こぼれ話 酒やけ王女とお仕置き侍女と獰猛老王
陛下と王女が再会する数時間前の王女編です。
よろしくお願いします。
とある城のとある離宮で。
一人の女が二人の人物の前で正座をさせられていた。
―――足が痛い。
長いこと同じ姿勢をさせられて、女の足はとうに限界だった。もじもじと動かす度に突き抜けるような痛み。麻痺はすでに通り越し、微かな刺激でも女は身悶える。
女はこれから大事な話をしに行かなければならないというのに、脂汗を掻く女を冷やかに見下ろしている人物はとんだ鬼畜である。
そろそろ許してもらえないか。女は哀願の気持ちを込めて見上げるも、脆くも淡い期待は砕かれた。
「先方にお会いするのは午後ですから、どうぞそのままごゆっくりお過ごし下さい。王女様」
……だめだわ、相当怒ってる。
王女と呼ばれた女は心の中でひっそりと泣いた。
昨日、帝国ジェヴォークスの皇帝との見合いに臨むためこの地にやってきたサフォーデュ国の第二王女一行だったが、警護の隙を突いて王女が姿を眩ませたのだ。
王女があまり気乗りしていない様子だと分かっているため、警備の者たちが厳しく目を光らせていたはずの馬車から王女はまんまと逃げきったのだ。
現在王女がさせられている正座とは遠い東の国に伝わる反省を促す姿勢であり、所謂お仕置きの真っ最中なのである。
「それで、もう一度仰って頂けますか?」
涼やかな声で王女の前に立ち、見下ろす女性。
酒場で酔い潰れた男を店員に託した後、王女が店の外に出たところを確保したのが何を隠そうこの人物だった。
「…だからね、このお見合い、無かったことに出来ないかなって…」
「はい?よく聞こえませんでしたわ王女様」
にっこりと笑うその背後に、地獄の門番が見えた気がした。涙目で許しを訴えるも、許してくれそうもなかった。
だがそこへ、事態を見守っていたもう一人の人物が口を挟んだ。
「侍女殿よ、その辺で勘弁しては如何かな」
「…畏まりました」
王女にとっては天の助け。いくら毛足の長い絨毯の上とはいえ辛くて堪らなかったのだ。
喜び勇んで足を崩した王女だが、急激に動かしたことによって墓穴を掘ったのは言うまでもなかった。
テーブルを挟んで王女と先ほど助けを出してくれた人物は向かい合って座り、侍女はそんな二人にお茶の用意をしている。
王女の目の前に座る人物は、優しく王女に声を掛けた。
「して、見合いを白紙にとのことだがどういうことかこの老いぼれめに話してはもらえんかな」
穏やかな声音の軽口に釣られるように王女も心を落ち着かせる。
「老いぼれだなんて…、小父様がそう仰っていたとお爺様に知れたら大変ですわ」
「ふっふ、あ奴も儂ももう立派な年寄りよ」
「わざとご老人ぶるのは悪い冗談です」
小父と呼ばれた人物は、口元に蓄えた白髪混じりの赤褐色の髭を撫でながら笑う。
「儂の可愛いリューディア嬢が見合いをする年頃になったのだ。儂も歳を取ったものよ」
「もう…、小父様はどう見ても年より若く見えますわ。今年で70歳などと、知っている私ですら信じられません」
侍女が淹れた紅茶を一口飲む。渋みが少なくすっきりとした味わいで、一滴果実酒が垂らされているそれがとても美味しい。それを飲みながら、王女は小父と慕う人物を見る。
彼はサフォーデュとジェヴォークスの二国と接する国境線を持つアルギレオ国の王カレルヴォ・シュルヴェステル・アルギレオという。
今年70歳を迎えるという老王は精力に溢れ、またその鍛え抜かれた大柄な身体からも年を感じさせない。年相応だと思えるのは赤褐色に混じる白髪と、顔や手に表れている皺の深さだけである。
そんな老王がこの度、親交のある二国間で行われる見合いの話を聞きつけ、自ら仲人に立ってくれたのだ。
「儂の話は今はどうでも良いのだ、嬢よ。何故ジェヴォークスの皇帝との見合いを白紙に戻したいのだ?」
「……」
「何か、言えぬ事情でもあるのか?些か意地悪な言い方になってしまうが、これは個人の話では無いのでな。三国が同時に、国家を上げて進めている話なのだよ」
老王に改めて言われずとも王女は身に染みて分かっていることだ。個人の我が儘が通るはずもない、結果が決まっている形だけの見合い。
見合いと言う名の顔合わせをしたその後、王女の返答など関係無くジェヴォークスの皇帝と結婚することになる。
「分かっています。十分、理解して…」
「昨日、何かあったようだな」
「……っ」
ふっと笑みを濃くした老王は、カップを持ち上げながら日頃から孫娘のように可愛がっている王女に笑いかける。
「この爺には何でもお見通しだよ」
ぱちりと片目を瞑るお茶目な老王に、王女は泣くのを堪えるかのようにくしゃりと顔を歪めた。
「…なるほどな」
昨日あった出来事を洗いざらい老王に話した王女は、話の途中から感極まって涙が出ていた。目元をハンカチで押さえながら時折しゃくり上げている王女を、老王は穏やかな目つきで眺めている。
―――いや、これは。まさに不可思議な縁もあるものよ。
王女の話を聞き、訳知り顔で一人頷く老王。
「泣くな、嬢。これから坊に会うのだろう?泣き腫らした顔で会っては嬢の魅力が伝わりきらんぞ」
老王は対面の席から王女の隣に移り、優しくその黒髪を撫でる。
全くこの王女様は幼い頃から泣き虫だ。王女を生まれた頃から知っている老王は、変わらぬ王女の姿に愛おしさを感じる。
「ですが小父様…、私、わたし……っ」
国を思う気持ちと昨日出会ったばかりの男に抱いた思いの間で苦しみ、震える王女の背にそっと手を当て老王はぽんぽんと幼子をあやす様に軽く叩く。
「大丈夫、儂に任せておきなさい。決して嬢に不利なことにはさせんよ。とりあえずは昨日の詫びだけはしっかりとするのだ。白紙の件は、その次だな」
「小父様…っ」
「儂が、嬢に嘘を吐いたことがあったかな?」
「いいえ…」
「ならば、儂を信じることだ」
途惑い顔で視線を泳がせた後こくりと小さく頷いた王女に老王は満足げに頷き、優しく胸に王女を寄り掛からせ、暫し落ち着くまで胸を貸していた。
そして、王女に見えないところで老王は嗤う。
―――さて、ジェヴォークスのひよっこよ。俺の可愛いリューディアを泣かせた罪、どのようにして責任を取らせようか。
かつてアルギレオの獅子王と呼ばれた老王は、腹の内でひっそりと報復の算段をしていた。
王女側ではこんなやりとりが、というお話でした。
老王は王女の祖父(前々サフォーデュ国王。71歳。存命中)の悪友で、リューディアが大好きな筋骨隆々おじいちゃん(70歳)です。王女も老王が大好きです。(あれ、二人は両想いか…?)
現在実の娘のように王女を見守りますが、王女が生まれた時に老王は奥様に先立たれていて半ば本気で嫁に欲しがったという裏設定があります。そして王女の祖父と大喧嘩してそこでまた一つの物語が…。(※有りません)(※※有りました。番外編として掲載してます)
侍女は王女の乳姉妹で王女より数か月早く生まれているためお姉さんです。23歳。王女に酒を教えたのもこの侍女です。書いていてあまり出張ってくれなかったのが残念でした。せっかくサブタイトルにも組み入れたというのにっ。
そして陛下側の侍女と区別するの忘れていた…っ!申し訳ないです。
老王は王女が酒場で出会った男が陛下だと気づいたご様子。仲人さんですから互いの情報はばっちり掴んでいるので分かったという感じでしょうか。
そして王女の前では猫かぶり。本性は百獣の王でした。こんなおじいちゃん、好きです。
お読み頂きましてありがとうございました!