェスター。
「……まあ、最終手段は“あの方に嫌われますよ”でしょうかねえ……でも、あそこまで怒っている時に効果が有るかは疑問です。」
他の三人よりも、部下であるためにブラッドフォードの性格を把握しているエミリオは微妙な表情を浮かべてため息を付く。
「エ、エミリオっっ! サントル騎士団長がボンボンに止め刺そうとしているわよっっ!!」
ブラッドフォードの躊躇いのない攻撃により、顔面に剣の腹を叩き込まれ、吹き飛ばされて倒れたデイズモンドへと近づき、更に止めを刺すかのように白刃を構える姿を視界に収め、エステルが悲鳴のような声を上げる。
「まだ、多少は理性が残っているのかねえ? 私ならばあそこで剣の腹じゃなくて刃を立てるさね。」
「うぅむ……単純に易々と命を絶つことをしなかっただけのような気がするが……。」
冷静にブラッドフォードの攻撃に関して感想を漏らす二人の騎士団長に、益々エステルは慌てた様子で叫ぶ。
「そんな冷静に分析をしている状況ではっっ」
「大丈夫だから、ちっとばっかし静かにしなっ!」
慌てるエステルに対してヴィクトリアの檄が飛ぶ。
「ブラッドフォードを止める適任者は既に到着してるからねえ。 全く持って問題無いよ。」
ふふん、と笑うヴィクトリアの言葉に他の三人は首を傾げる。
「……まさかっ?!」
しかし、怒れるブラッドフォードを止める事が出来るという人物に、すぐに思い当たったエミリオは表情を更に青ざめさせた。
「その“まさか”さね。……ほーら、おいでなすったよ。」
ヴィクトリアの言葉に促されるように修練場の中心へと眼を向ければ、数瞬前までいなかったはずの複数の人影が見て取れた。
「……効果覿面だねえ。 早速ブラッドフォードが殺気を収め始めたよ。」
修練場の真ん中にいたのは、ベアトリス達若き護衛を伴ったアルテミス王女殿下こと、ゆうりだった。
殺気を向けられている訳でもないのに顔を青ざめさせて震える騎士達が多くいる中で、アルテミスはそんな物を感じていないと言った様子でブラッドフォードへと微笑みかけている。
「……こんなにも苛烈な覇気を物ともしないなんて……」
「流石は王国の至宝と呼ばれし王女殿下。」
全く怯む様子のないアルテミス王女へとエステルとシルヴェスターは感嘆の声を漏らす。
「そりゃあそうさね! この私の闘気にも怯えないからねえ!!」
「……ある意味当然でしょう……」
己の友なのだから当然だと、胸を張るヴィクトリアとは逆にエミリオは何処か疲労を感じさせる乾いた笑みを思わず浮かべてしまうのだった。




