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甘党陛下と酒やけ王女  作者: 煤竹
こぼれ話
17/20

番外編 酒やけ王女へ至る道

酒やけ王女の子供時代の小話です。虎王と獅子王も出ます。

よろしくお願いします。




 ―――それは遠い遠い朧げな記憶。



 「俺の嫁に」

 「触るな猛獣!!」



 どこか靄がかかったような怒号の中、目に映る赤い人に抱かれるのはとても安心するものだと物心つく前の私はそう感じていた。


 そして、独特な匂い。甘いような、苦いような、くらくらと眩暈がするような不思議な匂いが周囲を取り巻く人々が声を発する度に嗅ぎ取れた。


 母の安らぐような匂いとは違うその香りは、安心する腕からひどく不安を掻き立てる腕へと渡り号泣する最中もずっと、続いていた。





 ***






 「おじいちゃんって呼んでごらん」


 3歳の私にデレデレと相好を崩して笑うのは、此度王位を息子に譲ったばかりの元・国王。目尻に皺を刻んで満面の笑みを見せる私の祖父。


 「おじいたん」

 「くはっ!!」


 手で鼻と口を押さえ、膝上に抱えられた私を落とさないように器用に仰け反った。隙間から覗く赤い顔は、別に今のやり取りで赤くなったわけではない。


 「聞いたかカレル!『おじいたん』だってよ!!たっまんねえなほんと!!」


 祖父はばんばんと椅子の肘置きを叩き、机を挟んで向かい合って座る髪が赤い人に上機嫌で笑った。

 赤い人はというと呆れた顔をして、透明なグラスに透き通った茶色い液体を入れてゆっくりと飲んでいた。


 「うるさいぞヴァルト」


 不機嫌、というわけではないが若干低い声を出して赤い人が祖父を一蹴する。

 祖父と赤い人は古い友人で、一時期仲が悪くなったようだったが、私が1歳になった頃から時折こうして遊びに来ては二人で酒盛りをしていた。

 幼い私は二人の酒盛りの場に、いつも参加させてもらっていた。


 「あんだよ~、お前んとこのチビがまだ喋んねえからって素っ気無くすんなよ~」

 「うちのはまだ1歳だ。おい、リューディアが固まってるぞ」

 「あん?…おお!悪いリューディア!怖かったかー?」


 抱え直されてよしよしと頭を撫でられる。この頃は祖父に抱き上げられても泣くことは無かったが、それでも身の底から沸き上がる居心地の悪さに時折身体を固くしていた。

 断じて言うが私は祖父のことが嫌いなのではない。むしろ大好きだと言える。なのに何故こうなってしまうのか、自分にも分からないことだった。


 「なんで子供らは俺に抱き上げられるのが苦手なんだぁ?」


 祖父が泣きそうな顔でぎゅうぎゅうと抱きしめてくる。痛い、苦しい。


 「お前が怖いんじゃないか」

 「強面のカレルさんの言う言葉ですかそれ?俺よりガタイの良い獅子王さん?どう考えても俺の方が優しいし紳士的だぞ!」

 「そうか、ならばリューディアに聞いてみるとしよう」


 良い考えだとでも言うように一つ頷いて、持っていたグラスを机に置いた赤い人がポン、と己の膝を叩く。


 「おいで、リューディア」


 頭が考えるより先に、身体が動く。呆気に取られ初動が遅れた祖父の手からするりと抜け出して赤い人に駆け寄ると、ふわりと抱えてすとんと広い膝に乗せてくれた。祖父とは違う、がっしりとした腕に支えられる。ああ、とても安心する。


 「リューディア。俺に抱き上げられるのは怖いか?」

 「ううん」


 怖くない。私がそう言うと、赤い人はとても嬉しそうに声を上げて笑った。


 「ははは、そうか。俺は怖くないか。ではお前の祖父と俺と、どっちの膝が良い?」


 居心地の良さで言えば比べるまでも無かった。


 「おじたんがいい」


 祖父とは対照的に涼しい顔をしていた赤い人の頬に、さっと朱が走ったように見えた。さっき見たばかりの祖父と同じ仕草で口元を押さえ、「これはやばいな…」と小さな声で呟いた。

 何かいけないことでも言ってしまっただろうかと首を傾げてみせると、赤い人が呻きながら頭を二度撫でて、その大きな手で私の左手を持ち上げた。


 「嫁になってく」

 「おいやめろこのケダモノ!浮気者!!おじいちゃんは絶対に許しません!!」


 叫ぶ祖父に胴体を持たれ赤い人から引き離されると思ったら、悲鳴のような声を上げていた。


 「っやぁ!」


 赤い人の服を両手で掴み、祖父の腕に渡ることの拒否を示す。祖父の腕の中はひどく不安なのだ。それは理屈とかではなく本能的に感じるものらしく、掴まれている場所がぞわぞわする。

 胸元の服をくしゃくしゃに掴まれた赤い人は、何もしない。祖父と孫の奇妙な攻防をただ面白そうに見守るだけ。


 「『やぁ!』じゃないんだよリューディア可愛すぎる!この男はケダモノなの!お前のこともぱくっと食べちゃう獰猛な男なんだよ!」

 「やぁ!」

 「分かってくれよ!おじいちゃん、こいつに『お爺様』なんて呼ばれたくないんだから!!」


 祖父はよく分からないようなことを言って私と赤い人を引き離そうと必死になっている。

 けれど何を言われてもこの安心する場所から離れたくなくて、私は首を横に振る。途端に私を掴む祖父の手に痛いくらいの力が入り、涙が浮かんでくる。このままでは泣いてしまう。泣いてはダメ。私が泣くと、心優しいこの祖父はとても傷ついてしまうから。


 幼心にも祖父の人となりというものをよく理解していた私はぐっと堪えて下唇を噛む。すると黙って見ていた赤い人がそこでやっと声を発した。


 「ヴァルト、俺が悪かったからその手を離せ」


 痛がっている、と赤い人が言えば祖父はぱっと手を離した。宙に浮いていた私の身体は、赤い人の大きな手で優しく抱き止められた。

 ああ、どうしよう、安心する。堪えられない。泣きたい。

 震える声が出る前に、赤い人が私をぎゅうっと少し苦しいくらいに抱きしめて立ち上がった。


 「ああ、やはりリューディアは可愛いな。俺の息子の嫁に欲しい」


 可愛い可愛いと連呼しながら抱きしめたままの私と一緒にくるくる回る赤い人。「お前の息子の嫁にかよ!!」という祖父の声も聞こえる。

 祖父が言うように強面というおよそ子供好きとは思えないような人が、私を泣かすまいとあやしている。

 密着するその人から漂う眩暈のするような甘苦い香りに遠い記憶を刺激され、とても懐かしいと思った私の涙は、いつの間にか引っ込んでいた。







 「ごめんなリューディア、痛かったよな。おじいちゃんが悪かった」


 謝罪の言葉と共に差し出される甘いお菓子。祖父は孫たちの機嫌を損ねると決まって喉が痛くなるくらいに甘い、甘すぎる水飴菓子をくれるのだ。

 初めはそれをもらえるのが嬉しくて、怒っていたことも忘れて元凶である祖父に向かい嬉しいと笑顔で応えていたと思う。けれどそれも限度があるというもので、この頃はそれをもらっても嬉しいとは思わなくなっていた。


 「…やっ」

 「っ……」


 縋るような目で見られても、それは欲しくない。

 近頃どんなお菓子を提示されても興味を持てなくなっていた私は周囲の大人から虫歯の疑いを掛けられてしつこく歯の検診を受けさせられていたため、もうお菓子は見たくも無かった。だからぷいと顔を背けたのだが祖父はそうは思わなかったらしく、尚も食い下がって私にお菓子を渡そうとする。


 「ほら、美味しいお菓子だぞ~?これで機嫌を直しておくれよ」

 「やぁっ」


 祖父のことは大好きだ。けれどしつこい祖父は好きではなかった。

 ここまで謝ってもらう程のことではないし、既に痛みなどない。けれど余りのしつこさに言ってはいけない禁句を口にしそうになる。これを口にしたら最後、祖父が元に戻るまでに何日も時間を要する。祖父が在位中に私たち兄妹が発したその言葉の数だけ内政に滞りが発生したと知るのはもう少し大きくなってからではあるが、この言葉が言ってはいけないものだとは兄妹できちんと理解していた。



 「あまりしつこいと嫌われるぞ」


 なのに赤い人がさらりとその禁句を言う。


 「き、らい…?リューディア、おじいちゃん、きらいに、なる…?」


 私は何も言っていないのに、祖父の見開いた目からだばだばと洪水のような涙が溢れ出た。

 急に泣き出した祖父に驚いていると、赤い人の膝上にいる私に伝わる細かい振動。赤い人が、声を殺して笑っている。

 後から思えば、この時わざとこう言ったんだと分かったのだけれど。しつこい祖父が差し出すお菓子を気に入らない私に助け舟を出そうとしてのことだと。

 けれど幼い私はこの時初めて、赤い人がちょっとだけいじわるだと思った。



 「なあ、リューディア。お前は自分の祖父より俺が好きだよな?」


 優しい声、優しい手付きで撫でられる頭。けれど祖父を泣かせたあなたは。


 「きらい」


 とんと膝から降りて祖父の下へ行く。

 泣き暮れる祖父の膝によじ登り、向かい合う。やっぱりちょっと不安だけれど、我慢した。



 「なかないで」


 いつも母がしてくれるように、祖父の柔らかな髪に手を乗せる。



 「いいこいいこ」


 3人兄妹で黒髪なのは私だけ。その黒髪は祖父譲り。自分と同じ色にちょっとだけ白い物が混じる頭を撫でて、



 「おまじない」


 祖父の額に口付けた。お母さんがいつも言ってくれる言葉を心の中で唱える。



 どうか泣き止みますように。大好きだよ、おじいちゃん。




 祖父からも赤い人と同じ、甘苦い香りがした。






 ***





 「いや~、あん時は笑ったなぁ」


 ほろ酔いを通り越して真っ赤な顔の祖父のグラスが空になる。すかさずお代わりの琥珀色を注いで、こっそり自分のグラスにもこの高いお酒を注いだ。


 芳醇な香りが立ち上る。甘いような、苦いような、くらくらと眩暈がするような、そしてとても懐かしい香り。

 私の大好きな匂い、だ。



 「昔の話じゃないですか」


 そう、昔の話。祖父は酒が入ると思い出をよく語る。

 それもこっちが忘れたいような衝撃的な過去を嬉々として話すのだから勘弁してほしい。


 「昔ってお前、たかが18年前だぞ」

 「十分昔ですっ」


 成人を果たし、酒を覚えた私は兄妹で一番の酒飲みになり、酒豪の祖父の晩酌の相手をすることがこの一年の日課になっていた。お蔭で声も酒やけしてきたし…なんて言ってもしょうがない。

 祖父との晩酌で語られる思い出話も必然的に私に関するものが多く、内容もまた耳を覆いたくなるような恥ずかしいものばかりだった。


 「いやぁ、見ものだったぞ?お前に嫌いと言われた時のカレルのあの顔!末代までの語り草だなあれは!」


 わはは、とお腹を抱えて笑う祖父の手からグラスを取り上げて代わりに水を持たせた。

 ううむ、飲ませすぎたかな。というか小父様に向かって嫌いとか言っちゃう私って…。今なら考えられないことだ。


 「リューディアからの口付けも嬉しかったな~…。涙もぴたっと止まったし…」

 「おまじないですから」

 「良く効くまじないだ」

 「お母様直伝です」

 「それは効き目抜群だな!」


 母は強し!とか何とか言いながら、手元の水の入ったグラスを私のグラスとぶつけ合う。ぐいっと一気に飲んで「水じゃねーか!」とまた笑った。



 その笑い声に、時折鼻をすする音が混じる。

 ああ、やっと収まったと思ったのにまた始まったか。

 心の中でそっと息を吐き出す。


 「お爺様、今日はお目出度い日なのですから泣かないで下さい」

 「泣いてないっ、俺は泣いてないぞっ」

 「分かりましたからこれで拭いて下さい」


 蘭の刺繍が施されたハンカチを祖父へと差し出す。出してから「ああ、姉が刺したものだったか」と気付いた。意図して差し出したわけではなかったけれど、祖父も気づいたのか余計に流れ出る水分量が増えてしまった。



 隣国アルギレオの王太子に嫁いだ姉が居なくなって初めての夜。辛気臭くうじうじと腐っていた爺馬鹿の祖父を元気づけようと強引に酒を飲ませていたところだったと思い出した。

 自分の思い出話に嫌気が差したからといって酔い覚ましさせるのではなかった。


 「お爺様のこんな姿、ユスティーナ姉様が見たら笑われてしまいますよ?」

 「ティーナが笑ってくれるなら俺は本望だよ!」

 「どういう本望ですか…」


 ティーナ、ティーナと孫娘の名を呼びながら咽び泣く69歳のかつて虎王と呼ばれた人。

 結婚式の最中も人目を憚らずに泣いて、会場が騒然としていたのを思い出す。

 姉の旦那様となったヴァルテッリ王太子殿下のお父上、アルギレオ国の王カレルヴォ陛下も「何やってんだ」というような目で見ていた。


 …いや、うん。小父様のお顔、楽しげに笑っていらしたのは見間違いよね。お爺様の泣き顔を見るのが好き、とかそういうんじゃないわよね、うん。




 いくつになっても泣き虫は変わらない。またおまじないをしなければ泣き止まないのだろうか。



 「お爺様」


 あの頃と比べると格段に白い物の方が勝る髪を撫で、



 「いいこいいこ」


 幼子にするように何度も往復させる。



 「おまじないは必要ですか?」


 にこりと微笑んで額に口を寄せようと身を屈めれば、



 「っリューディア~~~!!」


 触れる前に、泣き付かれた。




 「あいつが!あのケダモノのチビが!俺のティーナを~~~!!」

 「それを望んだのは姉様ですよ?」

 「だからって、だからといって…!!」

 「はいはい」


 孫である私たち兄妹に分け隔てなく愛情をかけてくれた祖父の涙は、とても暖かい。

嬉しいのだ、きっと。姉の幸せを望む気持ちが強すぎて、涙という形になって溢れ出しているのだ、きっと。


 「お爺様にこんなに思われる姉様は、この世界で一番幸せ者です」


 だから泣き止んでください、とハンカチで目元を押さえてあげた。



 「お前の時もこれ以上に泣いてやるからな!!むしろ他国に嫁ぐな!うちにいろ!!」


 私自身、他国へ嫁ぐなど考えていなかった。というかそもそも結婚についてはあまり真剣に考えていなかった。

 だから、「これから先も、ずっとお爺様の晩酌の相手をしてさしあげますよ」とそう言ったのだ。





 ―――そんな祖父の意に反して帝国ジェヴォークスへ嫁いだ私の下へ、祖父がそろそろ干からびそうなんだが、というサフォーデュの兄からの手紙が届くのは、これより二年後のお話。





 



リューディア曰く、兄様がおまじないをしてあげてください、と返したとかなんとか。



+++




何故王女が甘い物が苦手なのかということと、何故酒が好きになったのかということを解き明かすお話、でした。…解き明かされているのかは微妙なところですけどもっ。

そして視点はリューディアでも爺’sがほぼメインなのと甘党陛下がいないので番外編扱いです。陛下ごめんね!



色々書き加えて他の話と繋がらない部分も出てるような気がしますね…特に姉の嫁ぎ先とか。蛇足というやつだったかもしれませんが後悔はしていない!…反省はします。しょんぼり。勢いって怖いです。



次は陛下の過去話を書ければいいなと!思っております!

お読み頂きましてありがとうございました!

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