父と娘と……その恋人の奇妙なお茶会 後編。
バルトルトが去った後、柊だけがその場に残された。
想い人の父親から聞かされた娘への想い、そして己の母親の覚悟。
共に生き、そして失うかもしれない覚悟を決めた上で想い人へと伸ばしたはずの己の指先。
愛する心を告白して相手へと想いを伝え、想いを返して貰えたことで、安堵した自身の心の安寧を護ることを相手の心の内を知ることよりも優先していたのではないだろうか?
「……マリーロゼが望むなら……何度だって口にすると言った癖に……」
愛する少女、マリーロゼを失うかもしれないと淀んだ瘴気を切り裂いて走り、この腕の中に取り戻して柊は想いを告げた。
その時に誓ったはずの言葉を守れていなかったのではないかと、柊は自嘲の笑みを浮かべる。
「……マリーロゼ……」
目元を片手で覆い天を仰いだ柊の思わず呟いた声に、返って来るはずのない返事が聞こえた。
「はい、柊様。」
「っっ?!」
この場にいないはずの想い人の声が聞こえ、柊は慌てて姿勢を正す。
「え? も、申し訳ありません、柊様。 もしかして驚かせてしまいましたか?」
手に持つトレーに乗った温かな湯気が立つティーカップをテーブルの上に静かに置いたマリーロゼは、柊の行動に微かに眼を見開いてしまう。
「い、いや……すまない、大丈夫だ。」
マリーロゼに聞こえてしまうのではないかと思うほどに、大きな音を立てて鼓動を刻む心臓に柊は胸元を押さえる。
「……大丈夫そうには見えませんわ。」
不安そうな眼差しを己へと送るマリーロゼの姿に、柊は安心させるように小さく微笑む。
「そ、そうだろうか……本当に、問題無い。……お前のことを考えていて、思わず名を呼んでしまったんだ……そうしたら、返事が有ったから……」
とても驚いたんだ、とバツが悪そうに視線を逸らして説明する柊の言葉に、マリーロゼの頬が赤みを増していく。
「……っ?!」
薔薇色に染まった両頬を押さえて恥ずかしげに俯くマリーロゼの姿に、チラリと様子を伺うために視線を向けた柊が気が付き眼を見張ってしまう。
「マリーロゼ、どうして紅く……俺が何か気に触ることでも……」
何故マリーロゼが紅くなったか分からない柊は、取り敢えず席を立ち上がり近付いたものの、原因も対処も思い付かないために慌ててしまう。
己の行動一つで、普段はほとんど変化しない表情を動かす柊に対しマリーロゼは嬉しさが込み上げ、小さな笑い声を漏らしてしまう。
「……柊様は本当に無自覚に溢してしまったお言葉の方が、その御心を現しているのかもしれませんわね。」
「マリーロゼ……?」
マリーロゼの言葉の意味を図りかねるのか、首を傾げる柊の姿に再び笑いが込み上げてクスクスと小さな声を漏らす。
「だって、私の名前を無意識に呼んでしまうほどに、心の中が私のことで一杯だったのでしょう?」
「…………っっ?!」
嬉しそうに眼を細めて笑うマリーロゼの言葉に一瞬意味が分からなかった柊だが、徐々にその意味が心に染みこんでいく。
「ちがっっ! い、いや、確かに心の中はマリーロゼのことで一杯になって、思わず呼んでしまったんだが……無意識のことで、全く意識などしていなかった…………俺は何を言っているんだっっ?!」
言い訳じみた言葉を何故か並べる柊に、ますます笑いが込み上げるマリーロゼは笑い続ける。
しばらくして柊の羞恥心も、己の込み上げていた笑いも収まった所で、柊に問いかけようと思っていたことをマリーロゼは口にする。
「今更ですけれど、お父様は席を外されてしまったのですね。」
「ああ……何処に行くとは言っていなかったが……」
マリーロゼの問いかけに、微かに紅くなった頬を隠すように顔を背けた柊が答える。
「ふふ……そうですか。」
クスクスと笑うマリーロゼは、それ以上柊に問いかけることはなかった。
「……何時までも、笑ってくれるな。」
「うふふ、ごめんなさい。 でも、柊様のご様子が何だか拗ねた子供みたいに可愛くて。」
愛する女性に可愛いと評されたことに複雑な男心を抱かずにはいられない柊は、苦い表情を浮かべてしまう。
「……マリーロゼ。」
「柊様……?」
向かい合うように数歩だけ距離を開けて立つマリーロゼへと真っ直ぐに視線を向けた柊は一度愛する少女の名を呼び、暫し逡巡した後に口を開く。
「……触れても良いか?」
柊を取り巻く空気が変わっていることを敏感に感じ取ったマリーロゼは頬を染め、恥ずかしそうに微笑んで小さく頷く。
「…………」
無言の柊が、まるで繊細な硝子細工に触れるようにぎこちない手つきでマリーロゼの頬に片手を添える。
痛いほどに熱を孕んだ、柊が司る炎を思わせる瞳でマリーロゼを見詰め続ける姿に心が震える。
「……柊様……」
己の頬に伸ばされた愛しい人の大きな無骨な手。
余計に小さく見える己の手を重ねて頬を擦り寄せれば、マリーロゼの華奢な身体は柊の腕の中へと引き寄せられる。
「……マリーロゼ……俺の我が儘でお前を困らせたい訳ではない。」
不思議そうな表情を浮かべる腕の中のマリーロゼを見詰めながら、柊は意を決して言葉を続ける。
「……俺はお前が困らない範囲で良い。 些細な時間でも構わない……二人だけで過ごす時間が欲しい、と思った。
マリーロゼが許してくれるならば……嫌でないならば愛するお前に触れたいとも思うし、迷惑でなければ思ったことを伝えていければ、と……」
思ったんだ、と徐々に自信を無くしたかのように言葉尻が小さくなっていく柊。
「(……情けない男だと、嫌われたかもしれない……)」
世界に生まれてからの長い年月のほとんどを、最高位精霊達としか過ごしたことなど無い柊にとって恋愛というものは未知の領域だった。
大人の男として余裕を持ってマリーロゼと接することが出来ない不器用すぎる己に柊は歯噛みする。
……しかし、そんな苦悩する柊の両頬に軽い衝撃が走った。
「うふふ……ご機嫌よう、柊様。 いい加減、目は覚めまして?」
「マ、マリーロゼ……?」
柊の腕の中で微笑むマリーロゼの両手が、柊の頬を挟むように軽く叩いたのだ。
「……柊様、寝言は寝てから言う物ですわよ。……本当にお姉様も、柊様も……私を怒らせるのがお上手ですわね?」
「…………っっ?!」
笑顔のはずなのに、何やら身の危険を感じずにはいられないマリーロゼの表情に柊の身体が引けてしまう。
「あら、逃がしませんわよ。」
「……まっ、落ち着け、マリーロゼ?!」
己の両頬から手を離し、両手でその胸ぐらを掴んで引き寄せるマリーロゼに体勢を崩しそうになって柊は本気で慌てる。
「見くびらないで頂きとうございます。
何時、何処で、私が、柊様のそんなにもいじらしいお願いを迷惑だと、嫌いだと申しましたか?」
ぐぐっと顔を近づけて言い募るマリーロゼの言葉に、一瞬怯んでしまった柊は逃げることも忘れて苛烈な怒りに輝く翡翠の瞳に囚われてしまう。
「柊様がヘタレていることなど百も承知。 その上で、このマリーロゼは貴方様をお慕いしているのですわ!
私に嫌われるのではないかと、手を繋ぐことすら躊躇う顔に似合わぬ可愛らしい一面も、強引にした方が良いのだろうか、と悩んでブラッドフォード様を密かに観察しているつもりで有ることも存じておりますもの。」
「ま、待てっっ?! ヘタレや手を繋ぐ辺りはまだ置いとくとして、何で義父上を観察していたことをマリーロゼが知っているっっ?!」
心の中に秘めていたはずのことを、どうして己が知っているのか分からずに慌てる柊へとニッコリと美しい笑みをマリーロゼは浮かべる。
「うふふ、それは秘密ですわ。」
その一言で何となく全ての絡繰りを察した柊は心底泣きたくなってしまう。
がっくりと項垂れそうになっている愛しい男性へと、マリーロゼはどれだけ自分が柊のことが好きなのかを言葉にしなければ分かって貰えないと思い言葉を続ける。
「人との関わりが苦手で、不器用で、私のことを想って空回りする柊様が可愛らしいと想います。」
「…………可愛い…………」
可愛いと言われ続けることに、本気で男としての立場が無いと感じて柊は涙が込み上げそうになる。
「……ですが、私を何よりも大切にしようとしてくれる優しさも、私も見詰める瞳に溢れる想いも、少ない言葉の中に有りっ丈の想いを込めてくれる柊様が……マリーロゼは誰よりも格好良いと想います。」
込み上げそうになった涙は引っ込み、マリーロゼから貰った数々の言葉に柊は眼を見開いて固まってしまう。
言われ慣れていない数々の言葉に固まった想い人の姿に、マリーロゼは悪戯な笑みを浮かべて掴んでいる胸ぐらを強く引き寄せる。
「誰よりも、何よりも……お慕いしております、柊様。」
「っっ?!」
引き寄せられた柊の身体はマリーロゼに向かって傾き、柔らかな感触が唇を掠める。
「うふふ……淑女にあるまじき、はしたないことかもしれませんが……ご馳走様ですわ、柊様。」
引き寄せていた柊の身体を押し返し、数歩後ろに下がったマリーロゼは想い人のそれと重なった己の唇に指を当てて、頬を薔薇色に染めて艶やかに微笑む。
「…………っっ!!」
意識せずにはいられないマリーロゼの表情と仕草に、何が己の身に起こったのか理解して柊もまた頬を紅く染め上げて片手で口元を覆う。
「……あんまり、私を甘く見ていますと……また奪っちゃいますからね。 よーく覚えて置いて下さいまし、柊様?」
紅く染まった柊の顔を見詰め、小首を傾げてクスクスと楽しげに笑うマリーロゼ。
「…………それは、此方の台詞だ。」
「え……?」
まさに小悪魔という風情のマリーロゼの艶やかで、可愛らしい姿に眼を細めた柊は数歩有った距離を一瞬で詰め、柔らかな肢体を強引に抱き寄せる。
「……俺も男だ。 惚れた女にやられっぱなしなど……性に合わん。」
マリーロゼの華奢な腰に無骨な手が添えられ引き寄せられ、細い顎を掬い上げられて二人の視線が絡まる。
「ん……!」
マリーロゼが止める間もなく流れるような仕草で、柊に唇を塞がれてしまった。
慌てて瞼を固く閉じたマリーロゼは鼻から抜けるような上擦った、己の物とは思えない甘い声が漏れ、羞恥心からか身体が熱くなる。
「……ふ、あ……ひ、らぎ……さま……」
己以上に紅く染まった表情と、潤んだ瞳に満足したのかマリーロゼの唇を柊は名残惜しげに解放する。
「……マリーロゼ、愛している。」
決して離しはしない、と己を抱き寄せる腕の力を緩めない柊へ、マリーロゼは薔薇の花が綻ぶような美しい笑みを浮かべ、その背に両手を回すことで想いに応えるのだった。




