こぼれ話 甘党陛下と辛党宰相
陛下と王女が再会する数時間前のお話です。
よろしくお願いします。
とある城のとある執務室で。
二人の男たちが静かに対峙していた。
―――頭が痛い。
頭の中に大音量で響く鐘の音に、男は灰褐色の頭を文字通り抱えていた。
これから大事な客人を迎えなければならない男だが、この頭痛もさることながら目の前にいる強敵も同時に相手をしなければならなかった。
冷や汗を掻く男の姿に憐憫を感じ、僅かばかりの情けをかけてくれないものかと部屋の中央で仁王立ちする人物に目を向ける。
「どうなさいましたか陛下。御加減がすぐれないご様子ですね」
……駄目だ、すこぶる機嫌が悪い。
陛下と呼ばれた男は痛むこめかみを押さえて瞑目した。
昨日、帝国ジェヴォークスの皇帝と、サフォーデュ王国の第二王女が見合いをするはずだった。
この見合いはジェヴォークス側からの要請で、サフォーデュ側は否やも無く受け入れたものだった。
そもそもの発端は「変わり者陛下」「花の独身皇帝」「お子様味覚」などと、散々な言われようの皇帝を慮った宰相を始めとする重臣達の働きによって実現した見合いの席だったのだ。
余談ではあるがこれら不名誉な渾名も宰相を始めとする重臣達の間だけのものである。国民には認知されていないと陛下に代わりここで弁明させて頂きたい。
それはさておき。
隣国の王女との見合いをすっぽかした上、飲めない酒を一気飲みし、べろんべろんになった陛下を迎えに来たのが何を隠そう目の前で青筋を立てている人物だった。
意識を無くして立ち上がることすらままならない陛下を、人目につかないように城まで運び諸々の後始末をしたのもこの人物だ。
「宰相…、もう少し小さな声で頼む」
「二日酔いですからね。それはもう頭に響くことでしょう」
宰相と呼ばれた人物は分かっていていつもの二割増し大きな声で喋っているらしい。
「楽しいお酒でしたか?」と言わんばかりの冷笑を浮かべている宰相は、とてもいい性格をしていると陛下は思う。
「陛下、本日の予定ですが」
「ああ」
午後、見合い相手の王女を伴ったサフォーデュの使者から謝罪を受けることになっている。
二日酔いの陛下が起きぬけに聞いた話によると、サフォーデュ側で何らかの不都合が発生して見合いを延期してもらいたいとの連絡が入ったそうなのだが、詳細は告げられなかったという。
だがジェヴォークス側としてもその申し出は渡りに船の状況だった為、一も二も無く飛びついた。何せ、こちらは主役の一人である皇帝が姿を消していたのだから。
抜け出したことは悪いと陛下は思っている。
対外的に考えれば、子供じみた理由で公の場を台無しにするなどあってはならないことだと理解している。
しかしながら勝手なことをするな、とも陛下は思う。
納得していない見合いの席を設けられ、内心で陛下は憤っていたのだ。
「まったく、誰の為に用意した席だと思っているんですか」
「すまん」
「昨日はこちらも混乱していた為詳細を聞き忘れてしまいましたが、本来ならこちらこそが謝罪すべきなのです」
「悪かった」
「人の話を聞いていませんね」
「許せ」
陛下の口から反射的について出る投げやりな言葉。
そんな陛下の姿に大きなため息を吐いた宰相は、扉の前に控えている侍女に合図を送り、年下の幼馴染が好きな甘い物を用意させた。
「それで、下戸が酒を飲んだ理由は?」
部屋から人を下がらせ陛下と同じテーブルにつくと、宰相は臣下の面を外して幼馴染に戻る。
午前中は陛下の二日酔いを覚ますための休養としたことで、昨日の出来事を聞くつもりのようだ。
「飲みたい気分だった」
「ほう」
目を眇める宰相から隠れるように、陛下は温かい湯気が立ち上るティーカップを口元に運ぶ。砂糖をたっぷりと入れた甘い味に、暫し目の前の厄介ごとから逃げてみようと試みる。
「誰が、前後不覚に陥っている酔っ払いを迎えに行ったと思う。コスティの酒場でお前が飲むと言ったら一つだろうが」
逃げられなかった。
そもそもこの年上の幼馴染に嘘は通じない。生涯を通して隠したかった陛下の甘党をいとも容易く見破ったのも宰相だった。
「どこかの誰かが俺に内緒で見合いの席など設けるからな。やけ酒も飲みたくなるってものだろう」
「その話、信じると思うのか?」
氷のような冷たい視線。これは全部知っていると思って間違いないだろう。
皇帝御用達の酒場の主人コスティはどちらかといえば宰相に味方している、二人の共通の友人だからだ。
諦めのため息を一つ。陛下は重い口を開いた。
「…そうだよ。可愛い女の子と肩を並べて飲んでいた。これで満足か」
主に飲んでいたのは女の方だったとは、この際言わなくても良いことだろう。
「お前が、女性と?」
「ああ」
信じられないという表情を隠さない宰相は本当にいい性格をしていると思う。
陛下は皿の上に綺麗に盛り付けられている花を象った砂糖菓子を一つ口に含む。するとそれは舌の上ですぐにほろりと解け、ふわりとほのかな花の香りが口いっぱいに広がった。
ああ、美味い。
見た目の淡い色合いに反してこの砂糖菓子は物凄く、甘いのだ。
それをぱかんと開いた宰相の口へ放り込む。途端に宰相は慌てふためいて、砂糖が入っていない己の茶で流し込む様子を見た陛下はほくそ笑んだ。宰相は相当な辛党だからだ。
「その菓子美味いだろう?最近の気に入りなんだ」
「げほっ…、…アウリス、俺に恨みでもあるのかっ」
涙目で睨む宰相に溜飲が下がる。
「とんでもない。お前には感謝している」
「…なに?」
そう、陛下はとても感謝しているのだ。
この宰相が画策しなければ昨日の見合いの席を設けられることも無かった。
見合いの席から逃げ出すことがなければ、あの店で女と出会うこともなかっただろう。
悠然と椅子に背を凭れ、肘置きに片肘をつき、長い脚を交差させる。
咽て前屈みになっている宰相を見下ろすように見遣れば、訝しむ視線とぶつかった。
「エルメル。この見合い、無かったことにしろ」
途端に見開かれる宰相の瞳。
「…理由はなんだ」
抑えた声音で宰相が問う。
見知らぬ王女との望まぬ見合いなど意味がない。
一度会っただけの女との約束を果たすため。
そう理由は多くないが一国の王女との見合いを破談にする為の材料にはならないだろうと陛下は判じ、一笑に付した。
「理由など。この俺が気に入らないんだ。…出来るな?」
身体の奥底に燻るこの気持ち。これが何なのかはまだ陛下には分からない。
己にも説明がつかないことを宰相に説明できるわけがない。今はただあの女に逢いたいと無性に思っていた。
そんな陛下の表情に何を見たのか、宰相は深くため息を吐いた。
「…よほどの気に入りをここにきてとうとう見つけたのか」
その呟きに帝国ジェヴォークスの若獅子は嫣然と微笑んだ。
こんなやりとりを王女と再会前にやっていましたよというお話。
エルメルは宰相のお名前。陛下より五つ上の30歳。
コスティは酒場の主人で陛下と宰相の友人。宰相と同じ30歳。
侍女は名前無しですが陛下と乳兄妹という裏設定有り。陛下より一つ下の24歳。
陛下以外はみんなザル。
ちなみにこの話の辛党とは酒好きのほかに甘いものが苦手というオプションが追加されます。そういう意味では王女も辛党です。
お読み頂きましてありがとうございました!