こぼれ話 甘党陛下と酒やけ皇妃と雪見酒 その後
雪見酒のその後の話。
最後の方にほんのちょっとだけ、いちゃこらしてます。本当にちょっとだけですが苦手な方はご注意下さい。
よろしくお願いします。
降り積もる雪。外は既に暗く、窓に浮かんだ結露が外と内の温度差を如実に表している。
今朝降り始めた雪は、日暮れにはすっかり世界を白く染めていた。
子供のころに絵本で読んだ『雪合戦』や『雪だるま』や『カマクラ』といった雪遊びを楽しみにしていた酒やけ皇妃は、現在ぐったりとベッドに横たわっていた。
「リューディア様、お水をお持ち致しました」
「ライハ…ありがと~」
カラカラに乾いた喉は酒やけ声をさらに嗄れさせ、さらに起き上るのも億劫な様子でベッドに横たわる皇妃の姿に乳姉妹でもある侍女ライハは溜息を吐いた。
「羽目を外してお酒を飲み過ぎるからのぼせるんです。もういい歳なのですから程ほどになさって下さいませ」
「……アウリスが悪いのよ。私は悪くないっ」
雪の降り始めが見たいという皇妃の願いを聞き届けた甘党陛下は湯殿へ皇妃を強制連行し、冷えた身体を思う存分温めあった。
思い出すだけでも恥ずかしい昼間の出来事。侍女から冷えたグラスを受け取って、火照る身体へ冷たい水を流し込んだ。
*****
親睦を深めようという目的で湯殿へ連行された皇妃。気付いた時には衣服をほぼひん剥かれており、退路を断つように陛下も脱ぎ始めていた為慌てて中へと逃げ込んだ。
もわっと立ち込める湯気。いつもは華やかな薔薇の香りがする湯殿は、珍しく何の香りもしない。
皇妃は不思議に思いながらも掛け湯をし、タオルで長い黒髪をまとめ上げ、陛下が来る前に乳白色の湯へその身を隠した。
もうなるようになれ。そう思いながらも徐々に居場所を端へ端へと移動していく。
陛下が入ってくるまでの時間を、その身を小さくしながら背を向けて待っていた。
『待たせたな』
湯殿に響く陛下の声。どきっと心臓が跳ねたと同時にぴちゃんと湯も撥ねた。
背後からことりと硬質な音が聞こえたと思ったら掛け湯をする音が聞こえる。そして手桶を置いた音の後に、ざぶりと湯が揺れた。
『お前、そんな隅っこで縮こまっていたのか』
押し殺したような笑い声。皇妃は悪かったわねと悪態を吐きながら、出来る限り陛下と距離を取った。その行動に、陛下は意地悪そうにまた笑う。
『隅に行けば行くほど逃げ場は無いぞ』
『!!』
『まあ、逃がすつもりは無いからどこにいても一緒だが』
『!?』
自分が何か言うたびにおかしいくらい肩を跳ねさせる皇妃を見てくっくっと笑う陛下は、自分も本当に良い性格をしていると自嘲した。
『ほら、約束通りに酒を持ってきた』
酒、と聞いて皇妃はちらりと振り返る。が、すぐに前を向いてしまった。
手に何かを持っていた気がしたが、そんなことはどうでもいい。
(ななな、なんなのあれっ!!)
濡れた灰褐色の髪は後ろへ撫でつけられ、湯から出ている胸元は日頃の鍛錬で引き締まっており、また程よく陽に焼けた肌が乳白色の湯との対比で際立っている。
一瞬目にした陛下の肌を滑り落ちる水滴もまた目に毒で、何とも言えない色気が駄々漏れな陛下を直視することが出来なかった。
あまりの羞恥に湯の中へ鼻まで潜りぶくぶくと泡を出していると近付いてくる気配がした。ぎゅっと目を瞑って緊張していると、肩口にちょこんと何かが触れた。
『うひゃぉわあっ』
驚いておよそ淑女に似つかわしくない変な声が出た皇妃に、またまた陛下は笑う。今度は腹の底からの爆笑だった。
『おまえ、はっ…、緊張しすぎ…ッははは、なんて声を出すんだ、ははははっ』
ひいひいと腹を抱えて苦しさに喘ぐ陛下の姿に羞恥よりも怒りが込み上げた。一人で恥ずかしがっているのが馬鹿らしくなる。皇妃は意を決して、陛下へ振り向いた。
『いつまで笑ってるつもりよっ』
『す、まんすまん』
目尻に浮いた涙を拭き未だ爆笑の余韻が抜けきらない陛下だったが何とか呼吸を整えて咳払いで誤魔化し、皇妃へ向かって何かを差し出した。
皇妃が受け取ってみると、それは見たことの無い小さな器だった。
『それは猪口という東の国の酒器だ』
『ちょこ?…綺麗ね』
菓子のショコラと名前が似ているな、と手の中の猪口を見る。つるりとした滑らかな表面に朱色を主体とした細かい模様が描かれている。この国では珍しい焼き物の杯のようだった。
陛下は「こっちが俺のだ」と湯殿に持ち込んだトレイから藍色の模様が入った猪口を取り上げる。色違いだが柄は同じ。しかし陛下の猪口の方が幾分大きいようだった。
『コスティがな、お前が気に入るだろうと以前差し入れてきたものだ。夫婦猪口というらしい』
『めおとちょこ?』
『大きさが違うだろう?夫の方が妻のより少し大きいんだ』
陛下は言いながら、これまた奇妙な形をした器を持ち上げた。頭の部分が一部括れ、下が膨らんでいる。猪口と同じく焼き物のようだった。
『こっちは徳利という酒を入れておく容器だ。…ほら』
促されて皇妃は猪口を差し出す。傾けられた口からトクトクトクと耳に心地よい音と共に水と見紛う透明な酒が出てきた。
『これは清酒という、米を発酵させて造った酒だそうだ。確かダイ、ギンジョー…?と言っていたかな。口当たりが良いらしいぞ』
陛下は手酌で自分の猪口にも酒を注ぐ。
本当に付き合うつもりなのか、と皇妃が心配な視線を送ると「見栄くらい張らせろ」と皇妃の肩を引いた。雪が見えやすい位置まで移動して、二人は杯を合わせた。
『……美味しい』
キリッと冷えた酒は口当たりが良いという言葉通りに甘く、するっと喉を通っていく。鼻から抜ける爽やかな香り。今まで飲んだことの無い不思議な味わいで、すっきりとしていて変な癖も無いので飲みやすく、美味い。
『この酒は繊細な味と聞いて湯に香りをつけるのを止めさせたが、どうやら正解だったな』
なるほど、と陛下の言葉に納得する。ともすれば水のような気軽さで飲めてしまうこの酒は普段飲んでいる酒とは違い、儚く淡い風味。いつものような強い薔薇の香りの中で飲むのは無粋であり、合わないだろう。
気づけば皇妃はこの酒を気に入っていた。そしてなんと陛下もこの酒を気に入ったようだった。いつもはちびりと表面を舐めるだけの陛下が口に含んで飲んでいる。珍しいこともあるものだ、と感心する一方で倒れないかと不安にも思う。
しかし、美味しい酒を陛下と一緒に飲めることが嬉しくて堪らない。一人で飲むより二人で飲んだ方が美味しいし、何より二人が出会った時のことも思い出される。あの時の陛下は酒を飲んでいなかったがそれはそれだろう。
皇妃は頬がにやけるのを止められず、幸せな思いで一気に呷って飲み干した。
『言い飲みっぷりだ』
一口飲んだだけの陛下の頬は既に真っ赤になっている。湯に浸かっているせいで血の廻りも早いためかとろんとした表情で皇妃へと酌をした。
『アウリス、もう酔っちゃった?』
『酔ってない…と言いたいところだが、生憎とそのようだ』
『あなたはもう飲まない方が良いわ。溺れたら困るもの』
『そうだな』
場所が場所だけに無理は出来ない、と素直に認める陛下は浴槽の縁に置いたトレイの上に猪口を乗せ、浴槽内の階段状になっている部分へ腰掛けた。そうすると腰から下は乳白色の湯に隠れ、火照った上半身を冷ますのにちょうどいい。
頬を赤く染め、汗が伝う髪を掻き上げて気だるげに小さく息を吐く陛下の姿に思わずどきりとする。
(な、なんで女の私より色気があるのよっ)
敗北感と悔しさを滲ませた皇妃はどうせ全部自分が飲むのだからと陛下の手から徳利を奪い、手酌で飲み始めた。降り積もる雪を肴に、心地よい湯に浸かりながら美味い酒を呷る。なんてこの上ない贅沢だろうか。
『美味いか?』
『ええ、とても』
それは良かった、と満足そうに笑う陛下にまた一つ鼓動が跳ねる。心臓に悪い。皇妃は顔に血が上るのを感じながら飲み口の良い酒をくいくいと飲んだ。
窓からちらちらと降り積もる雪が見える。程なく外は白銀の世界に包まれて長い冬が始まるだろう。
綺麗なだけではないという雪。人々の生活を脅かす雪。けれど今日明日くらいは堪能することを許して欲しい。
―――『雪合戦』はどんな戦いかしら?
―――『雪だるま』の「だるま」ってどんな意味があるの?
―――『カマクラ』ってそもそも何?
初めての経験にわくわくする気持ちが押さえられない。皇妃の雪に対する興味は尽きず今度は想像の中の雪を肴にしていたら、いつしか徳利の中身も空になっていた。
そして先ほどから意識の外に追いやっていた陛下がいやに静かなことに気が付いて、まさか寝てしまったかと心配して見上げると。
『………』
とろりと溶けた視線で皇妃を見つめている陛下と、目がかち合った。
潤ませた瞳に赤く染まった目元。
髪から頬へ、頬から顎へ、そして身体の線へと伝い落ちる滴がとても色っぽくて。
ゆるりと口の端を持ち上げる様は獲物を見つけた獣のようで、どうしようもなく淫靡。
(なんだろう色々とまずい気がする…)
咄嗟に閃いたのは貞操の危機。たまらず皇妃は逃げ出した。だがしかし、あっさりとすぐに捕まった。
『どこへ行く?』
『は、離してっ』
『言っただろう?逃がすつもりはない、と』
ぱちゃぱちゃと飛沫を上げながら皇妃の背中に陛下の胸板がぴったりと密着し、腹に腕を回されて抱き締められる。屋上で雪を見上げていた時と同じような体勢に持ち込まれたと気付き、皇妃は眩暈がした。
『にげ、るつもりじゃないっていうか、こここういうことはお風呂でしなくてもいいっていうか、…あなた酔ってるでしょ!?』
『俺は親睦を深めると言ったはずだぞ』
『これは親睦を深めるとは言わな…ぁっ!』
ふに、と肌を辿られる感触。かり…、と耳を齧られ身が慄く。
『酒が入ったお前の肌が薔薇色に染まっていくのを見ていたら……堪らなくなった』
耳元で囁かれ、首筋に唇を押し当てられる。軽く吸い上げるだけでも赤く色づく皇妃の白い肌に、陛下は口付けていく。
動悸が激しい。齧られ、そして舐められた耳の奥でどくどくと血流の音が聞こえる。
『やぁ…あっ』
ちゃぷちゃぷと揺れる乳白色の湯の中で、徐々に陛下の手が下がっていくのを感じる。
このままではどうなってしまうのか。これ以上はだめだ、何か色々とまずい。限界を超えてくらくらする。
皇妃は身体を極限まで薔薇色に染め、そして、世界が暗転した。
*****
「くあーー!」
じたばたとベッドの上で身を捩る。どうして思い出してしまったのか。力の限り悶えていたら「う゛っ」と頭痛がぶり返してきた皇妃は枕に顔を埋めた。
「思い出し照れですか。お若いですわねリューディア様」
「…うるさいわよ…」
同い年の侍女が皇妃を若いと言うのは年齢のことではないということをきちんと理解する。
どうせ恋愛経験値低いわよ。免疫なんて皆無よ。涼しい顔の侍女に対してぶつぶつと愚痴を溢していると、陛下がやって来るという先触れが届いた。
「大丈夫か」
「…大丈夫じゃないです」
起き上らなくていいという陛下の言葉でベッドに横になったまま出迎えた皇妃は「あなたのせいよ」と視線で詰る。
「まさかお前が先にのぼせるとは思わなかったからな」
珍しいこともあるものだと陛下は残念そうに言う。
「…お酒を飲んだあなたが珍しく眠らなかったのがおかしいのよ」
いつもならばすぐに寝入ってしまうくせにと唇を尖らせるが、陛下はけろりとした表情で「酔い止めを飲んでいたから多少は保ったな」と事も無げに言う。そんなのずるい、と皇妃は突っ伏してしまった。
「雪遊びしたかったのに…っ」
「…お前も大概子供だな」
「子供でも結構です。明日まで寝込んだら恨むからね」
「それは困るな」
さして困った風でもなく言う陛下を睨むと、優しく頭を撫でられる。その優しい手付きに頭痛が抑えられた気がする。…そんなので許さないんだから。そう思いつつも確実に絆されていく心を皇妃は悪くないと思っていた。
…のだが。
「まあ、俺にも我慢の限界があるからな」
「……何の話…」
「治ったら、覚悟しろよ?」
「あ…明日以降も寝込みそうな気がしてきたわ……」
危機は去っていないどころか危険度を増して待ち構えている。
そう理解した途端、別の理由で頭が痛くなった皇妃であった。
なんともベタなお風呂話でした。
二人のいちゃつきはR指定にしなくても大丈夫な程度…でしょうか。へたれですいませんっ。
飲酒しての入浴は大変危険ですので気を付けて下さい!
お読み頂きましてありがとうございました!