番外編 孤独な獅子王と泣き虫虎王
前話で最終と言っておきながら、恥ずかしながら戻って参りました。
今回のお話は王女の祖父と老王の昔話です。王女の祖父視点のお話です。
よろしくお願いします。
―――我が国サフォーデュは今日も平和だ。
晴天に恵まれたこの良き日に祝いに駆けつけてくれた悪友がその一言を言うまでは、とても平和だった。
「嫁にくれ」
物心つく前からの付き合いをしている悪友が、狂った。
「…誰を?」
「リューディアを」
リューディアとは、今現在悪友の腕の中にいる俺の孫娘のことだ。
「…冗談だろう?」
「本気だ」
真顔で言い切るのは良いが、…いいや良くない、決して良くないが、その本気はちょっとどころじゃなくかなり危険だぞ。
「まずは落ち着こう。落ち着いてリューディアを返すんだ。それから話を聞こうじゃないか」
嫁に欲しいと言われた孫娘が、言った張本人の悪友の腕の中にいることがかなり不安だった。すやすや寝ている顔も可愛いぞ、さすが俺の孫。だがその腕の持ち主は危険だから早く起きなさい、早く!
孫娘を寄越せと腕を広げて受け入れ態勢を整えたのだが、悪友は首を横に振った。
「嫌だ」
「子供か!いい歳したおっさんが何言ってやがる!!」
「お前よりは下だろう」
「1歳だけな!47にもなって何をとち狂ったことを…っ」
そうなのだ。悪友は47歳。絶賛中年期真っ最中のおっさんが、何を血迷ったのか求婚しようとしているのは昨日産まれたばかりの0歳児。まだ目も開いていない赤ら顔のサフォーデュ国の王太子第二息女であり、俺の可愛い三人目の孫だ。
「…駄目か?」
こてんと小首を傾げる中年男の姿に棒読みでも「わあかわいい」などと口が裂けても言ってやらんし「良いよ」などと死んでも言えるわけがなかろうが。
アルギレオの獅子王と謳われる悪友の威厳はどこにいった。
「駄目だ。というかお前がダメだ。色んな意味でダメダメだ」
「そんなに駄目か」
「駄目だ」
むう、と口を尖らせる中年男。そこでお前が不機嫌になるのが俺には分からん。
「とりあえずリューディアを返せ」
「嫌だ。…こんな可愛くて小さな生き物を動かしたら潰してしまう」
「小さな生き物ってお前。…ああはいはい、そういう意味で「嫌だ」なんだな。了解」
孫娘が腕の中で大人しくしているのですっかり忘れていたが、悪友はかなりの馬鹿力なのだ。
「じゃあ受け取りに行くから動くなよ」
先ほどからじっとその場を動かずにいた悪友に近づき、腕の中からそっと寝ている孫娘を抱き上げる。悪友の腕から離れて俺の腕に渡る時に火が点いたようにむずがったが、後ろに控えていた乳母に素早く渡したら落ち着きを取り戻したようだった。……おじいちゃん泣いて良いかな?
「お前が泣くなよ」
「泣いてねえよっ」
子供を抱き上げるともれなく泣かれると評判のサフォーデュの虎王ことヴァルト・ルーカス・サフォーデュは心の中で涙して、悪友を連れて隣室へと移動した。
「で、なんでリューディアを嫁に欲しいんだ。まだ産まれたてほやほやだぞ」
手酌で酒を飲み、悪友の空いたグラスにも注いでやる。共に酒豪で鳴らし、俺はすぐ顔が赤くなるが悪友は顔に出ない。涼しい顔しやがってこいつ。ぐいぐいと酒を呷った俺はすでに真っ赤だった。
「…俺とて、独りは淋しいと感じることもある」
悪友がぽつりと漏らしたその言葉。
その遠くを見る視線の先に、彼女の姿を捉えているのだろうか。
「……エレオノーラ」
この名前はかつて悪友の妻だった女性の名だ。
俺がその名を出した途端に悪友の瞳が揺れ、自嘲気味に口元が歪んだ。…そんな笑い方をする奴ではなかったのに。
「お前、まだ、引き摺っているのか」
ゆるゆると首を振り、「違う」と悪友は言った。
「ノーラが亡くなってもう15年だ。共に過ごした時間よりも長い時を独りでいれば思いも薄れてくる」
だが次の妃を娶らず独りでいるということが、亡くなった彼の妃のことをいつまでも忘れられずに引き摺っているということに他ならないのではないか。
そんな俺の眼差しに悪友は苦笑し、何も言わずグラスを傾けた。
隣国アルギレオの王である悪友には、世継ぎがいない。
悪友カレルヴォと彼の妃エレオノーラが結婚したのは20年前。仲睦まじい二人の間にいつ悪友そっくりの子が拝めるかと期待していたが、二人は長らく子に恵まれなかった。そして子を儲ける前に彼の妃は突然病に倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまった。
国や王族という垣根を越えて家族ぐるみの付き合いをしていただけに、訃報を聞いた時は信じられない思いだった。俺でさえ悲しみを堪え切れず嗚咽したのだ。悪友の心内は如何ばかりか計り知れない。
以降を独身で通している悪友にこのまま本当に独りで生涯を終えるつもりなのではないか、と危惧した俺は自国で夜会を開催する度に悪友を招いた。
様々な女性を紹介し、少しでも気に入りが見つかれば良いと思っていたが結果は芳しくなく、俺の息子夫婦が此度3人目を儲けて俺が祖父となって久しい今でも、悪友は独りのままなのだ。
いつしか沈黙が支配した部屋の中で、俺達は淡々と酒を酌み交わしていた。
と、そこへ孫娘の元気な泣き声が隣の部屋から聞こえてきた。ああ、泣き声もなんと愛らしい、さすが俺の孫。悪友には悪いが爺馬鹿な俺はにんまりする表情を抑えることが出来ない。
それに気付いたのか悪友が突然笑い出した。
「なんだよ」
「いや、お前が羨ましいと思ってな」
そんな言葉、今まで聞いたことがない。
俺に子供が生まれた時も、初孫が生まれた時も、悪友は一度として「羨ましい」とは口にしたことが無かった。俺は驚いてまじまじと悪友を見つめてしまった。
「本当に羨ましいよ。お前の家族はいつも賑やかだ」
「カレル…」
「お前の国に来ると淋しさというものを思い出す。生まれたばかりのリューディアを見たら特に強くそう思ったよ。…そんな感情は15年前に置き去りにしたと思っていたんだがな」
悪友の空っぽな笑顔。だが今にも泣き出しそうな顔で笑う悪友に、なんで笑うんだよ、泣けよ、と思う。
15年前もそうだった。彼の妃の葬儀で泣きそうな顔をしているのに、無理やりへたくそな真顔を貼り付けていた悪友の顔を思い出す。
あの時から悪友は、様々な感情を置き去りにしてきたのか。俺にも何も言わずに一人で抱え込んで。
なればこそ。思う存分泣いて、そこを乗り越えろよ、と強く願わずにいられない。
「……お前が泣くなよ」
「な゛いてね゛えよ゛っ」
泣けと強く願い過ぎて涙腺が決壊した俺に、悪友がハンカチを渡そうとしたが断った。
ぐしぐしと涙とそれ以外の液体を袖で乱暴に拭い、新しく開けた酒瓶を直に口につけて呷った。ごくごくと一気に半分程飲み下し、瓶を悪友の胸に突き付ける。
「カレル!飲め!」
「いや、お前と間接接吻はちょっと…」
「良いから飲め!飲んで酔え!そして泣け!胸は貸してやる!」
「ヴァルト、お前こそ珍しく酔ってるんじゃないか?」
「黙れっ」
ぐいと隣に座る悪友の赤褐色の頭を鷲掴んで強引に引き寄せる。勢いが付きすぎて肩口に激突した悪友のうめき声が聞こえたがこの際些末事だ。俺も痛いんだからお相子だこの野郎。
「泣けよカレルヴォ。存分に泣いて、心から笑え。俺が隠していてやるから王の矜持など今この時だけ忘れちまえ」
一瞬、悪友の身体が強張った。弱みを見せることを良しとしない悪友の性格を思えばこいつは泣かないだろうということも分かっている。
だが胸の内に澱む思いを吐き出す場所があるのだと、この年下の親友に知らせたい。
「エレオノーラのことは忘れろとは言わん。だがいつまでもそこにいたら、彼女は悲しむと俺は思う」
俺の記憶している彼の妃は、自分の夫が真っすぐに国の未来を見据えている姿を見るのが好きだった。常に民の先頭に立ち敢然と導く姿からいつしか獅子王と呼ばれるようになった悪友を、一番喜んでいたのも彼の妃だった。
「立ち止まるなよ獅子王。きっと彼女もそれを願ってる」
俺も、そう願っている。その思いを込めて、俺よりも体格の良い身体をきつく抱きしめた。
悪友が震える息を吐いた。泣けと言われても素直に泣かないだろうと思っていた悪友が、静かに涙を流した。雄々しく、常に泰然自若としている悪友が身を縮こまらせ肩を震わせて泣いている。
15年も押し込めてきた感情が涙となって止めどなく溢れている、そのことに、俺も泣きそうだ。
だが声を出さずに泣く悪友は、本当に意地っ張りだ。俺ならば声を上げて号泣しているところだぞ。そしてもらい泣きなんか冗談じゃない。これはただの塩水だ。心の汗だ。
俺はいつの間にか、男泣きに泣いていた。
そろそろ中年男同士でこの体勢は視覚的にきつい、色々やばいむさい、と思い始めた頃、俺の肩口に頭を乗せたまま悪友が話しかけてきた。
「なあヴァルト」
「…なんだよ」
まだぐずぐずと鼻を鳴らしている俺と比べ、悪友はもう落ち着いているようだ。解せん。
だが悪友の次の言葉で俺の鼻水も引っ込んだ。
「やっぱりリューディアを嫁にくれ」
「「やっぱり」の意味が分かんねえ」
「あの子さ、似てる気がするんだ。ノーラに」
「……産まれたての赤子にエレオノーラ要素は皆無だと思うぞ?」
どう思い浮かべても孫娘と彼の妃の似てる要素が見当たらない。強いて言えば黒髪のところか。そういえば三人の孫で黒髪は一人だけだ。……まさか。
「お前…、髪が黒いだけで似てるって?」
「ああ。あの子は将来可愛くなるだろうな。お前にも似て賑やかだと尚良い。俺が手取り足取り慈しむんだからそれはもう輝くばかりに…」
ばっと悪友を身から引き剥がして掴んだままの悪友の肩をがくがくと揺らしてやる。
「黒髪の妙齢の女性を今すぐ用意してやるからリューディアをそんな目で見るんじゃねえ!!あの子はまだ昨日誕生したばかりなんだぞ!!」
見るとしても「嫁」ではなくて「娘」くらいで勘弁してほしい。俺にとっては孫だが子供のいない悪友に「孫」として見ろとは言わないから。
「お前の子供は息子一人だったし、孫は男一人女二人なんだからリューディア一人くらい良いじゃないか」
「リューディアは物でも愛玩動物でもねえんだよ!笑えと言ったがいやらしい顔で笑うなっ、目を覚ませこの野郎!!」
先ほどまでの雰囲気をぶち壊す悪友に「そういえばこいつはこういう奴だった」と思い知らされる。15年前から鳴りを潜めていたが、悪友は少しばかり自己中心的な性格だった。
「あの子を見た瞬間、感情というものを思い出した。ノーラがいなくなって初めてのことなんだ。…頼む」
「だからって無理だ、諦めろ。歳の差を考えろ馬鹿。リューディアが成人するまでにお前がこの世にいるか分からないんだぞっ」
47歳差という途方もない数字に俺は眩暈がする。リューディアが成人する年に悪友は67歳だ。67だと!?幼な妻にも程があるだろうが!!
「俺が67歳で20歳の嫁か。なにやら興奮す…」
「黙れ猛獣っ!リューディアは絶対にやらん。そしてその考えを改めない限り国境線を越えることは許さないと思え!!」
こうして、サフォーデュとアルギレオの間で『謎の一年戦争』と後に呼ばれる冷戦が勃発した訳だが、今回のことで色々と吹っ切れた悪友がちゃっかり年の離れた可愛い黒髪の嫁さんを見つけてしかも懐妊したと聞き、ひっそりと終戦を迎えることとなった。
全く、最初はどうなることかと思ったがこれで生きている内に悪友に似た子を拝むことが出来そうだ。もっと早くに泣かせてやれば良かったかと思ったが、過ぎたことだ。彼の妃もこれで安心して眠れることだろう。
長い足踏みしやがって、今度うちに来る時は家族三人で美味い酒を持ってきやがれってんだ。
長々とアルギレオ国の使者から脚色された悪友の恋物語を聞きながら、俺の腕の中にいる少しばかり大きくなった命の重さを堪能する。
俺の可愛い孫娘。お前の操はおじいちゃんが守ったよ。
だから抱き上げる度に泣かないでおくれ。おじいちゃんは泣きそうだよ!
「…国王陛下、涙をお拭き下さい」
隣に控えていた宰相の差し出したハンカチを固辞して、俺は咆哮を上げる。
「泣いてねえって言ってんだろっ!」
―――今日もサフォーデュは、平和だ。
最終話といった舌の根も乾かぬうちに舞い戻って参りました…っ。
獰猛老王のリューディアに対する求婚話が突然ぽんと浮かんだので急いで形にしてみました。年内に間に合ってホッとしています。
以下補足。
獅子王=老王(話中では悪友)=カレルヴォ・シュルヴェステル・アルギレオ47歳
虎王=酒やけ王女の祖父=ヴァルト・ルーカス・サフォーデュ48歳
虎王は20歳の時に出来ちゃった婚で早くに子供を儲けまして、虎王の一人息子さんは話中では28歳で3人の子持ちです。そのうちの一人が酒やけ王女です。
獅子王は27歳の時にご結婚なので虎王と比べるとちょっと遅いです。奥様を亡くしたのは32歳の時。48歳で再婚して子供も儲けた獅子王は、こぼれ話登場時70歳でもまだ王位を移譲していない設定です。
…たぶん話にズレは無いかと思います。(追記:王女の祖父をいくつか父と表記していた部分があり直しましたすみません!)
中年男達のむさ苦しいお話で申し訳ありませんでした。中年男も好物です(スライディング焼き土下座)
こんな風に突然ぽっと話が思い浮かんだらまたこっそり掲載したいと思います。(m_ _m)
お読み頂きましてありがとうございました!