こぼれ話 甘党陛下と酒やけ皇妃と未来のこと
陛下と皇妃がいちゃついてるだけの小話です。
それだけですが、良かったらどうぞ。
――死が二人を別つとも
――決してあなたは一人ではない
――私は必ず探し当て、あなたを再び愛することを誓います
「『来世でもまた会いましょう』…?」
「きゃあ!!」
背後からの声に驚いて、悲鳴を上げながら読んでいた本を勢いよく閉じたのは酒やけ皇妃。またその大音量に耳を押さえているのは甘党陛下だった。
「驚かせないでよ!」
「…それはこちらの台詞なのだが」
キーンと耳鳴りが収まらない様子の陛下が「何を読んでいた?」と皇妃が胸に抱えている本を指さすと、皇妃はそれを背後に隠してしまった。
「おい」
「な、何でもないわ」
「隠すほどの物か?」
「そうじゃないけど」
訝しむ目を向ける陛下から顔を背ける皇妃はほんのりと頬を染めて恥じらいを見せている。
先程ちらりと見えた表紙の色は黄色。ふうん?と陛下は何やら思案して、にやりと笑って見せた。
「な、何よ。にじり寄ったりして」
「いやすまない。まさかお前が物足りないと思っていたとはな」
「は?」
じりじりと二人掛けの椅子で繰り広げられる一進一退。
どうして私は追い詰められているのだろうか。あ、ひょっとして…。
「ちょ、ちょっと待って」
皇妃は迫りくる陛下の胸に手を当てて押し留めようとする。しかしそれをどう受け止めたのか、陛下はその手を取って恭しく口付けた。
甲に唇を這わせ、時折啄む。官能的とも取れるその動作に、皇妃は赤くなる…かと思いきや。至極冷静な表情で呆れたため息を零した。
「…貴方が変なことを考えてるのは良く分かったわ。しかも盛大な勘違いをしてるってこともね」
「勘違い?」
「ええ」
ずい、と目の前に差し出されたのは先ほど皇妃が隠した本。黄色い表紙の本だった。
「これの何が勘違いだと?」
「良く見て」
陛下から自分の手を取り返して空いた隙間に本を押し込むと、「これ、本を汚さない為の布表紙よ」と言った。
なるほど、黄色だと思った表紙は良く見ると、黄色地に細かい花の柄の布で覆われている。ぺろんとそれを捲れば下から赤色の表紙が出てきた。皇妃の耳にちっと舌打ちが聞こえたような気がした。
「なんだ、つまらん」
折角興が乗ったというのに。
思わず本音が出てしまった陛下に目を剥いて、「つまらなくて結構です」と本をまた隠すように陛下から取り上げた。
「そもそも隠すようなものじゃないだろう」
「ええそうね。別に隠さなくても良かったわ」
「毎夜愛しているというのに、黄表紙なぞ読んでいるから欲求不満なのかと期待したのだが」
「…馬鹿ね」
「くくっ、そうかもな」
陛下は皇妃の飲み掛けていたカップを持ち上げて冷めた紅茶を飲み干す。甘さの全くない味にぐっと咽せかけて、部屋に常備されている砂糖菓子を口に入れた。その様子に「全くもう」と呟いた皇妃が立ち上がり空になったカップを持った。
「新しいお茶を淹れるわ。貴方の分もね」
「悪いな」
部屋の奥に消えた皇妃を見送り、ふと視線を落とすと先ほどまで皇妃が座っていた場所に残されている本に目がいった。
赤表紙は恋愛小説。子供向けから大人向けまで様々だが、別に人に憚る内容ではないはずで皇妃が隠すほどの内容なのかと興味が湧く。ちなみに陛下が勘違いした黄表紙は完全成人向けの『そういう』本である。期待させてくれてどうしてくれようと胸の内で思ったことは言うに及ばず。
どれどれ、と皇妃がいない間に本に手を伸ばす。
陛下も本は読む方だが伝記や戦記が好みな為、恋愛小説は範疇外。斜め読みで十分だろうと表紙を開いた。
「……」
内容は戦乱の世に生きる騎士と町娘の身分違いの恋。女性が好みそうなありがちな悲恋ではあるが、恋愛描写だけではなく意外にもしっかりとした戦闘描写もありなかなか読みごたえがある。中でも町娘が住む都が戦地となり、騎士を庇った末に死に瀕している町娘へ騎士が告白する場面は乙女の胸をつく…のかもしれないと思った。
陛下はぱらぱらと頁を捲ってぱたんと閉じる。そしてそれを元の位置に戻して考え込むように口元に手を当てた。すると程なくして皇妃がトレイを持って戻り、陛下好みに仕上がっている茶を他愛もない会話と共に楽しんだ。
その日の夜、鏡の前で髪を梳いている皇妃へ「なあ」と陛下が声を掛けた。
「なあに?」
「俺は来世の約束はしないぞ」
ぴたり、と櫛を持った皇妃の手が止まる。陛下を振り向いたその顔は驚いたような表情だった。
「あの本を読んだのね」
「ああ。勝手に悪かった」
「別に良いけど」
苦笑してまた鏡に向き直り、丁寧に梳る。別段憤るでもなく呆れるでもなく、ごく自然な皇妃の様子。昼間頬を赤くして本を隠したというのにどういうことだと不思議に思い、陛下が問うた。
「怒らないのか?」
「なぜ?別に良いって言ったでしょう」
「いや、そうじゃなくて。普通は小説の通りに約束が欲しいと言わないか?」
「そんなことないわよ」
「しかし…」
皇妃はことりと櫛を置き、鏡台の前から陛下の側へ移動する。しゃらりとした夜着の衣擦れの音が二人の寝室に響いた。
「じゃあ聞くけど、どうして貴方は約束しないと言うの?」
ベッドに横になっている陛下を見下ろすような形で立っている皇妃の表情は、明かりを背にしているので翳って見えない。
「来世なんて不確かなものを約束するより、本人がいる今世を大事にしてやる方が良いと思うからだ」
「そう」
「物語では死に瀕している町娘の死への不安や恐怖を払拭しようとした騎士の思いやりの現れなのかもしれないが、俺にはどうも愛し方が足りなくて出た言葉だと思う」
「足りない?」
「ああ。相手に嫌と言われるほど愛してやれば不安も何も無く逝けるだろうと思う。けれど騎士には愛し方が足りず、足りなかった分を来世に回すと言っているように聞こえる。いつ何時、死が訪れたとしても、そんな後悔を抱くことにならないように全力で愛せば良かったはずだ」
俺ならばそうする。
そこまで言い切ってから、はたと止まる。斜め読みのはずが存外読み込んでいたことに陛下自身が驚いていると、くすと笑った皇妃の声が聞こえた。
「…何か可笑しかったか?」
「可笑しいんじゃないの、一緒だなって嬉しく思っただけ。私も来世の約束なんて欲しくない。貴方の考えに概ね同意するわ」
「そうなのか?ああいう本を読んでいるからてっきりそういう約束が欲しいのだと思ったのだが」
「そんなことないって言ったでしょう。あれは私の侍女から借りただけよ。今城下で流行ってるというから読んでいたの、ありがちな設定と展開よね」
読みごたえはあったから読み物としては楽しめたけど、と皇妃が笑う気配がした。
「そういうことなら何故隠した?」
「…旦那様に隠れて恋愛小説を読んでいたのよ?妻としてちょっと恥ずかしいじゃない。それにそこまで乙女思考でもないし…」
ぶつぶつと小声で言い訳をしながら暗がりの中を皇妃が動く。
寝台が沈み、横たわる陛下の隣へ腰掛けて顔を覗き込むように手をついた。蝋燭の仄かな明かりに照らされた皇妃は微笑みを浮かべながら陛下を見下ろす。その嫣然とした表情に吸い寄せれるようにして、陛下が頬へ手を伸ばした。
「私が来世の約束がいらない理由、聞きたい?」
「是非」
皇妃の顔を隠す黒髪をそっと耳に掛け、薄い耳たぶを優しく撫でると擽ったそうに肩を竦める。ひんやりとした感触が陛下の指先に伝わった。
「今ここにいる貴方だけで私の愛は精いっぱいですもの。次の分、なんて私には取り置きしておく気力も体力も無いわ」
それはどう聞いても愛の告白に他ならず。信じられないものを聞いたとばかりに陛下が目を丸くした。
「その顔はなによ?」
「…俺が思っていたよりも、俺はお前に愛されているのか」
「知らなかったの?」
「いや…、お前から直接的な告白が聞けると思っていなかっただけだ」
「私は大事な場面では貴方に告白してきてると思うけど」
「それだけじゃ足りない。…もっと欲しい」
ねだるような口調で陛下が乞う。
「……今夜はお酒を飲み過ぎたのかもしれないわね」
そう言いつつ、上体を屈めて陛下の唇へ軽くなされた接吻は、酒精など微塵も感じない。素面で大胆な行動を取る皇妃に喉を鳴らした陛下が己に覆い被さっている皇妃の腰を掴んだ。
「…まだ足りないの?」
「ああ、足りない」
皇妃の夜着を結ぶ紐を解かれ、露わになる肌へ陛下の手が滑る。皇妃が小さな声を洩らすと、陛下は満足げに笑った。
「…来世でも貴方に逢えたら、それはそれで素敵でしょうけどね」
「来世の俺のことなど考えなくていい。今は俺だけを考えていろ」
「自分に嫉妬?」
「…うるさい、もう黙れ。嫌と言うほど愛してやる」
たまらず引き寄せて、お喋りなその口を塞いだ。
死が二人を別つならそれでも良い。二度と会えないのだとしても人生は一度きりなのだから今を大切に生きれば良いと、二人は揃って笑い合った。
来世には否定的な二人が再び出会うことになろうとは、お天道様にも分かるまい。(甘党男と酒やけ女参照)
来世ネタに引っかけてみたものの、やまなしおちなしいみなしのただいちゃついてるだけのお話でした。二人の会話内容に余り意味は無く、ただらぶい話が書きたかっただけという。
悲恋モノは嫌いじゃないです。自分じゃ思いつかない分、切なさを求める時は悲恋ばっちこいです。一番好きなのはハッピーエンドですけども!
赤表紙と黄表紙のくだりは日本の草双紙が元ネタです。
赤は全年齢対象、黄は成人向けという設定に使わせて頂きました。
お読み頂きましてありがとうございました!